北杜夫の論
( 『貧しき人びと』について )
〔新潮社版全集の発刊記念の際に編まれたパンフ『ドストエフスキー読本』に所収の「『貧しき人びと』の抒情性とユーモア」より。〕
私は高校二年のころ、ドストエフスキーをほぼ読み切った。ところが、その後ほとんど読み直していない。というのも、かつておぼろげに受けとめた巨大な作品群を今となって読んだとしたら、昔よりは彼の思想や構成力などが理解できようから、もう自分で小説を書くなどという意欲を失ってしまうかもしれぬと危惧(きぐ)した(=心配した。)からである。古い記憶の中で殊(こと)に印象に残っているのは『罪と罰』(私は後半はこれを探偵小説のように読んだ)、『死の家の記録』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』などであった。
それらの体臭があまりに強烈すぎたので、処女作『貧しき人びと』はそれほどの作品とも思っていなかったが、十年ほど前、偶然のことからこれを読み返した。すると、もはや若からぬ私の目からひっきりなしに涙が流れ、かつとめどなく笑わざるを得なかった。これまた、しかも、二十四歳の作品として驚くべき名品と言えよう。世間では、ドストエフスキーは怕(こわ)い(=恐い。)作家であると思われている。しかし、この作品に見られる類(たぐ)い稀(まれ)な抒情(じょじょう)、よい意味での感傷、敬愛していたゴーゴリをしのぐとも思われるユーモアはただ事(ただごと)ではない。 (途中、略) ときに難解で怕(こわ)い小説と思われているドストエフスキーが、実に抒情的でよい意味で感傷的で、しかも思わず笑いださずにはいられない作品から出発したことを忘れてはなるまい。
★北杜夫
きたもりお。作家。1927〜2011。
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