貴族の爵位(公爵、伯爵、男爵)
・ピョートル一世(在位1682年〜1725年)の代以前では、ロシアでは、貴族の爵位としては、「公爵」しかなかったが、ピョートル一世は、貴族(トボリャンストボ)の爵位として、公爵以外に、「伯爵」「男爵」を新設し、この三つの爵位は、1917年のロシア革命まで続いた。
(日本の明治政府が定めた公・侯・伯・子・男(左ほど高位)という華族の爵位は、イギリスの上級貴族の爵位にならったもの。)
全体としては、爵位のない貴族が多かったが、古い家柄の貴族やとくに功績のあった貴族には、「公爵」や「伯爵」の爵位が与えられ、バルト海沿岸の出身のドイツ系貴族や実業家には、「男爵(baron)」の爵位が授けられた。
・ドストエフスキーの小説では、
『白痴』のムイシュキン公爵・Щ(シチャー)公爵、
『虐げられた人びと』のワルコフスキー公爵、
『未成年』のセルゲイ‐ペトローヴイチ公爵・ニコライ老公爵、
など、ロシアの最上流の名門の貴族である公爵家の登場人物がよく出てくる。
(『白痴』のムイシュキンは、自分をロシアの相当な名門の世襲貴族の末裔(まつえい)とみなしていて、自ら「ムイシュキン公爵」と名乗っている。(新潮文庫の上巻のp12)
『未成年』では、アルカージイ(アルカージイ・マカロヴィチ・ドルゴルーキー)は、自分の姓ドルゴルーキーを名乗った時、相手から「公爵のドルゴルーキーかい?」と聞かれて、(ロシアには、ドルゴルーキー家という名門の公爵家があった。)「いや、ただのドルゴルーキーです(農奴あがりの下男の息子だ)。」と腹立たしげに言う箇所があり。)
男爵としては、『未成年』のビオリング男爵など。
ドストエフスキーの小説では、主要登場人物としては、伯爵の身分の人物は登場していない。
(トルストイの小説では、伯爵家の人物がよく登場してくる。)
「〜将軍」という呼び方
ドストエフスキーの小説に出てくる、イヴォルギン将軍・エパンチン将軍(『白痴』)
などの「〜将軍」という呼び方は、元軍人だった人が、軍職から退いた後(退職後)にも、名誉ぶって姓の下に付けているもので、軍隊で、ある程度軍功をあげた元軍人(軍隊では、いわゆる軍隊を指揮するなどの「将軍」という高位にあったわけでは必ずしもない。)という意味を示している。
当時では、彼ら軍人の中には、在職時から小金をためて、そのためた資金で退職後にアパートや牧場などの経営を行う者がいて、彼らは、その第二の人生において、「〜将軍」と名乗って新たな仕事に従事し、他の人からもそう呼ばれた、という面があった。
『白痴』のエパンチン将軍や『賭博者』の将軍などは、その例。
一方、『白痴』のイヴォルギン将軍は、軍職を退いて後は、仕事をせずに妾(めかけ)をつくって日々酒にひたっているアル中老人であり、元軍人であったことの名誉を人にひけらかすために付けている呼び方に過ぎない。
武官・文官の階位、〜等官
帝政ロシア期の官僚制では、
文官は、
1等官から14等官までの階位があり、
武官は、
・元帥、大将、中将、少将、代将
・大佐、中佐、少佐、
・太尉、二等太尉、三等太尉、
・中尉、少尉、少尉補
という同じく14の階位があった。
現役から退いた武官の官吏は、退役〜、〜将軍と呼ばれた。
少尉以上を将校と呼ぶ。
※、『カラ兄弟』のスネギリョフ二等太尉(退役二等太尉)、退役将校のドミートリイ、『罪と罰』の9等官(武官では太尉にあたる)のマルメラードフ、など。
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