『カラマーゾフの兄弟』
の中の箇所
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更新:24/02/04)
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北原武夫の論



『カラマーゾフの兄弟』の中の箇所


ドミートリイ「  ―途中、略―  坐(すわ)れよ。俺はな、アリョーシャ、お前をつかまえて、この胸に抱きしめてやりたいよ、それも押しつぶすくらい、ぎゅっとな。なにしろ俺が世界じゅうで本当に……本当の意味で(わかるな!わかるだろう!)愛しているのは、お前一人なんだから!」彼(=ドミートリイ)は最後の一句を何かものに憑()かれたように口走った。「お前だけなんだ、それともう一人《卑(いや)しい女》に惚()れて、そのために一生を棒にふっちまったよ。だけど、()れるってことは、愛するって意味じゃないぜ。惚れるのは、憎みながらでもできることだ。おぼえておくといい!  ―以下、略― 

〔『カラマーゾフの兄弟』の第3部第3章。新潮文庫(原卓也訳)の上巻のp194。〕


北原武夫の論 
〔北原武夫著『告白的女性論』(旺文社文庫1980年初版)より。p204p206。〕

その多くの似たもののうち、その外見の点でも、その中身のただならぬ熱さの点でも、本物の愛の姿と最も間違いやすいのは、恐らくあの嫉妬(しっと)と憎悪(ぞうお)の二つであろう。愛から嫉妬が生まれることはあっても、嫉妬から愛が生まれることはまず滅多(めった)になく、 この二つのものの間には本来それほど深い血縁関係がないことは、僕は前にも書いたが、愛と僧しみの間係が、腹違いの同胞(きょうだい)ほどには密接な関係があると考えている人たちは、今日でも決してそんなに少(すくな)くはない。愛が感情というよりは意志の産物であり、憎しみが観念の産物であることも、従って今日ではまだ多くの人たちに充分認識されていないが、少し疲れたり神経が昂(たか)ぶったりする時、時々気まぐれに愛が姿を変えるあの嫉妬についてはともかく、どんな意味ででも縁のない他人の子であるこの憎しみについては、人はもっと慎重な観察家になる必要があるのではないだろうか。ここで僕にいみじくも(=ちょうど機会よく)思い出されるのは、『カラマーゾフの兄弟』の中で、あの愛すべきミーチャ・ドミトリイ・カラマーゾフが、愛と嫉妬と憎しみの炎に灼()かれた胸を掌(てのひら)で叩(たた)きながら、弟のアリョ−シャに向(むか)って叫んだあの一語である。  
「惚れこむというのと愛するというのは、同じことじゃアないんだ、惚れるというのは相手を憎みながらもできることだからな!いいか、覚えとけよ!」
ドストエフスキーの炯眼(けいがん。=物事の本質を見抜く鋭い眼力。)に注意深く見守られながら、この全くスラブ風な、情熱と直情の酔漢(よっぱらい)が、わめくようにして叫んだこの一ト言(ひとこと)ほど、愛に似たさまざまの諸感情本物の愛の心とを、きびしく峻別(しゅんべつ。=きびしく区別すること。)した言葉はないと僕は思っている。実をいうと、はげしい強打を突然頭に喰(くら)ったような衝撃と一緒(いっしょ)に、愛とは何であるかについて、いくらかでも自分の眼が開いたと僕が思ったのは、それまで何度読んだか分らないこの作品のこの個所(かしょ)に、もう二十何年か前はじめて僕の眼が止まった時なのだが、それにも拘(かかわ)らず、それ以後のそう数多くもない恋愛の際に、一度としてこの言葉が僕の役に立ったことがないのを考えると、見かけは単純なこの言葉の持っている真の意味での難解さが、そのことからかえって逆に僕には思いやられる。そしてまた、そういう時ほど、どんな荒地や荒野をさまよっていても、振り仰(あお)ごうとさえ思えばいつでもその不動の姿を雲間の奥に見定めることのできるあの太陽と同じく、断乎(だんこ)として力強くもあるが永遠に手の届かぬきびしく孤独な存在として、愛というものが僕などの眼に映る時はない。あれほどの力強い一ト言を吐()いたドミトリイ・カラマーゾフも、では彼自身どんな風に人を愛することができたかについては、その後彼に振りかかった言葉に絶した苦難の中で、固く口をつぐんで語っていないが、スラブ魂の権化(ごんげ。=化身。)のようなミーチャにして既(すで)に然(しか)(=そうである。)、彼に比べればそこらにいる虫ケラの一匹にさえも造(たし)かに劣るこの僕などに、人を愛するとはどういうことかなどと言えた義理ではない。ただ僕は、もろもろの(=様々な)愛に似た感情の中で、愛とは人目に立たぬように最も奥深く慎重に隠されたものであって、惚()れこむとか惑溺(わくでき。相手におぼれてしまうこと。)するとかという熱情にさえもそれは無縁のものであり、ひたすら自他共に幸福たらんとする堅固で忍耐強い意志の産物だということを、例(たと)えばこのような機会に、ただ紙の上で書くことを知っているに過ぎない。


★北原武夫氏は、作家。19071973

氏は、昭和34年に刊行した上書『告白的女性論』が話題となり、その後、女性通というイメージが定着した小説家・評論家。作家の宇野千代は、北原氏の元夫人。


 

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