各小説論4
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グロスマンの論
(
 
『地下室の手記』『罪と罰』について )
〔『ドストエフスキー』(1963年初版・1965年改訂版。北垣信行訳。筑摩書房1978年刊。)より。p216p219p220。〕


『地下生活者の手記(=地下室の手記)』は
ドストエフスキイのもっとも赤裸々(せきらら)な文章の一つである。自分の心の一番奥の秘密を、見せるつもりのなかった心の秘密を、これほどあますところなく、これほどあからさまに開き見せたことは以後一度もない。 (途中、略) 『地下生活者の手記』は『罪と罰』にじかにつながる習作である。この作品はちょうど『罪と罰』が書かれる前に書かれている。アポロン・グリゴーリエフ(注:ドストエフスキーの親友だった批評家・詩人。『地下生活者の手記』が出た1864年に若くして亡くなっている。ドストエフスキー兄弟がその年に発刊した雑誌「世紀」の同人でもあり、「世紀」に掲載されたが批評家の注目を集めなかったドストエフスキーの『地下生活者の手記』の価値を認めた一人でもある。)がこの作品から強い感銘を受けて、まさにこの作品で芸術家ドストエフスキイは自分の手法を発見したのだと認めたのも、怪しむに足りない。「君はこういった種類の作品を書きたまえ。」これが臨終の床にあってこの批評家が自分の親友の長編作家に与えた遺言だった。ドストエフスキイはこの忠告に従った。『罪と罰』はこの1864年の中編小説を深く掘り下げ発展させたもので、主人公個人のドラマに哲学的な問題点を織りこむという同じような方法で通した作品である。 (途中、五行分、略) 多くの基本的な要素から見て『罪と罰』は『地下生活者の手記』の発展であり、それが殺人という悲劇と、そこから生ずる心理的道徳的問題の結合によって複雑化したものにすぎない。ドストエフスキイの以後の長編小説はことごとくこういったふうに、つまりイデオロギー的にかつ悲劇的に構成されることになる。


★グロスマン氏(18881965)は、ドストエフスキー研究家・文芸評論家・作家。ソビエト時代に、ドリーニン・ネチャーエワらとともに、ドストエフスキーの資料の収集・整理・刊行・ドストエフスキー研究に貢献した。上書『ドストエフスキー』は、ロシア本国のドストエフスキー研究者によって書かれた定評あるドストエフスキーの評伝。       




W・シューバルトの論
(
 
『罪と罰』『悪霊』について )
〔『ドストエフスキーとニーチェ』 ( 1939年刊。駒井義昭訳、富士書店1982年初版)の「X 社会主義」の冒頭より。p69。〕


ヘルダーリンの言葉に、「ただ一人でいること、神々なしにいること、それこそが死である」というのがある。この言葉の秘密をニーチェは予感し、ドストエフスキーは認識した。それゆえドストエフスキーにとって神の否認、超世界的な結合の放棄は最も重い犯罪であり、他のすべての犯罪がそこへと合流してゆく犯罪でさえある。
彼のすべての小説は、結局のところ、無信仰の悲劇という唯一の主題を取り扱っただけである。彼は、神からの離反による個人的な悲劇をラスコーリニコフにおいて形象化(けいしょうか)し、その社会的な悲劇を悪霊において形象化する。超人への道の終わりには、悔恨する人か自殺する人が待ち構えている。それが『罪と罰』の意味である。無神論的社会主義への道の終わりには社会の解体かキリスト教への帰還が待ち構えている。それが『悪霊』の意味である。第一の小説において彼はニーチェに反駁(はんばく)し、第二の小説において彼はマルクスに反駁する。彼は一方の人の著作も、他方の人の著作も知らなかった。しかし、この二人を魂の可能性として、精神的なタイプとしては知っていたのであり、しかもこの二人を結びつける内的類縁性――これが最も驚くべきことである――を見通していたのである。 ―以下略―    」 〔 上の前半部は、「意見・情報」交換ボードの[02228] に書き込み済み。 〕


W・シューバルト(1897〜?)は、ドイツの哲学者・ドストエフスキー研究家。「無神論的社会主義への道の終わりには社会の解体かキリスト教への帰還が待ち構えている。」といったあたりなどは、シューバルト氏は、ドストエフスキーの作品をもとに、1939年の時点においてすでにソビエト政権の未来における解体を見事予見していたと言える。



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