< ドミートリー >
( 『カラマーゾフの兄弟』 )
1. 小林秀雄のドミートリイ論
〔小林秀雄筆「カラマアゾフの兄弟」より。p198、p199、p200、p202。新訂「小林秀雄秀雄全集」第6巻に所収。〕
※旧仮名遣いの仮名や旧漢字は、現代表記に改めました。
小説の登場人物を指して、この人物は実によく描かれているとかいないとか言われるが、そういうごく普通の意味で、ドミトリイは実によく描かれた人物である。おそらく、彼ほど生き生きと真実な人間の姿は、ドストエフスキイの作品には、これまで現れた事はなかったと言っていいだろう。読者は彼の言動を読むというより、彼と付き合い、彼を信ずる。 ―途中、省略― ドミトリイは、登場するやいなや、すぐ羽目を外す。もう、彼から支離滅裂な言動の他には、何も期待できない。カラマアゾフ一家という巨大な複雑な機械は、彼の自暴自棄な爆発力で動いて行くように見える。この男は、何を考えているのか、何を言い出すのか、何をしでかすのか、誰にもわからない。誰も彼もが、まるで腫(は)れ物にさわるように、彼のまわりを取り巻いている。読者だけが彼を恐れない。イヴァンには開くことのできない心を、ドミトリイには開くのである。彼の錯乱した言動から、彼の心の単純さ無邪気さが、どこをどう通って現れるか、はっきりと現れて、読者の心を掴(つか)んでしまう。僕らは、ドミトリイという人物を見ているのであろうか。それとも、作者の人間観察の戦いの跡を見ているのであろうか。 ―途中、省略― ミイチャの肉体は、生活を掻(か)き分け、押し分け、進んで行く。自然であれ、人間であれ、確実な実在と見えるものしか、彼を惹(ひ)きつけぬ。彼はそれに挑(いど)みかかり、その身振りが易々(やすやす)と言葉を捕える。シルレルの詩であろうと市井(しせい)の俗語であろうと構わぬ。彼が手当り次第取り上げる言葉は、彼独特のスタイルを帯びる。
★小林秀雄
昭和期の代表的な文芸・美術評論家。
小林秀雄氏本領発揮の名調子の文章の一つ。
1902〜1983。
2.清水孝純のドミートリイ論
〔清水孝純著『道化の風景 ― ドストエフスキーを読む』(九州大学出版会1994年初版。)のp224より。〕
ドミートリイは、それまでのドストエフスキーの文学に見られなかった最も積極的な人間像である。彼こそ素顔でもって世界と対している。彼は分裂を知らず、情熱の奔放(ほんぽう)な流れに身をまかせて悔いないが、究極のところ、彼の裡(うち)なる(=内なる)善性は、彼を正しい道へと導いていく。
★清水孝純
しみずたかよし。元福岡大学教授。
1930〜。
< イヴァン (イワン) >
( 『カラマーゾフの兄弟』 )
1. 小林秀雄のイヴァン論
〔小林秀雄筆「カラマアゾフの兄弟」より。p175。新訂「小林秀雄秀雄全集」第6巻に所収。〕
※旧仮名遣いの仮名や旧漢字は、現代表記に改めました。
イヴァンは二十四歳の青年である、と言ったら不注意な読者は驚くであろう。それほどこの懐疑家の姿は、強く鋭く説得力を持って読者に迫るからだ。だが、作者は、彼が確かに二十四歳の青年だと断(ことわ)っているのだし、暗く鋭い或(あ)る精神だが、未(いま)だ子供らしい未熟な人間である事を、読者に忘れさせまいと、細心な注意を払(はら)っているのである。言う迄(まで)もなく、イヴァンは、「地下室の手記」が現れて以来、十数年の間、作者に親しい気味の悪い道連れの一人である。ラスコオリニコフ、スタヴロオギン、ヴェルシイロフ達、確かに作者は、これらの否定と懐疑との怪物どもを、自分の精神の一番暗い部分から創(つく)った。誰が生んだのでもない、作者自身のよく知っている生みの子達(たち)だった。併(しか)し、彼は、明るみに出たこれらの人間達の異様さに恐らく驚かざるを得なかった。光りのささぬ亡(ほろ)びの道に就(つ)いて、彼等と語り、ツァラトストラ(=ニーチェの哲学書『ツァラツストラはかく語りき』の語り手の名。)の言う様に、「夜は深い、昼間の考えるより遥(はる)かに深い」事に、屡々(しばしば)驚かざるを得なかったのではあるまいか。恐らく彼はそういう風にやって来たのである。だが、作者は、もうイヴァンには驚いてはいない。イヴァンの力が弱くなった為(ため)ではない。作者の力が強くなったからだ。僕は、作者のイヴァンの扱い方の見事さに注意しているうちに、そういう考えをいよいよ固くした。イヴァンは、全く作者の掌中(=てのひらの中)にある獣の様だ。イヴァンの語る疑いの哲学より、彼を掴(つか)んで動かさぬ作者の腕の方が残酷な様である。
★小林秀雄
昭和期の代表的な文芸・美術評論家。
小林秀雄氏本領発揮の名調子の文章の一つ。
1902〜1983。
2. 本間三郎のイヴァン論
〔本間三郎著『「カラマーゾフの兄弟」について』(審美社1971年刊)のp43
より。〕
※「差別用語」とも取られてしまう文中の語句は、類似語に言い換えました。〕
一般に、イワンは懐疑の人と評されている。そのシニックな(=冷笑して皮肉るような)態度、人をよせつけない、すべてを否定してやまない様子がドストエーフスキーの一つの面を現しているとも言われている。しかし私は、そうした通りいっぺん的な(=形式的に行うだけで相手の心に触れることのないような)評に賛成し難い。否(いな)むしろイワンの徹底的否定精神の底に、真なるもの善なるものにたいする彼の燃えるような純粋精神を見出(みいだ)すのである。彼の思想内容に立入ることなくして『カラマーゾフの兄弟』をおえたならば、それは依怙贔屓(えこひいき)の謗(そし)りをまぬかれないであろう。
★本間三郎
文筆家。プロテスタント文学集団「たねの会」に所属。
3. 加賀乙彦のイヴァン論
〔加賀乙彦著『ドストエフスキイ』(中央公論新書1973年初版) より。p150〜p151。〕
イヴァンの「大審問官」の話や悪魔の幻覚は、知的探究を極端に押しすすめたニヒリズムから生まれている。ところで、ヴェルシーロフやイヴァンは、ドストエフスキイには珍しく肉体の描写を欠いている。彼らの顔つきや肉体の特徴はむしろ故意に描かれていないふしがある。観念の人を描くために作者は肉体を省略してしまったらしいのである。フョードルにしても、ドミートリイにしても、アリョーシャにしても、スメルジャコフにしても、カラマーゾフ一族には詳細な肉体描写があるが、一人イヴァンだけには何の記述もない。作者自身が認めるように一篇(いっぺん)(=この一作品)の「最重要な人物」でありながら、顔形、目の色、背の高さ、いっさいが不明である。なるほど表情の変化はうつされている。「顔が幾分青ざめている」だしぬけにからから笑って」などという描写はあるが、それはイヴァンだけにある肉体の特徴を表現したものではない。イヴァンというのは観念だけで肉体を欠く、まるで幽霊のような人物なのだ。
★加賀乙彦
かがおとひこ。作家・精神科医。
1929〜2023。
4. 中村健之介のイヴァン論
〔中村健之介著『ドストエフスキー人物事典』(朝日選書1990年初版)のp424〜p425より。〕
『カラマーゾフの兄弟』を論じる評論家は、イワン・カラマーゾフというとまず、無辜(むこ)の(=罪のない。)幼児の苦しみを証拠だてる新聞記事を集め、神の創造した世界の不合理を告発する「反抗」の章や、集団統治の原則を語り人類史をその点から鮮やかに論じてみせる「大審問官」の章を取り上げる。たしかにそれらの章で展開される壮大な論理は、人類の歴史を大胆に論断する(=論じて、ある判断を下す。)方法を教えてくれるかのようである。熱弁を揮(ふる)うイワンは、まるで神を相手に告発の声をあげる強い良心的知識人の手本であるかのようである。しかし、その強い良心的知識人の裏には、自分の言動の内側の真相を人に知られはしないかと絶えず恐れている、臆病で繊細な青年の顔があったのである。イワンは、神の創造したこの世界を承認するということは「幼児の苦しみ」を容認することだからぼくは承認できないと語るのだが、そう語りながらイワンは頭痛に襲われ奇妙に青い顔になった、と作者は書いている。自分の主張している正義の論理がイワン自身にとって重荷であることを、作者は示しているのである。イワンが、そのような繊細でひ弱な青年であるにもかかわらず、これまで知識人読者の共感をよび、数々の論文を捧(ささ)げられてきたには理由がある。それは、この青年が、知識人という、孤立している人間の類型(=似た一つのタイプ。)の一面をよく現わしているからである。自分が他の人とともに生きているという事実に喜びを感じない者が、ことばによって不毛感を覆(おお)い、知性的な酔いと壮大な空言によって自分を正当化しようとする、そういう知識人の存在形式は、まず自分の生存のアリバイを用意し矮小(わいしょう。=小規模にされたさま。)で醜悪な事実は隠して過ぎようとするイワンのそれと同種である。イワンはまだ年若い、そして鬱屈(うっくつ)した青年なのである。かれは、「生の盃(さかずき)」を飲み干すとか、「ねばっこい若葉」に感動するとか、まるでそれが非常にまれな貴重なことであるかのように力をこめて語っている。それは、若々しい意欲と感性のように聞こえるが、実は自信をもって素直に青春を謳歌(おうか)できない青年の苦しいあこがれなのであり、生きていることからおのずと湧(わ)いてくる生の歓(よろこ)びを味わっていない青年の自己を回復したい願望の声なのである。
★中村健之介
ドストエフスキー文学の研究家・翻訳家。現代日本の代表的なドストエフスキー研究家の一人。元・東京大学教養学部教授。北海道大学名誉教授。
1939〜。
< アリョーシャ >
( 『カラマーゾフの兄弟』 )
1. 坂口安吾と小林秀雄
の対談(1948年)の中のアリョーシャ論
〔『小林秀雄対話集』(講談社1966年刊)のp31〜p33より。〕
坂口「僕がドストエフスキイに一番感心したのは「カラマーゾフの兄弟」ね、最高のものだと思った。アリョーシャなんていう人間を創作するところ……。」
小林「アリョーシャっていう人はね……。」
坂口「素晴らしい。」
小林「あれを空想的だとか何とかいうような奴は、作者を知らないのです。」
坂口「ええ、馬鹿野郎ですよ。あそこで初めてドストエフスキイのそれまでの諸作が意味と位置を与えられた。そういうドストエフスキイのレーゾン・デートル(=存在価値。)に関する唯一の人間をはじめて書いたんですよ。」
小林「我慢に我慢をした結果、ポッと現れた幻なんですよ。鉄斎(=富岡鉄斎。日本画家。)の観音さ。」
坂口「そうかな。」
小林「ああ、同じです。」
坂口「僕はアリョーシャは文学に現われた人間のうちで最も高く、むしろ比類なく買ってるんですよ。鉄斎がアリョーシャを書いてるとは思わなかった。」
小林「描いております。」
坂口「ドストエフスキイの場合、アリョーシャを書かなかったら、僕はあんまり尊敬しなかったね。」
小林「そうか?」
坂口「人間の最高なものだな。」
小林「ウォリンスキイ(=ロシアの文芸評論家。)という人が、アリョーシャをラフ・アンジェリコのエンゼルの如(ごと)きものであると書いてるのを読んだ時、僕はハッと思った。あれはそういうものなんだ。彼の悪の観察の果てに現れた善の幻なんだ。あの幻の凄(すご)さが体験出来たらなぁ――と俺は思うよ。」
坂口「それはそうだよ。アリョーシャは人間の最高だよ。涙を流したよ。ほんとうの涙というものはあそこにしかないよ。しかしドストエフスキイという奴は、やっぱり裸の人だな。やっぱりアリョーシャを作った人だよ、あの人は……」
小林「裸だ。だが自然人ではないのだよ。キリスト信者だ。」
坂口「そうでもないんじゃないかね。あいつの生活っていうものとそんなに結びついてやしないじゃないかな。女の子と遊んでる時なんか、キリスト教の観念は入ってないだろう。」
小林「いや、そうじゃないんだ。入っています。俺は今は自信がないが。だけど、俺はそこまで(ドストに関して)書きたいと思ってる。あの人が偉大なる一小説作家なら俺は書けるんだよ。単なる偉大なる小説家ならばね。」
坂口「あいつのやってることは、みんな飛躍してるんだよ。そんな飛躍には尊敬すべからざるものが、ズサンな観念の玩弄(がんろう)にすぎない甘さがあったと思うのです。然(しか)し、それをつみ重ねてとうとう、アリョーシャにまで到達するとは、やっぱりキリストに近い奴だね。」
小林「まあ、俺はやってみる。まあ、俺は出来ねえだろう。だめかも知れないや。ほんとうの俺の楽しみは、そこにあるんだけどね。楽しみって、つらいことだ。」
坂口「ドストエフスキイがアリョーシャに到達したことは、ひとつは、無学文盲のせいだと思うんだよ、根本はね。」
小林「そんなことは、ないよ。」
坂口「いや、無学文盲のせいだと思うんだよ、ドストエフスキイという奴は。仏教では無学文盲を尊ぶけど、その正理なることが彼の場合あてはまる。」
小林「無学ではないね。」
坂口「そうかね。心が正しい位置に置かれてあったというだけじゃないかな。」
小林「巧みに巧んで正しい位置に心を置いた人です。」
★小林秀雄
昭和期の代表的な文芸・美術評論家。
1902〜1983。
★坂口安吾
作家。1906〜1955。
酒が少々はいっての両人の対談であり、その分、この両雄の本音や真情がところどころに現れていて、読んで心打たれるものがあります。秀逸なドストエフスキー論にもなっています。
|