正解
〔第2回の問題〕
(更新:24/11/15)
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正解
〔第2回の問題〕

1. ×   2. 〇   
3.
×   4. 〇   
5.
〇   6. 〇   
7.
×   8. ×   
9.
×  10. ×   
11.
〇   12. ×  
13.
×  14. ×   
15.
〇  16. 〇  
17.
〇  18. 〇  
19.
〇   20. ×  


《 「ドストエフスキーに詳しい」度
の判定 》

正解が1215のお方。

→ あなたは、
「ドストエフスキーに詳しい」です。

正解が
16個以上のお方。 
→ あなたは、
かなりの「ドストエフスキーに
詳しい」
です。


<解説>

1.
…ドストエフスキーが30歳代半ばである1850年代には、ロシアの一部ではすでに写真撮影の技術が普及していたようで、写真に撮影されたドストエフスキーの姿や顔は、かなりの数、残っている。
 
3.
…内容は「日記」ではなくて、ドストエフスキーが個人で発行していた月刊雑誌に自由な形式で載せた社会評論・時事評論・文学評論・回想記・短中編小説などを収めたものである。一方、日々のちょっとした雑感をドストエフスキーが記したノートやメモを死後編集したものとして、「未刊行ノート」というものはあるが、ドストエフスキーは、いわゆる「日記」というものは生涯残していない。

4.
…江川卓氏は、中学三年の時にすでに『カラ兄弟』『罪と罰』を読破し、大学入学前の旧高等学校在学中の17歳からロシア語の独学を始め、東大法学部政治学科を卒業後は、大手会社(広告店・通信社)勤務のかたわら、1953年から現代ソビエト文学の研究を開始して、1960年以降『罪と罰』を皮切りにドストエフスキーの小説の翻訳を手掛け、1968年以降は東京工業大学・中京大学の教授を勤め、1969年の「ドストエーフスキイの会」の設立には発足人の一人となられている。

5.
22歳の時にバルザックの『ウジェニー・グランデ』(フランス語)を自ら翻訳したことは有名だが、他にも、中央工兵学校に入る前の予備校時代の16歳で、ホフマンの長編小説『牝猫ムルの人生観』をドイツ語原文で読んでいる。中央工兵学校では外国語科目としてフランス語とドイツ語があり、三学年時(20)の学業成績ではドイツ語は10点満点の10点を得ている。ちなみに、英語は、生涯、習得していない。

7.
…最初に父と息子たちが一堂に会する僧院での会合にドミートリイが遅れて現れ、部屋の片隅に陣取って、イワンと僧院たちの引き続く議論を傾聴するシーン(2編第6)や、突然邸に闖入(ちんにゅう)してきて倒れた父フョードルを蹴()りあげるドミートリイを、イワンが両手でかかえて父からもぎ放すシーン(3編第9)、など、数は少ないものの、両者が同席するシーンはいくつかある。

8.
…ピョートルは、ステパン氏と(ワルワーラ夫人の家の食客になる以前に二度結婚している)彼の最初の妻との間にできた息子である。

9.
…江川卓氏の新題名訳が1969年に新潮文庫として出て以降広まるまでは、『地下室の手記』でなく、『地下生活者の手記』(米川正夫訳)で通(とお)っていた。
 
10.
…『虐げられた人々』のナターシャの父イフメーネフ老人は、小説中では亡くなってはいない。

12.
…顔や姿が主人公に瓜二つの人間が、「夜な夜な幻覚として現れる」のではなく、生身の人間として同じ職場の課内に現れて、職場で主人公をしのいでいく奇想天外の物語である。

13.
…『永遠の夫』は、『白痴』完成した一年後の、『悪霊』起稿直前(『悪霊』発表の一年前)に発表されている。

14.
13度ではなく、10度くり返している。

17.
…ドストエフスキーは、妻アンナを伴った欧州放浪で、建造物や美術館の絵画の鑑賞以外に、音楽の演奏会にも足繁く通っており、ベートーベン、モーツァルト、メンデルスゾーン、ロッシーニの曲に感動し、彼らの曲を好んで聴いた。ワグナーの曲は嫌いだったそうである。ちなみに、ドストエフスキーは、シベリヤ流刑前にあたる27歳の時に、音楽家に取材して、ヴァイオリストの物語である音楽小説『ネートチカ・ネズワーノワ』の自殺未遂のシーン、『悪霊』では、スタヴローギンとガガーノフの決闘のシーン、『未成年』では、終盤におけるピストルを持()したヴェルシーロフが危機一髪で心中(しんじゅう)未遂に終わるシーン、『カラ兄弟』では、若きゾシマ長老の決闘のシーン、などに、ピストルが出てくる。

20.
…ドストエフスキーは、ペテルブルグで亡くなっている。


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