松浪信三郎著
『実存主義』(岩波新書。1962年初版)の第3章「神をめざす実存主義」の「荒野に叫ぶ声―ドストエフスキーとシェストフ」のp78より。
(ドストエフスキーは、)神に対する人間の反逆的な自由と、そこから生じる悲劇的な葛藤(かっとう)を、作品のなかの幾多(いくた)の(=多くの)人物をとおして、あくことなく徹底的に追究した。
〔「意見・情報」交換ボードの[97年8月6日]に書き込んだぶん〕
★松浪信三郎
哲学者。
高尾利数・筆
『キリスト教を知る事典』(東京堂出版1996年初版)の「近代ドイツ・プロテスタント神学」の項「二十世紀につながる思想」の「ドストエフスキー」のp135より。
彼(=ドストエフスキー)は、近代的人間を「人神」と把握し、その「破滅性」を鋭く描き出した。彼は一貫して近代の合理主義に深い疑問を提起し、その皮相な楽観主義を批判した。彼が言う「人神」とは、近代において次第に自己絶対化の度合いを強めてきた自我理解を批判したもので、人間が神の如(ごと)くに思い上がった様(さま)を表現したものであった。こうした道は、遂(つい)には虚無に陥り破滅に至るものであり、いかにヒューマニズムなどと言っても、それには真の根がなく破滅に至るほかないのだ、と主張した。その「人神」の典型は、『カラマーゾフの兄弟』のイワンや、『悪霊』のキリーロフや、『罪と罰』のラスコーリニコフなどによって人格化されている。
そういう「人神」に対して、ドストエフスキーが対置する象徴的表現は「神人」であるが、それは神から人へと向かう真実の愛の具現であり、イエス・キリストにおいて示される啓示にほかならない、と映る。この「神人」は、『罪と罰』のソーニャ、『カラマーゾフの兄弟』の長老ゾシマ、そしてアリョーシャ、そして『白痴』のムイシュキン公爵などによって人格化されている。このような思想は、最晩年に公にされた『プーシキン論』(1880年)において、最も鮮明に描き出されている。ドストエフスキーは、ある意味では偉大な預言者であったとも言える人物で、二十世紀の思想に計り知れない影響を与えた。
〔前半は、「意見・情報」交換ボードの[97年8月6日]に書き込んだ分〕
★高尾利数
キリスト教学者。現在、法政大学社会学部教授。
1930〜。
加賀乙彦著
『ドストエフスキイ』(中公新書1973年初版)のp131〜p132より。
ドストエフスキイの作中人物は、重要な人物になればなるほど相互に近親性をもってくる。親子の系譜をえがくように作中人物の系譜をつくれるくらいである。まず地下生活者(=『地下室の手記』の主人公のこと)がいる。つづいて『罪と罰』のラスコーリニコフ、『白痴』のムイシュキン、『悪霊』のキリーロフとシャートフ、『未成年』のアルカージイ、『カラマーゾフの兄弟』のドミートリイとアリョーシャと連なる系列がある。もう一つはやはり地下生活者に端(たん)を発し、『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、『自痴』のラゴージン、『悪霊』のスタヴローギン、『未成年』のヴェルシーロフ、『カラマーゾフの兄弟』のイヴァン、スメルジャコーフと来る系列である。すべての人物はドストエフスキイ的人物に特有の二重性をそなえているが両系列は少しちがう。多くの人々が言う、神と悪魔、高貴と陋劣(ろうれつ。=行いや心がいやしいさま。)、理想と衝動、美しい心情と暗い情欲などの二重性のうち、前の特徴が、第一の系列の人々(これを「ラスコーリニコフの系譜」とよぼう)に優位であり、後の特徴は第二の系列の人々(これを「スヴィドリガイロフの系譜」とよぼう)において目立つのである。
★加賀乙彦
かがおとひこ。作家・精神科医。
1929〜2023。
上の17で高尾氏が述べている二系譜が世間でよく指摘されるドストエフスキーの小説の登場人物の系譜であるが、加賀氏が指摘するこの二系譜は、それに比して異なった観点からの分類であるもののラスコーリニコフを前者に入れ、イヴァンを後者に入れるなど、鋭い指摘であると言えます。加賀氏は、上の箇所に続くp132〜p152において、両系譜について、各登場人物を挙げつつ、より具体的に述べています。
加賀氏の上の見方は、後の「埴谷雄高とドストエフスキイと私」という文章〔『ドストエフスキイ論集』(埴谷雄高作品集10。河出書房新社1987年初版。)に所収〕で、表現を変えて次のように述べられています。
「ラスコーリニコフの系譜」と私が呼ぶ人物群は、ムイシュキン、シャートフ、キリーロフ、アルカージイを経て、ドミトリイとアリョーシャ・カラマーゾフに到達する。つまり癲癇(てんかん)の持つ唐突性と極端な情熱とを併(あわ)せ持ち、暖(あたたか)く他人をくるみこむような性格である。彼らの思想や行動は、この性格、つまり肉体のうえに生きているので、肉体を失なったらもはや一語も発せず一歩も歩けないのだ。もう一つは、「スヴィドリガイロフの系譜」で、スタヴローギン、ヴェルシーロフを経てイワンとスメルジャコフに行く。薄気味悪い、冷(つめた)い、残酷な側面と、明るい知性とが両義的に(=二つの内容を同時に合わせ持つさま。)存在する、癲癇(てんかん)性格の終末型とでも呼ばれる人々である。彼らがしばしば対話で示す《観念の自己増殖》(埴谷雄高の言)は、彼らの美しいが気味の悪い肉体に支えられている。むろん以上の私の意見は、ドストエフスキイの作中人物の複雑多岐(たき)にわたる活躍ぶりを、ごく限定し整理したものにすぎないが、大筋ではこうとしか言いようがない。この二系譜の人物を、ドストエフスキイは、おのれの宿痾(しゅくあ。=長く治らない病気の)癲癇(てんかん)からみちびき出してきた。作者自身がおのれの性格と肉体とを徹底的に省察(=深く省みること。)したうえで、小説が書かれているのだ。ドストエフスキイが自伝作家であり、作中人物がすべて作者自身に起源をもつと指摘したのはブールソフ(=ロシアのドストエフスキー研究家。)である。トルストイが、特定の人物のみに自分を投射したのと、ドストエフスキイのやり方は大いに相違する。彼の小説作法は、あくまでおのれ中心なのだ。そうして、おのれ自身の中に収斂(しゅうれん)し(=縮んでいき)、「閉じられた」世界が彼の小説なのだ。
アンドレ・ジイド著
『ドストエフスキー』(秋田滋訳・改造文庫1936年初版)所収の「ドストエフスキー生誕百年を祝い、ビュー‐コロンビエ座において朗読した小演説」のp63より。
※、旧仮名遣い・旧表記は、現代表記に改めました。
ドストエーフスキイの人物の多くを、あれほど不安な、あれほど病的なまでに奇怪なものに見えさせる性格上の奇形、偏奇(=偏(かたよ)った奇形)のうちで、その源を過去に受けた或(あ)る屈辱に発していないものは一つとしてない、と私は思うのである。
★アンドレ‐ジイド
フランスの作家・批評家。代表作は『狭き門』『法王庁の抜け穴』。
1869〜1951。
上の指摘は、ドストエフスキーの登場人物に関する鋭い指摘だと思う。
福田和也・筆
「ろくでなしの歌」より。[リクルート社刊の雑誌「ダ・ヴィンチ」の1998年6月号に所収]
自意識ばかりが鋭敏になり、自分が何者なのか、何が欲しいのか、何をやるべきか一切分からず、自分を持て余しながら、どうしようもない衝動だけはふんだんに抱えている厄介者たちの、無益だが深刻な苦闘の劇として彼(=ドストエフスキー)の小説を読むべきだ。
(※この文章は、くらまさんから提供されたものです。 [98年6月8日]の書き込みより。)
★福田和也
文芸評論家。1960〜。
上の評は、ドストエフスキーの小説やその登場人物たちの性格を、ある意味では鋭く突いている巧みな寸評であり、気鋭の評論家福田氏がドストエフスキーの小説をどのように読んだのかが、うかがわれて、興味深い。
桶谷秀昭著
『ドストエフスキイ』(河出書房新社1978年初版。)の「あとがき」のp297より。
ドストエフスキイの思想は、理論が無能になるところでもっともよく生きる思想である。 彼が「感覚」という言葉を愛用する作家であること、感覚に根底をもたぬどんな思想もドストエフスキイの真面目な対象にならないということは強調されすぎることはない。
★桶谷秀昭
おけたにひであき。文芸評論家。
1932〜。
コリン・ウィルソン著
『わが青春わが読書』(柴田元監訳。学習研究社1997年初版。)の「ドストエフスキー」より。p287。
ドストエフスキーは過去の罪や弱さに時間を無駄遣いしすぎるように私には思えた。何かもっと実際的で建設的なことに集中すればよかろうに、と思ってしまうのだ。
★コリン・ウィルソン
イギリスの作家・文筆家。
1931〜。
コリン氏の上の感想は、いかにもイギリス人らしい見方であるし、ドストエフスキーの小説の読者の多くが抱いている感想を述べていると思いますが、ドストエフスキーは、人間のそういった暗部に、あえて(ある考え(信念)を持って)、生涯、固執したという事情もあるように思う。
森 和朗著
『ドストエフスキー 闇からの啓示』(中央公論社1993年初版)のp21より。
ドストエフスキーは、その病める心の正(プラス)と負(マイナス)の電荷のせめぎあいによって、自らの内に超高圧のエネルギーを生み出す雷雲であり、地上からの湿った乱気流と接触すると、身をよじりながら、稲妻となって放電する。そして、我(わ)れと我(わ)れ自(みずか)ら火だるまになるのである。ドストエフスキーを読むというのは、私たちがそれぞれにこの火だるまを体験することであり、そうすることによって「内なる光」を共有することができるのだ。自分の心のかたくなな闇を引き裂くとき、社会や世界の闇もまた仄見(ほのみ)えてくる。
★森和朗
もりかずろう。文筆家。元NHK国際局チーフ・ディレクター。
1937〜。
上の森氏の文章は、言おうとしている内容もさることながら、実に巧みで会心(かいしん)の比喩表現だと思う。
勝田吉太郎著
『ドストエフスキー』(潮新書1968年初版)のp16・p17より。
むしろ人物(=ドストエフスキーの小説の登場人物)の性質、人格は、彼らの述べる言葉によってはじめて明瞭となる。人々の語る言葉こそが、彼らの心理的、精神的構造の不可視的なリアリティを明るみに出すのである。つまり、ドストエフスキーにとって、言葉は、メタフィジカルな(=内面の不可視的な)領域と境を接するフィジカルな(=外面的な)要素なのである。このような手法は、他のリアリズムの文豪たちのそれとは、きわめて顕著な対照をなしている。 ―途中、略― ドストエフスキーは、自己の芸術的な力をすべて会話のうちに集中する。すべては対話において結ばれもし、解かれもする。物語は、彼の場合、まるで戯曲の筋の時刻、場所、人物の境遇と外観を知らせるただし書き(ただしがき)にすぎず、たんなる舞台装置でしかない。そして、人物たちが舞台に現われて語りはじめる時、はじめて戯曲は進行を開始するわけである。
★勝田吉太郎
ロシア政治思想史研究家。元・京都大学法学部教授。
1928〜2019。
飯島宗享・筆
「ドストエーフスキイの文学と実存思想」のp131より。〔『文芸読本ドストエーフスキー(U)』(河出書房新社1978年初版)に所収。〕
ひとはめいめいの関心のプリズムを通して、その世界(=ドストエフスキーの小説の世界)のなかから、どのような人間像をでも浮かびあがらせて、わが身に引き寄せながら、その人物の運命に関心を寄せることができるだろう。祝福された人間に焦点をもつプリズムには、ムイシュキン公爵やアリョーシャ青年らが、そして呪(のろ)われた人間のプリズムには、スターヴローギンやイヴァンが浮かびあがるはずである。しかし、その世界に乱舞するあらゆる人物が、それぞれの運命において例外なく挫折することを見て、戦慄(せんりつ)せずにはいないだろう。それは、「神が死んだ」ところでの人間の自由における投企(とうき。=主体的に行動を選んでいくこと。※哲学用語。)の群像と、それぞれの行きつく果てを見せてくれている黙示録(もくしろく)的(=神の何らかの啓示が現れているような)図絵(ずえ。=絵がら。)である。 ドストエーフスキイは、どの一人物にも遂に救済された人間の像を独占的にはあたえてはいない。逆説的に、むしろ、あらゆる人物が、人殺しでも、そのような人間のままで、作者によって愛情深く見まもられ叙述(じょじゅつ)される(=書き記される)ということを通して肯定され、救いのうちに置かれていることが暗示される。ドストエーフスキイは、人間の現実を矛盾のまっただなかでとらえ、人間的葛藤(かっとう)に人間の真実を見て、しかもその人間に執着して徹底的に描破(びょうは)した作家といえる。
★飯島宗享
哲学者。
ドストエフスキーの小説の大切な特徴をよく見て述べている評言であり、心を打たれるものがある文章だ。
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