「作風・手法」論5
(更新:24/11/16)
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マウリーナ
『ドストエフスキー』(1952年刊。岡元藤則訳。紀伊国屋書店1964年初版。)p142より。


トルストイが叙事詩人であるのと同程度にドストエフスキーは
劇詩人であった。彼の小説は劇のように、もっと正しく言えば悲劇のように構成されている。導入部では彼はわれわれに登場人物の性格を紹介して、彼らが何を得ようとしているかを手短かに知らせる。障害は山のように高く積み重なっていて、主人公たちが最終目的に達するのを妨げている。だれが勝ち、だれが負けるのか、最後の章でさえまだわからないことがしばしばである。小説は何はさておいてもまずおもしろくなければならない、読者の好奇心は最後までゆるめてはならないという見解をドストエフスキーは持っていたのである。だから彼は葛藤の準備や解決にいつもたいへん苦心した。劇場のためには何も書かなかったけれども、シェークスピアを愛していた彼は近代最大の悲劇詩人なのである。彼の世界観の外的内的特徴はそのまま真に悲劇的な芸術の特徴である。たとえば、矛盾の衝突、神に近づくための努力、神の探求しがたい秘密におおわれた避けられぬ悩みの意味に対する疑問など。彼は自分の芸術が悲劇的であることをよく承知していた。


★マウリーナ
ラトヴィアの女性の文筆家・翻訳家。
1898
〜。

上書『ドストエフスキー』は、定評のある名著。ドストエフスキーの小説は劇作品としての性格を備え、ドストエフスキーは劇作家としての才能があったのではないか、という点に関しては、ウラジミール‐ナボコフ氏(ロシア出身のアメリカの作家・詩人。18991977)も、その著『ロシア文学講義』で、

「ドストエフスキーの作中人物の扱い方が劇作家のそれであること」
「ドストエフスキーは小説家というよりはむしろ劇作家にふさわしい人であったという事実を、もう一度強調したい。彼の小説が描き出すものは、さまざまな場面や会話、全人物が集合する場面などの連鎖であり――山場だの、思いがけぬ訪問者だの、喜劇的息抜き場面だのと、いろいろ劇的策略を備えている。」
「この人はロシア文学の宿命によってロシア最大の劇作家となるべく選ばれたように見えるのだが、どうやら間違った角を曲がってしまったらしく、小説を書いたのである」

と述べています。



加賀乙彦
『ドストエフスキー』 (中央公論新書。1973年初版。)より。p120p122p123


諸家(しょか。=多くの専門家)の言う癲癇(てんかん)性格はドストエフスキイにおいてはっきりと認められる。というより
ドストエフスキイについて人々が言っている特徴のなかで癲癇性格に合致しないものを探すのがむずかしいくらい、彼は典型的な癲癇性格者なのである。―途中(彼の諸性格の紹介している)、略―  登場人物にも癲癇性格の人間が多いが、―途中、略― ただここで言っておきたいのは、癲癇性格の人々が入れかわり立ちかわり出現して、一種カーニバル的な雰囲気のなかで展開する物語は、粘っこくも熱っぽい文章によって語られていくことだ。―途中、略―  (癲癇性格からくる、)熱い、粘っこい、生命的活力がドストエフスキイの存在の中核を形成し、この活力は周囲の世界に密着しているように、作品そのものも活力に充()ちている。そこには活力が蓄積され、これが大事なことなのだが、次に来る爆発の予兆を秘めて、圧縮されているのである。―途中、略―  しかしこの濃密さは彼の文学の本質的構造にまで拡大して考えるべきである。いわゆるドストエフスキイ的時間といわれ短時日のうちに作中の出来事が経過する(『罪と罰』は二週間、『白痴』は八日間、『悪霊』は十日間、『カラマーゾフの兄弟』は六日間の記述である)描写法はむろんドストエフスキイの独創ではあるが、その源は彼の圧縮された活力にもとめられるように思う。―以下、略―


★加賀乙彦
かがおとひこ。作家・精神科医。
1929
2023

ドストエフスキーの癲癇体質が、氏の諸性格や創作の営みに少なからず影響を与えているという事実は、実に興味深いものがあります。



中村健之介
『知られざるドストエフスキー』(岩波書店1993年初版)の中の第7章「手紙に見るドストエフスキーの想像力」のp178p179p180より。


ドストエフスキーが「
思想を感じる人」であったことを見抜いたストラーホフ(注:ドストエフスキーの後半生の友人)は、また、ドストエフスキーが同時に距離をおいてその自分を冷静に見ている人でもあったことも証言している。
ドストエフスキーの中には一種独特な分裂が、おどろくほど明白に現われていた。一人の人間があるいくつかの思想や感情にきわめて生き生きと打ち込んでいるのだが、たましいの中には、その自分自身を、自分の思想と感情を見つめている、確固(かっこ)として微動もしない視点を保持している、そういう分裂である。かれは自分でもときどきこの特質について語り、それを「内面省察」と名づけていた。このようなたましいの構造から生じることとして、次のようなことがあった。すなわち、自分のたましいを満たしているものについて判断を下す可能性をその人が常に保有していること、相異なる感情や気分がたましいの中に広がるのだが、しかし、それらがたましいを完全に領有してしまうことがないということ、そのたましいの深い中心からエネルギーが生じて、それがその人の活動全体と知性と創造の内容の全体をいわば蘇生させ変貌させるということ。ともあれ、フョードル・ミハイロヴィチ〔ドストエフスキー〕は、その共感力の広さによって、相異なり互いに対立するいくつもの観点を理解する能力によって、常にわたしをおどろかせた。」(ストラーホフ『ドストエフスキーの思い出』)
ここでストラーホフは二つのことを言っている。一つは、
ある対象に共感しそこに「思想と感情」を注ぎこんでいながらその自分自身を統御し続ける「一種独特な分裂」の力である。ドストエフスキーは「思想と感情」において溺(おぼ)れながら溺(おぼ)れる自分を正確にとらえるこの「分裂」の能力を発揮していた。もう一つ、ストラーホフをおどろかせたのは、ドストエフスキーの「共感力の広さ」「相異なり互いに対立するいくつもの観点を埋解する能力」「いくつかの思想や感情にきわめて生き生きと打ち込む」能力である。すなわち、作中人物に「きわめて生き生きと」感情を吹き込みつつ、しかもこれを観察して一つの性格として形成して行く小説家の能力、自分自身が「正真正銘のゴリャードキン(注:『分身』の主人公)」になりながらゴリャードキンを自分から切り離し、「ぼくの鬱(うつ)状態」から「新しい状況設定」を生み出す能力と、その人物たちの多種多様であることが、ストラーホフをおどろかしたのである。この「内面省察」がドストエフスキーの小説作法の基本であった。 ―途中、略―  ドストエフスキーの文学世界が、『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』に最も明瞭に見てとれるように、重い苦しみで満ちていながら、それだけで終わることがなく、苦しみが絶えず活力や解放感へと転換されるのも、ストラーホフが「おどろくほど明白」だというこの「一種独特な分裂」と関係がある。ドストエフスキーの小説は、解きようのない難問が提起されていながら、それで終わらずどこかにユーモアが潜んでいて深刻な雰囲気の間からいまにも笑いが顔を出しそうな子感が漂う場面が多い。それは、一点に固着せず絶えず多様な対象に共感を転換する作者の「分裂」があるからである。ユーモアは転換の才能によって生まれるのであるから。自分の感情や「鬱(うつ)状態」を小説の人物に分け与えて、それを観察するドストエフスキーの能力は、「おどろくほど明白」であった。自分で「内面省察」と名づけて人に語っていたということは、それがすでにはっきりした自信となり自覚的な方法となっていたことを示している。
 

★中村健之介
ドストエフスキー文学の研究家・翻訳家。現代日本の代表的なドストエフスキー研究家の一人。現在、東京大学教授。
1939
〜。

ドストエフスキーが、その小説の中で、多かれ少なかれ作者の分身としての、思想を持した多様な登場人物を、各々生き生きと描いているということ、いわゆる、ドストエフスキーの小説のポリフォニー性、の秘密の一端を指摘した文章として、実に興味深いものがあります。
           




江川 卓
『謎解き「罪と罰」』(新潮選書。新潮社1986年初版。)p15p17p18p210より。


多年、ドストエフスキーには「悪文家」の評判がつきまとってきた。内に鬱積(うっせき)する巨大な思想を吐き出そうと急ぐあまり、文章を練()りあげる余裕など持てなかった、といった伝説も、まことしやかに流布(るふ)されてきた。しかし、これはたいへんな誤解である。たしかに簡潔、流麗といった形容詞はぶさわしくないだろうが、
この小説(=『罪と罰』)でドストエフスキーが示した言葉と文体への気くばり、神経には想像を絶するほどのものがある。文字どおり一語一語に、作者の執念と粘着力が感じとられると言ってもよい。ところがつい最近まで、小説のこの側面はあまりにも軽視されてきた。  ―途中、略―   神話、フォークロア(=民族学)、文芸作品の隠された引用、言葉のリズム、音韻、語源などへの深い関心、語呂合わせ、地口(じぐち。=しゃれ)などの言葉の遊び、そこから生まれる独特のユーモアと笑い――これらは、言葉の芸術としてのこの小説(=『罪と罰』)を特徴づける最大の要素である。言葉の象徴牲も最大限に利用される。しかもドストエフスキーは、このような言葉を素材として最大限に機能させながら、その独特な結合、重ね合わせによってこの小説を壮大な建築物に仕上げていく。音楽でいうライトモチーフのように、特定の言葉ないし言葉の形成要素のたくみな反覆によって、小説を立体的に構成していく技法は心憎いばかりである。このいっさいを読みすごしていたのでは、『罪と罰』という小説は、実際にそうであるよりもはるかに底浅い作品と受けとられてしまうだろう。いや、悲しいことに、思想的内容の巨大さに気押(けお)されてか、この小説はまさしくそのように読まれてきた歴史をもっている。もっとも、この点については、作者ドストエフスキーの側にも、けっして軽くない責任があった。名匠気質(めいしょうかたぎ)というのか、ドストエフスキーは小説の創作にあたって、ネタの割れてしまうこと、つまり、自身の秘めた存念(ぞんねん)がなまに出てしまうことを何よりも恐れた。その結果、うわべはことさらさりげなく、うっかりすると、気にもとめず読みすごしてしまいそうな文章の背後に、実は作品の根本テーマが隠されているといった、二重、三重仕立てのテキスト構造ができあがった。しかもこの多層的な構造は、ふつう常識的にテキストと考えられているものの枠を大きく越えて、表題、章割り、人名、地名、日付、数、句読点、さらには活字の字面(じづら)といったところにまで及んでいる。比喩的な言い万をすれば、小説の全体が、名匠の手になる精巧なからくり装置のような観を呈していて、ふつうの目では容易にその仕掛が見破れない。しかもこの装置では、言葉や文体の微妙なあやがゼンマイやピンの役割をつとめ、それらが相互に連動するような仕組になっているのである。 ―途中、略― ドストエフスキーは、流行語や俗語には人いちばい敏感な作家であった。


★江川 卓
えがわたく。ロシア文学者・ドストエフスキー研究家。
1927
2001

『謎解き「罪と罰」』は、上に述べたような観点から、この名作を検証し、『罪と罰』を、その細部から新たに解き明 かして、話題をさらった快著。



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