各登場人物論
(更新:25/08/30)

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< ドミートリー > 
(
 『カラマーゾフの兄弟』 )


小林秀雄のドミートリイ論
〔小林秀雄筆「カラマアゾフの兄弟」より。p198p199p200p202。新訂「小林秀雄秀雄全集」第6巻に所収。〕
※旧仮名遣いの仮名や旧漢字は、現代表記に改めました。
 
        
小説の登場人物を指して、この人物は実によく描かれているとかいないとか言われるが、そういうごく普通の意味で、
ドミトリイは実によく描かれた人物である。おそらく、彼ほど生き生きと真実な人間の姿は、ドストエフスキイの作品には、これまで現れた事はなかったと言っていいだろう。読者は彼の言動を読むというより、彼と付き合い、彼を信ずる。 ―途中、省略― ドミトリイは、登場するやいなや、すぐ羽目を外す。もう、彼から支離滅裂な言動の他には、何も期待できない。カラマアゾフ一家という巨大な複雑な機械は、彼の自暴自棄な爆発力で動いて行くように見える。この男は、何を考えているのか、何を言い出すのか、何をしでかすのか、誰にもわからない。誰も彼もが、まるで腫()れ物にさわるように、彼のまわりを取り巻いている。読者だけが彼を恐れない。イヴァンには開くことのできない心を、ドミトリイには開くのである。彼の錯乱した言動から、彼の心の単純さ無邪気さが、どこをどう通って現れるか、はっきりと現れて、読者の心を掴(つか)んでしまう。僕らは、ドミトリイという人物を見ているのであろうか。それとも、作者の人間観察の戦いの跡を見ているのであろうか。 ―途中、省略― ミイチャの肉体は、生活を掻()き分け、押し分け、進んで行く。自然であれ、人間であれ、確実な実在と見えるものしか、彼を惹()きつけぬ。彼はそれに挑(いど)みかかり、その身振りが易々(やすやす)と言葉を捕える。シルレルの詩であろうと市井(しせい)の俗語であろうと構わぬ。彼が手当り次第取り上げる言葉は、彼独特のスタイルを帯びる。


★小林秀雄
昭和期の代表的な文芸・美術評論家。 小林秀雄氏本領発揮の名調子の文章の一つ。
19021983
     

      

清水孝純のドミートリイ論
〔清水孝純著『道化の風景 ― ドストエフスキーを読む』(九州大学出版会1994年初版。)p224より。〕


ドミートリイは、それまでのドストエフスキーの文学に見られなかった最も積極的な人間像である。彼こそ素顔でもって世界と対している。彼は分裂を知らず、情熱の奔放(ほんぽう)な流れに身をまかせて悔いないが、究極のところ、彼の裡(うち)なる(=内なる)善性は、彼を正しい道へと導いていく。

★清水孝純
しみずたかよし。元福岡大学教授。
1930
〜。 



< イヴァン >
(
 『カラマーゾフの兄弟』 )


小林秀雄のイヴァン論
〔小林秀雄筆「カラマアゾフの兄弟」より。p175。新訂「小林秀雄秀雄全集」第6巻に所収。〕
※旧仮名遣いの仮名や旧漢字は、現代表記に改めました。

       
イヴァンは二十四歳の青年である、と言ったら不注意な読者は驚くであろう。それほどこの懐疑家の姿は、強く鋭く説得力を持って読者に迫るからだ。だが、作者は、彼が確かに二十四歳の青年だと断(ことわ)っているのだし、
暗く鋭い或()る精神だが、(いま)だ子供らしい未熟な人間である事を、読者に忘れさせまいと、細心な注意を払(はら)っているのである。言う迄(まで)もなく、イヴァンは、「地下室の手記」が現れて以来、十数年の間、作者に親しい気味の悪い道連れの一人である。ラスコオリニコフ、スタヴロオギン、ヴェルシイロフ達、確かに作者は、これらの否定と懐疑との怪物どもを、自分の精神の一番暗い部分から創(つく)った。誰が生んだのでもない、作者自身のよく知っている生みの子達(たち)だった。併(しか)し、彼は、明るみに出たこれらの人間達の異様さに恐らく驚かざるを得なかった。光りのささぬ亡(ほろ)びの道に就()いて、彼等と語り、ツァラトストラ(=ニーチェの哲学書『ツァラツストラはかく語りき』の語り手の名。)の言う様に、「夜は深い、昼間の考えるより遥(はる)かに深い」事に、屡々(しばしば)驚かざるを得なかったのではあるまいか。恐らく彼はそういう風にやって来たのである。だが、作者は、もうイヴァンには驚いてはいない。イヴァンの力が弱くなった為(ため)ではない。作者の力が強くなったからだ。僕は、作者のイヴァンの扱い方の見事さに注意しているうちに、そういう考えをいよいよ固くした。イヴァンは、全く作者の掌中(=てのひらの中)にある獣の様だ。イヴァンの語る疑いの哲学より、彼を掴(つか)んで動かさぬ作者の腕の方が残酷な様である。


★小林秀雄
昭和期の代表的な文芸・美術評論家。 小林秀雄氏本領発揮の名調子の文章の一つ。
19021983

 
       

本間三郎のイヴァン論
〔本間三郎著『「カラマーゾフの兄弟」について』(審美社1971年刊)p43
より。〕
※「差別用語」とも取られてしまう文中の語句は、類似語に言い換えました。〕


一般に、イワンは懐疑の人と評されている。そのシニックな
(=冷笑して皮肉るような)態度、人をよせつけない、すべてを否定してやまない様子がドストエーフスキーの一つの面を現しているとも言われている。しかし私は、そうした通りいっぺん的な(=形式的に行うだけで相手の心に触れることのないような)評に賛成し難い。否(いな)むしろイワンの徹底的否定精神の底に、真なるもの善なるものにたいする彼の燃えるような純粋精神を見出(みいだ)すのである。彼の思想内容に立入ることなくして『カラマーゾフの兄弟』をおえたならば、それは依怙贔屓(えこひいき)の謗(そし)りをまぬかれないであろう。
  

★本間三郎
文筆家。プロテスタント文学集団「たねの会」に所属。



 3   
加賀乙彦のイヴァン論
〔加賀乙彦著『ドストエフスキイ』(中央公論新書1973年初版) より。p150p151。〕

 
イヴァンの「大審問官」の話や悪魔の幻覚は、知的探究を極端に押しすすめたニヒリズムから生まれている。ところで、ヴェルシーロフやイヴァンは、ドストエフスキイには珍しく肉体の描写を欠いている。彼らの顔つきや肉体の特徴はむしろ故意に描かれていないふしがある。観念の人を描くために作者は肉体を省略してしまったらしいのである。フョードルにしても、ドミートリイにしても、アリョーシャにしても、スメルジャコフにしても、カラマーゾフ一族には詳細な肉体描写があるが、一人イヴァンだけには何の記述もない。作者自身が認めるように一篇(いっぺん)(=この一作品)の「最重要な人物」でありながら、顔形、目の色、背の高さ、いっさいが不明である。なるほど表情の変化はうつされている。「顔が幾分青ざめている」だしぬけにからから笑って」などという描写はあるが、それはイヴァンだけにある肉体の特徴を表現したものではない。イヴァンというのは観念だけで肉体を欠く、まるで幽霊のような人物なのだ。


★加賀乙彦
かがおとひこ。作家・精神科医。
1929
2023

        
        

中村健之介のイヴァン論
〔中村健之介著『ドストエフスキー人物事典』(朝日選書1990年初版)p424p425より。〕


『カラマーゾフの兄弟』を論じる評論家は、イワン・カラマーゾフというとまず、無辜(むこ)
(=罪のない。)幼児の苦しみを証拠だてる新聞記事を集め、神の創造した世界の不合理を告発する「反抗」の章や、集団統治の原則を語り人類史をその点から鮮やかに論じてみせる「大審問官」の章を取り上げる。たしかにそれらの章で展開される壮大な論理は、人類の歴史を大胆に論断する(=論じて、ある判断を下す。)方法を教えてくれるかのようである。熱弁を揮(ふる)うイワンは、まるで神を相手に告発の声をあげる強い良心的知識人の手本であるかのようである。しかし、その強い良心的知識人の裏には、自分の言動の内側の真相を人に知られはしないかと絶えず恐れている、臆病で繊細な青年の顔があったのである。イワンは、神の創造したこの世界を承認するということは「幼児の苦しみ」を容認することだからぼくは承認できないと語るのだが、そう語りながらイワンは頭痛に襲われ奇妙に青い顔になった、と作者は書いている。自分の主張している正義の論理がイワン自身にとって重荷であることを、作者は示しているのである。イワンが、そのような繊細でひ弱な青年であるにもかかわらず、これまで知識人読者の共感をよび、数々の論文を捧(ささ)げられてきたには理由がある。それは、この青年が、知識人という、孤立している人間の類型(=似た一つのタイプ。)の一面をよく現わしているからである。自分が他の人とともに生きているという事実に喜びを感じない者が、ことばによって不毛感を覆(おお)い、知性的な酔いと壮大な空言によって自分を正当化しようとする、そういう知識人の存在形式は、まず自分の生存のアリバイを用意し矮小(わいしょう。=小規模にされたさま。)で醜悪な事実は隠して過ぎようとするイワンのそれと同種である。イワンはまだ年若い、そして鬱屈(うっくつ)した青年なのである。かれは、「生の盃(さかずき)」を飲み干すとか、「ねばっこい若葉」に感動するとか、まるでそれが非常にまれな貴重なことであるかのように力をこめて語っている。それは、若々しい意欲と感性のように聞こえるが、実は自信をもって素直に青春を謳歌(おうか)できない青年の苦しいあこがれなのであり、生きていることからおのずと湧()いてくる生の歓(よろこ)びを味わっていない青年の自己を回復したい願望の声なのである。


★中村健之介
ドストエフスキー文学の研究家・翻訳家。現代日本の代表的なドストエフスキー研究家の一人。元・東京大学教養学部教授。北海道大学名誉教授。
1939〜。



< アリョーシャ > 
( 『カラマーゾフの兄弟』 )

坂口安吾と小林秀雄
のアリョーシャ論
の対談(1948)の中のアリョーシャ論
〔『小林秀雄対話集』(講談社1966年刊)p31p33より。〕
 
 
坂口「僕がドストエフスキイに一番感心したのは「カラマーゾフの兄弟」ね、最高のものだと思った。アリョーシャなんていう人間を創作するところ……。」

小林「アリョーシャっていう人はね……。」
坂口「素晴らしい。」

小林「
あれを空想的だとか何とかいうような奴は、作者を知らないのです。」

坂口「ええ、馬鹿野郎ですよ。
あそこで初めてドストエフスキイのそれまでの諸作が意味と位置を与えられた。そういうドストエフスキイのレーゾン・デートル(=存在価値。)に関する唯一の人間をはじめて書いたんですよ。」

小林「我慢に我慢をした結果、ポッと現れた幻なんですよ。鉄斎
(=富岡鉄斎。日本画家。)の観音さ。」
 
坂口「そうかな。」

小林「ああ、同じです。」

坂口「僕はアリョーシャは文学に現われた人間のうちで最も高く、むしろ比類なく買ってるんですよ。鉄斎がアリョーシャを書いてるとは思わなかった。」

小林「描いております。」

坂口「
ドストエフスキイの場合、アリョーシャを書かなかったら、僕はあんまり尊敬しなかったね。」

小林「そうか?」

坂口「人間の最高なものだな。」

小林「ウォリンスキイ(
ロシアの文芸評論家。)という人が、アリョーシャをラフ・アンジェリコのエンゼルの如(ごと)きものであると書いてるのを読んだ時、僕はハッと思った。あれはそういうものなんだ。彼の悪の観察の果てに現れた善の幻なんだ。あの幻の凄(すご)さが体験出来たらなぁ――と俺は思うよ。」

坂口「それはそうだよ。
アリョーシャは人間の最高だよ。涙を流したよ。ほんとうの涙というものはあそこにしかないよ。しかしドストエフスキイという奴は、やっぱり裸の人だな。やっぱりアリョーシャを作った人だよ、あの人は……」

小林「裸だ。だが自然人ではないのだよ。キリスト信者だ。」

坂口「そうでもないんじゃないかね。あいつの生活っていうものとそんなに結びついてやしないじゃないかな。女の子と遊んでる時なんか、キリスト教の観念は入ってないだろう。」

小林「いや、そうじゃないんだ。入っています。俺は今は自信がないが。だけど、俺はそこまで(ドストに関して)書きたいと思ってる。あの人が偉大なる一小説作家なら俺は書けるんだよ。単なる偉大なる小説家ならばね。」

坂口「あいつのやってることは、みんな飛躍してるんだよ。そんな飛躍には尊敬すべからざるものが、ズサンな観念の玩弄(がんろう)にすぎない甘さがあったと思うのです。然(しか)し、それをつみ重ねてとうとう、
アリョーシャにまで到達するとは、やっぱりキリストに近い奴だね。」

小林「まあ、俺はやってみる。まあ、俺は出来ねえだろう。だめかも知れないや。ほんとうの俺の楽しみは、そこにあるんだけどね。楽しみって、つらいことだ。」

坂口「ドストエフスキイがアリョーシャに到達したことは、ひとつは、無学文盲のせいだと思うんだよ、根本はね。」
 
小林「そんなことは、ないよ。」

坂口「いや、無学文盲のせいだと思うんだよ、ドストエフスキイという奴は。仏教では無学文盲を尊ぶけど、その正理なることが彼の場合あてはまる。」

小林「無学ではないね。」

坂口「そうかね。心が正しい位置に置かれてあったというだけじゃないかな。」

小林「巧みに巧んで正しい位置に心を置いた人です。」


★小林秀雄
昭和期の代表的な文芸・美術評論家。
19021983

★坂口安吾
作家。19061955

酒が少々はいっての両人の対談であり、その分、この両雄の本音や真情がところどころに現れていて、読んで心打たれるものがあります。秀逸なドストエフスキー論にもなっています。



 





< グルーシェンカ > 
( 『カラマーゾフの兄弟』 )

中村健之介のグルーシェンカ論
〔中村健之介著『ドストエフスキー人物事典』(朝日選書1990年初版)p438より。〕
 

グルーシェニカはなかなか自活力もあり、他人とも一緒に暮らしてゆける協調の能力もあり、しかも陽気に騒ぐのが好きで、
思い切りがいい。あばずれ(=ひとずれして、あつかましいさま)なのに、こどものように純なところがあり、本当に悪いことをするのをとても恐れている。ドミートリーはグルーシェニカのことを「あれは骨の髄(ずい)からロシア女だ」(新潮文庫の下巻のp47413行目。第13編の第2)と言っているが、ドストエフスキーが晩年に考えていたロシア女とは、なんといっても、このように活力があって、感情の真っすぐな女性であったということがわかる。

       

★中村健之介
ドストエフスキー文学の研究家・翻訳家。現代日本の代表的なドストエフスキー研究家の一人。元・東京大学教養学部教授。北海道大学名誉教授。
1939〜。



< ゾシマ長老 > 
(
 『カラマーゾフの兄弟』 )

宅間紘一のゾシマ長老論
〔土曜会編『ドストエフスキー研究(13)(1973年刊)の「ゾシマ長老について」より。p140p141。〕


「わしの心の親しいあなたがたと、もう一度得心(とくしん。
=納得。)のゆくお話をして、あなたがたのなつかしい顔をながめ、もう一度わしの心をすっかりひろげてお目にかけぬうちは、決して死にはしませんじゃ(=死にはしないつもりじゃ。)(米川正夫訳) 死の直前、生涯を回想して語るゾシマ長老の態度は、親しみあふれるものであった。それは、アリョーシャをはじめとする僧院の人々に対するものばかりでなく、いわば、地上のすべてのものに対する〈親しみ〉である。すべてのものと親しみ〈心をすっかりひろげること〉こそ長老の生涯の仕事であった。たとえロシアの片隅であっても、ほんとうに親しみにあふれた小楽園が実現すれば、やがてそれはロシア全土に広がり、この地上全部が楽園となる。こうした希望が長老を生かして来たのである。
 

★宅間紘一
西宮市の土曜会の会員。





< フョードル > 
(
 『カラマーゾフの兄弟』 )


本間三郎のフョードル論
〔本間三郎著『「カラマーゾフの兄弟」について』(審美社1971年刊)p54p55より。〕

    
フョードル・パーヴロヴィッチについては、一般に、しようのない淫蕩者(いんとうしゃ)であるとか、皮肉屋で、人生に倦()みつかれた豚の子であるとか言われているが、私はドストエーフスキーは決してそんな単純な言葉で彼の性格や人となりを言い決めてしまうことの出来ない、深い愛情で、極めて芸術的にこの男を取り扱っていると思われる。彼と二人
(=イヴァンとアリョーシャ)の間にかわされたこの問答(※この本文より前の所に引用している第3編第8の半ばの有名な箇所のことを指している。新潮文庫の上巻のp253p255)についても、シェストフ(=ロシアの評論家)は「フョードルにさえもドストエーフスキーは『最高の理念』を追求する能力を賦与(ふよ=生来与えること)していた」として彼を光栄あるカラマーゾフの一員として受け入れているのである。  ―途中、省略―  フョードルは汚濁の中に沈みながらも、人生の価値あるものに対する憧憬(しょうけい=あこがれ)を失わず、「最高理念」にたいする感覚を常に自己の関心の中心においているところが(同じく皮肉屋である神学生ラキーチンとの)大きな相違となって現れているのである。ドストエーフスキーが、フョードルを扱う筆には常に愛がみなぎっている。われわれはフョードルの行動や言葉の中にいいしれぬほほえみを感ずる。この人物こそまさにたぐいまれなる芸術品と言いうるであろう。
 

★本間三郎
文筆家。プロテスタント文学集団「たねの会」に所属。           
19151971



『ポケット 世界名作事典』
(
平凡社1981年初版)
の項「カラマーゾフの兄弟」
のフョードル論
(
筆者は、不明記で不明。)


フョードル・カラマーゾフの人生の目的は肉体の快楽を求めることにある。そして、その目的は金の力によって解決できると信じている彼は、金銭に対して異常な執着心をもち、金をふやすことしか考えていない。彼はまだ五十歳をちょっと出たばかりなのだが、若いころからずっと続いている激しい肉欲生活のためにめっきりと体が衰えはじめ、そして精神的にも、神の存在や死後どうなるかという間題でいろいろ苦しんでいる。とはいうものの、依然として堕落した生活から足を洗えないでいる。




< 大審問官 > 
(
 『カラマーゾフの兄弟』 )

勝田 吉太郎の大審問官論
〔勝田吉太郎著『ドストエフスキー』(潮新書43。潮出版社1968年初版。)P86p87より。 〕


大審問官は、キリストと同様に、荒野の苦行(くぎょう)に堪()えた人である。彼は、「あれか‐これか」の選択の自由が賦課(ふか)する(=課する。もたらす。)精神の苦しみを味わい尽くし、人間の運命にとって自由の意味する悲劇性をみずから深く体験し、そしてかぎりない混乱と無秩序と不安と寂寥(せきりょう。=心を満たすものがなくて、ものさびしいさま。)とを生み出すべき自由の重荷を知りぬいた人の姿で登場する。だからこそ、老審問官の口調は重々しく真剣で、その言葉はわれわれ読者の心をしめつけないではおかないのである。
〔「意見・情報」交換ボードの[9756]に書き込んだぶん。〕


★勝田吉太郎
ロシア政治思想史研究家。元・京都大学法学部教授。
1928
〜。

選ばれた統率者の判断・選択の責任と苦悩に触れていて胸にこたえる文章だ。
 



< ラスコーリニコフ > 
( 『罪と罰』 )

清水孝純のラスコーリニコフ論
〔清水孝純著『ドストエフスキー・ノート ― 『罪と罰』の世界』 (九州大学出版会1981年初版。)の「序論」より。〕


なによりも、この作品(=小説『罪と罰』)の魅力は、ラスコーリニコフという青年の魅力にありましょう。青年というものは、いつの時代においても、その青春のゆえにこそ、独特な憂愁(ゆうしゅう。=心の底を離れることのない心配や悲しみ。)をもって魅力的ですが、この痩身(そうしん)(=やせ身の。)白ル(はくせき)(=顔色が白い。)美貌(びぼう)の青年が恐るべき貧困の中で、しかし、それらに何(なん)ら忸怩(じくじ)たる(=恥じる。)ことなく、壮大な犯罪哲学を構築してゆく激しい精神の行使(こうし)の中に、一種の浪漫主義的な逆光が漂っているのです。ドストエフスキーの創(つく)った人物像のうち、ムイシュキンやスタヴローギン、キリーロフ、ドミートリ、イヴァン、アリョーシャといった具合に、魅力的な人物は数多くあり、なかんずく、ムイシュキンの美しさは、すばらしいものです。しかし、
全体的なバランスを持った美しさは、なんといってもラスコーリニコフが有しているのではないでしょうか。それはこの青年の中に眠っている青年らしい一切を秘めた独特な憂愁(ゆうしゅう)にあるのであり、自己を、未(いま)だ深くきわめてはいないものの、躊躇(ちゅうちょ)と素朴さ、倨傲(きょごう。=自分が偉いと思って他人を見くだした態度を取ること。)と純潔、夢と絶望、逃避と敢行(かんこう。=悪条件をおしきって行なうこと。)の深い亀裂の中で、誠実に人生に立ち向(むか)ってゆく、未分の混沌(こんとん)たる問いかけにあるのでしょう。


★清水孝純
しみずたかよし。元・九州大学教授、元・福岡大学教授。
1930
〜。




< ソーニャ > 
( 『罪と罰』 )


有容赦のソーニャ論
〔書き込みボードの[98327134431]の書き込みより。〕


ソーニャは、ドストエフスキーが描く、暖かい愛と信仰の人の一人ですが、たとえば
ムイシュキンなどのように「愛すべきデクノボウさん」的イメージは殆(ほとん)どありません。彼女はシベリアまでついていって、囚人たちに慕(した)われ、ラスコーリニコフを心の妻として支(ささ)えますが、この行為には、単なるお人好しの善良さを越えた、もっと意識的で粘り強い意志の力を感じます。つまり、ソーニャには、弱さとともに、強さがあります。愛だけでなく、たくましい生活力もあります。人を受け容()れる優しさの他に、人を活()かすための不屈の努力があります。自分の生活費も稼(かせ)げない、いわば純粋培養的な人物であるムイシュキンなどと違い、極貧と恥辱(ちじょく)の中で、あのような父と継母を財政的・精神的に支え続けてきたソーニャは、ラスコーリニコフの苦境に直面した際にも、愛を愛だけ、信仰を信仰だけで終わらせず、更生への現実的な希望の礎(いしずえ)となることができたのです。


★有容赦
ありようしゃ。会社員。
  

 

吉村善夫のソーニャ論
吉村善夫著『ドストエフスキイ ― 近代精神超克の記録』(新教出版社1965年初版。1987年に復刊。)より。p101。〕


彼女(=ソーニャ)はかの(=例の。)一線を踏み越えはしなかった。彼女は罪ある行為をしたけれども自(みずか)らに(=自分に。)罪を許しはしなかった。罪を正し(=正しいもの。)とはしなかった。良心を偏見とはしなかった。
かえって彼女はいよいよ罪を罪とし、「だって私は、こんな‥‥穢(けが)れた‥‥」と、自分を人の前にも立ちえないように思いなす。彼女は堪()えかねて自殺を思うほどに深く罪を意識し、それだけまた一層へりくだって神にすがる。彼女のなした行為はラスコーリニコフのと形は同じでも意味は全く異なる。それは同じ所に立って、右と左と正反対の方向に目を向ける。彼女は汚穢(おじょく。=汚辱。)の中にいながら、汚穢になずまず(=なじむことなく)その目は汚穢を通して神を見ていた。ラスコーリニコフが、彼女の中に自分の罪の決定を見てこれを恐れながらも、なお絶えず彼女の静かな朗(ほがら)かな目を見ていたいと願ったという、その目の静かな朗かさは、それが常に神を見ているからのものである。

         

★吉村善夫
元信州大学教育学部教授。   



< ムイシュキン公爵 > 
(
 『白痴』 )


川喜田 八潮
ムイシュキン公爵論
〔川喜田八潮著『脱「虚体」論』 (日本エディタスクール出版部1996年初版。)より。p128p130。 〕


ドストエフスキーの主人公の中でキリスト教的な性格をもった人物、たとえば『罪と罰』のソーニャであるとか、『白痴』のムイシュキン公爵であるとか、そういう主人公の特色というのがあります。つまり、魂の飢()えを抱え込んだ、孤独な罪びととしての人生を強()いられている人物が出てきて、そういう人物を強い磁力でひきつけるような、ある
ギリシア正教の理念を体現する主人公というのがいる。彼らは、アリ地獄のような業苦(ごうく。=自己の宿命によって受ける苦しみ。)の中でもがいている不幸な罪びとをひきつけて、ちょうど母親が赤ん坊をふところの中に包み込んで、頭をなでながら眠らせてやるような形で癒(いや)してやろうとする。そういう役割を担った人物が何人か出てくるわけですが、その中でドストエフスキーが最も野心を燃やして、現代のキリストたらんという意図をもって創(つく)ったのが、『白痴』のムイシュキン公爵です。このムイシュキンという人物は、たしかにイエス・キリストにはよく似ているとおもうんです。キリストの再来というイメージでドストエフスキーが創造した。その創造が失敗だったとは私は思いませんけれども、アリョーシャと比べますと、いかにも病的で、ひ弱な感じを与えるわけです。ムイシュキン公爵は、不幸な罪びとたちをひきつけて癒(いや)そうとするんですけれども、決して、本当の意味で彼らの力になることはできないわけです。己れの神を信じられない、人生を呪(のろ)っている人物の心を浄化して、ひとりの晴ればれとした健康な人間として人生に立ち向かうことができるように、助力を与えてやることができるかというと、決してできない。逆に、そういう病者たちの魂に無責任に干渉し、甘えさせ、よりかからせていこうとします。そうなると、公爵自身も本当の意味で、ひとりの健康な生活人として人生に立ち向かっていく力をもっておりませんので、その病者たちの業苦(ごうく)の全重量が彼の方にのしかかってきて、その圧倒的な重みでおしつぶされていくほかはありません。結局、神を信じられずにもがいている不幸な男女たちとムイシュキンが、いわば一緒になって奈落(ならく)の底に転落して破滅していくという、抽象的にいいますと、そういうふうな<心中(しんじゅう)>の構図が『白痴』という作品のイメージであるわけです。そして、それはまさにキリスト的な場所だとおもうのです。()める凍(こご)えた魂を、母親が泣き叫ぶ子どもを憐(あわ)れむのと同じような心持ちで、ひたすら包み込んでいく。そして、子どもをぬくめながら、その飢えたる魂で、自分の魂もまた蝕(むしば)まれ、共に破滅していく。そういう構図なんですね。ムイシュキン公爵の愛には、このように、<生身>の自分や他者の人生を滅ぼしていかざるをえない、ある痛ましい<虚無>の匂いがたちこめています。それは、イエスの生きざまの中にも漂うものです。
 
      

★川喜田八潮
わきたやしお。評論家。
1952
〜。

上の川喜田氏のムイシュキン公爵論は、ムイシュキン公爵という人物についての忌憚ない鋭い批判となっていて、考えさせられるものがある。

   


勝田 吉太郎
ムイシュキン公爵論
〔勝田吉太郎著『ドストエフスキー』
(
潮新書43。潮出版社1968年初版。)P131より。〕


ムィシキン公爵(=ムイシュキン公爵)は、モラリスト(=道徳家。)である。人間を善人ヘと教化し、人間性が本質的に善であることを悟らせ、彼らの生を神的な至高の生へと向上浄化させるよう説得しなければならない――このようにムィシキンは考えた。しかし彼の崇高(すうこう)な企図はついに挫折し、彼は身を滅ぼしてしまう。


★勝田吉太郎
政治思想学者(専攻は、ロシア政治思想史)。元京都大法学部教授。
19282019




< ナスターシャ‐フィリポヴナ >
( 『白痴』 )

1.
JM‐マリ
ナスターシャ‐フィリポヴナ論
JM‐マリ著『ドストエフスキー』
(
山室静訳・アポロン社1960年初版。) より。p96p97。〕


ナスターシャのような女に救いなどないのだ。あるべきわけはないのだ、現世(げんせ)での救いは彼女にもホザンナ(=讃歌。)を叫ばしめ、悪が彼女の上に加えた暴行を讃(たた)えさせるかもしれない。彼女も胸の底ではそれをよく弁(わきま)えている。彼女の受けた悪は彼女を孤立させた。あらゆる男性の手は彼女の反抗をよび、彼女の手はあらゆる男性に逆らう。よし(=仮に。)和解がムイシュキンのような純潔なこころによって差しのべられようとも、彼女はそれに屈しないで、むしろおのれの傷をいつくしむに傾くのは当然である。たとえそれが可能だったとしても、彼女には幸福を受ける権利はなかったし、それはだいいち不可能だったのだ。彼女はそのことをよく知っている。彼女は誇りが高く、自分の知識に尊大(=いばってえらそうな態度をとるさま。)になっている。おのれの傷痕(きずあと)を誇り、苦難を誇りとしている。われわれの憐憫(れんびん。=かわいそうに思うこと。)は、ムイシュキンのそれすら、彼女にとっては侮辱にほかならない。それは彼女から偉大さを奪うものなのだ。彼女は終生(しゅうせい。=一生。)(けが)された純潔の化身(けしん)であり、そんなことをされるよりも砥石(といし)をその頸(くび。=首。)に懸けられて海中に投げこまれたほうがましな悪の化身(けしん)である。彼女はその悪を赦(ゆる)そうともせず、忘れ去ることもできない。彼女に定められた大きな任務は、おのれの傷を記憶し切開して、苦痛が堪()えがたくなるまでその傷口に手を突っこむことである。だが、重荷は背負いぬける程度を越えている。人間の血肉はその重荷のもとで困憊(こんぱい。=疲れはてるさま。)しなければならぬ。彼女が疲れはてるにつれて、誘惑が迫ってきた、慰められ忘れ去って、ホザンナ(=讃歌。)と叫びたい誘惑が。たとえほほえみの涙をうかべた弱々しい声であろうとも、唇を顫(ふる)わせ、あの暗い忘れがたい眼をうるませて「赦してあげますわ」と囁(ささや)きたい誘惑が。――こうして記憶の苦痛を捨て去って、もう一度全一(=完全な統一ある一体。)に帰るために。彼女のうるわしい(=美しくて気品のある。)頭をムイシュキンの胸に寄せると、彼の腕は女を抱いて、眼は幸福と悲哀の涙に溢(あふ)れているのだ。――こうした小さな者の一人が慰められる幸福と、一人の女が失神してその十字架を放棄した悲しみとに。
―以下、略―


JM‐マリ
イギリスの文筆家。
18891957





< アグラーヤ > 
(
 『白痴』 )

1.
EH‐カーのアグラーヤ論
EH‐カー著『ドストエフスキー』(松村達雄訳。筑摩叢書。筑摩書房1968年初版。)より。p206。〕


アグラーヤは、ドストエフスキーの女主人公のうちでも他と比べるもののないほど人の心を惹()く女である。この女は、
ドストエフスキーの全作品のうちでも、いかにも生き生きと描かれている唯一の清純無垢な女性である。この女とその両親のモデルとおもわれるものについては、すでにこれまでに充分述べておいた。この娘と母親との間には微妙な性格の類似があって、それは一見したところあきらかでないが、深く知れば知るほどますます明瞭になってくる。そういうことは現実ではよくあることだが、小説ではめったにみられないことだ。この二人の根本的な特徴は、ひるむことのない正義感で、そのために妥協とか中庸(ちゅうよう)の道といったことに彼らは我慢できない。それに彼らには一種の「はにかみ」といったものがあって、これが彼女らのきわめて寛容な気持ちを自由に発揮することを不可能にしている。ドストエフスキーの比較的客観的な人物のうちで、この二人は最も魅惑的で、まったく生き生きとした人物である。

        

EH‐カー
イギリスの政治学者・外交官。
18921982。  





< スタヴローギン > 
(
『悪霊』 )
       

吉村善夫のスタヴローギン論
吉村善夫著『ドストエフスキイ ― 近代精神超克の記録』(新教出版社1965年初版。1987年に復刊。)より。p247p248。〕


(=スタブローギン)はキリーロフに人神論を教唆(きょうさ。
=それとなく教えさとすこと。)するほどの知性を具(そな)えているとともに、無比の意力を具(そな)えていた。彼の特徴はむしろその意力にある。彼はみずから「無限」と感ずるほどの意力をもち、「自分のものにしろ、他のものにしろ、生命を犠牲にすることなどなんとも思っていない」ほどの「恐れを知らぬ人間」であった。ドストエフスキイは彼において人間の最高の意力が人間に何をなしうるかを測量し、意力においても人間はその救いをかちうることはできず、救いはただ神にのみあることを闡明(せんめい。=明らかにすること。)しようとしたのである。なぜなら、スタブローギンはその無限とも見える意力にもかかわらず、それがあくまで人間内在の立場に終始(しゅうし)するゆえに、それは意志と行為の内在的論理たる律法主義に従って功業主義的行為となり、その内包する偽神人論性と人神論性との相剋(そうこく。=対立するものの相争い。)のために自滅せざるをえなかった。それは善と悪との両極に相殺(そうさい。=プラスマイナスをお互いに消し合うこと。)されて無力化する。そして「人の義とせらるるは(=されるのは)律法の行為によらず、信仰に由()るなり(=よるのである)(ローマ三章)という聖書の根本信条を実証するのである。しかし人間が人間であるかぎり、人間内在の立場を超()えることはできない。したがって、スタブローギン的人神論は人間の最も完全な自覚にほかならない。またしたがってスタブローギンの運命は人間そのものの運命である。ドストエフスキイはスタブローギンにおいて特殊な一人間を描いたのではなく、人間の本質そのものを描いたのである。それを拡大し闡明(せんめい)したのである。それゆえに、『悪霊』の読者がスタブローギンをスタブローギンとしてこれを嫌忌(けんき。=嫌い、避けること。)したり憎悪(ぞうお)したり審判したりするのは、己れを知らぬ者と言わなければならない。それは自分たちのチャンピオンが悪戦苦闘に傷つき、疲れ、苦しみ、息も絶えだえになっているのを、観客席から指さしあざける人々に似ている。彼らの優越感はもっぱらその劣等性に拠()っている。彼らがスタブローギンを高見から批評するのは、彼らがスタブローギンのように人間的可能性をその限界にまで探究する能力を欠いているからに過ぎない。己を知る者はスタブローギンとともに苦しみ悩むであろう。むしろある意味では――あくまで「ある意味では」であるが――尊敬さえするであろう。


★吉村善夫
元信州大学教育学部教授。

氏は、一貫してプロテスタント神学とその信仰者の立場から、ドストエフスキー文学に現れているキリスト教思想を論じ、上書『ドストエフスキイ―近代精神超克の記録』における作品論・登場人物論は、ドストエフスキー論史上にユニークな視点を提示しています。吉村氏は、上書で、「カトリック主義 ― スタブローギン」と題して、スタブローギンを、律法主義(功業主義、信仰によらない内在主義)によって自己の贖罪(しょくざい)を目指すカトリック主義を体現した人物として捉えて、論じています。

    


廣岡正久のスタヴローギン論
〔『ロシアを読み解く』(講談社現代新書。1995年初版。)p80より。〕
 

ドストエフスキーは『悪霊』にスタヴローギンという「悪魔的」な人物を登場させた。
彼は神も、自分自身も信ずることができないスタヴローギンは、言葉の厳密な意味における「ニヒリスト」である


★廣岡正久
元・京都産業大学法学部教授。
1928〜。




椎名麟三のスタヴローギン論
〔『私のドストエフスキー体験』(教文館1967年刊)p63p69より。〕


つまりスタヴローギンは知性が考え得るすべてを考えたが、結局は何もなかったのである。つまり生きる意味を見いだすことができなかったのである。
とどのつまりの虚無。そういうわけなのだ。だが、虚無に投げ込まれた人間は、あらゆ可能性であると同時にあらゆる不可能性なのである。いいかえれば何でもできるのであるが、同時に何もできないということなのである。たとえ何かができても、意味のないくだらないことだけなのだ。 ―途中、略― 虚無は、ついに彼を食い荒(あら)してしまった。彼は、死ぬより救われる道はないだろう。しかし死は救いであろうか。彼にとってはもはや死さえも無意味であるはずだ。それにもかかわらず彼は自殺した。しかしえらい批評家たちの説に反して申訳(もうしわけ)ないが、彼は死を遊んだだけなのだ。しかも無意味である故に、その遊びは退屈な遊びに過ぎなかったのである。


★椎名麟三
小説家。ドストエフスキーの影響を強く受けた日本の作家のお一人。
19111973




.
山路龍天のスタヴローギン論
〔山路龍天・筆「『悪霊』ノート ――スタヴローギンをめぐる図像論的分析の試み」より。
〔『ドストエフスキーの現在』(江川卓・亀山郁夫共編。JCA出版1985年初版。)に所収。p28。〕


(=スタヴローギン)の究極的な不毛性(ふもうせい。=効果や成果がないさま。)を思うとき、キェルケゴールの「人間の意識の度()は絶望という羃(べき。=累乗(るいじょう))の指数(しすう)だ」という箴言(しんげん。=格言。)は支えきれぬほどに重い。<知>のための知にかられ、意識の倨傲(きょごう。=自分の偉いと思って他を見くだすさま。)を野放図(のほうず)(=勝手気ままに。)(つの)らせるスタヴローギンを、いかなる人の愛も、いまとここに――この生に繋(つな)ぎとめえない。愛こそが生命の糧(かて)、善と幸福の証(あかし)だというのに。アダムの原罪において示された人間の<知>に対する呪(のろ)いは、スタヴローギンの形象(けいしょう。=造形された姿。)において、かくして(=このようにして。)極限の姿をとった。『悪霊』は、人間の精神にとっての、意識の倨傲(きょごう)に対する絶望の黙示録(もくしろく)なのである。

〔語注〕
・キェルケゴール
デンマークの哲学者・神学者。18131855


★山路龍天
まじりゅうてん。フランス文学の研究家。現在、同志社大学言語文化教育研究センター教授。
1940
〜。





< キリーロフ > 
(
 『悪霊』 )

1.
勝田 吉太郎のキリーロフ論
〔勝田吉太郎著『ドストエフスキー』 (潮出版社1968年初版。潮新書43)p133p136より。〕


キリーロフの悲劇は、人格の主権と価値を無限に高めるべく神の観念と決闘することにある。自殺は、神からの人間の独立の確認行為なのである。彼の人神思想の核心は、自殺を決行する直前にピョートル・ヴェルホーヴェンスキーと交(かわ)した対話のうちに要約される。彼はいう、
「神は必要であり、したがって存在せねばならない――しかしぼくは神が存在しないこと、かつ存在しえないことを知っている。……もし神がないならば、その時ぼくが神なのだ。……もし神があるならば、神の意志がすべてである。そして神の意志から、ぼくは一歩も出られないのだ。ところがもし神がないとすれぱ、すべてはぼくの意志のみである。そしてぼくは、我意を主張しなければならない。……ぼくの我意のもっとも完全なものは、ほかでもない、自分で自分を殺すことにある。」
(3部第6章の第2。新潮文庫では、下巻のp434p436)
ここに、彼の哲学の核心がある。「ぼくは一生神に苦しめられてきた」 (1部第3章の第8。新潮文庫では、上巻のp181)と、キリーロフはかつて告白した。彼はいまや、彼独自の無神論に到達して、自分自身に対してのみならず、全人類のために神からの人間の独立と最高の自由を確保しようとする。もしも神があるならば、すべては神の意志の支配下にあり、神の意志から人間は一歩も出られない。そこでキリーロフは、人類のために神を征服しようと試みる。人間はいまやすべての虚偽と迷妄(めいもう。=迷い。)の根本である神の観念を打破し、これまで人間を支配してきた宗教的・倫理的隷従の枷(かせ。=行動の自由を妨げるもの。)を投げすてなければならない。  ―途中、略―   キリーロフの哲学の誤謬(ごびゅう。=誤り。)は、どこに求められるであろうか。無制限の自由、一切の境界線を踏み越えた自由は、人間に許容されえないものであり、人間は何らの限界のない自由の空虚のうちに堪()えることができないであろう――キリーロフは、このことを悟りえなかったのである。「もしも神があるならば、すべては神の意志である。……もしも神がなければ、すべてが私の意志である」という定式――すべてが神の意志か、それとも一切が私の意志か、神的意志の全能か、我意の全能かという悲劇的な二者択一は、キリーロフをぎりぎりの限界へと導く。「すべてが神の意志である」という摂理主義の宿命論を、彼は承服できず、したがって我意の専制の途(みち)を――つまり完全な非決定論を採()ったのである。彼の破滅は、そこにあったのだ。キリーロフの不幸は、神の宗教的理念と人間の倫理的自由と自主性とが並存しうる途(みち)を見出しえず、神的意志の観念と人間の自由な意志とを和解しえなかったことにある。この間題は、いうまでもなく、哲学的には自由と必然性の間題にほかならない。キリーロフは、自由と必然性とを、和解しうるような解決法を求めえなかった。彼は我意の自由の途(みち)を最後まで徹底し、そこで「新しい恐るべき自由」の深淵(しんえん。=深いふち。)に逢着(ほうちゃく)して(=たどり着いて)破滅した。彼にとって、恐怖と苦痛の源泉である神から解放された自由な人間の実存は、死の自由を意味するほかはなかった。ドストエフスキーは、キリーロフの人神思想のうちに、自我の絶対肯定から出発して結局はその否定に終(おわ)る無神論の宿命的ななりゆきを示唆(しさ。=それとなく示すこと。)したのである。形而上学(けいじじょうがく)において、絶対的自由の容認は、絶対的必然性の容認と同様に、ともに人間を生かす途(みち)ではなく、ついに人格を滅亡の淵(ふち)においやるであろう。――キリーロフの悲劇は、このことを暗示する。


★勝田吉太郎
政治思想学者(専攻は、ロシア政治思想史)。元京都大法学部教授。
19282019

上書の『ドストエフスキー』 は、専門の政治社会学の見識に立って、『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官の章」などに対する鋭い分析が随所に見られる名著。勝田氏は、若くからドストエフスキー文学に親しみ、「ドストエフスキーは私にとってことのほか忘れることのできない小説家であり、思想家である。私に文学開眼をさせたのは、ほかならぬドストエフスキーであった。」「大学の法学部に入学し、法律の勉強をするようになってからも、私の情熱は、あの無味乾燥な六法全書よりはるかに多くドストエフスキーの文学理解に注がれていた。こうしてドストエフスキーは、私の人格形成にあたって消し去ることのできない刻印を刻みつけたと思う。」と上書の「あとがき」で語っています。


 


< シガリョフ > 
(
 『悪霊』 )

1.
内村剛介のシガリョフ論
〔『ドストエフスキー』(「人類の知的遺産 51」。講談社1978年初版。)p249より。〕


(
小説『悪霊』の登場人物として、)このほかに独断的革命理論家シガリョフがおり、
彼によれば、革命が与える自由は全体的専制政治を導き出すためのものであるということになる。この理論がすぐれて(=とりわけ)予言的であることは今では私たちにも分(わか)っている。
 

★内村剛介
評論家・ロシア文学者。元、北海道大学・上智大学教授。
19202009

上の文章は、作中でシガリョフが言った
有名な命題「無限の自由は無限の専制でもって終わる」というテーゼなどを踏まえて言ったもの。





< アルカージイ > 
(
 『未成年』 )
  
1.
清水孝純のアルカージイ論
〔 清水孝純著『道化の風景 ― ドストエフスキーを読む』 (九州大学出版会1994年初版。)p183p184p193p194より。〕
 

語り手アルカージイ・ドルゴルーキーには、
実に愛すべき、独特のユーモアがある。何となく滑稽なのである。思うに、それは、彼の極めてナイーブな感受性の動き方から来ている。その境遇にもかかわらず、彼の裡(うち。=内)の、無垢(むく)な生活感覚は、いささかも損(そこ)なわれていない。しかし、そのユーモアは、単にそれだけに由来するものではないだろう。この青年の中には、一種独特な倨傲(きょごう。=自分を偉いと思い、相手を見下す態度。)があり、それが彼自身の繊細な心情、含羞(がんしゅう。=はにかみ。)に充()ちた感受性と衝突してかもす、ちぐはぐな行為の錯誤(さくご。=思い違いによるずれ。)の中に、その源が潜(ひそ)む。 ―途中、略― グロスマン(注:ロシアのドストエフスキー研究家)は、『未成年』を教養小説と規定している。アルカージイには、確かに教養小説の主人公らしく、ラスコーリニコフに比して、鋭さはないが遥(はる)かに柔軟な感受性と、素朴さがあるのであり、それによって彼は、外界との接触で得たものを自身に取り入れ、常にその観念を訂正してゆく。彼の有している生来のユーモアとは、そのようなところにも感じられる相対感覚に他ならない。道化性(注:この「道化」という語は、清水氏独自の意味合いを持つ語。)とは、まさに、そうした相対感覚に根ざすものだろう。アルカージイが、自分の孤独の理想を、亀の甲羅の中に閉じこもることに譬(たと)えた時、その表現の誇張と幼さの中に、既に彼自身一種の力(りき)みと、その背後に潜(ひそ)む予感、いわばそういう理念(イデア)は持ち切れないだろうという予感があったといえるのではないだろうか。彼のそういう表現を通して、思わず読者は微笑する。少なくとも、その微笑は、この青年の、そういった本質に触れるものを含む。青年は、得()てして、自分の経験を早急に絶対化し、一般化し勝ちなものである。さらにまた、過敏な感受性の持主は、自分の裡(うち)なる欲望を、素直に表面にあらわすことに照れるし、羞()じらう。ここから、彼の思想は、矯激(きょうげき)(=言動などが極端に激しく、反社会的な)形をとる。あるいは、表現として、全く逆の形をとる。青年の孤独志向は、一見愛の拒絶と見えながら実は愛に対してのその注文の厳しさ、純粋さの裏返しの表現である。アルカージイの人物像としての瑞瑞(みずみず)しさは、そういう思春期特有の心情を、彼が誠実にみつめ、出来る限り正直に、率直にその告白において表現しようと試みたところにある。そして、それは見事に成功したといえるだろう。それを可能にしたのは、人間としての本来的な善良さに裏打ちされた上述の相対感覚だったろう。
 

★清水孝純
しみずたかよし。元・九州大学教授、元・福岡大学教授。
1930
〜。






< わたし(手記者) > 
(
 『地下室の手記』 )

12.
清水孝純
の「わたし(手記者)」論
〔清水孝純著『道化の風景 ― ドストエフスキーを読む』 (九州大学出版会1994年初版。)の「序」より。〕


いわば、
ドストエフスキーの、近代人としての自己認識がそこに(=『地下室の手記』主人公の人物像の中に)定着されたといえる。地下室という、魂の暗室ともいうべき深所において紡(つむ)がれた巨大なコンプレックスの塊(かたまり)、それは自閉的な自意識の空間で、そのシニシズム(=物事に対する冷笑的な態度。)を宇宙の創造者にむけて不断に噴出させてやまない。その自意識の肥大においては、神をも毒付(どくづ)きながら、しかし、その自卑(じひ。=自分を卑下すること。)において自身を地下室の鼠(ねずみ)のごとくみなす、この自閉的な空間においては、主人公の自意識は、その両極を無限に循環するにすぎない。しかし、その循環によって、主人公のたぐり寄せるのは、近代人の一切の問題といっていいかもしれない。いわば神を失った場合の人間の無限の頽落(たいらく。=頽廃し堕落していくこと。)の可能性、コンプレックスの生み出すサディステックな残虐性、と同時に奇妙な自己処罰の要求、かと思えば自己の絶対性の主張もそこに共存する。ドストエフスキーは、いわばレトルト(=フラスコの口を横に倒した形の実験器具。)で蒸溜(じょうりゅう)したごとき自意識の問題性をここで抽出(ちゅうしゅつ)したのだ。
しかし、このような自閉的空間に人間はいつまでも存在するわけにはいかない。こうして、いわば絶対を求めての旅立ちが後期の巨大な作品群において開始される。


★清水孝純
しみずたかよし。元福岡大学教授。
1930
〜。




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