ドストエフスキーへの評言8
(更新:24/04/24)
http://ss390950.stars.ne.jp/BT-2.gif



レヴィーツキイ
『ロシア精神史』(高野雅之訳。早稲田大学出版部1994年初版。)の第7章「ドストエフスキー」のp187より。


ドストエフスキーの人間観によれば、
人間は生まれながらに罪深いものだとはいえ、罪に圧(あっ)しつぶされてはいない。堕落し、反抗的な人間の本性を通して、人間のなかの神の姿が常に垣間見(かいまみ)えているのであるドストエフスキーは、世界のなかの悪の力を誰よりもよく知っていた悪の根源は、たんに感覚的な誘惑やエゴイズムにあるのではなく、なによりも精神の罪深い熱狂にこそあるのだ、ということを彼は理解していた。宗教から切り離された道徳にたいし、彼は予言するかのようにこう警告する。「当然うまくいくものと、ひとびとは考えている。しかし、キリストを拒否したなら、その結果、世界は血の海と変わるだろう。なぜなら、血は血を呼び、剣を抜いた者は剣のために滅びるからである。もしキリストの誓約がなかったら、地球上の人間は最後の二人になるまで、たがいに食いつくすことになるだろう。

      
★レヴィーツキイ氏(19081983)は、ラトヴィア出身のロシア哲学史家・政論家。元ジョージタウン大学・ワシントン大学講師。

心打たれる、考えさせられる文章です。「悪の根源は、たんに感覚的な誘惑やエゴイズムにあるのではなく、なによりも精神の罪深い熱狂にこそあるのだ」という箇所なども、ドストエフスキーの考えを洞察していて、含蓄が深いと思いました。上に引用されているドストエフスキーの言葉の中の「
キリストを拒否したなら、」という言い方は、ドストエフスキーのキーワードの一つ。後方の「キリストの誓約」の意味は、ちょっとわかりにくいながら、キリストの説いた精神を忘れることなく、キリストが説いた「愛の実践」ということを各国・各民族の首脳や人々ができるだけ実践しようと誓い合う、ということでしょうか。




大塚幸男
『ヨーロッパ文学思潮史』(白水社1963年初版。)の項「ドストエフスキー」のp275p276より。


彼の生涯はイエスのそれを思わせる《十字架の道ゆき》であった。彼をつくったものは暗澹(あんたん)たる不運と、貧困と、病気とであった。
不幸な体験を重ねたあまりに、彼の神経はいやが上にも磨()ぎ澄()まされた。こうして彼は世の常の限度を超えて、神秘の領域と交感するに至った彼の流儀は悲劇的である。ギリシア的な意味での、すなわち《聖なる高揚》という意味での悲劇的である。……善と悪とは互いに独立して、ひとしく聖なるものであり、神の摂理(せつり)を釣り合わせるものであるということ。そして苦悩の強さは、極限に達すると《時間》を浄化し、解放し、廃止して、よろこびとなり、永遠のいのちの概念をかいま見させるということ――これが彼の最後の三つの大作にうかがわれるキリスト教的思想の要素である。それは一口にいえば苦悩の宗教であり、苦悩のうちに彼は神秘的な幸福のカギを見る。そして罪の神聖さ――人間の汚(けが)れと贖罪(しょくざい)とを信じる。彼をしてこのような宗教的神秘主義に達(たっ)せしめたのは、彼自身の世の常ならぬ苦しみの生涯、さては彼が流刑中に読むことを許されていた唯一の書物であった福音書の絶大な影響とともに、その背後に横たわっていた当時のロシヤの暗澹(あんたん)・苛酷(かこく)な出口のない社会であった。


★大塚幸男(きお。19091992)は、フランス文学者。元福岡大学教授。

ドストエフスキーの苦悩や不幸がドストエフスキーに何をもたらしたか、について述べている文章であり、考えさせられるものがありました。「苦悩の強さは、極限に達すると《時間》を浄化し、解放し、廃止して、よろこびとなり、永遠のいのちの概念をかいま見させるということ」の箇所は、今一つわかりにくいですが、ドストエフスキーの癲癇(てんかん)発作の直前の至高の神秘体験のことを踏まえて言ったのでしょうか。「その背後に横たわっていた当時のロシヤの暗澹(あんたん)・苛酷(かこく)な出口のない社会」について我々読者や研究家は、もっと意()を向けるべきなのかもしれません。




ツヴァイク
『三人の巨匠』の「ドストエフスキー」のp127p128p130より。〔ツヴァイク全集巻8(みすず書房1974年刊)に所収。神品芳夫訳。〕


  (途中、略) 
このような運命への隷属状態のうちにありながら、ドストエフスキーは、謙虚と認識とによって、いっさいの苦悩の偉大な克服者となり、新約時代以来のもっとも強力な伝道者、価値の転換者となった。彼の肉体が顛落(てんらく。=転落)してゆけばゆくほど、彼の信仰はますます高く飛翔(ひしょう)し、彼が人間として悩めば悩むほど、幸福の思いのうちに世界苦の意味とその必然性を認識するようになる。  (途中、略)  この選ばれた人間にとっては、いかなる呪いも祝福と変(かわ)り、いかなる屈辱も高揚と化する。シベリヤで、足を鎖(くさり)でしばられながら、無実の自分に死刑の宣告をした皇帝にささげる讃歌をつくり、私たちにはまったく理解しかねる謙虚さで、自分に体罰を加える刑吏(けいり)の手にくりかえし接吻を与える。彼はいつでも、ラザロ(注:新約聖書に出てくる、イエスによって死後蘇生した人物。)のように棺(かん)からよみがえり、人生の美しさを確証する気がまえをもっている。毎日直面する死、痙攣(けいれん)や癲癇(てんかん)の発作から身をふるいおこし、口のまわりに泡(あわ)を立てながら、この試練を贈ってくれた神を讃(たた)える。すべての悩みが、彼の開かれた魂のなかに、悩みへの新たな愛を生み、新たな殉教者の冠を切望する鞭打(べんだ)苦行者の渇(かわ)きを生みだす。運命が烈(はげ)しく彼を打つとき、彼は血を流して倒れながら、さらに次の鞭(むち)を欲しがって坤(うめ)き声をたてる。自分に落ちかかる稲妻の光をもすべてつかまえて、うっかりすれば自分を焼きほろぼすかもしれないその火を、創造的陶酔へ彼を導く霊魂の火に変える。内的体験がもつこのようなデーモン(=芸術活動などを助け、インスピレーションや活力を与える霊)のもつ変化力に対面しては、外面的運命はすっかりその支配権をうしなってしまう。一般に罰とか試練とか思われているものが、この知者にとっては助けとなり、普通の人間なら挫折してしまうはずのつまずきが、この作家にとっては真に立ちあがる契機となる。弱者なら粉砕されてしまうはずの強い外的な力も、この陶酔家にとっては、自分の力を強めるのにプラスとなるばかりである。  (途中、略)  ドストエフスキーは、あらゆる災厄をプラスに変え、あらゆる屈辱を価値に変える人間であるから、もっとも過酷な運命こそもっとも彼にふさわしい。彼は、自分の存在の外的な危険のなかから、もっとも高い内面的真実をひき出してくる。彼にとっては苦痛が収得となり、悪徳が高揚となり、障害が原動力となる。シベリヤ、苦役、癲癇(てんかん)、困窮、賭博簿、淫蕩(いんとう)など、生存のあらゆる危険が、デーモンの価値転換力によって、彼の芸術のなかで実りと化する。人間が鉱山のもっとも暗い地底から、一番高価な金属を掘り出してくるように、芸術家も、いつもその資質のもっとも危険な深淵(しんえん)から、もっとも大切な真実を、その人にとっての窮極の認識をとり出してくるのである。芸術的にみれば一つの悲劇てあるドストエフスキーの一生は、倫理的にみれば、比べるものなき一つの大きな人間的成果てある。なぜなら、彼の一生は、自分の運命に打ち勝った人間の記録であり、外面的生存を内面の魔術によって価値転換した人間の実例を示すものだからである。病弱な肉休を克服した精神的生命力の勝利というものは、まことにたぐいなきものである。ドストエフスキーが病人てあったこと、そして彼の青銅のような不滅な作品が、ひびの入った弱々しい肉体と、痙攣(けいれん)のため赤い炎をあげてゆらめく神経とからかち得られたものだということを、私たちは忘れてはならない。


★ツヴァイク(18811942)は、オーストリアの作家。ドストエフスキーは生涯の苦難や逆境にどう対処しそこから何を得ていったかが鋭く指摘されていて、読みごたえがありました。ツヴァイク氏の上書の「ドストエフスキー」は、ドストエフスキーへの礼賛や誇張表現や同内容の反復表現が目立つ本ですが、ドストエフスキーという人物とその活動の意義や価値を深く掘り下げて情熱的に論じた名著。




開高 健・筆
『世界の名作・9―罪と罰』(集英社版コンパクト・ブックス。原久一郎訳。1964年初版。)に寄せた文章より。


ドストエフスキーの作品を読むとき、交響曲を聞いているような気持(きもち)になる。生の混沌とした奔流のなかで彼の主人公たちは自分自身の原理と原則を求めつつ、虚無から歓喜までのあらゆる感情を味わいつくそうとする。その領土は広大で深く、果てしない。高貴と下劣、善と悪、美と醜、清冽(せいれつ)と腐敗、男女たちが薄明の荒野で叫びかわす声が空にとどろき土に流れる。この世界の魔力は一度味わうと背骨にしみて離れなくなる。


★ 開高健(いこうたけし。19301989)は、故作家。




光文社編集部・筆
光文社古典新訳文庫のドストエフスキーの解説文より。


      
ロシア帝政末期の作家。60年の生涯のうちに、以下のような巨大な作品群を残した。『貧しき人々』『死の家の記録』『虐げられた人々』『地下室の手記』『罪と罰』『賭博者』『白痴』『悪霊』『永遠の夫』『未成年』そして『カラマーゾフの兄弟』。
キリストを理想としながら、神か革命かの根元的な問いに引き裂かれ、ついに生命そのものへの信仰に至る。日本を含む世界の文学に、空前絶後の影響を与えた。


「生命そのものへの信仰に至る」という指摘は、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』など、晩年の著作において達した人間観を捉えていて、鋭いと思う。




BOOK編集部・筆
BO
OK著者紹介情報」のドストエフスキーの「著者略歴」より。



ロシアの小説家。キリスト教に基づく魂の救済をつよく訴えた。実存主義の先駆者とも言われる。



http://ss390950.stars.ne.jp/BT-2.gif