ドストエフスキーの言葉 ()
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更新:24/07/24)
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<「
」について>
(
更新:24/07/24)


より尊いものがなにがあろう!
なにもないのだ、なにも!」

(『カラマーゾフの兄弟』より。米川正夫訳。)
 



「わたしは、生を生のために愛している。」
(「ノート」より。)



アリョーシャ「地上に住むすべての人は、まず第一にを愛さなければならないと思いますよ。」 
イヴァン「の意義以上にそのものを愛するんだね?」 
アリョーシャ「むろん、そうでなくちゃなりません。あなたのおっしゃるように論理以前にまず愛するんです。ぜひとも論理以前にですよ。そこでこそ初めて意義もわかってゆきます。」
(『カラマーゾフの兄弟』の第3編の第3「兄弟の接近」より。米川正夫訳。)



「あれはどこで?」
ラスコーリニコフは歩きながら考えた。
「どこで読んだんだっけ?なんでも死刑を宣告された男が、死の一時間前に言ったとか、考えたとかいうんだった。もしどこか高い岸壁の上で、それも、やっと二本の足で立てるくらいの狭い場所で、絶壁と、大洋と、永遠の闇と、永遠の孤独と、永遠の嵐に囲まれて生きなければならないとしても、そして、その一尺四方の場所に一生涯、千年も万年も、永久に立ちつづけなければならないとしても、それでも、いま死んでしまうよりは、そうやって生きたほうがいい、というんだった。なんとか生きていたい、生きて、生きていたい! どんな生き方でもいいから、生きていたい! ……なんという真実だろう!ああ、なんという真実の声だろう!」
(『罪と罰』より。第2部の6。新潮文庫の上巻のp274)
※、心打たれる箇所。
 


「幻想的な生活にあってはの営みもすべて幻想的である。」
(評論集より。)



「現実というものは、どんなときでも、土足のにおいがする。」
(『未成年』より。)
 



「よく考えてみれば、諸君、二二(ににん)が四というのは、もうではなくて、の始まりではないだろうか、すくなくとも人間は、なぜかいつもこの二二が四を恐れてきたし、僕などは今でもそれがこわい。」
(『地下室の手記』より。新潮文庫のp53)



「強制は人を殺す。」
(『死の家の記録』より。)



「生命力の発現がゆがんでいればいるほど、その生命力が、必死に自己を発揮したがっているということがある。」
(
評論集より。)




<「
人生」について>


人の一生は――贈物です、人生は――幸福です。そのそれぞれの瞬間が幸福になりうるものなのです。」
(書簡より。)



「ああ、諸君、ああ、かわいい親友、人生を恐れてはいけません!なんでも正直ないいことをしたときには、人生はなんと美しいものに思われることでしょう。」
(『カラマーゾフの兄弟』の末尾で、アリョーシャが町の少年たちの前で語る言葉。新潮文庫の下巻のp496。米川正夫訳。)



人生はすばらしい。醜悪だったのは我々の方なのだ。」
(『作家の日記』より。)



人生は楽園です。われわれはみんな楽園にいるのです。ただわれわれがそれを知ろうとしないだけなのです。もしそれを知ろうとする気になりさえすれば、あすにもこの地上が楽園となるのです。」
(『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の兄マルケールの言葉より。新潮文庫の中巻のp52)



人生はどうしてこんなに短いのか、わしにはどうしてもわからない。そりゃむろん、退屈させないためにちがいない。人生もやはり造物主の芸術作品だからな。プーシキンの詩のような、非のうちどころのない完全な作品だよ。短いということは芸術の第一条件だ。でも、退屈しない者には、もっと長い生命をあたえてやってもよさそうなものだ。」
(『未成年』のニコライ老公爵の言葉。第2部第8章の2)



「人生は苦痛であり、人生は恐怖である。だから人間は不幸なのだ。だが、人間はいまでは人生を愛している。それは苦痛と恐怖を愛するからだ。
(
『悪霊』より。)

 




<「
生死」「」について>


「人間はを恐れる。それはを愛するからである。」
(『悪霊』より。)


とはわれわれのすべての秘密、陰謀、奸計(かんけい)からそのヴェールを引き剥()ぐものである。」
(『プロハルチン氏』より。)





<「
青春」若さ」について>


「青春は、それが青春という理由だけでもう清らかなのである。」
(『未成年』のニコライ‐セミョーノヴィチの言葉。第3部第13章の3)



「たしかに若者の中には、慎重に心の印象を受け入れ、人を愛するにも熱烈にではなく微温的な程度にとどめ、知性にしても地道でこそあれ、年齢から考えてあまりにも分別くさい(したがって安手な)ような者もいるし、わたしに言わせれば、そういう若者なら、わが主人公の身に起こったようなこと(注:=ゾシマ長老の腐臭事件による信仰の動揺のこと)は免れたであろうが、実際のところ、場合によっては、たとえ愚かしくはあってもとにかく偉大な愛から生じた熱中の対象に打ち込むほうが、まるきり打ち込まぬよりも立派なことがあるものだ。青年時代にはなおさらそうだ。なぜなら、あまりいつも分別くさい青年は、頼りにならないし、値打ちも低い――これがわたしの見解である!」
(『カラマーゾフの兄弟』の第7編第2章より。新潮文庫の中巻のp141)
※、有容赦さんの投稿により掲載。



「あなたはいままさに青春時代若さに満ちあふれて、人生がはじまったばかりです――なんとこれは幸福なことでしょう!人生を見失うことなく、ご自分の精神を大事にし、真実をお信じになることです。しかし一生かかってこつこつとそれを探し求めなければいけません。それでないと――道に迷うのはおそろしく簡単なことですからね。」
(書簡より。)



「気分のうえで決して年をとらないようにしてください、そして人生になにが起ころうとも人生に対する曇(くも)りのない目を失わないで下さい、永遠の若さよ万歳! 人間の若さは時間と生活の力に支配されるとともに、またわたしたちの力にも左右されるものであることをお信じください。」
(書簡より。)



「おまえは、若いのだ、若さとは美しいものだよ。年寄りは墓に近いが、若い者は生きることだよ。」
(『未成年』のマカール老人の言葉。第3部第1章の3内。新潮世界文学のp427)



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