ドストエフスキーの影響
が見られる曲
(1〜9)
投稿者:
Seigo、ミエハリ・バカーチン
(1)
[795]
ドストエフスキーと後世の曲
名前:Seigo
投稿日時:10/04/28(水)
後世の古今の邦楽洋楽の曲のうち、
・歌詞や内容にドストエフスキーの作品からの影響が感じられる曲
・歌詞や内容にドストエフスキーの作品の思想やテーマと重なるものがある曲
があったら、挙げていきましょう。
(2)
[796]
辛島美登里「サイレント・イブ」と
『地下室の手記』
名前:Seigo
投稿日時:10/04/29(木)
ドストエフスキーの作中のシーンに重なる曲と言えば、
ページ内の音楽トピに投稿した、
辛島美登里の名曲
「サイレント・イブ」
(作詞作曲:辛島美登里)
の冒頭
♪真白な粉雪人は立ち止まり
♪心が求める場所を思いだすの
は、
ドストエフスキーの小説『地下室の手記』の第U部末の、
主人公が外へ駆け出して降りしきる雪に立ち止まって降る雪を見上げるシーン
(または、第T部末の、ここ数日ぼた雪が降り続く中、主人公が昔のこと
を思い出すシーン)
に重なりました。
実際において、
冒頭及びタイトルで使用している語句、
「白」「立ち止まる」「思いだす」「心が求める」「サイレント(静かな)」等
(以上の表現は、その第U部末の箇所を中心に、江川卓訳の『地下室の手記』の中にあり!ただし「ぼた雪」と「粉雪」の違いなどはあります。)
の面から言っても、
辛島美登里さんは、『地下室の手記』のそれらの箇所や表現を頭において
「サイレント・イブ」の冒頭
を、
さらに言えば、
その歌詞が突飛な感じで出てくる点から言っても、
歌詞の2番の冒頭、
♪本当は誰れもがやさしくなりたい
♪それでも天使に人はなれないから
も、
『地下室の手記』の中の箇所
「ぼくにはなれないんだよ……善良な人間には!」
(第U部の9内)
を、頭において作詞したのでは?
(両者にこれほど対応が見られるということは、、、いつか、一度、辛島美登里さんに尋ねてみたいものです。)
(3)
[797]
歌詞にドストエフスキーの作中
の思想が見られる曲(1)
名前:Seigo
投稿日時:10/04/29(木)
・松原みき
「真夜中のドア-StayWithMe」
♪恋と愛とは違うものだよと
♪昨夜言われたそんな気もするわ
・MYLITTLELOVER
「ALICE」
♪いつだって恋だけが素敵なことでしょう
♪いとしいあなたの心の中のぞいてみる
♪誰だって恋だけじゃ愛にたどり着けない
・森進一
「女のためいき」
♪ほれているから憎いのよ
いずれも『カラ兄弟』のドミートリイの言葉や考え!
「惚れるってことは、愛するって意味じゃないぜ。惚れるのは、憎みながらでもできることだ。おぼえておくといい!」
(『カラマーゾフの兄弟』
第3部第3章)
(4)
[798]
国分友里恵「憧憬」と
イヴァンの言葉
名前:Seigo
投稿日時:10/04/29(木)
国分友里恵の神聖に澄み渡る美しい名曲
「憧憬(あこがれ)」
(作詞・歌:国分友里恵、作曲:岩本正樹。
※作曲の岩本正樹氏は国分友里恵さんの御主人。)
の、
こぼれる落葉が大地を包んで行く
木々はやがて来る緑を讃えて眠る
明日を疑って戸惑う夜には
瞳を閉じてあなたを想う
遠く離れていても
君だけだよって言って愛してるって
あなただけのメロディーで
近くに居ることを確かめたい
いつでもあなただけを
この世に生まれてあなたと会わなければ
生きてる歓び知らないままで居たでしょう
会えない時間さえ愛しさに変わる
あなたが居ればあなたが居れば
温かくなれるから
は、
『カラ兄弟』でアリョーシャに向けてイヴァンがしみじみと述べる言葉、
「おい、アリョーシャ」
とイヴァンはしっかりした声で言いだした。
「もしぼくがほんとに粘っこい若葉を愛せるとするなら、それはおまえを思い起こすことによって、はじめてできることなのだ。おまえがこの世界のどこかにいると思っただけで、ぼくには十分だし人生に愛想もつかさないでいられる。」
(米川正夫訳。『カラマーゾフの兄弟』の第3編の第8「兄弟の接近」より。)
に重なりました。
国分友里恵さんの曲もイヴァンの言葉も、国分夫妻とドストエフスキーのスタンスを考えれば、「あなた」「アリョーシャ」の向こうに、私たちを見捨てずに見守ってくれている「神」の愛が重ねられていると言えるのでしょう。
(5)
[799]
歌詞にドストエフスキーの作中
の思想が見られる曲(2)
名前:Seigo
投稿日時:10/04/29(木)
・馬場俊英の名曲
「スタートライン」
♪優しい人にばかり
♪悲しみは降りかかる
…………
「愛情に満ちあふれた心には、悲しみもまた多いものである。」
(ドストエフスキーの
小説『小さな英雄』より。)
・スガシカオ
「奇跡」
♪無限の未来と自由って
♪なんか薄っぺらくって…
…………
「無限の自由は無限の専制でもって終わる。」
(『悪霊』のシガリョフが語った命題。)
(6)
[800]
椎名林檎「罪と罰」と
『罪と罰』
名前:Seigo
投稿日時:10/04/29(木)
・椎名林檎
「罪と罰」
(2000年1月発売の6stシングル。作詞作曲:椎名林檎・編曲:亀田誠治、椎名林檎。)
♪頬を刺す朝の山手通り
♪煙草の空き箱を捨てる
♪今日もまた足の踏み場は無い
♪小部屋が孤独を甘やかす
♪不穏な悲鳴を愛さないで
♪確信出来る現在だけ重ねて
♪あたしの名前をちゃんと呼んで
♪身体を触って必要なのは是だけ認めて
有名なドストエフスキーの名作『罪と罰』のことは、林檎さんは知っていただろうし、上の前者の歌詞は、私には、屋根裏部屋のラスコーリニコフのことに、重なりました。
上の後者の歌詞の部分も、ラスコーリニコフへ向けたソーニャの言葉だと全く言えないことも無いでしょう。
(7)
[801]
尾崎豊「銃声の証明」と
スメルジャコフ
名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:10/04/29(木)
・尾崎豊
「銃声の証明」
(1990年11月発売の5thアルバム『誕生』に収録。作詞作曲:尾崎豊。)
大韓航空機爆破事件の女性テロリスト金賢姫にインスパイアされて書かれた、テロリストの内面へのアプローチを試みた問題作。
俺は貧しさの中で生まれ親の愛も知らずに育った
暴力だけが俺を育てた
(尾崎豊/銃声の証明)
白痴女リザベータ・スメルジャーシチャの遺児スメルジャコフは、「親の愛も知らず」、養父グリゴーリイの「暴力」によって育てられ、長じた後、かねて自身の実父という噂のあったフョードル・カラマーゾフを殺害するに至りましたが、僕は尾崎の「銃声の証明」を聴くたびにスメルジャコフのことを思い出してしまいます。
Woo権力を潰すことだけを教えられてきた俺はテロリスト
Woo平和など生み出せやしない俺の命はテロリスト
この世に生きる人々の一人一人に責任があるならこの革命と一緒に命を共にするんだ
Woo生きていることに罪を感じることなく生きる人々よ
Wooおまえはこの世のテロリスト俺を育てたテロリスト
(尾崎豊/銃声の証明)
(8)
[810]
左卜全&ひまわりキティーズ「老人と子供のポルカ」とステパン氏
名前:Seigo
投稿日時:10/05/23(日)
左卜全&ひまわりキティーズのヒット曲、
「老人と子供のポルカ」
(1970年。作詞作曲:早川博二。)
♪(たすけてー)
♪ズビスバーパパパヤー
♪やめてケレやめてケレ
♪やめてケーレゲバゲバ(ジコジコ、ストスト)
♪やめてケレやめてケレ
♪ゲバゲバパパヤー
♪ラララランランララララ
♪ゲバゲバーランランランラララ
♪ゲバゲバどうしてどうして
♪ゲバゲバパパヤー
♪おお神様神様たすけてパパヤー
をあらためて聴いたところ、
その歌の内容(内ゲバ、労働者たちのストライキ)や左卜全翁の好々爺ぶりから言っても、
『悪霊』で回心へと向かうステパン氏
が叫んで歌うような曲と言ってもいいような歌だと思いました。
ちなみに、
左卜全氏は、黒澤明の映画「白痴」で、ステパン氏ならぬ、軽部(かるべ=レーベジェフ)を好演(快演、怪演)してますね。
(9)
[925]
中島みゆき「時代」・平井菜水「誕生物語」と『罪と罰』のテーマ
名前:Seigo
投稿日時:10/10/31(日)
中島みゆきの名曲
「時代」
の歌詞、
♪まわるまわるよ時代はまわる
♪別れと出逢いをくり返し
♪今日は倒れた旅人たちも生まれ変って歩きだすよ
♪今日は倒れた旅人たちも生まれ変って歩きだすよ
(以上、末部)
及び、
平井菜水(なすい)の名曲
「誕生物語」
(作詩:田久保真見、作曲:筒美京平、
編曲:萩田光男。テレビ番組「知ってるつもり?!」のエンディングテーマ(92年)。)
の歌詞、
♪忘れないで
♪胸に宿る悲しみは
♪やがて育ち終りのない愛になる
♪こころの痛みのあとに
♪生まれてくる憧れを
♪ああ
♪強く抱いてあげたい
(以上、冒頭)
♪泣かないで泣かないで
♪ひとは別れても
♪だいじょうぶだいじょうぶ
♪ひとはめぐり逢う
♪
♪愛を知って
♪生まれ変わる
(以上、末部)
は、いみじくも、
・愛が二人をよみがえらせた。
・その人間がしだいに生まれ変わり、
(『罪と罰』「エピローグ」の末部)
という『罪と罰』のテーマを歌っていると言ってよいでしょう。
ドストエフスキーの影響
が見られる映画・ドラマ
(1)
投稿者:
Seigo
※ ※ ※
ドストエフスキーの作品を踏まえ
て制作されている欧米の映画
( 1 )
(1)
[5]
ドラマ「JIN-仁-」と
ドストエフスキー『白痴』
名前:Seigo
投稿日時:18/05/08(火)
更新:24/02/12
先々月、良作の
テレビドラマ「JIN-仁-」(第一期11話は2009年に第二期完結編11話は2011年に放送)
の全話を観た。
以前観ているので、観通(みとう)したのはこれで2回目だった。当ドラマは、ドラマとしてよく出来ており、心に触れる名シーンも多くて、観てあらためて楽しませてもらったが、今回は、当ドラマ「JIN-仁-」の主な登場人物の設定とその相関図が、ドストエフスキーの小説『白痴』のそれに、いろいろと似ていることに気付いたのだった。
主要登場人物においてその対応ぶりを述べてみると、
タイムスリップして現代から幕末へ行くことになる主人公の脳外科医・南方仁(みなかたじん)〔演じるは大沢たかお〕は、療養していたスイスからペテルブルクにやってくるムイシュキン公爵に重なり、
(二人ともその時代・社会においてその異質さで人々の間に混乱を引き起こすが、やがて、その優しさと仁道の実践により皆から信頼され愛されるようになり、その社会で活動したのち、最後は、元居た世界に立ち戻ってゆく。)
幕末で橘家に身を寄せて外科医として活躍していく仁の助手をつとめることになり、婚約者だった友永未来を仁が一番に大切にしていることに気付きながら、ひそかに仁を慕っている幕末の武家の清楚な娘・橘咲(たちばなさき)〔演じるは綾瀬はるか〕は、戻ってきたムイシュキン公爵が身を寄せたエパンチン将軍家の美しい令嬢・アグラーヤに重なり、
(やがて彼は彼女を好きになって彼は彼女に求婚し彼女は内心非常に嬉しく思うが、二人が夫婦になることは実現せずに終わった。ただし、夫婦になることを咲が断った点は違っている。)
幕末の吉原の花魁(おいらん)で、自分の身体の病を治してくれた優しい仁に恋し、時に彼に近づきながらも、仁をひそかに慕う咲と仁が結ばれて咲が思いを遂げることをひそかに願う野風(のかぜ)(現代の友永未来・橘未来に瓜二つの彼女らの幕末の御先祖様)〔演じるは中谷美紀〕は、富豪トーツキイの囲い者であったという強いられた自分の汚辱の過去に固執する誇り高き美女・ナスターシャ‐フィリポヴナに重なり、
ひょんなことから吉原を訪れて野風に一目惚れしてからは彼女のいる吉原に時に通っている坂本龍馬〔演じるは内野聖陽〕は、ナスターシャ‐フィリポヴナの虜(とりこ)になっている青年・ロゴージンに重なったのでした。
ただし、龍馬と仁は(野風・未来と咲も)互いに同じ相手を好きになった三角関係にありながらも(焼き餅や劣等感は抱きながらも)悲劇や修羅場を引き起こすほどの嫉妬や対決のシーンはなくて、特に龍馬と仁は良き友人同士・師弟の関係を築いてゆくが、一方、ナスターシャ‐フィリポヴナの虜(とりこ)になっているロゴージンは、ナスターシャ‐フィリポヴナが心を向けているムイシュキン公爵に、恋敵として憎しみや殺意を向けることになり、最後に彼は彼でなく彼女の方を殺害してしまう(一方、最初は相手にされなかった龍馬だが、やがて友人のごとく、野風は龍馬に心を預け、龍馬はそのつど野風をいたわっている。咲さんは、焼き餅は焼きながらも、友永未来さんに譲っている。)という点は違っている。
「JIN-仁-」の作者はドストエフスキーの『白痴』の登場人物の状況とその相関図を踏まえて「JIN-仁-」を創作したのではないかと思えてしまうほど、主要登場人物の状況やその間柄のほかに、仁が初めて野風に出会って彼女が友永未来に瓜二つであること(友永未来の御先祖様であること)に懐かしげに一驚し(引きつけられ)野風の抱える病を洞察するシーンや、南方とムイシュキン公爵の二人はともに脳疾患を抱えていて、時にその発作に襲われること、娘の行く末を気遣う咲の母親・栄(えい)のことをはじめ、作中の細かいシーンや内容やほかの配役においても、類似が見られる。
また、南方・野風の二人の名前や龍馬の採用の由来は知らないが、対応する登場人物の名前の頭文字が、みとムで同じま行音、のとナで同じな行音、りとロで同じら行音になっていることは偶然だろうか?(さらに、咲とアグラーヤについても、咲を咲くと見て、咲の咲くとアグラーヤのアグは同じ同列音で関連がある?)
(単に、佳い恋愛ドラマは『白痴』やこのドラマ「JIN-仁-」のような四角関係(三角関係)仕立てになる、それ故に、両作品の骨格は似ている、ということなのかもしれないが、、、。)
ちなみに、野風を演じた中谷美紀さんは、ドストエフスキーの「白痴」(黒沢明の映画「白痴」?)が好きだそうですが、彼女がドストエフスキーの「白痴」が好きだった時期が「JIN-仁-」に出演していた時期より以前だったのであれば、中谷さんは両作品のその類似に気付いていたのではないだろうか。そうであるなら、作中、彼女がナスターシャ‐フィリポヴナを意識して野風(花魁の野風)を演じている感じが無きにしもあらずだった。
ドラマ「JIN-仁-」VS
ドストエフスキー『白痴』
そして、両作品の物語の内容を比較して思うに、社会や人間への批判や風刺を目指す悲劇仕立ての面での出来は『白痴』の方が上だろうが、男女の三角関係という設定はありながら、嫉妬によって引き起こされる悲劇は特に無くて、お互いに相手のことを思いやり、相手及び相手二人の幸せを願い、互いに良き友情関係・師弟関係を築いていて、やくざなロゴージンに比べ龍馬は脱藩浪人とは言え幕末の日本社会を変革していくという高い志を持った優しい快男児として活動を続け、咲は仁を友永未来・橘未来に譲り、仁と咲はその医術(仁術)と仁道で、野風の後の幸せ(また、後世の現在において仁と一緒になる橘未来としての幸せ)に向けて、野風の身体の病を治して難産の野風と彼女の赤子を救う(また、咲は伝染病にかかって重篤となった仁を治し、仁は緑膿菌が感染して重篤となった咲を結果的に治す)ことができた(この点では『白痴』は主人公の無私の憐憫・捨身(犠牲)の精神をもってしても、余命幾ばくの病身の青年イポリートも含めて、相手を一人も救えず、逆に自分たちに悲劇的な終焉をもたらした)という内容・テーマの面では、ドラマ「JIN-仁-」の方が小説『白痴』より上ではないかと思う次第だ。
ドラマ「JIN-仁-」の出演者
黒沢明の映画「白痴」
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