芥川龍之介著
『侏儒(しゅじゅ)の言葉』より。
ドストエフスキーの小説はあらゆる戯画(ぎが)に充(み)ち満ちている。尤(もっと)も、その又、戯画の大半は悪魔をも憂鬱(ゆううつ)にするに違いない。
★芥川龍之介
作家。1892〜1927。
『侏儒の言葉』には、外国の作家に対する芥川氏の一連の短評が含まれていますが、いかにも芥川氏らしき、気のきいた評言だと思いました。芥川氏がドストエフスキーの小説をどう読んだのかが窺(うかが)われる言葉としても興味深いです。芥川氏は、英文テキストで、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』は読んだとされています。 (芥川氏は、『罪と罰』を読み終えて、ある知人に、とりわけラスコーリニコフがソーニャとランプの下で聖書を読むシーンを実にtouchingだったと思ったと言ったそうです。) 東西の昔の物語や小説に取材して創作することの多かった芥川氏ですが、芥川氏の小説『蜘蛛の糸』『首の落ちた話』などは、ドストエフスキーの作品の中から、その題材を得ている、とする研究家の説があります。
アインシュタインの言葉
より。
ドストエフスキーは、どんな思想家が与えてくれるものよりも多くのものを私に与えてくれる。ガウス(19世紀のドイツの数学者。)よりも多くのものを与えてくれる。
★アインシュタイン
理論物理学者。1879〜1955。
ドストエフスキーの文学は、アインシュタインの専門の研究に、霊感を与えたとされています。
アインシュタインにおけるドストエフスキーのことについては、次の著書があり。
B・クズネツォフ著
『アインシュタインとドストエフスキー』
(小箕俊介訳。れんが書房新社1985年刊。)
小林秀雄の言葉
より。
ドストエフスキーは矛盾の中にじっと坐(すわ)って円熟していった人であり、トルストイは合理的と信ずる道を果てまで歩かねば気が済まなかった人だ。
★小林秀雄
昭和期の代表的な文芸・美術評論家。
1902〜1983。
近代ロシアの偉大なる二文豪の性格の相違の一面を、巧みに比較して述べていると思います。二人は、同時代の人間でありながら、会うことはなかったとされていますが、お互いに、創作においても、相当なライバル意識を持っていたようです。 (トルストイの『戦争と平和』はドストエフスキーの後期大作群の構想や創作に大きな刺激を与え、『カラマーゾフの兄弟』は、その二年前に完成を終えていたトルストイの『アンナ・カレーニナ』を意識して書かれ、ドストエフスキーの「作家の日記」
には、いくつかの『アンナ・カレーニナ』論が収められています。) トルストイが亡くなる前、最後の家出の直前に読みかけていた本はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』だったそうです。
ドストエフスキーと終生対面することはなかったトルストイですが、(ドストエフスキーの後半生の友人であったストラーホフは、トルストイとしばしば文通をしていて、トルストイはストラーホフを通してドストエフスキーのことをいろいろ知っていたようです。)
ドストエフスキーの作品を通してのトルストイのドストエフスキー評としては、次のようなものがあります。
・「ドストエフスキーは、私にとって、常に貴重な人だった。彼はおそらく、私が多くのことをたずねることのでき、また多くのことに答えることのできたただ一人の人であったろう。 (途中、略) 彼は真にキリスト教的な精神にあふれた人だった。」
(1885年のドストエフスキーの未亡人アンナとの会話より。)
・「ドストエフスキーは孔子か、さもなくば仏教徒の教えを知ったらよかったのだ。そうすればかれは気持ちが安らぎ落ち着いたことだろう。これは大事な点で、みんなこのことを知るべきだ。ドストエフスキーは自分では制御できない肉体をもっていた人だ。かれはあまりにたくさんのことを感じすぎたのだ。しかしかれは、考えることにかけてはだめだった。ドストエフスキーはこんなに読まれているけれども、みんな彼を理解していない。」
(ゴーリキーが聞いたトルストイの言葉。ゴーリキー『レフ・トルストイ』より。)
中川 敏の言葉
『トルストイかドストエフスキーか』(中川敏訳。白水社1968年初版。)の中川敏氏の「解説」より。
トルストイびいきはドストエフスキーを敬遠し、ドストエフスキーびいきは、トルストイを読もうとしない。
〔「意見・情報」交換ボードの[97年4月26日] に書き込んだ分 〕
★中川敏
なかがわさとし。英文学者・翻訳家。
上の指摘は、かなり「言えている」と思い、感心しました。 自分も現在でもその通りです。
なお、
ドストエフスキーとトルストイを比較して論じている本・論文としては、
・ザイチック著
『トルストイとドストエ
フスキーの世界観』(1893年)
・メレシコフスキー著
『トルストイとドストイェフスキー(T〜X)』
(1901〜1902年。植野修司訳。雄渾社1968〜1970年刊。)
・ブルガーゴフ著
『トルストイとドストエフスキー』
(1910年)
・ルカーチ著
『トルストイとドストエフスキー』
(1943年。佐々木基一訳。ダヴィッド社1954年刊。)
・ゼーガース著
『トルストイとドストエフスキー』
(伊東勉訳。未来社1967年刊。)
・ステイナー著
『トルストイかドストエフスキーか』
(1959年。中川敏訳。白水社1968年初版。)
・ポリス・サピア著
『ドストエフスキーとトルストイ
― 権力の問題をめぐって』
・ミルスキー
「ドストエフスキーとトルストイ」
(大西洋三訳。未来社1955年刊『ロシア文学小史』に所収。)
・野間宏
「トルストイとドストエフスキー」
(『知性』1955年4月号に所収。)
・近田友一
「トルストイとドストエフスキー ― 『アンナ・カレーニナ』をめぐって」
(『綜合世界文芸(19号)』1960年)
などがあり。
萩原 朔太郎著
アフォリズム集『絶望の逃走』より。
ドストイエフスキイは厖大(ぼうだい)の(=ぼうだいな)闇である。
★萩原朔太郎
詩人。1886〜1942。
近代日本の代表的詩人であり、古今東西の知識に通じた博識のすぐれた思想家でもあった萩原朔太郎は、ドストエフスキー文学の人道主義的な面の移入がすすんだ大正期において、ドストエフスキー文学の博愛的贖罪(しょくざい)思想に深く傾倒した、日本におけるドストエフスキー受容史上特筆すべき文学者である。
ちなみに、上の言葉に続けて朔太郎は次のように言っています。
「ニイチェは天に届く高塔である。ポオ(アメリカの小説家エドガー・アラン・ポー)は底の知れない深潭(しんたん。海の深淵。)である。 この三人は宇宙の驚異で、人力の及び得ない天才である。これ等(ら)の「恐ろしきもの」に比べれば、ボードレエル(フランスの詩人)はずっと遥(はる)かに人間的で、我等に近い常識を感じさせる。 ゲーテは偉大な文学者で、一切を包含する海である。 (途中、略) すべて私は、これらの教師から学んだ。」
アンリ・トロワイヤ著
『ドストエフスキー伝』(村上香住子訳、中央文庫1982年刊。)より。
「到達せざることにおいて、人は偉大になる」とゲーテは言っている。ドストエフスキーは、到達しなかったからこそ、偉大なのだ。
★アンリ・トロワイヤ
ロシア生まれのフランスの小説家・伝記作家。
1911〜2007。
トロワイヤ氏の力作ドストエフスキー伝記の終わりに置かれてある言葉。ドストエフスキーとその文学を評した言葉として、含蓄の深い言葉だと思います。
中村 健之介著
『ドストエフスキー人物事典』(朝日選書。1990年刊。)より。
画一化と管理統制による幸福論に対するドストエフスキーの嫌悪は、生来のもので、感覚あるいは体質と言ってよい。ドストエフスキーは、予定されたり、定められたりして、変更がないということ、あるいは、二二が四のようにそれ以外ではないということには、我慢がならない体質なのである。
★中村健之介
ドストエフスキー文学の研究家・翻訳家。現代日本の代表的なドストエフスキー研究家の一人。現在、東京大学教授。
1939〜。
ドストエフスキーの性格の一面が鋭く指摘されています。中期の小説『地下室の手記』の前半の主人公「私」の傾向を要約すれば、上の文章のようになるのでしょう。ドストエフスキーのこういった性格は、しつけの厳しかった父親から押しつけられた規律・監視ずくめの幼少年期の家庭生活に対する反動として生じたとする説もあるようです。
五木寛之の言葉
『文芸読本ドストエフスキー(T)』(河出書房新社1976年初版)所収の文章のp133より。
(途中、略) ドストエフスキーは<ゆるす>人であり、 (途中、略) だがドストエフスキーの<ゆるし>かたに甘えているわけにはいかない。彼の<ゆるし>ている目の奥には、何かひどく恐ろしいものがあるような気がする。
★五木寛之
作家。1932〜。
一読して、ハッとする指摘だと思いました。
早稲田大学露文科を卒業している五木氏は、対談などで、しばしば、ドストエフスキーに言及していて、ドストエフスキーについて一家言(いっかげん)を持っていらっしゃるお方です。
江川 卓訳
『罪と罰』(旺文社文庫)の上巻の「解説」より。
ドストエフスキーはしばしばトルストイと並んで、十九世紀ロシア文学にそびえる二つの巨峰に比較される。いや、たんにロシア文学だけでなく、世界文学の巨峰ともいえるだろう。およそ文学に関心をもつほどの人が、一度はかならずその作品の世界にふれ、そこから受けた感銘の質と強さによって、生涯の文学的趣味の方向をさえある程度決定づけられるような作家――それがドストエフスキーである。
★江川卓
えがわたく。ロシア文学者・ドストエフスキー研究家。現代日本の代表的なドストエフスキー研究家の一人。
1927〜2001。
新潮選書の『謎解き「罪と罰」』(新潮社1986年初版)は、ドストエフスキーの名作『罪と罰』を新たに解明した本として広く話題となりました。
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