作中の箇所の論
(
更新:24/11/01)
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[
事項]


『悪霊』の箇所

椎名麟三の論


『カラマーゾフの兄弟』の箇所

北原武夫の論




『悪霊』の箇所

 

スタヴローギン「でも、餓死する者も、女の子を辱(はずか)しめたり、穢(けが)したりする者もあるだろうけれど、それもすばらしいのですか?」

キリーロフ「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩(たた)きつぶす者がいても、やっぱりすばらしい。叩きつぶさない者も、やっぱりすばらしい。すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者には、すばらしい。 ―以下、省略― 

  ―途中の7行分、省略―

キリーロフ「人間がよくないのは、自分たちがいい人間であることを知らないからです。」

と彼はふいにまた話しだした。

「それを知れば、女の子に暴行を加えたりはしない。人間は自分がいい人間であることを知る必要がある。そうすればすべての人が、一人残らず、即座にいい人間になる。」 

〔『悪霊』の第2部第1章の第5。新潮文庫(江川卓訳)上巻のp371p372。〕

 

 

※、
米川正夫訳では、上の

「人間がよくないのは、自分たちがいい人間であることを知らないからです。」

「それを知れば、〜」

は、

各々、

「世間の人はよくない。それは、自分たちのいいことを知らないからです。」

「もしそれを悟ったら、〜」

となっていて、椎名氏は、その米川正夫訳の分を踏まえて言っていると思われる。

 

 

椎名麟三の論

その小説(=小説『悪霊』)は、多くの感動的な場面にみちているが、そのなかでも自分の思想を証明しようとして自殺しようとしているキリーロフを、スタヴローギンというニヒリストの権化(ごんげ)のような男がたずねて来たときの対話ほど私の心を打つものはなかった。キリーロフは、小さいときに見た木の葉について話す。それは日光に葉脈がすいてキラキラと美しかったというのである。スタヴローギンは、それは何の意味だい、とたずねる。勿論(もちろん)意味なんかない。キリーロフは、そう答えて、人間はすべて許されているのだというのである。スタヴローギンは、その彼を追究して、それでは、子供の脳味噌(のうみそ)をたたきわっても少女を凌辱(りょうじょく)してもいいのかとたずねる。それに対してキリーロフは、それも許されている、ただ、

「すべてが許されているとほんとうに知っている人間は、そういうことをしないだろう。」

(※注:この文そのものは、上に掲げた原文にはない。椎名氏が自分で要約した文章と言える。)

と答えるのである。

私を打ったのは、最後の括弧の部分

(※注:=「すべてが許されているとほんとうに知っている人間は、そういうことをしないだろう。」)

だ。ここには深い断絶がある。「すべてが許されているとほんとうに知っている人間は」と「そういうことをしないだろう」との間にである。そしてふしぎなことには、この断絶から、何やら眩(まぶ)しい新鮮な光がサッと私の心に射すのであった。この言葉に感動したのは、私だけかと思ったら、日本や外国の作家に実に多い。たとえばジイドなんかが、至福の予感のするものとして、そのドストエーフスキイ論にとり上げているのもこの個所(かしょ)である。だが、考えてみれば、これほどおかしな辻(つじ)つまのあわない言葉はないのである。すべてが許されているとほんとうに知っている人間は、そんな子供を殺したり少女を凌辱(りょうじょく)したりするなんて平気だろうというのなら話はわかるが、そうしないだろうなんていうことはどうしてもわからないのである。だがわからないままにだが、八方ふさがりで生きて行く道を失っていた私には、私の知らない道を暗示している気がして、いつまでも心に残っていたのだった。この「すべてを許されているとほんとうに知っている人間は」が「そうする」ではなく「そうしないだろう」と転換する点に実はキリストが立っているのであり、このような転換はキリストにおいてだけ可能なのだと知ったのはずっと後のことであった。ドストエーフスキイには、理窟(りくつ)で考えてはわけがわからないが、しかし胸を打つ言葉がたくさんある。たとえば苦悩を愛すという言葉がある。フランスの作家ルイ・フィリップは、このドストエーフスキイの言葉をかかげて、この言葉は嘘(うそ)っぱちだが、しかし何となく慰められる言葉だと言っている。言葉そのままの意味では、変質的なグロテスクさを感じさせるものであり、だからまともな人間の言葉ではない気ちがいのたわごとのように見える点は、先刻のキリーロフの言葉と同様である。だから嘘(うそ)っぱちだというルイ・フィリップの言葉に同感である。だがその貧しい靴工の息子であったルイ・フィリップは、そう言っていながら、何となく慰められる言葉だとつけ加えずにはおられなかったのは何故(なぜ)だろう。実は、その苦悩を愛すという言葉の背後にはキリストが立っているからである。キリストにおいてはじめてその言葉は、この世のなかに生きる現実性をもつことが出来るのである。
〔椎名麟三著『私の聖書物語』(中公文庫1973年初版)より。p36p38。〕

 

 

※、
以上の内容は、椎名氏の著『私のドストエフスキー体験』(教文館1967年初版)でも、少し表現を変えて、詳しく語られている。たとえば、上の「そしてふしぎなことには、この断絶から、何やら眩(まぶ)しい新鮮な光がサッと私の心に射すのであった。」のあたりは、「この言葉を聞いたときに、何かしら新鮮な、私のまだ知らない「ほんとうの自由」の光が私の心の中にさっと射し込むのを感じるのである。」と、椎名氏は述べている。

 

 

 

★椎名麟三

小説家。19111973

 

椎名氏はドストエフスキーの影響を強く受けた日本の作家の一人であり、椎名氏による「ドストエフスキー体験」という言い方は有名。 椎名氏は自ら、「僕の文学は、ドストエフスキーによって開眼された。いわばドストエフスキーは僕の文学における最初の教師である。」と言い、のちに、ドストエフスキーの文学を通してキリスト教の奥義にも触れ、組合の活動家を脱してキリスト教の洗礼を受けるに至っている。椎名氏の、上に掲げたキリーロフの言葉の中にはキリストが立っているのだという理解はドストエフスキーの真意なのかどうか、については議論が必要かもしれないが、椎名氏は、ドストエフスキーの文学を、自分はいかに生きるべきかという自己の切実な人生問題に引きつけて真摯(しんし)に読み抜き、そのかけがえのないドストエフスキー体験を著書に告白していった人である、と言える。上の椎名氏の文章を大学時代に初めて読んだ時、私は、『悪霊』の上の箇所に関する椎名氏の受けとめ方、特に、「ほんとうの自由」という椎名氏の言い方の含蓄に強い感銘を受けた。『悪霊』の上の箇所は、読者が下手に受けとめてしまうときわめてアブナイ箇所であるわけですが、ドストエフスキーは、キリーロフの言葉の危険性を覚悟しつつ、人間にとって真の「自由」のありかを、読者に深く提起しようとしたのだと思われる。

 

 

 

『カラマーゾフの兄弟』の箇所

 

ドミートリイ「坐(すわ)れよ。俺はな、アリョーシャ、お前をつかまえて、この胸に抱きしめてやりたいよ、それも押しつぶすくらい、ぎゅっとな。なにしろ俺が世界じゅうで本当に……本当の意味で(わかるな!わかるだろう!) 愛しているのは、お前一人なんだから!」彼(=ドミートリイ)は最後の一句を何かものに憑()かれたように口走った。「お前だけなんだ、それともう一人《卑(いや)しい女》に惚()れて、そのために一生を棒にふっちまったよ。だけど、惚()れるってことは、愛するって意味じゃないぜ。惚れるのは、憎みながらでもできることだ。おぼえておくといい!」

〔『カラマーゾフの兄弟』の第3部第3章。新潮文庫(原卓也訳)の上巻のp194。〕

 

 

北原武夫の論 

その多くの似たもののうち、その外見の点でも、その中身のただならぬ熱さの点でも、本物の愛の姿と最も間違いやすいのは、恐らくあの嫉妬(しっと)と憎悪(ぞうお)の二つであろう。愛から嫉妬が生まれることはあっても、嫉妬から愛が生まれることはまず滅多(めった)になく、この二つのものの間には本来それほど深い血縁関係がないことは、僕は前にも書いたが、愛と僧しみの間係が、腹違いの同胞(きょうだい)ほどには密接な関係があると考えている人たちは、今日でも決してそんなに少(すくな)くはない。愛が感情というよりは意志の産物であり、憎しみが観念の産物であることも、従って今日ではまだ多くの人たちに充分認識されていないが、少し疲れたり神経が昂(たか)ぶったりする時、時々気まぐれに愛が姿を変えるあの嫉妬についてはともかく、どんな意味ででも縁のない他人の子であるこの憎しみについては、人はもっと慎重な観察家になる必要があるのではないだろうか。ここで僕にいみじくも思い出されるのは、『カラマーゾフの兄弟』の中で、あの愛すべきミーチャ・ドミトリイ・カラマーゾフが、愛と嫉妬と憎しみの炎に灼()かれた胸を掌(てのひら)で叩(たた)きながら、弟のアリョ−シャに向(むか)って叫んだあの一語である。  

「惚れこむというのと愛するというのは、同じことじゃアないんだ、惚れるというのは相手を憎みながらもできることだからな!いいか、覚えとけよ!」

ドストエフスキーの炯眼(けいがん)に注意深く見守られながら、この全くスラブ風な、情熱と直情の酔漢(よっぱらい)が、わめくようにして叫んだこの一ト言(ひとこと)ほど、愛に似たさまざまの諸感情と本物の愛の心とを、きびしく峻別(しゅんべつ)した言葉はないと僕は思っている。実をいうと、はげしい強打を突然頭に喰(くら)ったような衝撃と一緒に、愛とは何であるかについて、いくらかでも自分の眼()が開いたと僕が思ったのは、それまで何度読んだか分らないこの作品のこの個所(かしょ)に、もう二十何年か前はじめて僕の眼が止まった時なのだが、それにも拘(かかわ)らず、それ以後のそう数多くもない恋愛の際に、一度としてこの言葉が僕の役に立ったことがないのを考えると、見かけは単純なこの言葉の持っている真の意味での難解さが、そのことからかえって逆に僕には思いやられる。そしてまた、そういう時ほど、どんな荒地や荒野をさまよっていても、振り仰(あお)ごうとさえ思えばいつでもその不動の姿を雲間の奥に見定めることのできるあの太陽と同じく、断乎(だんこ)として力強くもあるが永遠に手の届かぬきびしく孤独な存在として、愛というものが僕などの眼に映る時はない。あれほどの力強い一ト言を吐いたドミトリイ・カラマーゾフも、では彼自身どんな風に人を愛することができたかについては、その後彼に振りかかった言葉に絶した苦難の中で、固く口をつぐんで語っていないが、スラブ魂の権化(ごんげ)のようなミーチャにして既(すで)に然(しか)り、彼に比べればそこらにいる虫ケラの一匹にさえも造(たし)かに劣るこの僕などに、人を愛するとはどういうことかなどと言えた義理ではない。ただ僕は、もろもろの愛に似た感情の中で、愛とは人目に立たぬように最も奥深く慎重に隠されたものであって、惚()れこむとか惑溺(わくでき)するとかという熱情にさえもそれは無縁のものであり、ひたすら自他共に幸福たらんとする堅固で忍耐強い意志の産物だということを、例えばこのような機会に、ただ紙の上で書くことを知っているに過ぎない。

〔北原武夫著『告白的女性論』(旺文社文庫1980年初版)より。p204p206。〕

 

 

★北原武夫

作家。19071973

 

北原氏は、昭和34年に刊行した上書『告白的女性論』が話題となり、その後、女性通というイメージが定着した小説家・評論家。作家の宇野千代は、北原氏の元夫人。



 

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