・青字の書は、重要な、あるいは、研究者必携の本。
・「 」は、論文や、ある本の中の文章。
< 日本 ― 4 >
文芸評論家
小林秀雄
文芸・美術評論家。1902〜1983。
『ドストエフスキイの生活』
〔1939年創元社初版。新潮文庫1964年初版(1971改訂版)。 新訂「小林秀雄秀雄全集」第5巻に所収。〕
ドストエフスキーの評伝。
「「罪と罰」について(T・U)」
「「白痴」について(T・U)」
「「悪霊」について」
「「カラマアゾフの兄弟」」
「「地下室の手記」と「永遠の良人」」
「「永遠の良人」」
「「未成年」の独創性について」
(以上は、新訂「小林秀雄秀雄全集」第6巻に所収。)
「ドストエフスキイ七十五年祭に於(お)ける講演」
「ドストエフスキイの時代感」
(他のドストエフスキーに関する雑考も含め、新訂「小林秀雄秀雄全集」第5巻に所収。)
『ドストエフスキイ全論考』
(講談社1981年初版。旧版は、講談社1966年初版『ドストエフスキイ』。)
河上 徹太郎
評論家。1902〜1980。
『わがドストイエフスキー』
(河出書房新社1977年初版)
氏の過去のドスト論の文章を収めている。
阿部六郎
ドイツ文学者・文芸評論家。1904〜1957。元東京芸大教授。 『三太郎の日記』で知られる阿部次郎は兄。
『神の影像』(壮文社1947年刊)の中の分。
『虚無と実存』(新潮社1948年刊)の中の分。
〔「『未成年』について」は、『文芸読本ドストエーフスキー(U)』(河出書房新社1978年初版)に所収。〕
『ドストエフスキー』
(生ける思想叢書。新潮社1949年初版。)
荒 正人
文芸評論家。1913〜。
『ドストエーフスキイの世界』
(荒正人編著。河出ペーパーブックス。河出書房新社1963年刊。)
ドストエフスキーに関して、総合的に紹介している。ドストエフスキーの生涯、四大長編のダイジェスト、主要作品解説、 作品論、後世への影響、背景や環境、座談会、識者のエッセイ、など。
「ドストエフスキー」
(1968年毎日新聞社刊『思想の流れ』に所収。)
佐古 純一郎
文芸評論家。1918〜。
「『罪と罰』におけるキリストの弁証」
(1961年春秋社刊『佐古純一郎著作集』に所収。)
寺田 透
文芸評論家。1914〜。
『ドストエフスキーを読む』
(筑摩書房1978年初版。)
<ドストエフスキー関係の著作の翻訳>
『ドストエフスキー』
(アンドレ・ジイド著。新潮社1955年刊。)
秋山 駿
(しゅん)
文芸評論家。1930〜。
「イッポリートの告白 ― 抽象と現実」
〔他のドストエフスキー論の文章も含め、『内部の人間』(南北社1967年初版。新版として、晶文社1972年初版)に所収。『文芸読本ドストエーフスキー(T)』(河出書房新社1976年初版)にも所収。〕
『地下室の手記』(徳間書店1974年初版。日本文芸社1991初版。)の中のドストエフスキー論。
「批評家の究極へ向かう自我 ― ドストエフスキー」
〔埴谷雄高氏との対談。『特集=ドストエフスキーその核心』(ユリイカ詩と批評6月号。青土社1974年初 版)に所収。〕
桶谷秀昭
(おけたに)
文芸評論家。1932〜。
『ドストエフスキイ』
(河出書房新社1978年初版。)
「死の家と地下室」、及び、五大長編論を所収。
〔 「死の家と地下室」は、『特集=ドストエフスキーその核心』(ユリイカ詩と批評6月号。青土社1974年初版)にも所収。〕
遠丸 立
(とおまる たつ)
文芸評論家・詩人。1926〜。
『無知とドストエフスキー』
(国文社1981年初版。)
「概説・ドストエフスキー論について」
〔特集「ドストエフスキー」(現代のエスプリNo.164。至文堂1981年刊。遠丸立編集・解説。)に所収。〕
横尾和博
文芸評論家。
『村上春樹とドストエフスキー』
(近代文芸社1991年初版。)
ドストエフスキーについての横尾氏のそれまで各雑誌に掲載された論文・エッセイを収めている。
高橋康雄
文芸評論家。 1940〜。
『ドストエフスキーの天使たち』
(大和書房1989年初版。)
子供が描かれていることが多いドストエフスキーの作品を、「子供」という観点から論じている。
山城 むつみ
文芸評論家。 1960〜。
『ドストエフスキー』
(講談社2010年初版。講談社学術文庫2015年初版。)
ドストエフスキー文学の本質をバフチンが用いたロシア語の「ラズノグラーシエ(異和)」という概念で読み解くことから始めて、五大長編を中心に論じている。2004年から2010年まで『文学界』『群像』に不定期的に掲載された文章を収録している。
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