夏目漱石の言葉
赤木桁平(漱石の門人の一人)が聞いた漱石の言葉より。
(トルストイとドストエフスキーは、)人として芸術家として非常に偉大な人々ではあるが、しかし、『私』を捨てて人生に対する事ができなかった。その意味において彼等は神に離れることが、かなり遠い。
(注:上の『私』は、漱石の言った有名な言葉「則天去私」の中の「私」の意味だそうです。)
★夏目漱石
大正5年に亡くなった明治の文豪。
1867〜1916。
ドストエフスキーは、たしかに、生涯、我執(我意、自意識)にとらえられて苦しんだ人間だと思うので、上の文の後半の「『私』を捨てて人生に対することのできなかった」という言い方は、東洋的な「無私」の意味合いや境地も込められている言い方として、ある意味では、意味深長な含蓄が含まれていて、すこぶる面白い指摘だと思いました。もっと長生きして、(ほとんど学ぶことのなかったとされる)東洋の思想や精神を学ぶ機会がドストエフスキーに、もっとあったら、と私などは思ってしまいます。
〔以上は、「意見・情報」交換ボードに98年の3月11日・3月13日に書き込んだ分に加筆してここに転載したものです。〕
福島 章著
『天才のパトグラフィー』
(講談社新書。1984年初版。)
の第7章「父親体験」の中の
「ドストエフスキーの父親憎悪」
のp166より。
ドストエフスキーの父親は医師で、地主であったが、暴君であった。彼は、子どもたちに厳しく乱暴な教育を行(おこな)った。子どもは、強いエディプス・コンプレックスを、つまり強い父親殺しの幻想を抱くことになり、実際ドストエフスキーは少年時代にはずっと父親を殺してやりたいほど憎んでいたと思われる。しかし同時に、幼い心に刻みこまれた父のイメージは、苛酷(かこく)でサディスティックな超自我(注:精神分析学の用語)となって彼の一生を支配する。つまり、無意識からの呼び声として、「お前は悪い子だ。お前は罪を犯した。お前は罰せられなければなにない。お前は幸福や成功にふさわしくない人間だぞ」という呼び声を聴(き)きつづけていたのである。 このような超自我を頭にいただいた自我が、受動的でマゾヒスティックな性格を持つことは、容易に想像できよう。彼らは苛酷な運命にもてあそばれ、不幸の続くことのなかにかえってひそかな満足をおぼえ、つかのまの幸福や成功がたまたま訪れると、不条理な無意識の衝動に駆(か)られてそれをだいなしにする。ドストエフスキーの有名な賭博癖や飲酒行動のような自己破戒衝動もその一つである。
★福島章氏(あきら・1936〜2022)は、精神医学者。現在、上智大学教授。
異常な犯罪事件に関する手堅いコメントやその温厚なお人柄は、テレビのお茶の間でも知られている。上の文章は、フロイトの有名な論文「ドストエフスキーと父親殺し」の要旨を踏まえて、ドストエフスキーの生涯における父親からの心理的(深層心理的)な影響を指摘した実に興味深い文章であり、家庭環境(両親・兄弟、など)の、個人の性格や生きざまへの影響は意外と大きいということを考慮するならば、この精神分析学的な観点は、ドストエフスキーの生涯の生きざまや氏の小説の傾向の秘密を解くための大事なキーになるのかもしれません。なお、末部の「飲酒行動」という箇所は、ドストエフスキーに関する知識としては、勘違いをされているようです。
遠丸 立・筆
「ドストエフスキー論について」より。
〔特集「ドストエフスキー」(現代のエスプリNo.164。至文堂1981年刊。遠丸立編集・解説。)に所収。〕
ドストエフスキーの魅力、それはやはり多面的な、多層的な、生活を反照した(=反映している)多面的な、多層的な、作品、湖のような広大なひろがりと海溝(かいこう)のような深い暗いよどみを持つ内容、にあるだろう。いいかえるなら、彼自身がひきずっているなにか肉眼では明視しえぬ薄暗さ、つまり彼の存在そのものに内在する朦朧(もうろう)の気、に由来する妖(あや)しい力、からくるといい切っていいのだと思う。これは見方によれば、十九世紀後半の帝政ロシヤの暗さであるかもしれない。ドストエフスキーのひきずっている暗さは、それと通脈する(=相通ずる)ものであるかもしれない。そしてさらにいえば、ここにもうひとつの問題が胚胎(はいたい)する(=生じて、始まる)のだ。すなわち彼のまわりには最大級に多数の論者が蝟集(いしゅう)し(=群がり)、それぞれの関心の命じるまま、この作家の最深部のエッセンスを食いちぎろうと努めたけれども、多面体を誇るこの作家のあらゆる面、あらゆる窪(くぼ)みを現在せせりだしている(=突っついて、明るみに出すことに成功している)とは残念ながらいえそうもないという事情である。洋の東西をつうじて書かれたドストエフスキー論は実に厖大(ぼうだい)な数量にのぼるけれども、この作家の有するいくつかの面については、まだあまり触れられていないという実情があるのだ。もちろん私は私自身読んだかぎりでの論についていっている。そういう限定を付さなければならないと思う。それはまたいかにドストエフスキーが、多面的、多層的、要素をうちぶところふかく(内懐深く)隠しもっていたかを逆証していることにもなるだろう。まだまだこの複雑な作家には未照明のまま残されている部分がある。その部分にあたらしい光を当てる作業は、今後のドストエフスキー論にとり可能でもあり、必要でもあるのだ。
★遠丸立
とおまる たつ。文芸評論家・詩人。
1926〜。
多面性・多層性を有するドストエフスキーの作品の謎(難解さ)や暗さは、ドストエフスキーという人間の存在自体の内奥にある不明なもの、当時のロシア社会を背景とした、ドストエフスキーの生涯における、さまざまな特異な、生活体験(人生体験)・感覚や思索や精神の行使、などの反映であり、それらをもとに、独自に形成(醸成)されたものではないか、といった指摘は、鋭くて、非常に大事な指摘だと私は思いました。ドストエフスキーのうちの、まだ十分には触れられていない・解明されていない、大事なキーだと思われる面・分野・要素に関して、私自身注目しているそれらは、いくつかあることはあるのですが、自他によるそれらの指摘・それらの研究や解明が、今後、待たれます。
アンリ・トロワイヤ著
『ドストエフスキー伝』
(村上香住子訳。中公文庫1988年刊。)
のp728〜p729より。
ドストエフスキーは、偉大な善意の人でありながら、つまらない意地(いじ)のわるさも捨て切れず、大きな犠牲的な行為をしていても、ちまちまとしたエゴイズムにこだわり、崇高(すうこう)な感情を理解しているのに、卑(いや)しい悪から抜け出せない。そういった両面を持っていた人なのだ。 だが悪の面は、彼も抑制していた。自分では手を下さなかったが、自分の小説の主人公たちが犯すサディスティックな犯罪を夢みていた。彼はその考えに取り憑(つ)かれ、そそのかされた。そこで彼はそれを小説のなかにぶちまけたのだ。そのとき舌を巻く才筆をふるったとしても、それは彼のなかにある人間的脆弱(ぜいじゃく)さ(=弱さ)、美しさ、そういったものが大事に保たれていたからに他ならない。彼の普遍性を支えていたものは、知性ではなく、心だったのだ。彼がスタヴローギンは<悪魔>で、ムイシキン(=ムイシュキン公爵)は<聖人>だとはきめつけられなかったのも、もとはといえば、彼のなかにその両方に対して五分五分(ごぶごぶ)の、まったく同等の意識を持っていたからだ。彼の意識の二重構造は、ドストエフスキー文学のすべてを貫いている。淫乱(いんらん)な肉欲の世界と自己放棄の高い精神性のあいだでゆれうごき、既成の秩序と思いがけない新たな秩序のあいだて迷っている。だがそれでも彼はその選択を拒(こば)んでいる。となると、この穏(おだ)やかなキリスト教徒の平和主義者が中東戦争を説こうが、癲癇(てんかん)病みの幻想家がその小説に現実的なデテール(=詳しい細部)をぎっしりつめこもうが、驚くに値しない。ドストエフスキーは、彼の小説の主人公同様に分身を持っていたからだ。
現実の問題を彼が提示したとしても、けっしてその結論をわれわれに押しつけてはこない。 ドストエフスキーの文学は、回答ではなく、ひとつの問いかけなのだ。 ―以下略―
〔上の末部は、「意見・情報」交換ボードの[98年7月11日06時21分]に書き込んだ分〕
★アンリ・トロワイヤ
ロシア生まれのフランスの小説家・伝記作家。
1911〜2007。
アンリ・トロワイヤ著
『ドストエフスキー伝』
(村上香住子訳、中央文庫1982年刊。)
より。
「到達せざることにおいて、人は偉大になる」とゲーテは言っている。ドストエフスキーは、到達しなかったからこそ、偉大なのだ。
★アンリ・トロワイヤ
ロシア生まれのフランスの小説家・伝記作家。
1911〜2007。
トロワイヤ氏の力作ドストエフスキー伝記の終わりに置かれてある言葉。ドストエフスキーとその文学を評した言葉として、含蓄の深い言葉だと思います。
黒澤 明の言葉
『黒澤 明』
(現代書館1996年初版。橋本勝/文・絵。)
で紹介されている黒澤氏の言葉より。
「ドストエフスキーのどういうところに傾倒するのか」という質問(聞き手:清水千代太)に対する黒澤氏の発言(『キネマ旬報』1952年4月上旬号掲載のインタビュー)
あんなやさしい好ましいものを持っている人はいないと思うのです。それはなんというのか、普通の人間の限度を越えておると思うのです。それはどういうことかというと、僕らがやさしいといっても、たとえば大変悲惨なものを見た時、目をそむけるようなそういうやさしさですね。あの人は、その場合、目をそむけないで見ちゃう。一緒に苦しんじゃう、そういう点、人間じゃなくて神様みたいな素質を持っていると僕は思うんです。
(以上は、「意見・情報」交換ボードで、1998年1月29日に有容赦さんから情報提供されたものです。)
★黒澤明
映画監督。1910〜1998。
黒澤氏は、
「ドストエフスキーは若い頃から熱心に読んで、どうしても一度は(映画化を)やりたかった。もちろん僕などドストエフスキーとはケタが違うけど作家として一番好きなのはドストエフスキーですね。更に僕はこの写真(注:映画「白痴」のこと)を撮ったことによってドストエフスキーがずいぶんよく判ったと思うのだけど。」
と述べていて、氏は、ドストエフスキーの小説に早くから親しみ、映画製作の面でもドストエフスキーの文学から大きな影響を受けていたことで知られる。ドストエフスキーの『白痴』を映画化した黒澤氏の映画「白痴」は、海外でも評価が高い。
黒澤氏には、
「その小説を読んでボロボロ涙が出る小説は、ドストエフスキーの小説以外にはあまり見当たらない。」(趣意)
という言葉もあり、ドストエフスキーの小説を身を持って読んでいたことがわかります。
芥川龍之介著
『侏儒(しゅじゅ)の言葉』より。
ドストエフスキーの小説はあらゆる戯画(ぎが)に充(み)ち満ちている。尤(もっと)も、その又、戯画の大半は悪魔をも憂鬱(ゆううつ)にするに違いない。
★芥川龍之介
作家。1892〜1927。
『侏儒の言葉』には、外国の作家に対する芥川氏の一連の短評が含まれているが、上のドストエフスキーの小説論は、いかにも芥川氏らしい気のきいた評言だ。芥川氏がドストエフスキーの小説をどのように読んだのかが窺(うかが)われる言葉として、興味深い。
氏は、英文テキストで『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』を読んだらしく、『罪と罰』を読み終えて、ラスコーリニコフがソーニャとランプの下で聖書を読むシーンを実にtouchingだったと、ある知人に語ったそうだ。東西の昔の物語や小説に取材して創作することの多かった芥川氏だが、氏の小説『蜘蛛の糸』『首の落ちた話』などは、ドストエフスキーの作品の中から、その題材を得ているとする研究家の説あり。
アインシュタインの言葉
より。
ドストエフスキーは、どんな思想家が与えてくれるものよりも多くのものを私に与えてくれる。ガウス(19世紀のドイツの数学者。)よりも多くのものを与えてくれる。
★アインシュタイン
理論物理学者。1879〜1955。
ドストエフスキーの文学は、アインシュタインの専門の研究に、霊感を与えたとされています。
アインシュタインにおけるドストエフスキーのことについては、次の著書があり。
B・クズネツォフ著
『アインシュタインとドストエフスキー』
(小箕俊介訳。れんが書房新社1985年刊。)
中川 敏の言葉
『トルストイかドストエフスキーか』
(中川敏訳。白水社1968年初版。)
の中川敏氏の「解説」より。
トルストイびいきはドストエフスキーを敬遠し、ドストエフスキーびいきは、トルストイを読もうとしない。
〔「意見・情報」交換ボードの[97年4月26日] に書き込んだ分 〕
★中川敏
なかがわさとし。英文学者・翻訳家。
上の指摘は、かなり「言えている」と思い、感心しました。 自分も現在でもその通りです。
なお、
ドストエフスキーとトルストイを比較して論じている本・論文としては、
・ザイチック著
『トルストイとドストエ
フスキーの世界観』(1893年)
・メレシコフスキー著
『トルストイとドストイェフスキー(T〜X)』
(1901〜1902年。植野修司訳。雄渾社1968〜1970年刊。)
・ブルガーゴフ著
『トルストイとドストエフスキー』
(1910年)
・ルカーチ著
『トルストイとドストエフスキー』
(1943年。佐々木基一訳。ダヴィッド社1954年刊。)
・ゼーガース著
『トルストイとドストエフスキー』
(伊東勉訳。未来社1967年刊。)
・ステイナー著
『トルストイかドストエフスキーか』
(1959年。中川敏訳。白水社1968年初版。)
・ポリス・サピア著
『ドストエフスキーとトルストイ
― 権力の問題をめぐって』
・ミルスキー
「ドストエフスキーとトルストイ」
(大西洋三訳。未来社1955年刊『ロシア文学小史』に所収。)
・野間宏
「トルストイとドストエフスキー」
(『知性』1955年4月号に所収。)
・近田友一
「トルストイとドストエフスキー ― 『アンナ・カレーニナ』をめぐって」
(『綜合世界文芸(19号)』1960年)
などがあり。
萩原 朔太郎著
アフォリズム集『絶望の逃走』より。
ドストイエフスキイは厖大(ぼうだい)の(=ぼうだいな)闇である。
★萩原朔太郎
詩人。1886〜1942。
近代日本の代表的詩人であり、古今東西の知識に通じた博識のすぐれた思想家でもあった萩原朔太郎は、ドストエフスキー文学の人道主義的な面の移入がすすんだ大正期において、ドストエフスキー文学の博愛的贖罪(しょくざい)思想に深く傾倒した、日本におけるドストエフスキー受容史上特筆すべき文学者である。
ちなみに、上の言葉に続けて朔太郎は次のように言っています。
「ニイチェは天に届く高塔である。ポオ(アメリカの小説家エドガー・アラン・ポー)は底の知れない深潭(しんたん。海の深淵。)である。 この三人は宇宙の驚異で、人力の及び得ない天才である。これ等(ら)の「恐ろしきもの」に比べれば、ボードレエル(フランスの詩人)はずっと遥(はる)かに人間的で、我等に近い常識を感じさせる。 ゲーテは偉大な文学者で、一切を包含する海である。 (途中、略) すべて私は、これらの教師から学んだ。」
五木寛之の言葉
『文芸読本ドストエフスキー(T)』
(河出書房新社1976年初版)所収の
文章のp133より。
(途中、略) ドストエフスキーは<ゆるす>人であり、 (途中、略) だがドストエフスキーの<ゆるし>かたに甘えているわけにはいかない。彼の<ゆるし>ている目の奥には、何かひどく恐ろしいものがあるような気がする。
★五木寛之
作家。1932〜。
一読して、ハッとする指摘だと思いました。
早稲田大学露文科を卒業している五木氏は、対談などで、しばしば、ドストエフスキーに言及していて、ドストエフスキーについて一家言(いっかげん)を持っていらっしゃるお方です。
江川 卓訳
『罪と罰』
(旺文社文庫)
の上巻の「解説」より。
ドストエフスキーはしばしばトルストイと並んで、十九世紀ロシア文学にそびえる二つの巨峰に比較される。いや、たんにロシア文学だけでなく、世界文学の巨峰ともいえるだろう。およそ文学に関心をもつほどの人が、一度はかならずその作品の世界にふれ、そこから受けた感銘の質と強さによって、生涯の文学的趣味の方向をさえある程度決定づけられるような作家――それがドストエフスキーである。
★江川卓
えがわたく。ロシア文学者・ドストエフスキー研究家。現代日本の代表的なドストエフスキー研究家の一人。
1927〜2001。
新潮選書の『謎解き「罪と罰」』(新潮社1986年初版)は、ドストエフスキーの名作『罪と罰』を新たに解明した本として広く話題となりました。
レヴィーツキイ著
『ロシア精神史』
(高野雅之訳。早稲田大学出版部1994年初版。)
の第7章「ドストエフスキー」のp187より。
ドストエフスキーの人間観によれば、人間は生まれながらに罪深いものだとはいえ、罪に圧(あっ)しつぶされてはいない。堕落し、反抗的な人間の本性を通して、人間のなかの神の姿が常に垣間見(かいまみ)えているのである。ドストエフスキーは、世界のなかの悪の力を誰よりもよく知っていた。悪の根源は、たんに感覚的な誘惑やエゴイズムにあるのではなく、なによりも精神の罪深い熱狂にこそあるのだ、ということを彼は理解していた。宗教から切り離された道徳にたいし、彼は予言するかのようにこう警告する。「当然うまくいくものと、ひとびとは考えている。しかし、キリストを拒否したなら、その結果、世界は血の海と変わるだろう。なぜなら、血は血を呼び、剣を抜いた者は剣のために滅びるからである。もしキリストの誓約がなかったら、地球上の人間は最後の二人になるまで、たがいに食いつくすことになるだろう。」
★レヴィーツキイ
ラトヴィア出身のロシア哲学史家・政論家。元ジョージタウン大学・ワシントン大学講師。
1908〜1983。
心打たれる、考えさせられる文章です。「悪の根源は、たんに感覚的な誘惑やエゴイズムにあるのではなく、なによりも精神の罪深い熱狂にこそあるのだ」という箇所なども、ドストエフスキーの考えを洞察していて、含蓄が深いと思いました。上に引用されているドストエフスキーの言葉の中の「キリストを拒否したなら、」という言い方は、ドストエフスキーのキーワードの一つ。後方の「キリストの誓約」の意味は、ちょっとわかりにくいながら、キリストの説いた精神を忘れることなく、キリストが説いた「愛の実践」ということを各国・各民族の首脳や人々ができるだけ実践しようと誓い合う、ということでしょうか。
大塚幸男著
『ヨーロッパ文学思潮史』
(白水社1963年初版。)
の項「ドストエフスキー」のp275〜p276より。
彼の生涯はイエスのそれを思わせる《十字架の道ゆき》であった。彼をつくったものは暗澹(あんたん)たる不運と、貧困と、病気とであった。不幸な体験を重ねたあまりに、彼の神経はいやが上にも磨ぎ澄まされた。こうして彼は世の常の限度を超えて、神秘の領域と交感するに至った。彼の流儀は悲劇的である。ギリシア的な意味での、すなわち《聖なる高揚》という意味での悲劇的である。……善と悪とは互いに独立して、ひとしく聖なるものであり、神の摂理(せつり)を釣り合わせるものであるということ。そして苦悩の強さは、極限に達すると《時間》を浄化し、解放し、廃止して、よろこびとなり、永遠のいのちの概念をかいま見させるということ――これが彼の最後の三つの大作にうかがわれるキリスト教的思想の要素である。それは一口にいえば苦悩の宗教であり、苦悩のうちに彼は神秘的な幸福のカギを見る。そして罪の神聖さ――人間の汚(けが)れと贖罪(しょくざい)とを信じる。彼をしてこのような宗教的神秘主義に達(たっ)せしめたのは、彼自身の世の常ならぬ苦しみの生涯、さては彼が流刑中に読むことを許されていた唯一の書物であった福音書の絶大な影響とともに、その背後に横たわっていた当時のロシヤの暗澹(あんたん)・苛酷(かこく)な出口のない社会であった。
★大塚幸男
おおつかゆきお。フランス文学者。元福岡大学教授。
1909〜1992。
ドストエフスキーの苦悩や不幸がドストエフスキーに何をもたらしたか、について述べている文章であり、考えさせられるものがありました。「苦悩の強さは、極限に達すると《時間》を浄化し、解放し、廃止して、よろこびとなり、永遠のいのちの概念をかいま見させるということ」の箇所は、今一つわかりにくいですが、ドストエフスキーの癲癇(てんかん)発作の直前の至高の神秘体験のことを踏まえて言ったのでしょうか。「その背後に横たわっていた当時のロシヤの暗澹(あんたん)・苛酷(かこく)な出口のない社会」について我々読者や研究家は、もっと意(い)を向けるべきなのかもしれません。
ツヴァイク著
『三人の巨匠』
の「ドストエフスキー」のp127〜p128、p130より。
〔ツヴァイク全集巻8(みすず書房1974年刊)に所収。神品芳夫訳。〕
(途中、略) このような運命への隷属状態のうちにありながら、ドストエフスキーは、謙虚と認識とによって、いっさいの苦悩の偉大な克服者となり、新約時代以来のもっとも強力な伝道者、価値の転換者となった。彼の肉体が顛落(てんらく。=転落)してゆけばゆくほど、彼の信仰はますます高く飛翔(ひしょう)し、彼が人間として悩めば悩むほど、幸福の思いのうちに世界苦の意味とその必然性を認識するようになる。 (途中、略) この選ばれた人間にとっては、いかなる呪いも祝福と変(かわ)り、いかなる屈辱も高揚と化する。シベリヤで、足を鎖(くさり)でしばられながら、無実の自分に死刑の宣告をした皇帝にささげる讃歌をつくり、私たちにはまったく理解しかねる謙虚さで、自分に体罰を加える刑吏(けいり)の手にくりかえし接吻を与える。彼はいつでも、ラザロ(注:新約聖書に出てくる、イエスによって死後蘇生した人物。)のように棺(かん)からよみがえり、人生の美しさを確証する気がまえをもっている。毎日直面する死、痙攣(けいれん)や癲癇(てんかん)の発作から身をふるいおこし、口のまわりに泡(あわ)を立てながら、この試練を贈ってくれた神を讃(たた)える。すべての悩みが、彼の開かれた魂のなかに、悩みへの新たな愛を生み、新たな殉教者の冠を切望する鞭打(べんだ)苦行者の渇(かわ)きを生みだす。運命が烈(はげ)しく彼を打つとき、彼は血を流して倒れながら、さらに次の鞭(むち)を欲しがって坤(うめ)き声をたてる。自分に落ちかかる稲妻の光をもすべてつかまえて、うっかりすれば自分を焼きほろぼすかもしれないその火を、創造的陶酔へ彼を導く霊魂の火に変える。内的体験がもつこのようなデーモン(=芸術活動などを助け、インスピレーションや活力を与える霊)のもつ変化力に対面しては、外面的運命はすっかりその支配権をうしなってしまう。一般に罰とか試練とか思われているものが、この知者にとっては助けとなり、普通の人間なら挫折してしまうはずのつまずきが、この作家にとっては真に立ちあがる契機となる。弱者なら粉砕されてしまうはずの強い外的な力も、この陶酔家にとっては、自分の力を強めるのにプラスとなるばかりである。 (途中、略) ドストエフスキーは、あらゆる災厄をプラスに変え、あらゆる屈辱を価値に変える人間であるから、もっとも過酷な運命こそもっとも彼にふさわしい。彼は、自分の存在の外的な危険のなかから、もっとも高い内面的真実をひき出してくる。彼にとっては苦痛が収得となり、悪徳が高揚となり、障害が原動力となる。シベリヤ、苦役、癲癇(てんかん)、困窮、賭博簿、淫蕩(いんとう)など、生存のあらゆる危険が、デーモンの価値転換力によって、彼の芸術のなかで実りと化する。人間が鉱山のもっとも暗い地底から、一番高価な金属を掘り出してくるように、芸術家も、いつもその資質のもっとも危険な深淵(しんえん)から、もっとも大切な真実を、その人にとっての窮極の認識をとり出してくるのである。芸術的にみれば一つの悲劇であるドストエフスキーの一生は、倫理的にみれば、比べるものなき一つの大きな人間的成果てある。なぜなら、彼の一生は、自分の運命に打ち勝った人間の記録であり、外面的生存を内面の魔術によって価値転換した人間の実例を示すものだからである。病弱な肉休を克服した精神的生命力の勝利というものは、まことにたぐいなきものである。ドストエフスキーが病人てあったこと、そして彼の青銅のような不滅な作品が、ひびの入った弱々しい肉体と、痙攣(けいれん)のため赤い炎をあげてゆらめく神経とからかち得られたものだということを、私たちは忘れてはならない。
★ツヴァイク
オーストリアの作家。
1881〜1942。
ドストエフスキーは生涯の苦難や逆境にどう対処しそこから何を得ていったかが鋭く指摘されていて、読みごたえがありました。ツヴァイク氏の上書の「ドストエフスキー」は、ドストエフスキーへの礼賛や誇張表現や同内容の反復表現が目立つ本ですが、ドストエフスキーという人物とその活動の意義や価値を深く掘り下げて情熱的に論じた名著。
開高 健・筆
『世界の名作・9―罪と罰』
(集英社版コンパクト・ブックス。原久一郎訳。1964年初版。)
に寄せた文章より。
ドストエフスキーの作品を読むとき、交響曲を聞いているような気持(きもち)になる。生の混沌とした奔流のなかで彼の主人公たちは自分自身の原理と原則を求めつつ、虚無から歓喜までのあらゆる感情を味わいつくそうとする。その領土は広大で深く、果てしない。高貴と下劣、善と悪、美と醜、清冽(せいれつ)と腐敗、男女たちが薄明の荒野で叫びかわす声が空にとどろき土に流れる。この世界の魔力は一度味わうと背骨にしみて離れなくなる。
★ 開高健
かいこうたけし。作家。
1930〜1989。
森 和朗著
『ドストエフスキー 闇からの啓示』
(中央公論社1993年初版)
のp36より。
ドストエフスキーは神秘的な宗教思想家と見られがちだが、近代の科学技術が人間に突きつける問題を彼ほど鋭く洞察した人がいるだろうか。「二二が四という方程式」の天文学的な射程を、おそらく彼は直感的に見通していたであろう。
★森和朗
もりかずろう。文筆家。元NHK国際局チーフ・ディレクター。
1937〜。
上書は、現代科学技術文明・現代社会の状況に関する予言的洞察を示したドストエフスキーの言説を引用しつつ、現代管理社会に鋭い批判・警鐘のメスを入れた快著。上の「二二が四という方程式」は、ドストエフスキーの小説『地下室の手記』で、主人公の「わたし」が近代の科学的合理主義性格を端的に評した表現。 → 新潮文庫の『地下室の手記』のp52の末行。(他に、p50、p52〜p55、p59。)
光文社編集部・筆
光文社古典新訳文庫のドストエフスキーの解説文より。
ロシア帝政末期の作家。60年の生涯のうちに、以下のような巨大な作品群を残した。『貧しき人々』『死の家の記録』『虐げられた人々』『地下室の手記』『罪と罰』『賭博者』『白痴』『悪霊』『永遠の夫』『未成年』そして『カラマーゾフの兄弟』。キリストを理想としながら、神か革命かの根元的な問いに引き裂かれ、ついに生命そのものへの信仰に至る。日本を含む世界の文学に、空前絶後の影響を与えた。
「生命そのものへの信仰に至る」という指摘は、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』など、晩年の著作において達した人間観を捉えていて、鋭いと思う。
BOOK編集部・筆
「BOOK著者紹介情報」のドストエフスキーの「著者略歴」より。
ロシアの小説家。キリスト教に基づく魂の救済をつよく訴えた。実存主義の先駆者とも言われる。
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