正解
〔第1回の問題〕
1. × 2. 〇
3. × 4. 〇
5. 〇 6. ×
7. × 8. ×
9. 〇 10. ×
11. 〇 12. ×
13. × 14. 〇
15. × 16. ×
17. 〇 18. ×
19. × 20. ×
《「ドストエフスキーに詳しい」度
の判定》
正解が11〜14個のお方。
→ あなたは、
「ドストエフスキーに詳しい」です。
正解が15個以上のお方。
→ あなたは、
かなりの「ドストエフスキー
に詳しい」です。
<解説>
1.…計35作、とされている。(36〜38作とみなすドストエフスキー研究者もあり。)
→ ドストエフスキーの小説一覧。
2.…1863年(40歳)の時の最初の欧州旅行の際、ドーバー海峡を船で渡ってロンドンを訪れ、ゲルツェン(ロシア出身の思想家・活動家)を訪問し、滞在していたバクーニン(ロシア出身の思想家・活動家)とも知己(ちき)になっている。また、その時開催されていたロンドン万国博にも訪れ、その印象も記している。
3.…ドストエフスキーは、両親(父ミハイル(×フョードル)と母マリヤ)の七人の子供(息子三人・娘四人。次女と三女は双生児だったが、三女は、生後間もなく死亡。)のうち、二番目に生まれた次男。
6.…両雄は、同時代人として、創作においてお互いにライバル意識を燃やしたが、ドストエフスキーは生涯トルストイと会うことがなかった。一方、ツルゲーネフとは生涯しばしば会っていて、両者の相性の悪さと不和は有名。
7.…1868年の10月に、婦人速記者アンナの協力を初めて得て小説『賭博者』を完成させているが、その時期は「ロシア報知」に小説『罪と罰』を連載していた時期であり、11月号・12月号に連載された『罪と罰』の第6部の末部及び「エピローグ」の章は、引き続きアンナの口述筆記の協力のもと、完成され、「ロシア報知」にまわされた。
8.…実母が同じなのは、イワンとアリョーシャ。
10.…『悪霊』と『カラマーゾフの兄弟』は、ペテルブルグを主要舞台にはしていない。
12.…最初の妻マリヤとの間には、子供ができなかったが(マリヤの連れ子が一人あり。)、アンナとの間には、二男二女を、もうけた。(そのうち、長女と次男は、生後3ヶ月足らず・2年9ヶ月足らずで病気で亡くなっている。)
13.…ラスコーリニコフは、馬車にひかれたマルメラードフをマルメラードフ宅に運びいれるが、マルメラードフが息を引き取る間際に家に戻ってきて部屋の戸口に現れたソーニャを初めて目にしている。
14.…監獄・囚役中の同僚の囚人たちの興味深い貴重な会話などを書きとめた「シベリア・ノート」というものが存在していて、全集にも入っているが、これは、出獄後に思い出してノートにまとめたものであり、監獄・囚役中では、そういった書きとめも許されなかった。
15.…『カラマーゾフの兄弟』の次に本文の量の多い小説は、『悪霊』と『白痴』(ほぼ同量)である。『カラマーゾフの兄弟』の量を100とすると、『未成年』『悪霊』『白痴』『罪と罰』の量は、順に、 70、77、77、61。(新潮社刊の訳本による比較。)
16.…ドストエフスキーは、陸軍中央工兵学校を卒業して軍人としての肩書きがあり、在学中に各種の訓練は受け、また、シベリヤ流刑後は、5年間余り国境警備の任に就いたが、実地の戦役の経験はない。
18.…ドストエフスキーは、整理整頓好きの几帳面さで知られ、机上や机の中は、つねに整理整頓されていた。
19.…他に、小沼文彦氏も、ドストエフスキー全集の個人訳(筑摩書房刊)を成し遂げられている。
20.…『虐げられた人々』は、シベリア流刑・国境警備の服役を終えて後に執筆・完成されている。
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