E・H・カーの論。
( 『白痴』について )
〔『ドストエフスキー』(1931年刊。筑摩叢書106。松村達雄訳。筑摩書房1968年初版。) より。p196。〕
これ(=小説『白痴』)はドストエフスキーの作品のうちで最も深い悲劇的な作品で、また最も痛ましい作品でさえある。しかし、それにもかかわらず、いや、かえってそのために、これは比類ないまでに健全な、清澄(せいちょう)な作品となっている。『白痴』は、彼の他の傑作小説にはみられない清澄さにつらぬかれているという特徴をもっている。ドストエフスキーのうちに何よりも偉大な思想家をみようとする批評家には、『白痴』はあまり用がない。というのは、哲学的な問題を追求している数少ない個所(かしょ。=箇所)は、この小説であきらかに最も見おとりのする部分となっているからだ。しかし抽象的な思索家としてのドストエフスキーよりも芸術家として、新しい世界の創造主としてのドストエフスキーの方がはるかに優位にあると考える批評家は、他の傑作よりも『白痴』をますます採り上げ、いよいよ愛惜(あいせき)の気持ちを深くしてゆくことだろう。あらゆる時代の偉大な作家の中にあってドストエフスキーに永遠の地位をあたえている特徴は、われわれの古い基準、希望、不安、理想がその意味をうしなって、新しい光の中に変貌してしまう、存在の新たなる次元へとわれわれを引上げる彼の能力である。そして、この特徴は最高度に『白痴』のうちに示されている。 (以下、略)
★E・H・カー
イギリスの政治学者・外交官。
1892〜1982。
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