ドストエフスキーの言葉 ()
(更新:24/01/31)
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<「幸福、不幸」について>


「それにしても、喜びと幸福は、なんと人間を美しくするものか! なんと心は愛にわき立つものか!」
(『白夜』より。)



幸福な人間はつねに善良である。」
(『未成年』より。) 



人間というものは、不幸のほうだけを並べたてて、幸福のほうは数えようとしないものなんだ。ちゃんと数えてみさえすれば、だれにだって幸福が授かっていることが、すぐわかるはずなのにね。」
(『地下室の手記』より。)



「人間が不幸なのは、ただ自分の幸福なことを知らないからです。それだけのこと、断じてそれだけです、断じて! それを自覚した者は、すぐ幸福になる、一瞬の間に。」
(『悪霊』のキリーロフの言葉。第2編第1章の5。新潮文庫では、上巻のp371。米川正夫訳。)



不幸なのは心のよこしまな人間ばかりです。私には、幸福とはどうも――人生に対する明るい見方と曇(くも)りのない心の中にあるものであって、外面的なものにあるのではないように思われます。」
(書簡より。) 



幸福は徳行の中にこそ含まれているものである。」
(『スチェパンチコヴォ村とその住人』より。)



「人間の情け深さと人間の相互愛を確信することよりも、大きな幸福はない。これは、信仰だ。まったく一生をかけての信仰だ! この信仰よりも大きな幸福があろうか!」
(『作家の日記』より。)



「家庭の幸福以上に大事なものはこの世の中にはなにひとつない。」
(書簡より。)



「キリストさまがおっしゃっておられるのは、そんなことじゃない。『行きて、汝(なんじ)の富をわかちあたえよ、そして万人の僕(しもべ)となれ』 こうおしゃっておられる。それでこそ今までよりも百万倍も豊かになるのだよ。だって人間というものは、食物や、高価な衣装や、誇りや、羨望(せんぼう)幸福になるのではない、限りなくひろがる愛によって幸福になるからだよ。そうなれば十万や百万ぽっちの少しばかりの財産ではなく、世界中を自分のものにすることになるのだ!」
(『未成年』より。第3部第3章の2内。新潮世界文学のp464p465)

※、老子は、「愛する」ということは挙げていないが、ほぼ同じことを言っている。

10
「よしんば(=仮に)まちがったものにせよ、美の理想をもつ者は、幸福である!」
(『未成年』より。第1部第5章の3内。新潮世界文学のp111)


11
「幸福は幸福の中にあるのではなく、それを手に入れる過程の中だけにある。」
(
『作家の日記』より。)


12
「コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない。」
(
『白痴』より。)


13
「わたしにはいつも、最大の幸福とは、少なくともなぜ不幸なのかを知るということだと思われた。」
(『作家の日記』より。)
※、この言葉は、ドストエフスキーが考えていたことが知れる意味深長な言葉だと思う。


14
「人間には幸福のほかに、それとまったく同じだけの不幸がつねに必要である。」
(『悪霊』より。)





<「苦悩」「苦痛」について>


苦悩苦痛は、広い意識と深い心の持ち主にはつねに必然的なものなのだ。ほんとうに偉大な人間はこの世では大いなる悲しみを感じるはずだと思うのだ。」
(『罪と罰』のラスコーリニコフの言葉より。第3部の5。新潮文庫の上巻のp464)



「苦しみと涙、それもまた生なのだ。」
(
『罪と罰』より。)



苦痛こそ生活なのだ。苦痛がなければ、いったい、人生にどんな快楽があろう。なにもかもが一様に、きりもなくだらだらと続く祈祷(きとう)になってしまう。」
(『カラマーゾフの兄弟』より。) 



幸福は快適な生活の中にはない。幸福は苦痛によってあがなわれる。人間は幸福のために生まれるのではない。人間は自分の幸福をあがない取るのだ。しかも常に苦痛によって。」
(
『罪と罰』の創作ノートより。)



「あらゆる偉大な幸福はいくらかの苦悩を内包している。というのは、それがわれわれのこころに、より高い意識を呼び起こすからである。」
(『作家の日記』より。)



「いまのわたしにはあの人から受けるものなら、苦しみさえ幸福です。」
(『虐げられた人びと』のナターシャの言葉。)



「ああ、もし私が将来幸福になり得るのであれば、今の悲しみや災難などは何でもありません。」
(『白痴』より。)


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