(1).
氏は、自分の見た夢の「夢判断」や、聖書を適当に開いて行う「聖書占い」を好んだ。
創作の合間や精神的に不安定な時などには、「ピラミッド(トランプの一人遊びの一つ)」に熱中した。
(2).
氏は、飲酒は好んだが、酔いつぶれるほどの大酒は、生涯、差し控えていた。
氏は朝食持に、健康によいとみなして、黒パンをかじりつつ、ウォートカ(小麦を発酵させて作った自家製ウォッカ)を少し口に含んで飲む習慣があった。妻アンナの証言では、氏は晩酌でもウォートカをグラスに一杯ずつ飲んでいた。
外国滞在中は、ブドウ酒やビールを飲むのを好んだ。
父からの遺伝からか酒に弱くはなかったようだが、父の二の舞は踏むまいと、生涯、 飲酒に関しては度を越すことは決してなかった。
〔以上は、箕浦達二氏の文章「ドストエフスキーと酒とタバコと」などより。〕
氏は、お茶(紅茶)が大好きだった。
氏は、甘い食べ物(アイスクリーム・砂糖菓子・甘い果物など)を好んだ。
果物は、梨(グルーシャ)が大好物だった。
書斎の抽斗(ひきだし)に果物やお菓子を常時しまっておいて、夜間の創作の合間に、
しばしば、間食(氏には、間食の習慣があった)として、それらを食した。
ヘビースモーカーでもあった。
氏の創作は、深夜に行われ、欧州旅行中の宿舎や書斎での仕事中は、考えることがあると部屋の中をぐるぐる回り、さかんに濃い紅茶・濃いコーヒーを飲み、巻きタバコを吹かした。
(3).
氏は、音楽や絵画の鑑賞も好んだ。
欧州滞在中は、頻繁に美術館や演奏会を見に聴きにいっている。
氏は音楽に詳しくて、交響曲や歌劇を好み、ベートーヴェン・メンデルスゾーン・ロッシーニ・モーツァルトの曲を好んで聴いた。(ワグナーの曲は嫌いだった。)
青年期には、音楽家が登場してくる中編の音楽小説『ネートチカ・ネズワーノワ』を書き残している。
氏は、気分や機嫌がいい時には、好きな歌をよく口ずさんだ。
欧州滞在中に各美術館で観た、
・ハンス‐ホルバイン作「イエス・キリストの屍(しかばね)」(スイスのバーゼル博物館)
・クロード‐ロラン作「アキスとガラテヤ」(ドイツのドレスデン美術館)
・ラファエロ作「システィナのマドンナ」(ドイツのドレスデン美術館)
を初め、感銘や衝撃を受けた絵画は、氏の小説の中で、重要なテーマを示すものとして使われ、また、作中で、登場人物を、ある知られた肖像画に見立てることも行なっている。
『悪霊』においては、ステパン氏の容姿が詩人クーコリニクの石版刷り肖像画(新潮文庫上巻のp27)に、
『カラ兄弟』においては、スメルジャコフが画家クラムスコイ作の「瞑想する人」に、
見立てられている(新潮文庫上巻のp239)。
氏は、上のラファエロ作の絵「システィナのマドンナ」を、ことのほか愛し、
知人からもらったその複製を書斎の壁に掲げて、朝な夕な、眺めるのを好んだ。
氏は、ダンスもうまく、特にマズルカが好きで、子供たちとよく、家で元気よく上手に踊った。
(4).
氏は、朗読や演説がうまくて、アジテーター(扇動家)としての才能があり、しばしば「文学の夕べ」
などの場に招待されて、自分の小説の箇所などを巧みに朗読して、聴く人を魅了した。
晩年のモスクワでの「プーシキン記念祭」における記念講演は、神がかり的な熱の入った演説として、 聴衆を、感涙と相互の和解の渦(うず)にひきいれた。
(5).
氏は、むずかる赤子や子どもたちをうまくあやす才能を持っていた。
子どもたちに不思議と好かれた。
(6).
欧州滞在中の氏のルーレット狂は有名だが、最初は金銭上の窮迫から一攫(いっかく)千金を目当てに カジノ通いを始めてルーレットの魔力に魅せられたことによるものだったが、一方で、氏のルーレット狂と
氏の創作意欲とは相関関係にあったようであり、当時は、あり金全部をルーレットですってしまうまで は氏は小説が書けず、ルーレットで、あり金をはたいてしまうと、やっと何か重荷から解き放たれたように、氏は創作意欲が出てきて小説を書き始めるというあり様であった。妻アンナも、そのあたりのことを
心得てか、夫の創作がすすまない時は、貧窮にあっても家財や衣服まで質入れして金を工面して、 夫をむしろ急(せ)かせてまでカジノに送り出すといった具合であった。このルーレット狂は、欧州からの帰国後の50歳以降には、ぴたりと止(や)んでいる。
若い頃は、玉突き(ビリヤード)やカードの賭け事にも、熱中している。
(7).
氏は、筆まめであり、所用でわが家の妻子から離れている間は、その行(い)った先々から、 ひまさえあれば、妻アンナや我が子にあてて、妻への変わらぬ愛や自分のさみしさを赤裸々に述べ
妻子の様子をうかがう手紙を書いて送っている。
知人や出版社への手紙は、金銭の無心や前借りを請(こ)うたものがやたらに多いが、
近況や創作の構想の状況など、氏の身のまわりのことも、こまめにつづっていて、 氏の書簡は、「日記」を残すことのなかった氏の、日々の生活上の出来事や心境を報告している貴重な書になっている。
氏の研究者の多くは、氏の書簡の上手さ(芸術的価値)を低く評価しているが、氏自身は、しばしば、自分は手紙をうまく書くことは苦手だ、と自ら告白している。
(8).
氏は、若い頃から、古今内外の小説の読書を中心にして、大の読書家であり、 この読書好きの傾向は、生涯引き続いた。
また、世間の事件に対して常に関心を持ち、新聞の三面記事を丹念に読むことを日々欠かさなかった。
(9).
氏は、学校で受けたドイツ語・フランス語をもとに、20歳台初めまでに外国語では、ドイツ語とフランス語を習得していて、ヨーロッパの小説や著作を原書やドイツ語訳・フランス語訳で読むことができた。ただし、英語は、生涯、習得する機会を持たなかった。
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