ドストエフスキーの持病
(更新:24/02/13)
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(1)

・遺伝とみなされている「癲癇(てんかん)」の持病に生涯悩まされ、苦しんだ(25歳?〜晩年)

生涯、てんかんを、四百〜五百回起こした(平均して、月に一、二回。ひどい時期には一週間に一回。)とされている。

何らかの心の衝撃を受けた直後や、自分の結婚式のあとなどの幸福感につつまれている時期や夜中(睡眠中にも)に、しばしば、てんかんの発作に見舞われている。

てんかんの発作の前は、気分の高揚が続き、創作も活発に行われ、てんかんの発作が始まる直前には、数秒間にわたって
自己の生命(意識)が愉悦・調和あふれる浄福感に包まれるという神秘的な至高体験を氏は体験している。
ただし、この神秘体験は、『白痴』などに描かれたものとして、ドストエフスキーの「創作」に過ぎない、と断定する医学者の研究報告もあり。

一方、発作が起こると顔・叫び声ともに悲惨な様相を呈し、そのあとには朦朧(もうろう)状態、次に、 意識を失った睡眠状態に陥り、その仮死状態ともいうべき間にそのまま自分は死ぬか狂うかしてしまうのではないかという
死や発狂への恐怖感に、氏は、しばしば、とらえられている。発作が起こってから数時間後に意識が戻ってからも、一週間は、頭痛や頭の混乱を初め、仕事に手がつかない憂愁で気がめいる虚脱状態が続き、温めていた小説の内容や知人の名前など、過去の記憶が一時失われるという困った状態も生じた。
てんかんの発作によって、氏は意識を失ってドッーと倒れ、のたうちまわるので、氏の顔などには、生傷が絶えなかった。後期の大作群は、てんかん発作を恐れつつ、てんかん発作を間において、創作されている。

ドストエフスキーに見られる諸性格や創作の営みは、氏のこの癲癇体質の影響が大きい、とされている。

※、
ドストエフスキーのてんかん発作の実際については、 結婚後10日にして妻アンナが目のあたりにした夫の「てんかん」発作の様子として、

・アンナ・ドストエフスカヤ著『回想のドストエフスキー(上・下)』の第4

に詳しく記されている。
その箇所は、加賀乙彦著『ドストエフスキー』(中央公論新書。1973年初版。市販中。)p64p67で引用・解説されている。
小説中に描かれたものとして、

『白痴』の第2編の5の中の分(新潮文庫の上巻のp419p421p435p436)
『悪霊』の第3編の第5章の5の中の分(新潮文庫の下巻のp394p396)

などで詳しく描写している。


(
)

・少年期(15)には、咽喉(いんこう)を病み、発音不明瞭、声が出なくなるという事態を招いたこともあった。

53歳ごろから、
肺気腫(はいきしゅ)の病を得た。都市ペテルブルグの環境や煙草の吸いすぎが原因とされる。
晩年は、
(のど)の病に苦しめられ、 咳やぜんそくにもしばしば見舞われ、しだいに身体も衰弱し、しばしばドイツの鉱泉地エムスで療養するも、 最期は、肺気腫の悪化による出血(肺動脈破裂)が氏の命取りになった。


(
)

・学生時代や青年期には、自閉的な文学青年の常として、顔の肌つやが悪くて、
てんかん体質からくる、しばしば見舞われる強い鬱(うつ)状態・神経過敏・妄想、不規則な生活を続けていることからくる、神経の不調神経症(心気症)の症状があった。

※、24歳の時の氏を三ヶ月の間診察治療した
医師ヤノフスキーの診断によれば、当時の氏には、 腫脹(この病はその間、治療された)、神経症からくる頭痛を伴うめまいや発作、 神経質な人によくある不規則で早い脈拍、 といった症状が見られた。

・氏は、青年期に、時に
幻覚幻聴に見舞われ、それが小説に大事なヒントを与えるということもあったが、氏は晩年に至るまで長きにわたって、「opii banzoedi」という睡眠剤の常用者だったことが知られている。 この薬は、アヘンを含んでおり催幻作用も持っていた。
〔 以上は、中村健之介著『知られざるドストエフスキー』のp207より。〕


(4)

・氏は、青年期、妻マリヤの看護にあたった時期(42歳の冬。この時期には、てんかんの連続や
膀胱炎にも苦しんだ。)

・欧州滞在中(44)には、坐って仕事ができないほどの
()の病気(痔による出血)にも苦しんでいる。

・甘い食べ物が好きだった影響か、『地下室の手記』にも言及があるように、生涯、
歯痛にも苦 しんでいる。(ドストエフスキーは、中年期からすでに、「部分入れ歯」を使用していた。)



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