ドストエフスキーの
人となり(人物像・性格など)

(更新:24/07/27)
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私の気付きも含めて、諸家が指摘するドストエフスキーの人となりについて、以下、(1)(12)を挙げた。


(1).
氏は、躁・鬱(そう・うつ)や「てんかん」の持病などによる、
「明・暗」の気分の変化が激しい人だった。
「明」の気分の時は、明るくやわらかな気分になり、誰にでもやさしくなって「全人類を抱きしめたい」という欲求がわいてくるのだが、「暗」の気分になると、なにもかもが不快で、陰鬱でとげとげしい気分になり、楽しそうな人を見るとわざわざ毒のあることを言いたくなる、といったふうで、その結果、罪悪感や時に自殺衝動にも襲われるといった、ままならぬ「気分の分裂交替」に悩まされた。
[以上は、中村健之介著『ドストエフスキーのおもしろさ』p80p81より。]


(2).
氏は
几帳面で清潔好きであった。服や身の回りの物は、いつも、こぎれいにし、整理整頓されていた。
自宅にいる時も正装していて、シャツの襟(えり)と袖口(そでぐち)は、つねに雪のように真っ白だった。
兄の没後に兄の負債の多くを引き受けた時や週刊新聞『市民』の編集長を一年間担当した時などは、与えられた仕事や責務は、責任を持って細かく几帳面にやり抜く人間だった。
一方で、
賭博や恋愛や思索の場合など、
物事にいったん熱中したとなると、徹底的に行ない、限度を越え極端までいかなければ止()まないような面もあった。


(3).
氏は、
自意識過剰の気味があり、青年期を中心に、社交の場や知らぬ人の対面においては、意識し過ぎ緊張し過ぎで、しばしば態度や言動がぎこちなく、抑制がきかなくて失笑を買う振る舞いや挙動も多かった。
自尊心・うぬぼれの強い氏は、自分や自分の作品が、他人からどう思われ、どう批評されているか、を常にたいそう気にしていた。
自分は人から嫉妬されているのではないか馬鹿にされているのではないか、といった
被害妄想意識も強かった


(
).
ドストエフスキーは日頃笑うということがほとんどなかった、とする小沼文彦氏の指摘もあるが、親しい身内の間では、彼は、くつろいでいることが多く、しゃれや冗談を言ったり、茶目っ気もあった。
大の子供好きであり、幼児のあやしもうまく、子供や若い女学生から、不思議と好かれた。


(
).
氏は、謙虚で寛容な人間でありながら、一方で、
猜疑(さいぎ)心や嫉妬心が強かった。
社交の席で、妻アンナが他の紳士と談笑しているのを見たとなると、氏は、嫉妬(猜疑)の心に苦しめられた。(これは、氏が
自分の妻子をたいそう愛していたことの裏返しとも言える。)
また、他人から一度受けた侮辱を氏は長く忘れず、ツルゲーネフとの場合のように、機会を見つけて、のちに執念深くその仕返しをしている。


(
).
氏は、
お人好しで、友人の言葉を信じ、頼まれた依頼は断りきれず多くを受け入れ、困っている人には、惜しみなく施しや親切を提供する世話好きで人情家であった。
女性には甘い
フェミニスト・女性崇拝の傾向もあった。
氏は学生時代から
浪費癖があって借金につねに追い回されていたことは知られているが、父や兄の死後、氏が多くの養うべき親族かかえて、彼らの無心に対して、氏は、断りきれず、金品を提供した、ということも、一原因だったようである。
個人雑誌を刊行している間、老若男女の購読者から送られてきた手紙には、すべてきちんと返事を書き、彼らの身の上相談にもいろいろと親切にのってあげている。


(
).
氏は、
自分の志を許さない環境にありながら、やがて来る解放をめざして黙々と実力をたくわえる、そういう努力家の面があった。
それと同時に、氏は少年時、両親から「フェージャは火の玉だ」といわれていたが、一度(ひとたび)こうしようと決めると実行するときは、無謀と見えるほどいさぎよく大胆にその道へ踏み出して迷いを見せない。後に何度か人生の窮地の立たされたときも、氏の、この堅実な努力家であり、かつ、
大胆な行動家の面がはっきりあらわれる。
(
以上は、中村健之介氏の指摘。)
氏は、「猫の活力」と自ら称する、ずば抜けた肉体的活力や精神力を持っていて、
逆境に強く、逆境の中でこそ逆に、氏は、希望を燃えたたせ、底力を見せて、自己の真価を発揮している、という面がある。
『罪と罰』『白痴』『悪霊』に見られる、ドストエフスキー的と言える「小説の創作力」は、頻繁なるてんかん発作に苦しめられながら、放浪・窮迫の中で、集中され発揮されている。


(
).
氏は、
管理統制・画一化された中で、予定されたり定められたりして変更がないということ、あるいは、二二が四のようにそれ以外ではないということには、我慢がならない体質だった。
(
以上は、中村健之介氏の指摘。)
また、氏は、
一方の極に安易にすぐに行きついたりすることをあえて敬遠しようとした。作中にもしばしば現れる通り、幸福恐怖症の傾向があった。
そういう点で、氏は、つねに、物事を、理性や合理主義で裁断することを好まず、物事を、その内なる矛盾・対立のまま捉え、自己のうちの二重性をあえて引き受けて、その板挟(いたばさ)みに常時苦悩し引き裂かれつつも、結果として、この世界や人間のうちの善悪の深淵をうかがい、善への憧憬を失わず、この世の物事を豊かに見、自己の内面を豊かに深めていった人だと言える。


(
).
氏は、自分の過去の罪ある行為に対する
罪意識が人一倍強く、それらに対する罪意識に長く苦しんだ。
が、一方で、普通の人なら胸にしまいこんでおく
自己の過去の罪ある行為を、知人に臆面(おくめん)もなくあっけらかんに話してまわる性癖(せいへき)もあった。一種の露出症があったとする指摘もある。氏は、人に、好んで自分の過去の身の上話をした。
苦悩・苦痛の価値も認めるなど、氏には
自虐的なマゾヒズムの傾向があったと言える。
氏は、苦悩を自ら求めるというロシア人の才能を踏まえて、犯した罪やエゴイズムに陥ってしまう罪は、当人のその後の苦悩を通して、相殺され・浄化される、また、幸福は苦悩を通して獲得される、という考えを持っていたようである。


(10).
氏は、「思考・哲学」型の作家(人間)というよりは、むしろ
「気分・感覚」型の作家(人間)だった。
(
以上は、中村健之介氏の指摘。)
※、この中村氏の指摘には私は全面的には賛同しかねますが、やはり、ドストエフスキーの一面として、大事な指摘だとは思う。


(11).
氏は、
夢想家の傾向があった。特に孤独で自閉的な生活が続いた氏の青少年期は、幼少期に聞かされた聖書の話・古今東西の小説の読書・青年期の空想的社会主義の友愛の思想などの影響のもと、一人、夢想にふける傾向が強かった。
氏の小説からうかがえる
氏の心の限りないやさしさや、人間間(かん)における友愛・ゆるしの思想は、氏の先天的な資質のほかに、氏のそういった夢想にふける傾向からも醸成(じょうせい)されてきた、とも言えるのではないかと思う。


(12).
「ドストエフスキーについて人々が言っている特徴のなかで癲癇(てんかん)性格に合致しないものを探すのがむずかしいくらい、ドストエフスキーは典型的な癲癇性格者なのである。」
〔精神科医でもあった作家加賀乙彦の言葉〕




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