ドストエフスキーの小説 ()
(更新:24/11/21)
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これから読む人は、以下、ネタ
ばれの箇所(
の箇所)に注意


 



『虐げられた人々』
(
更新:24/11/21)

(
、別のタイトル表
記「虐げられた人びと」等)

概要

長編。その血筋ゆえ青年アリョーシャとの付き合いを認めない父イフメーネフとその娘ナターシャの愛憎と終盤での和解や、他の女性カーチャも同時に好きになってしまっても意に介さないお目出たいアリョーシャをめぐっての彼女の困惑や苦悩を、ナターシャの元恋人である語り手イワンが、彼女のよき相談相手役をつとめつつ、手記の形でつづる恋愛小説・家庭小説

後期にみられるような形而上学的なテーマも見られず、都会ペテルブルグを舞台とした通俗のメロドラマとして物語は展開する。謎めいた悪玉として登場する
ワルコフスキー公爵、登場人物の間をさまよう薄幸な孤児の少女ネリー、冒頭に登場するスミス老人などの配役と振る舞いも印象的だ。


成立時期

服役を終えてペテルブルグに帰還した年の2年後の611月から自分たちが編集の雑誌「時代」に連載された。


《所収》

・新潮文庫
(
「虐げられた人びと」
小笠原豊樹訳)
・新潮世界文学
(
巻11・小笠原豊樹訳)
・新潮社版全集
(
巻4・小笠原豊樹訳)

河出書房版全集
(
巻3「虐げられた人々」
米川正夫訳)

筑摩版全集
(
巻3「虐げられた人々」
小沼文彦訳)




『死の家の記録』
(
更新:24/11/21)

概要
  
長編。シベリヤで流刑生活を送った男ゴリャンチコフが書き遺した手記という形で、ドストエフスキー自身の四年間に渡るシベリヤでの囚人たちとの共同監獄生活と監獄内の囚人群像(アレイペトロフイサイ・フォミーチ、他)を活写した実録小説

※、題名の「死の家の記録」は、世間から葬り去られ人間らしい自由な生き方を奪われた監獄生活の記録の意。


成立時期

服役を終えてペテルブルグに帰還した年の翌年の609月から雑誌「ロシアの世界」に連載され、614月からは自分たちが編集の雑誌「時代」に連載された。


《所収》

・新潮文庫
(
工藤精一郎訳)
・新潮世界文学
(
巻11・工藤精一郎訳)
・新潮社版全集

(巻4・工藤精一郎訳)

河出書房版全集
(
巻4・米川正夫訳)

筑摩版全集
(
巻4・小沼文彦訳)

光文社古典新訳文庫
(
望月哲男訳)




○以下(1〜4)は、
作中で印象に残った箇所


1、
もうずいぶん夜も更けた。わたしは寒さで、ふと目をさました。老人はまだ暖炉の上で祈っている。こうして朝まで祈りつづけているのである。アレイはわたしのそばでしずかに眠っている。わたしは彼が兄たちと芝居の話をして、半分眠りかけてもまだ笑っていたことを思い出して、思わず彼の安らかな子供のような顔に見入った。しだいにいろんなことが思い出されてきた。今日の一日、お祭りの日々、この一月(ひとつき)のこと……わたしはぎくっとして頭をもたげて、官給の蝋燭(ろうそく)のふるえる仄(ほの)暗いあかりをあびて眠っている仲間たちの顔を見まわした。わたしは彼らの蒼(あお)ざめた顔や、貧弱な寝床や、どうにも救いようのない赤裸(せきら)の貧しさをながめた――じっと目をこらした――まるでこれがみな醜悪な夢のつづきではなく、現実であることを見きわめようとするように。
( 第一部「十一、芝居」内のもの。新潮文庫の252)

※、シベリヤの地の夜の監獄内の、囚人たちのねぐらの光景。監獄内で寝起きしたドストエフスキーの体験の実感や暗い狭いその部屋の中の様子がリアルに読者に伝わってくる印象的な箇所。

2、
すきとおるような紺碧(こんぺき)の大空に何鳥か、鳥を見つけて、執拗(しつよう)にいつまでもその飛んでいく姿を追う。さっと水面をかすめて、青空に消えたかと思うと、またちらちらする一点となってあらわれる……早春のある日、岸の岩の裂け目にふと見つけた、しおれかけた哀れな一輪の草花でさえ、何か痛ましくわたしの注意をとめるのだった。
( 第二部「五、夏の季節」内のもの。新潮文庫のp348)

※、戸外での煉瓦(れんが)運びの囚役作業の合間に、
「そこからは神の世界が見えたからである」(p347)と前置きして、主人公がイルトゥイシ河畔から眺めた広大な眺望を描写している箇所。

3、
みんなけだものじみた悲鳴をあげて、ぎゃあぎゃあわめきたてる。湯気の雲の中から、傷だらけの背中や、剃った頭や、曲げた手足がちらちら見える。
( 第一部「九」内のもの。新潮文庫のp187)

※、
「浴室の戸をあけたとたんに、わたしは地獄に突き落とされたかと思った。」で始まる、監獄の囚人たちでぎゅうぎゅう詰めになった監獄内の浴場の様子を活写した場面の一節。ツルゲーネフによって、「ダンテ的だ」と絶賛された箇所。

4、
わたしは一度やさしくなでてやったことがあった。こんなことは一度もされたことがないし、思いもよらぬことなので、ベールカはいきなりペタリと地べたに腹ばいになって、全身をがたがたふるわせ、感きわまってうわずった声で吠えだした。わたしはかわいそうに思って、それからときどきなでてやった。そのためにベールカはわたしを見ると、かならず甘えた吠え声をたてるようになった。遠くからわたしを見かけると、すぐに吠えたてる、痛々しい、涙のにじんだ声で、吠えたてるのだった。
( 第二部の「六、監獄の動物たち」内のもの。新潮文庫のp373)

※、監獄の敷地内にいた犬たちのことを描写した箇所。虐げられたものたちへのドストエフスキーのやさしい心根(こころね)やいたわりが現れていて、泣ける箇所だ。




『ネートチカ・ネズワーノワ』
(更新:24/11/21)

概要

短めの長編。若い女性「わたし(ネートチカ)が自分の少女時代のことを回想して語る一人称小説(自伝小説、回想小説)。未完小説。

父を2歳の時に亡くした「わたし」は、屋根裏部屋の住まいで、病身の
と継父エフィーモフ(ヴァイオリン弾き)と暮らしていた。継父はなかなか仕事にありつけず、一家でひっそりと暮らすその貧しくて息苦しい生活の中で「わたし」はこの逼塞(ひっそく)した生活から抜け出したいと考えて空想にふける日々を送っていた。「わたし」は継父のエフィーモフを哀れに思い、母がいなくなり継父とともに生活していくことを望んでいた。やがて、母と継父がともに亡くなり悲しみに暮れた「わたし」はH公爵の庇護を受けて彼らの親族の中で徐々に健康と元気を取り戻していくのだった
     
全体は3部から成り、
第1部は、彼の友人から聞いたものとして音楽の才能を枯らして零落していった継父エフィーモフの過去を「わたし」が物語り、彼と母とが亡くなるまでのことを語っている。
第2部は、H公爵に引き取られて公爵の気性の激しい同年代の令嬢
カーチャとの相愛と別れ(公爵一家はモスクワへ去ったこと)が語られる。
第3部は、そののち、
アレクサンドラ(カーチャの善良な義姉)の夫婦に引き取られて過ごし、「わたし」が知ることになる夫婦の過去の秘密のことなどが語られている。

主人公とカーチャとの相愛のシーンなどからこの小説をレズ小説とする見方もあり。


成立時期

工兵学校を卒業して勤務に就いた時期の439月に、ドストエフスキーの浪費癖を矯正するため 同居していたドイツ 人医師リーゼンカンプの待合室で名 ピアニストケーレルの弟と知り合い、この音楽の内容を持つ小説の構想を得たとされている。4610月に起稿し、491月・2月・5月に「祖国雑誌」に発表されたが、同年4月以降のドストエフスキーの逮捕・収監・流刑によって続きの発表は中断され、その後も完成に至らず、この小説は未完の小説となった。


《所収》

・河出書房版全集
(
巻4・「ネートチカ・ネズ
ヴァーノヴァ」米川正夫訳)
・古典教養文庫版のぶん
(「ネートチカ・ネズワーノワ」米
正夫訳・上妻純一郎編
2112月刊・Kindle)

筑摩版全集
(
巻2・「ニェートチカ・ニェズ
ヴァーノヴァ」小沼文彦訳)

新版全潮社集
(
巻2・「ネートチカ・ネズワ
ーノワ」水野忠夫
)

 




『伯父様(おじさま)の夢』
(
更新:24/11/21)

(
、別のタイト
ル訳「
おじさんの夢」)

概要

短めの長編。復帰後の第一作。夢とうつつが区別できなくなっているほど耄碌(もうろく)している大金持ちの老公爵(=伯父様)に自分の娘ジーナを嫁(とつ)がせようと企(たくら)む婦人マリヤ・アレクサンドロヴナと、それを阻止しようとする連中たちとの争奪戦を面白おかしく描いた喜劇仕立ての小説

持ち込まれた結婚話は結局、老公爵の夢の中のことだったということになり、マリヤ・アレクサンドロヴナ側は敗北となる


成立時期

ペテルブルグに帰還する9ヶ月前のセミパラチンスクで服役していた593月に雑誌「ロシアの言葉」に発表された。


《所収》

・河出書房版全集
(
巻5「伯父様の夢」米川正夫訳)
・古典教養文庫版のぶん
(伯父様の夢」米川正夫訳・上
妻純一郎編
2310
刊・Kindle)

筑摩版全集
(
巻3「おじさんの夢」小沼文彦訳)

新潮社版全集
(
巻3「伯父様の夢」工藤幸
雄訳)




『スチェパンチコヴォ村とその住人』
(
更新:24/11/21)

(、別のタイトル訳ステパ
ンチコヴォ村とその住人たち
)

概要

短めの長編。復帰後の第二作。スチェパンチコヴォ村の地主屋敷で繰り広げられる無類のお人好しの地主ロスターネフと地主の父親の代から道化役として仕えてきた初老の主人公フォマー・フォーミッチ・オピースキンとの間の主導権争いを、叔父の屋敷の噂を聞いて屋敷へ訪れることになるわたし(ロスターネフの甥)が語る形で描いた喜劇仕立ての小説
 
ロスターネフの代になってからは居候(いそうろう)の身分になっているフォーマーは、ロスターネフのやさしさと擁護をよいことに家内で百姓たちに対して威張り散らしわがままに振る舞っていたが、ロスターネフが親しくしていた家庭教ナスターシャのことをフォーマーが悪く言ったことでとうとうフォーマーは家から追い出されてしまう。なお、フォーマーはロスターネフの老母のたっての願いでのちに呼び戻されてからは我が身を省みて賢明に大人しく過ごすのだった


成立時期


セミパラチンスクを597月に去って、トヴェーリに居住した5911月・12月に雑誌「ロシアの言葉」に発表された(ペテルブルグへの帰還は12)


《所収》

・河出書房版全集
(
巻2・
スチェパンチコヴォ村
とその住人
米川正夫訳)
・古典教養文庫版のぶん
(スチェパンチコヴォ村と
その住人
」米川正夫訳・上
妻純一郎編
239
刊・Kindle)

筑摩版全集
(
巻2・「スチェパンチコォ村とそ
の住人」小沼文彦訳)

新潮社版全集
(
巻3・「ステパンチコヴォ村とそ
の住人」工藤精一郎
)

光文社古典新訳文庫
(「ステパンチコヴォ村とそ
の住人たち」高橋之行訳)



                     

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