ドストエフスキーへの評言5
(更新:24/04/24)
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W・ニック
『ドストエフスキー』(信太正三・工藤喜作訳。理想社1964年初版。)p25より。


(=ドストエフスキー)は、ニヒリズムの意義を同時代人の誰よりも早く、そして鋭く認識していた。虚無主義的な人間の出現と関連する問題ほどに、彼を強く惹()きつけ、刺戟(しげき。=刺激)し、震駭(しんがい。=驚いて震え上がらせること。)さした(=させた)問題はほかにない。彼は、そうした人間を、決して、一時の文学的な流行の型として評価したのではなく、彼の天才的な炯眼(けいがん。=物事の本質を見抜く鋭い眼力。)をもって直(ただ)ちにその全意義において把握していたのである。宗教哲学的に考察すれば、彼の思考の中心を占めているものは、虚無主義であり、そこに彼は自己の時代の巨大な問題を見た。それゆえ、幾度も繰りかえし新たに彼はその問題と取り組んだのである。虚無主義の問題との対決が、ドストエフスキーの文学作品に独特な性格を与えている。
 
    

W・ニック氏は、プロテスタント系統の教会史家。




久山 康・
「ドストイエフスキイの魅力」より。[土曜会発行「ドストエフスキー研究」(「学生の読書」第5集。1965年刊。)に所収〕


私は、ドストイエフスキイの作品を通して、自分の心に芽生えていたニヒリズムを、その究極の深さにおいて開示されるとともに、その底を割って開かれる雄大荘厳な宗教の世界に出逢わされたのである。これは私の生涯にとって決定的な意味を持つ事柄であった。


★久山康(くやま・やすし)は、哲学者。元関西学院大学教授。西宮市の「土曜会」(「ドストエフスキー研究」発行)の元主宰。

久山氏は、別な文章で、
ドストイエフスキイの作品のなかには、今日のニヒリズムと最も深く対決して、そこに高次の生命の世界を開き示すたぐい稀(まれ)な偉大な思想が展開されている。
とも述べています。





新城和一
『ドストイエフスキイ―人・文学・思想』(愛宕書房1943年初版)の「序言」のp14より。
※旧漢字は、現代の漢字に書き改めました。


ドストイエフスキイの独自性は、透徹な直感を以(もっ)て霊肉の秘密を掴(つか)み出して、人生を精細に観察し解剖したのみでなく、
彼には民族及び人類の運命に対する神経質な焦慮(=あせって気をもむこと。)があり、彼が霊肉の辛辣(しんらつ)(=手厳しい)争闘(そうとう。=闘争。)の中に、常により高きものに憧(あこが)れ、厭()くなき渇望を以(もっ)て苦しい葛藤(かっとう)の中に神性を探し求め、外部及び内部のあらゆる障碍(しょうがい。=障害。)と悪戦苦闘をしながら、(つい)に宇宙の魂に味到して(=を十分味わいつくして)、海の如(ごと)き広き愛の領域に肉迫した(=間近まで迫った)にあるのである。―途中、略― ドストイエフスキイが人類愛に到達するまでには、永い苦しい争闘の過程を踏まなければならなかった。彼もまた我々と同じく、肉と本能とに弄(もてあそ)ばれて人生の迷路を永い間、さ迷ったのである


★新城和一(んじょう・わいち。18911952)は、大正期から戦後にかけてドストエフスキー文学の紹介・啓蒙に活躍したドストエフスキー研究家。 元法政大学フランス文学部教授・陸軍士官学校フランス語教官。

氏は、特に、大正期に、雑誌「白樺」に、ドストエフスキーの文学や生涯のことを連載して、大正期における白樺派の文学者らのドストエフスキー理解に大きな影響を与えた。上の文章は、戦時中特有の誇張された美文調もやや感じられますが、「ドストエフスキーは、霊肉・善悪との永く苦しい闘争の中、より高いものへのあこがれを失わず、その闘争の末、人間の内の神性・宇宙の魂・人類愛という高い境地にまで到達していったのだ」という指摘は、ドストエフスキー(の生涯)のことをよく捉えている指摘だと私は思いました。 





荒 正人編著
『ドストエーフスキイ』(河出ペーパーブックス。河出書房新社1963年刊。)の「編者のことば」より。


ドストエーフスキイなしには、ロシア文学は存在しない。ドストエーフスキイなしには、現代の文学は存在しない。――いや、
ドストエーフスキイなしには、人類の精神的成果は存在しない。少なくとも、その一半(いっぱん。=半分。)は失われるであろう。ドストエーフスキイは、ホメーロス(古代ギリシャの詩人)、シェイクスピアなどにつづく、人類の栄光である。実存の深淵と同時に、天上の秘密をかいま見たこの天才の業績は、おそらく「聖書」にのみ匹敵しうるものであろう。「聖書」は、神の言葉を集めたものだが、ドストエーフスキイの世界は、一人の巨人が築きあげたものである。


★荒正人氏(まさひと。19131979)は、文芸評論家。




内村剛介
『ドストエフスキー』(「人類の知的遺産 51」。講談社1978年初版。)p13より。

    
ドストエフスキーは不埒(ふらち。=言動が限度を越しており、けしからぬこと。)で、色っ気の過多な、そして娑婆っ気(しゃばっけ)の多い男である。「不埒(ふらち)」とは埒(らち。=そこを超えることが許されない区切り。)を踏み越え法に外(はず)れることであろう。読者に対してもそうだ。彼はここでも埒(らち)を越える。俗悪といえるほど読者を気にする。エンターテイナーとしてサーヴィスこれつとめる(=サーヴィスにつとめる)のだ。ジャーナリストのいい面・悪い面を兼ね備えている。臭気(しゅうき)を悪く放つ男でもある。この臭気を彼は生涯気にかけた。
 

★内村剛介(19202009)は、 評論家・ロシア文学者。元、北海道大学・上智大学教授。  




小沼文彦
『随想ドストエフスキー』(近代文芸社1997年初版)p9p10より。


ドストエフスキーは、
現代に生きつづける作家である。ロシア大革命、第一世界大戦、第二世界大戦によって、ドストエフスキーの夢と理想は無残に打ち砕かれてしまったかに見えるが、その作品はいずれの国においてもますます多く読まれ、彼についての研究書、論文のたぐいはいまだにそのあとを断たぬばかりか、いよいよその数は増えるばかりである。それは百年後の今日にあっても、ドストエフスキーの予言的性格がますますその色彩を濃くし、彼の提起した問題はいまだ解決されぬままに、問題として残され、われわれにその解決を迫っているからにほかならない。
  

★小沼文彦(19161998)は、ドストエフスキー文学の翻訳家・研究家。筑摩書房刊の個人訳ドストエフスキー全集がある。
  




埴谷雄高
『ドストエフスキイ―その生涯と作品―』(NHKブックス31。日本放送出版会1965年初版。)p10p14より。


私達が歴史の大きな流れをすこし注意して眺めてみれば、二十年くらいの周期として、ドストエフスキイ熱とでもいうべき異常な傾倒の時代がやってくるのに気がつきます。―途中、略― そのように周期的にたち帰ってくるドストエフスキイという作家の目立った特徴をあげてみれば、まず、
成長する作家ということに気づきます。

     
★埴谷雄高(はにやゆたか・19101997)は、作家。

ドストエフスキーに対する上の「成長する作家」という埴谷氏の評は、つとに有名。同書のp14では、「
時代を越え、場所を越えて成長する作家」と言い換えている。




夏目漱石の言葉
赤木桁平(漱石の門人の一人)が聞いた漱石の言葉より。

          
(
トルストイとドストエフスキーは、)人として芸術家として非常に偉大な人々ではあるが、しかし、
『私』を捨てて人生に対する事ができなかった。その意味において彼等は神に離れることが、かなり遠い。
(
注:上の『私』は、漱石の言った有名な言葉「則天去私」の中の「私」の意味だそうです。)


★夏目漱石(18671916)は、大正5年に亡くなった明治の文豪。

ドストエフスキーは、たしかに、生涯、我執(我意、自意識)にとらえられて苦しんだ人間だと思うので、上の文の後半の「
『私』を捨てて人生に対することのできなかった」という言い方は、東洋的な「無私」の意味合いや境地も込められている言い方として、ある意味では、意味深長な含蓄が含まれていて、すこぶる面白い指摘だと思いました。もっと長生きして、(ほとんど学ぶことのなかったとされる)東洋の思想や精神を学ぶ機会がドストエフスキーに、もっとあったら、と私などは思ってしまいます。 
〔以上は、「意見・情報」交換ボードに98年の311日・313日に書き込んだ分に加筆してここに転載したものです。〕  
 


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