< 問題本文 (1〜10) >
【正解】
1 … 『罪と罰』
の第1部第6内のもの。
(新潮文庫の上巻のp119。)
2 … 『カラ兄弟』
の第8編第6「おれが来たんだ!」内のもの。
(新潮文庫の中巻のp281。)
3 … 『死の家の記録』
の第二部「五、夏の季節」内のもの。
(新潮文庫のp348。)
4 … 『カラ兄弟』
の第5編第「大審問官」内のもの。
(新潮文庫の上巻のp480。)
5 … 『カラ兄弟』
の第7編第3「一本の葱(ねぎ)」内のもの。
(新潮文庫の中巻のp178。)
6 … 『罪と罰』
の「エピローグ」の第2内のもの。
(新潮文庫の下巻のp481。)
7 … 『悪霊』
の第3部第7章「ステパン氏の最後の放浪」の第3内のもの。
(新潮文庫の下巻のp503。)
8 … 『白痴』
の第1編第16内のもの。
(新潮文庫の上巻のp331。)
9 … 『カラ兄弟』
の第2編第6「こんな男がなぜ生きているんだ!」内のもの。
(新潮文庫の上巻のp139。)
10 … 『悪霊』
の第3部第4章「最後の決定」の第3内のもの。
(新潮文庫の下巻のp346。)
【解説・コメント】
1 … ラスコーリニコフが金貸し老婆の殺害の前に自部屋で見る夢の中に出てくるシーンを描写した箇所であり、キャラバン隊に参加している彼が砂漠のオアシスで休憩している時の、そばを流れている小川の様子を描写している。ドストエフスキーの場面描写としては、その多彩な色彩感が実に印象的な箇所。
ちなみに、この箇所は、なにやら、小林秀雄と友人の仲だったあの中原中也の有名な詩「一つのメルヘン」を想起させるものがあります。
2 … グルーシェンカが滞在するモークロエ村へドミートリイが馬車を走らせ、モークロエ村の建物が夜の闇の中に見えてきた時の夜景を描写した箇所。
3 … シベリヤ流刑中、戸外での煉瓦(れんが)運びの囚役作業の合間に、「そこからは神の世界が見えたからである」(p347)と前置きして、主人公がイルトゥイシ河畔から眺めた広大な眺望を描写している箇所。この箇所は、私に、松尾芭蕉の句「この秋は何で年寄る雲に鳥」「山路(やまじ)来て何やらゆかし(心ひかれる=)菫草(すみれぐさ)」を想起させました。
4 … 再来するも捕縛されて牢(ろう)に閉じこめられたイエスのもとに、大審問官がいよいよ訪れる時の場面描写。西東三鬼の俳句「暗く暑く大群衆と花火待つ」の上(かみ)の句「暗く暑く」は、この箇所の表現を踏まえているのではないかと思われます。
5 … モークロエ村に滞在している初恋の人であるポーランド人の男から声がかかり、その時アリョーシャとラキーチンの来訪を受けていたグルーシェンカが、彼のもとへ行こうと決意して、言った言葉。「犬ころ」は、グルーシェンカが、自分のことを指して言ったもの。
6 … ラスコーリニコフがシベリヤの監獄で病院に収容され、ある日、ふと病室の窓辺から外を眺めて、病院の門のところにたたずんで何かを待っている風情(ふぜい)のソーニャを見ての、彼の反応を示した箇所。「その瞬間彼は、何かが彼の心を貫いたような気がした。彼はぎくっとして、急いで窓をはなれた。」
7 … 放浪に出たステパン氏の行き先に駆けつけたワルワーラ夫人と、ステパン氏のそばに寄り添っていた若い女性ソフィアとの会話。長年寄り添ったステパン氏に向けてのワルワーラ夫人の思いが示されていて、作中、泣かせどころの一つ。
8 … 第1部の末部、ナスターシャ‐フィリポヴナがロゴージンたちと出ていったあと、ブチーツィンがトーツキイ
に向かって言う言葉。ドストエフスキーが作品の中で日本に関して言及している唯一といっていい箇所。
9 … 僧院で一堂に会した場で、フョードルが、僧侶たちに向かってグルーシェンカのことを擁護して言った言葉。
10 … 脱獄囚フェージカがピョートルに向かって言った言葉。
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