正解
〔第1回の問題〕
(更新:24/11/15)
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正解
〔第1回の問題〕

1. ×   2. 〇   
3.
×   4. 〇   
5.
〇   6. ×   
7.
×   8. ×   
9.
〇   10. ×   
11.
〇  12. ×   
13.
×  14. 〇   
15.
×   16. ×  
17.
〇   18. ×   
19.
×   20. ×  


《「ドストエフスキーに詳しい」度
の判定》

正解が1114のお方。

→ あなたは、
「ドストエフスキーに詳しい」です。

正解が
15個以上のお方。 
→ あなたは、
かなりの「ドストエフスキー
に詳しい」
です。


<解説>

1.…計35作、とされている。(3638作とみなすドストエフスキー研究者もあり。)   
 →  ドストエフスキーの小説一覧

2.
1863(40)の時の最初の欧州旅行の際、ドーバー海峡を船で渡ってロンドンを訪れ、ゲルツェン(ロシア出身の思想家・活動家)を訪問し、滞在していたバクーニン(ロシア出身の思想家・活動家)とも知己(ちき)になっている。また、その時開催されていたロンドン万国博にも訪れ、その印象も記している。

3.
…ドストエフスキーは、両親(父ミハイル(×フョードル)と母マリヤ)の七人の子供(息子三人・娘四人。次女と三女は双生児だったが、三女は、生後間もなく死亡。)のうち、二番目に生まれた次男。

6.
…両雄は、同時代人として、創作においてお互いにライバル意識を燃やしたが、ドストエフスキーは生涯トルストイと会うことがなかった。一方、ツルゲーネフとは生涯しばしば会っていて、両者の相性の悪さと不和は有名。

7.
1868年の10月に、婦人速記者アンナの協力を初めて得て小説『賭博者』を完成させているが、その時期は「ロシア報知」に小説『罪と罰』を連載していた時期であり、11月号・12月号に連載された『罪と罰』の第6部の末部及び「エピローグ」の章は、引き続きアンナの口述筆記の協力のもと、完成され、「ロシア報知」にまわされた。  
      
8.
…実母が同じなのは、イワンとアリョーシャ。

10.
…『悪霊』と『カラマーゾフの兄弟』は、ペテルブルグを主要舞台にはしていない。

12.
…最初の妻マリヤとの間には、子供ができなかったが(マリヤの連れ子が一人あり。)、アンナとの間には、二男二女を、もうけた。(そのうち、長女と次男は、生後3ヶ月足らず・29ヶ月足らずで病気で亡くなっている。)

13.
…ラスコーリニコフは、馬車にひかれたマルメラードフをマルメラードフ宅に運びいれるが、マルメラードフが息を引き取る間際に家に戻ってきて部屋の戸口に現れたソーニャを初めて目にしている。

14.
…監獄・囚役中の同僚の囚人たちの興味深い貴重な会話などを書きとめた「シベリア・ノート」というものが存在していて、全集にも入っているが、これは、出獄後に思い出してノートにまとめたものであり、監獄・囚役中では、そういった書きとめも許されなかった。

15.
…『カラマーゾフの兄弟』の次に本文の量の多い小説は、『悪霊』と『白痴』(ほぼ同量)である。『カラマーゾフの兄弟』の量を100とすると、『未成年』『悪霊』『白痴』『罪と罰』の量は、順に、 70777761(新潮社刊の訳本による比較。)

16.
…ドストエフスキーは、陸軍中央工兵学校を卒業して軍人としての肩書きがあり、在学中に各種の訓練は受け、また、シベリヤ流刑後は、5年間余り国境警備の任に就いたが、実地の戦役の経験はない。

18.
…ドストエフスキーは、整理整頓好きの几帳面さで知られ、机上や机の中は、つねに整理整頓されていた。

19.
…他に、小沼文彦氏も、ドストエフスキー全集の個人訳(筑摩書房刊)を成し遂げられている。

20.
…『虐げられた人々』は、シベリア流刑・国境警備の服役を終えて後に執筆・完成されている。




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