各小説論7
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小林秀雄の指摘
(
 
『未成年』について )
〔 「「未成年」の独創性について」(新訂「小林秀雄秀雄全集」第6巻に所収)p22p23より。〕
※旧仮名遣い・旧表記は、現代表記に改めました。


この手記
(=全体が主人公の手記となっている小説『未成年』)に描かれた出来事はすべて青年の心の中の出来事である。青年の情熱であり、青年の思索であり、青年の観察である。作者は何処(どこ)にも顔を出していない。作者は完全にこの青年を傀儡(かいらい。=操り人形。)として、この早熟な天才的な青年の持っている鋭さ、美しさと共にその頑固、鈍感、醜さを憚(はばか)るところなくさらけ出させている。作者は青年を捕えて瞬時もはなさない。瞬時もこの小説がドルゴルウキイの手記であり、作者或(あるい)は他の誰の手記でもない事を忘れない。これは青年の徹底した客観化である。私は青年の本性というものをこれ程強く深く描いた小説を他に知らない。読者はこの小説の溌剌(はつらつ)とした筆致に魅せられて屡々(しばしば)これが青年の手記である事を忘れる。忘れる時に不自然を感ずる、誇張を感ずる。言うまでもなく誤りは読者の側にある、この小説を理解する鍵はすでに冒頭の短文に明示されていると言った所以(ゆえん)である。青年が己れを語った小説はある、青年を上から観察した小説はある。しかし作者が青年を完全に擒(とりこ)にして、青年の内心に滑り込み、青年をそそのかし一切をさらけ出させた「未成年」の如き小説を私は知らないのである。作者はドルゴルウキイを単に観察しているのではない、青年に乗り移っている。 ―以下、略―


★小林秀雄氏は、文芸・美術評論家。

  



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