出自・家柄・身内の面
出自・出身がユニークな武将
豊臣秀吉、田中吉政
(百姓の家に生まれた。)
福島正則
(桶屋の息子だった。)
加藤嘉明
(馬喰(ばくろう)上がりの武将。)
本多正信
(鷹匠上がりだった。)
滝川一益
(甲賀の忍者だった。)
蜂須賀小六
(尾張の土豪の首領だった。)
小西行長
(堺の豪商の家に生まれた。)
安国寺恵瓊、前田玄以
(お寺の住職だった。)
小姓上がりだった武将
(〔 〕は小姓として仕えた主君)
高坂昌信
〔武田信玄〕
直江兼続
〔上杉謙信〕
石田三成
〔豊臣秀吉〕
前田利家、蒲生氏郷、堀秀政
〔織田信長〕
井伊直政
〔徳川家康〕
近江出身の武将
石田三成
長束正家
増田長盛
黒田 官兵衛<!>
蒲生氏郷
藤堂高虎<!>
片桐且元
妻の「内助の功」で有名な武将
豊臣秀吉
前田利家
明智光秀
山内一豊
正室・側室が美人だ
った武将とその妻
徳川家康
側室の茶阿の方
(ちゃあのかた。茶阿(ちゃ
あの)局。於茶阿(おちゃ
あ)の方。お久の方。遠
江国金谷村の鋳物師の
後妻だったが、夫を殺さ
れたあと、出会って家康
の側室となる。忠輝の生
母。かなりの美貌の持ち
主で、気が強かった。)
※大柄で家康に気に入られ
て近侍した阿茶局(あちゃ
のつぼね)は別の側室。
側室のお六の方
(おろくのかた。お梶の方の
小間使いだったがその美
貌に家康が目を付け、側
室となった。)
側室の西郷局
(さいごうのつぼね。お愛の
方。秀忠、忠吉の生母。美
人だったが、おっとりした人
柄で家臣や侍女にも好か
れた。)
真田信之
正室の小松姫
(本多忠勝の娘)
豊臣秀吉
側室の淀君
側室の京極竜子(松の丸殿)
(京極高次の妹。元武田元
明の正室。)
側室のお福
(京極高次の妹。元宇喜多
直家の正室。)
側室の甲斐姫
(忍城城主成田氏長の長
女・「東国無双の美人」)
豊臣秀次
側室の駒姫
(最上義光の娘・「東国随
一の美女」)
正室の一の台
(菊亭晴季の娘)
織田信長
正室の濃姫(のうひめ)
側室の吉乃(きつの)
浅井長政、柴田勝家
正室のお市の方
(織田信長の妹・「戦国一
の美女」)
佐治信方、細川昭元
正室のお犬の方
(織田信長の妹・
楊貴妃観音」)
蒲生氏郷
正室の冬姫
(信長の娘)
遠山景任、秋山信友
正室のおつやの方
(信長の叔母)
武田信虎
正室の大井夫人
武田信玄
正室の三条夫人
側室の諏訪御料人
側室の禰津夫人
側室の油川夫人
明智光秀
正室の熙子
細川忠興
正室の細川ガラシャ
(明智光秀の娘)
伊達政宗
正室の愛姫(めごひめ・
田村御前)
(陸奥の田村清顕(坂
上田村麻呂の後裔)の娘)
松平忠輝
正室の五郎八姫(いろはひめ)
(伊達政宗の娘)
立花宗茂
正室のァ千代(ぎんちよ)
宇喜多直家
正室のお福
宇喜多秀家
正室の豪姫
(前田利家の四女)
荒木村重
正室のだし
(「今楊貴妃」)
武田光和、三須房清
(安芸武田氏当主)
正室の○○
(熊谷信直の妹。
絶世の美人
と言われた。)
正室が不美人だった武将
吉川元春
正室の新庄局
(またとない不美人として評判だった熊谷信直の娘を望んで妻とした。彼女は、広家を生み、良妻としてよく仕えた。)
正室・側室に美人ばかりを
置いた武将
武田信玄
武田信虎
織田信長
豊臣秀吉
子宝に恵まれた武将
北条氏康
毛利元就
織田信秀
(正室と多くの側室と
の間に12人の息子
と10人以上の娘
をもうけた。)
明智光秀
森 可成
(正室のえい(妙向尼)
との間に、長可・蘭丸
をはじめ6男3女
をもうけた。)
正室の子を得ず側
室の子を数多く得た武将
織田信長
徳川家康
島津忠恒
(ただつね。島津藩
初代藩主。義弘の
三男。正室の子はお
らず、側室との間に
33人もの子女を
もうけた。)
子宝に恵まれなかった武将
豊臣秀吉
小早川隆景
(実子を得られなかった。)
山内一豊
(正室千代との間に女
子を一人もうけるが、
天正大地震で被災し
て6歳で失っている。
彼女以外は実子は
得られなかった。)
実子を幼少期に失い、
実子の跡継ぎを得られ
なかった武将
朝倉義景
(二人の男子は幼
少で亡くなっている。)
愛妻家だった武将
明智光秀
細川忠興
吉川元春
山内一豊
森
可成
側室を持たなかった武将
明智光秀
直江兼続
黒田官兵衛
山内一豊
柴田勝家
吉川元春
藤堂高虎
小早川隆景
尼子経久
蒲生氏郷
大内義興
正室がいる間は側室は
持たなかった武将
毛利元就
細川忠興
側室を数度しか持た
なかった武将
徳川秀忠
(※側室の子として
保科正之など)
側室は持たなかったが、
城内女中や商売女に
は手を出していた武将
前田利長
恐妻家だった武将
徳川秀忠
福島正則
井伊直政
真田信之
立花宗茂
大友宗麟
生涯、妻帯せず
独身だった武将
上杉謙信
親子ともに知られた武将
(養子だった息子は除く。)
徳川家康
―松平信康
(長男。武田方に通じていた疑いで信長の命で若くして切腹した。)
―結城秀康
(次男。家康から敬遠された。のちに越前北の庄城主。)
―徳川秀忠
(三男。徳川第二代将軍。)
―松平忠吉
(ただよし。四男。関ヶ原の合戦で活躍。)
―松平忠輝
(ただてる。六男、幼少より家康に嫌われる。)
結城秀康
―松平忠直(大坂夏の陣で活躍)
織田信秀
―織田信広
(嫡男。信長の庶兄。伊勢長島一向一揆攻めで戦死。)
―織田信時
(二男?。信長の庶兄?。信長の家老と謀って信長への謀反を企てている。家臣の妬みを買って攻められて切腹した。)
―織田信長
(三男。)
―織田信行
(=信勝。四男。信長の弟。信長派と家督争いの末、謀殺される。)
―織田信包
(のぶかね。四男?。信長の弟。信長の一門衆の筆頭格として信長の信頼も厚くて信長にしたがって伊勢攻略をはじめ各地を転戦して功を上げ、信忠、信雄の補佐役もつとめた。浅井家滅亡の際には浅井長政に嫁いでいたお市とその娘たちを保護し世話をした。本能寺の変の勃発においては領国にいて動くこともできず何もしなかった。変のあとは、豊臣秀吉に仕え、伊勢の安濃津城を領した。小田原征伐では北条家親子の助命を嘆願したため秀吉の怒りを改易となる。その後は隠棲したが秀吉から領地を与えられて丹波柏原城主となるり、秀吉の御伽衆に加わっている。関ケ原の戦いで西軍に属して丹後田辺城攻撃などに参戦したものの、戦後に徳川家康は信包の罪を問わず、所領を安堵された。その後、大坂城にあって姪孫である豊臣秀頼を補佐したが、大坂冬の陣直前に大坂城内で吐血して急死した。毒殺されたの疑いあり。)
―織田信治
(のぶはる。五男。信長の弟。宇佐山城の戦いで討ち死にした。)
―織田信興
(のぶおき。七男。信長の弟。伊勢長島の一向宗徒に居城を攻められて自害。)
―織田有楽斎
(=長益。うらくさい。十一男。信長の弟。)
織田信長
―織田信忠
(のぶただ・長男。本能寺の変の際に近くの二条御所にいたが攻められ自害。享年25歳。)
―織田信雄
(のぶかつ・次男)
―織田信孝
(のぶたか・三男)
―羽柴秀勝
(ひでかつ・四男。豊臣秀吉の養子となる。)
豊臣秀吉
―豊臣秀頼
真田幸隆
―真田信綱
―真田昌輝
―真田昌幸
真田昌幸
―真田信之(長男)
―真田幸村(次男)
島津忠良
―島津貴久
島津貴久
―島津義久(長男)
―島津義弘(二男)
―島津歳久(としひさ・三男)
―島津家久(四男)
島津家久
―島津豊久
(叔父義弘とともに関ヶ原の合戦の本戦に参加。退き口において叔父の身代わりとなり討ち死。)
島津義弘
―島津忠恒
(ただつね・薩摩藩初代藩主。義弘の三男。家久とも称した。)
黒田官兵衛
―黒田長政
毛利元就
―毛利隆元
(長男)
―吉川元春
(次男)
―小早川隆景
(三男)
毛利隆元
―毛利輝元
吉川元春
―吉川広家
武田信玄
― 武田義信
(長男、父に似た器量があった。信玄暗殺を企てた謀反にかかわったとされ、幽閉されて死亡。享年30歳。)、
― 武田勝頼
(四男)
― 仁科盛信
(五男)
― 一条信龍
(八男・末っ子)
武田勝頼
―武田信勝
(長男、父とともに天目山で自刃・享年16)
武田信繁
―武田信豊
(次男、信玄・勝頼に仕える。)
北条早雲
―北条氏綱
(長男。後北条家二代目当主。)
―北条幻庵
(末っ子。97歳まで生き、後北条家五代にわたって仕えた北条家の重臣。俵征伐の9ヶ月前に死去。)
北条氏綱
―北条氏康
(嫡男。後北条家三代目当主。)
北条氏康
―北条氏政
(うじまさ・次男。後北条家四代目当主。北条家の民政や領地経営などを担った政治家として有能だった。小田原征伐の和議の条件として弟の氏照とともに切腹となった。)
―北条氏照
(うじてる・三男。知勇兼備の武将。北条家の戦役と外務を担った。弟の氏邦とともに武勇にすぐれていた。小田原征伐の和議の条件として兄の氏政とともに切腹となった。)
―北条氏規
(うじのり・四男。兄弟のうち、家康とは今川家において幼い頃から親交があり、秀吉への臣従を唱え続けた知将とされている。豊臣方とその交渉を続けたものの実らず、小田原征伐では寡兵で韮山城にて抗戦を続けたが家康らの説得で開城した。二人の兄の切腹においてその介錯をした。戦後は、高野山に蟄居処分となった北条氏直に従って高野山に赴いて蟄居した。のちに秀吉に許され、狭山に領地を与えられて大名に復した。)
―北条氏邦
(うじくに・五男。兄弟のうち、激しやすい荒武者・猛将とされていて、氏照とともに武勇にすぐれていた。林業や養蚕の奨励に熱心で、のちに一大産業となる上野の生糸生産の基礎を築いている。小田原征伐においては野戦を唱えたが受け入れられず居城・鉢形城に籠もって抗戦するも城を包囲されると出家姿になり、正竜寺に蟄居して降伏・開城し、前田利家の助命嘆願で剃髪することでゆるされ、戦後は前田利家の家臣となり、加賀金沢にて病没。)
―上杉景虎
(かげとら・七男。上杉謙信の養子となるが、のちに、家督争いで景勝に敗れて自害。享年26歳。)
北条氏政
―北条氏直
(うじなお・次男。後北条家五代目当主。)
今川氏親(うじちか)
―今川氏輝(長男)
―今川義元(五男)
今川義元
―今川氏真(うじざね)
前田利家
―前田利長(長男)
―前田利政(二男)
―前田利常(四男)
蜂須賀 小六
―蜂須賀 家政(長男)
(親子ともに秀吉麾下で活躍した。家政は81歳まで生きて、さらに家康〜家光と仕えた。)
浅野長政
―浅野幸長
(よしなが・長男)
―浅野長晟
(ながあきら・二男)
―浅野長重
(三男、のちに播磨藩主となり、赤穂事件の浅野内匠頭は孫<!>、大石内蔵助は家臣)
山内盛豊
―山内一豊
(長男)
―山内康豊
(次男。一豊をよく補佐した。土佐では支藩の土佐中村藩2万石の藩主となった。一豊に男子がなくて、一豊逝去ののちは、長男の忠義が家督を継いで第二代土佐藩主となった。)
池田恒興
―池田輝政
斎藤道三
―斎藤義龍
斎藤義龍
―斎藤龍興
佐竹義重
―佐竹義宜(よしのぶ)
長宗我部元親
―長宗我部信親(長男)
―長宗我部盛親(四男)
高橋紹運(じょううん)
―立花宗茂
長尾政景
―上杉景勝(二男)
宇喜多直家
―宇喜多秀家
森 可成(よしなり)
―森
可隆(よしたか・長男)
(宇佐山城の戦いで父と討
ち死にした。享年19。)
―森 長可(ながよし・次男)
(小牧長久手の戦いで
討ち死した。享年27。)
―森 蘭丸(成利・3男)
(信長に近侍し本能寺の変
で討ち死した。享年18。)
―森 坊丸(長隆・4男)
(信長に近侍し本能寺の変
で討ち死した。享年17。)
―森 力丸(長氏・5男)
(信長に近侍し本能寺の変
で討ち死した。享年15。)
―森
忠政(6男)
(秀吉・家康に仕える。
美作津山藩初代藩主。)
片倉景綱
―片倉重長
(大坂の陣で活躍)
竹中半兵衛(重治)
―竹中重門
堀尾吉晴
―堀尾忠氏
生駒親正
―生駒一正
本多忠勝
―本多忠政(長男)
―本多忠朝(ただとも・二男)
井伊直政
―井伊直孝
本多正信
―本多正純(まさずみ・長男)
―本多政重(次男)
大久保忠世(ただよ)
―大久保忠隣(ただちか)
丹羽長秀
―丹羽長重
蒲生賢秀
(父の定秀とともに六角家に仕えた。)
―蒲生氏郷
稲葉良通(よしみち・=一鉄)
―稲葉貞通(さだみち)
柳生宗厳(むねよし=石舟斎)
―柳生宗矩(むねのり)
―柳生三厳(みつよし=十兵衛)
大内義興
―大内義隆
陶興房
―陶晴賢
小幡虎盛
―小幡昌盛
(ともに武田二十四将の一人)
小山田信有
―小山田信茂
六角定頼
―六角義賢(よしかた)
朝倉孝景
―朝倉義景
千秋季光
―千秋季忠
(熱田神宮の大宮司。ともに織田家に仕えた。)
(養子の息子を含む親子のぶん)
十河一存
(かずまさ。三好長慶の実弟。三好長慶を軍事面で補佐し支え、鬼十河と称された。)
― 十河存保
(まさやす。一存の養子となり、十河家を継いだ。九州での戸次川の戦いで存之とともに討ち死にした。)
― 十河存之
(まさゆき。一存の庶子。十河家の存保の家老となる。)
兄弟ともに武将だった武将
(上の項に挙げている分以外で。養子だった兄弟は除く。)
豊臣秀吉
―豊臣秀長(弟)
織田信長
―織田有楽斎(弟)
―織田信包(のぶかね・弟)
武田信玄
―武田信繁
(弟。信玄の補佐役として活躍。第四次川中島の戦いで本陣を守って戦死。享年37歳、)
―武田信廉
(のぶかど・弟。容姿が信玄と瓜二つで信玄の影武者を務めた。武芸よりも絵画や文芸に秀でていた。)
真田昌幸
―真田信綱
(兄。武田信玄に仕えた名将、長篠の合戦で戦死。)
―真田昌輝
(兄。武田信玄に仕えた。長篠の合戦で戦死。)
―真田信尹
(のぶただ・弟。四方の大名との外交折衝面で活躍。)
前田利長
―前田利政(次男)
―前田利常(三男)
飯富昌虎
(おぶ・武田信玄・武田義信に仕えた。)
―山県昌景<!>
京極高次(たかつぐ)
―京極高知(たかとも・弟)
石田三成
―石田正澄
(まさずみ・兄。能吏として同じく秀吉に仕えた。)<!>
本多正信
―本多正重(弟) <!>
三好長慶
―十河一存(弟)<!>
佐竹義宜
―葦名義広(あしな・兄)
(のちに、盛重。蘆名家に養子に入り、会津黒川城主となる。伊達政宗との戦いに敗れて生家の佐竹家へ戻った。)
竹中半兵衛(重治)
―竹中重矩(しげのり・弟)
大久保忠世
―大久保忠佐(ただすけ・弟)
―大久保忠教(ただたか・弟
=大久保彦左衛門)
大野治長
(はるなが。長男。大坂夏の陣で山里曲輪で秀頼、淀君、母の大蔵卿局とともに自害。)
―大野治房
(はるふさ。次男。大坂夏の陣で豊臣方として戦った。)
―大野治胤
(はるたね。三男。大坂夏の陣で豊臣方として戦い、大坂城の落城の際に城から逃げて、捕まり、火あぶりの刑に処せられた。)
―大野治純
(はるずみ。四男。徳川家康に仕え、大坂夏の陣では和睦のための徳川方の使者をつとめた。大坂城落城を知り、自害した。)
山岡景隆
―山岡景佐(かげすけ・弟)
(いずれも、本能寺の変のあと、領地南近江の瀬田橋を落として明智勢の安土城への進軍を妨害した。)
細川藤孝(=細川幽斎)
―三淵藤英
(みつぶちふじひで。異母兄。弟藤孝とともに、足利義輝・足利義昭の奉公衆となる。次男の光行は細川家に預けられて、関ヶ原の合戦の前哨戦である田辺籠城戦で活躍した。)
(従兄弟だった武将)
伊達政宗
―伊達成実(しげざね)、
伊達政宗
―佐竹義宜(よしのぶ)<!>
竹中半兵衛(重治)
―竹中重利
(半兵衛の没後同じく秀吉に仕える。のちに豊後府内2万石に加増転封。)
(乳兄弟だった武将)
織田信長
―池田恒興
豊臣秀頼
―▲木村重成
影武者がいて、影武
者をよく用いた武将
真田幸村
(戦場で数多くの影武者を用いた。)
藤堂高虎
(生涯、50人近くの影武者がいた。)<!>
徳川家康
武田信玄
明智光秀<!>
蒲生氏郷<!>
大谷吉継<!>
山内一豊
(土佐に入国してのち、半分子たちから身を守るため領内の視察において6人の影武者(同装束六人衆)を同行させている。)
すぐれた名僧を師匠・参謀・懐刀・ブレーン・相談役とした武将
徳川家康
[太原雪斎、天海、金地院崇伝]
豊臣秀吉
[安国寺恵瓊]
織田信長
[沢彦宗恩]
今川義元
[太原雪斎]
武田信玄
[快川紹喜、岐秀元伯]
上杉謙信
[清胤]
明智光秀
[快川紹喜]
伊達政宗
[虎哉宗乙]
柳生宗矩
[沢庵宗彭]
思想・信条の面
キリシタンだった武将
高山右近、
小西行長、
黒田官兵衛<!>
黒田長政<!>
蒲生氏郷
京極高次
田中吉政
宗義智
(よしとし・対馬の領主)
毛利秀包
(ひでかね・元就の8男)
大友宗麟
大村純忠
(肥前大村の大名)
有馬晴信
(肥前日野江城主)
明石全登
(宇喜多秀家麾下の名将、
大坂夏の陣でも秀頼方につく。)
松平忠輝<!>
(徳川家康の六男。家康に疎んじられた。)
仏教の信奉者だった武将
加藤清正
(日蓮宗の信仰者だった。)
徳川家康
(「厭離穢土・欣求浄土」を掲げて、日々、念仏を書写していた)
神仏への信仰心
が篤(あつ)かった武将
武田信玄
上杉謙信
僧であり、僧や信徒の
集団の統率者であった武将
下間頼廉
(しもつま。本願寺の顕如に仕えて一向宗を統率した。)
体格・容姿・身体の面
長身、大男、巨漢だった武将
三浦義意
(よしおき・北条氏に滅ぼされた相模
の三浦一族の当主、背丈は7尺5寸(
=227cm)もあったらしい)<!>
風魔 小太郎
(北条方の間者の頭領。7尺2寸(216cm)もあった?)
武田光和
(みつかず・安芸武田氏の武将。元繁
の子。7尺(2.1m)余りあった。)
真柄直隆
(朝倉家の客将。姉川の戦いで討ち
死。196cm・252kg<!>。)
前田 慶次郎
(2m余りあった?)<!>
直江兼続
(6尺超、197cm?)<!>
斎藤義龍
(道三の長男。
6尺5寸あったらしい。)
豊臣秀頼
(6尺5寸あったら
しい<!!>、
かつ、太っていた。)
加藤清正
(6尺3寸。
※実際は5尺3寸だっ
たという説もあり)
藤堂高虎
(6尺2寸(190cm)・
110kg余りあった。
プロレスラー秋山準
の体格とほぼ同じ。)
真田信之
(6尺1寸(185cm))
前田利家
(182cm)<!>
浅井長政
(180cm強)
後藤 又兵衛
(6尺超。大坂の役の
頃は肥満化していた。)
最上義光
(6尺超)
山中 鹿之助
(6尺余り)
津軽為信
(6尺余り)
滝川一益
(6尺以上)
島 左近
(6尺前後?)<!>
長宗我部元親
(信親・盛親の父。6尺余り。)
長宗我部信親
(元親の長男。6尺1寸。)
長宗我部盛親
(元親の四男。6尺前後。)
黒田一成
(黒田家家臣。大兵肥
満で身の丈6尺の
巨漢だった。)
佐久間 盛政
(6尺)
塙 団右衛門
(ばん。巨漢だった。)
でっぷりと太っていた武将
武田信玄
今川義元
浅井長政
龍造寺隆信
(肥前龍造寺宗家)
豊臣秀頼
藤堂高虎
塙 団右衛門
黒田一成
がっしりしていて筋
骨隆々だった武将
徳川家康<!>
島 左近
伊達政宗
小男だった武将
池田輝政
(130cm?本人自
身も気にしていた。)
山県昌景
(140cm強?)
本多忠勝
(156cm?、162cm〜
165cm?、140cm台?、
130cm台?
(<!!>)
豊臣秀吉
(140cm?)
徳川家康
(155〜158cmと推
定されている)<!>
石田三成
(墓の発掘調査によると
156cm前後とされた)<!>
伊達政宗
(墓の発掘調査によると
159cmと推定されている)<!>
※当時の成年男子
平均身長は157センチメ
ートルと言われている。
その肖像画に心ひかれる武将とその肖像画
石田三成
蒲生氏郷
毛利輝元
美男だった武将
([ ]は、投稿者名。)
宇喜多秀家
(母が絶世の美形だけに美男だった。)
高坂昌信
(少年時に武田信玄の奥近習となる。
武田家の名将。)
木村重成
(大坂夏の陣で颯爽(さっそう)と登場し壮絶な最期を遂げた若武者。)
森蘭丸
(信長に近侍した小姓。本能寺の変で信長とともに討死した。享年17歳。)
上杉景虎
(北条氏康の七男。上杉謙信の養子となるが、のちに、家督争いで景勝に敗れて自害。享年26歳。)
陶 晴賢
(中国地方の大名大内義隆の家臣。のちに主君を討ち領国の実権を握るが、そのあと、厳島の合戦で毛利方に敗れ、自刃。)
長宗我部 元親
(四国を平定するも、秀吉の四国遠征で降伏し、領国は土佐へと戻る。)
長宗我部 信親
(元親の長男。秀吉の九州征伐の際、戸次川の戦いで島津軍と戦い、惜しく討死した。享年22歳。)
[がろっと]
片倉重長
(伊達政宗の名参謀片倉景綱の長男。大坂夏の陣で伊達政宗軍の先鋒隊長として活躍。)
永井直勝
(美少年で徳川信康の小姓となり、のちに徳川家康に仕えて活躍し古河城主となる。その子孫に、作家の永井荷風、三島由紀夫などがいる<!>。)
名古屋山三郎(さんさぶろう)
浅香庄三郎
不破万作(ふわばんさく)
(※この三者は「戦国三大美童」と称された。前者二人は、蒲生氏郷の家臣。後者は豊臣秀次の小姓で、のちに秀次切腹の際に殉じた。享年18歳。)
真田大助
(真田幸村の長男。大阪夏の陣で豊臣秀頼のかたわらで殉じた。享年14歳。母は大谷吉継の娘だけに美形だったか。)
織田信長
織田信孝
(信長の三男)
松平忠吉
(家康の四男)
井伊直政
明智光秀
石田三成
大谷吉継<!>
直江兼続
小早川隆景
伊達政宗
斎藤道三<!>
(※青年期は美男だ
ったとのこと)
細川忠興
山中鹿之助
高山右近
島津豊久
※、上記の半分以上がそうであ
るように、武将は養子や小姓に
賢い美少年を選ぶことが多かっ
たから、小姓上がりや養子だっ
た武将は美男や智将が多い。
良(い)いお顔をしていた武将
小早川隆景
北条氏康
黒田官兵衛
威厳や貫禄のあるお顔をしていた武将
武田信玄
毛利輝元<!>
容貌魁偉だった武将
松平忠輝(家康の6男)
龍造寺隆信(肥前龍造寺宗家)
山本勘助(武田信玄の名参謀)
安国寺恵瓊
頭部がでかかった武将
安国寺恵瓊
(頭部が鉢開きで目立った。)
頭部が小さかった武将
豊臣秀吉
顔が長かった武将
吉川広家
(父元春の顔は四角っぽいのに!)<!>
顔中、髭面(ひげ
づら)だった武将
柴田勝家
加藤清正
津軽為信
(陸奥弘前藩主)
最上義光
(よしあき、山形城主)
公卿のように顔に化
粧やお歯黒を施していた武将
今川義元
目が大きかった武将
池田輝政
眉毛が八の字の武将
黒田長政<!>
小早川秀秋
眉毛が太くて濃かった武将
稲葉良通(=一鉄)
身体が不自由・異形だった武将
(足が不自由だった武将)
黒田官兵衛
(土牢に一年間幽閉されている間に足が悪くなり、頭に瘡蓋(かさぶた)が、でき、以降足萎(あしな)えとなり、頭には頭巾を被っていた。)
立花道雪
(どうせつ。宗茂の養父。落雷に遭(あ)って歩行がかなわなくなり、そののちは、担(かつ)がせた駕籠(かご)に乗って戦闘の指揮をとった。)
大谷吉継
(癩(らい)が進行し顔が崩れ足も不自由になり、しまいには失明した。日常、顔を布で包み隠していて戦場では担(かつ)せた駕籠に乗って指揮をとった。)
本多重次
(=本多 作左衛門。戦傷のため片足が不自由な状態だった。全身に多くの傷跡があり、手足のいくつかの指を損傷し、片目はえぐれ失明していた。)
(隻眼の武将)
伊達政宗
山本勘助
(右足や手も不自由だった)
(身体に傷や損傷があった武将)
藤堂高虎
(全身に多くの傷跡があり、手足のいくつかの指を損傷していた。)<!>
北条氏康
(身体の前面に多くの傷を負っていて、「氏康の向疵」と呼ばれた。)<!>
井伊直政
(戦でつねに先陣を切り、重装備で臨みながら、全身に数多くの戦があった。)
高山右近
(首筋に重傷のあとの刀傷があった。)
山内一豊
(矢で射貫かれた頬に傷が残った。)
細川忠興
(右の額に投石で受けた傷、鼻に刃物で切り裂かれた傷があった。)
(その他)
豊臣秀吉
(右手の指が六本あった。<!!>)
奇抜な身なりを好んだ武将
前田慶次郎
穴山梅雪
織田有楽斎
織田信長
豊臣秀吉
伊達政宗
前田利家
松平忠輝
仙石秀久
(陣羽織一面に鈴を縫い付けて戦場を駆け、額を独自に剃り上げていた。)
戦場で被る兜の形や前立(まえだて)がユニークだった武将
伊達政宗
(長い三日月型の前立)
山中鹿之助
(三日月の前立)
黒田長政(←)福島正則(←)竹中半兵衛
(一ノ谷兜)<!!>
※一ノ谷兜物語
福島正則(←)黒田長政
(大水牛型兜)<!>
本多忠勝
(鹿角脇立兜・獅噛の前立)<!>
真田幸村
(鹿角脇立・六問銭の前立・赤色兜)<!>
石田三成
(乱髪兜・天衝脇立・前方の鉢金)<!>
井伊直政
(朱塗り兜・天衝脇立)
蒲生氏郷
(銀箔押しの鯰尾兜<!>
燕尾形兜<!>)
黒田官兵衛
(赤漆塗合子形(ごうすなり)兜)<!>
加藤清正
(銀箔押の長鳥帽子型兜・法華経の題目と経文を記した前立)
細川忠興
(山鳥の尾を羽根飾りを立てたもの)<!>
藤堂高虎
(左右に長く張り出した葉状の脇立)<!>
伊達成実
(百足の前立)<!!>
直江兼続
(「愛」の前立)<!!>
豊臣秀吉
(馬蘭後立付兜)
徳川家康
(歯朶の前立・大黒頭巾兜、
ヤクの尾毛を飾りに使った兜)
織田信長
(南蛮甲冑の兜、
木瓜紋(もっこうもん)の前立・兎大身耳側立)
上杉謙信
(飯網権現の前立<!>
日月の前立<!>)
武田信玄
(諏訪法性の兜)
率いる隊全体が「赤備え(あかぞなえ)」で知られた武将
飯富昌虎
(おぶ。武田信玄・武田義信に仕えた。)
山県昌景
小幡信貞
(武田信玄に仕えた。上野国峰城主。)
浅利信種
(武田信玄に仕えた。)
真田幸村
井伊直政
性格・性癖・嗜好の面
寡黙で、笑うことが
ほとんどなかった武将
上杉景勝
寡黙だった武将
池田輝政<!>
おっとりしていて、
戦(いくさ)を嫌った武将
朝倉義景
温和で誠実な人柄
で愛された武将
堀尾吉晴
(「仏の茂助」と呼ばれた。)
幼い頃から聡明だった武将
石田三成
直江兼続
佐竹義重
(義宜の父)
つねに用意周到だった武将
加藤清正
石田三成
明智光秀
徳川家康
小早川隆景
何をやっても落ち度がなく
て名人と言われた武将
堀 秀政
石田三成
筆まめだった武将
徳川家康
伊達政宗
毛利元就
細川忠興
自ら精のつくものや薬
になるものを調合し
て食していた武将
徳川家康
伊達政宗
温泉につかるの
が好きだった武将
武田信玄
豊臣秀吉
鷹狩りを好んだ武将
徳川家康
織田信長
伊達政宗
碁を好んだ武将
徳川家康
織田信長
真田昌幸
尼子経久
将棋を好んだ武将
尼子経久
能を好み、その名
手だった武将
織田信忠
豊臣秀吉
織田信長
徳川家康
鼓み打ちを好んだ武将
徳川秀忠
徳川家康
老年になっても精
力絶倫だった武将
徳川家康
毛利元就
年増の女性を好んだ武将
徳川家康
良家の若い女性
を好んだ武将
豊臣秀吉
かなりの男色家だった武将
小早川秀秋
北条氏直
織田信雄
上杉謙信
柴田勝家<!>
かなりのバイセクシュ
アル(両刀使い)だった武将
織田信長
武田信玄
伊達政宗
徳川家康
大酒飲みだった武将
上杉謙信<!>
酒豪だった武将
母里 太兵衛
(もり・黒田家家臣)
福島正則
酒色を好み、それが
お家の傾きを招いた武将
大友宗麟
下戸だった武将
明智光秀
豊臣秀吉<!>
織田信長<!>
島津義久<!>
酒をあまり好まなかった武将
織田信長<!>
酒を飲まなかった武将
毛利元就
(酒好きで失敗があ
った父・兄のことを考
えて、禁酒していた。)
酒癖が悪かった武将
塙 団右衛門(ばん)
(普段はおとなしいが、
酒を飲むと暴れ回り、
喧嘩早かった。)
福島正則
酒好きで酒での失敗
談で知られる武将
福島正則
本多忠朝
(ただとも・忠勝の次男、大坂夏の陣で酒を飲んでいたため不覚を取り敗退。冬の陣ではその名誉挽回の気概)が仇となり、討ち死にした。)
戦場で戦況が思わし
くないとしきりに手の
指の爪をかんだ武将
徳川家康
用足しが長かった武将
加藤清正
(イボ痔が進行していて、毎回、大便の出が悪かったことによる。不潔恐怖性でもあり、厠(かわや)には足を乗せる高下駄を用意させていた。)
その他の面
氏名の一部が難読の武将
[下の名のぶん]
難字のぶん
安国寺
恵瓊(えけい)
浅野長晟(ながあきら)
里美義堯(よしたか)
亀井茲矩(これのり)
塙 団右衛門(ばん だんえもん)
武藤舜秀(きよひで)
氏家卜全(うじいえ ぼくぜん)
菅沼定盈(さだみつ)
難読のぶん
(★はかなりの難読)
美…ざね★
伊達成実(しげざね)
実…さね
秋田実季(さねすえ)
真…ざね
今川氏真(うじざね)
通…みち
稲葉良通(よしみち)
景…かげ
小早川 隆景(たかかげ)
朝倉義景(よしかげ)
柿崎景家(かげいえ)
幸…よし
浅野幸長(よしなが)
赤穴幸清(あかな よしきよ)
孝…よし★
黒田孝高(よしたか)
(=黒田官兵衛)
慶…よし
三好長慶(ながよし)
嘉…よし
加藤嘉明(よしあき)
隣…ちか
大久保 忠隣(ただちか)
親…ちか
長宗我部 元親(もとちか)
生駒親正(ちかまさ)
続…つぐ
直江兼続(かねつぐ)
次…つぐ
豊臣秀次(ひでつぐ)
京極高次(たかつぐ)
継…つぐ
大谷吉継(よしつぐ)
興…おき
池田恒興(つねおき)
斎藤龍興(たつおき)
伊…ただ★
真田信尹(のぶただ)
(真田昌幸の弟)
具…とも
北畠具教(とものり)
宜…のぶ
佐竹義宜(よしのぶ)
憲…のり
松田憲秀(のりひで)
郷…さと
蒲生氏郷(うじさと)
蒲生郷舎(さといえ)
舎…いえ
蒲生郷舎(さといえ)
員…かず
磯野員昌(かずまさ)
大久保忠員(ただかず)
幸…ゆき
真田昌幸(まさゆき)
真田幸隆(ゆきたか)
就…なり
毛利元就(もとなり)
安藤守就(もりなり)
猪子高就(たかなり)
成…しげ★
伊達成実( しげざね)
服部正成(まさしげorまさなり)
(=服部半蔵)
鎮…しげ★
宇都宮鎮房( しげふさ)
栄…ひで★
佐久間信栄(のぶひで)
(佐久間信盛の長男)
秀…ひで
明智光秀(みつひで)
光…あき★
最上義光(よしあき)
光…みつ
遊佐続光(つぐみつ)
鑑…あき
臼杵鑑速(あきすみ)
立花鑑載(あきとし)
吉弘鑑理(あきまさ)
詮…あき★
猪去詮義(いさり あきよし)
職…もと★
花房職秀(もとひで)
小寺政職(こでら まさもと)
(黒田官兵衛が仕えた君主)
賢…かた
陶 晴賢(すえ はるかた)
張…ひら★
禰寝重張(ねじめ
しげひら)
連…つら
長 続連(つぐつら)
総…ふさ★
来島通総(くるしま みちふさ)
房…ふさ
宇都宮鎮房(しげふさ)
毛…めん★
毛受勝照
(めんじょうorめんじょ
orめんじゅ)
(柴田勝家の家臣)
毎…つね
相良長毎(ながつね)
季…すえ★
秋田実季(さねすえ)
朝…とも
本多忠朝(ただとも)
吉良氏朝(うじとも)
可…よし
森 長可(ながよし)
森 可成(よしなり)
厳…よし★
柳生宗厳(やぎゅう むねよし)
柳生三厳(みつよし)
包…かね
毛利秀包(ひでかね)
織田信包(のぶかね)
存…まさ★
十河一存(そごう かずまさ)
十河存保(そごう まさやす)
(十河一存の養子)
芸…のり★
土岐頼芸(とき よりのり)
智…とし★
宗 義智(よしとし)
載…とし★
立花鑑載(あきとし)
全…てる★
明石全登(てるずみ)
雄…かつ★
織田信雄(のぶかつ)
純…ずみ(すみ)
大村純忠(すみただ)
本多正純(まさずみ)
澄…ずみ
石田正澄(まさずみ)
(石田三成の兄)
登…ずみ
明石全登(てるずみ)
同…あつ★
三浦義同(よしあつ)
同…おき★
三浦義意(よしおき)
兄…もり★
犬童頼兄(いんどう よりもり)
斯…つな★
車 斯忠(つなただ)
(佐竹氏の家臣)
逸…ゆき、やす
三好長逸(ながゆき
orながやす)
教…のり、たか
北畠具教(とものり)
大久保忠教(ただたか)
廉…かど
武田信廉(のぶかど)
(← 一廉(ひとかど)の人物)
濁って読むぶん
高橋紹運(じょううん)
斎藤道三(さいとう どうざん)
訓読みで読むぶん
滝川一益(かずます)
文字通り、音読みで読むぶん
三好実休(じっきゅう)
立花道雪(どうせつ)
[姓のぶん〕
難読のぶん
十河一存(そごう かずまさ)
陶 晴賢(すえ はるかた)
禰寝重張(ねじめ しげひら)
飯富昌虎(おぶ まさとら)
短くした言い方で読むぶん
長束正家(なつか)
九鬼義隆(くき)
赤穴幸清(あかな よしきよ)
読み方が変化したぶん
犬童頼兄(いんどう よりもり)
[いぬ→いん?]
濁って読むぶん
浅井長政(あざい)
新開実綱(しんがい
さねつな)
濁らずに読むぶん
雑賀孫市(さいか)
増田長盛(ました)
別の読み方で読むぶん
吉川元春(きっかわ)
太原雪斎(たいげん)
城井鎮房(きい
しげふさ)
仮名を一字添えて読むぶん
下間頼廉(しもつま
らいれん)
名前が似ている武将
(身内や親族以外で。)
・浅野長政
(秀吉・家康に仕えた武将)
& 浅井長政
(近江小谷城主)
・斎藤道三
(美濃稲葉山城)
& 斎藤利三
(明智光秀の重臣)
・野々村正成
(まさなり・織田信長の家臣)
& 稲葉正成
(まさなり・小早川秀秋の家老)
& 成瀬正成
(まさなり・徳川家康の家臣)
& 内藤正成
(まさなり・徳川家康の家臣)
& 服部正成
(まさしげorまさなり=服部半蔵)
区別において混同してしまう武将
・長谷川宗仁
(そうにん、信長・秀吉・家康に仕えた武将・茶人)
& 長谷川秀一
(ひでかず、信長・秀吉に仕えた武将)
・稲葉良通(=稲葉一鉄)
(よしみち。斎藤道三に仕え、西美濃三人衆の1人。のちに信長に仕えて、姉川の戦いなどで活躍。)
& 稲葉貞通
(さだみち。良通の次男。斉藤家・信長に仕え、東軍に寝返った関ヶ原の合戦ののち、豊後国臼杵藩初代藩主。)
& 稲葉正成
(まさなり。重通(しげみち、良通の長男)の婿養子となる。のちにお福(重通の姪)の夫。秀吉に仕え、のちに小早川秀秋の家老となる。)
・佐久間信盛
(信晴の子。信秀及び信長の若い頃より仕えた重臣。晩年は信長から追放される。佐久間信栄の父。)
& 佐久間盛政
(信盛の従叔父である盛次の子。柴田勝家に仕え、賤ヶ岳の合戦で敗走し捕らえられて斬首された。)
& 佐久間盛重(久六)
(信晴、盛次の父。信秀、信勝に仕えた織田家の家老。)
・佐久間 盛政
(柴田勝家に仕え、賤ヶ岳の合戦で敗走し捕らえられて斬首された。)
& 長宗我部 盛親
(元親の4男。大坂夏の陣の秀頼方の敗将。)
・武田義信
(信玄の長男)
& 武田信繁
(信玄の弟)
& 武田信廉
(のぶかど。信玄の弟)
& 武田信豊
(信繁の長男。勝頼に仕える。信長の甲州征伐で小諸城を攻められて自害。)
& 武田信勝
(勝頼の長男。父勝頼とともに天目山で自刃。)
・原 虎胤
(とらたね、信玄麾下の侍大将。その武勇は鬼美濃と称された。千葉氏一族。)
& 原 盛胤
(もりたね、虎胤の次男。信玄・勝頼の家臣。長篠の戦いで戦死。)
& 原 昌胤
(まさたね、信玄・勝頼の譜代家老。美濃土岐氏の庶流。長篠の戦いで戦死。)
・織田信行
(=信勝。信長の弟。信長派と家督争いの末、謀殺される。)
& 津田信澄
(信行の子。本能寺の変の際、四国討伐に同行していた丹羽長秀に討たれた。)
& 織田信広
(信長の庶兄。伊勢長島一向一揆攻めで戦死。)
& 織田信治
(信長の弟。宇佐山城の戦いで討ち死にした。)
& 織田信興
(信長の弟。伊勢長島の一向宗徒に居城を攻められて自害。)
& 織田信包
(のぶかね・信長の弟。本能寺の変のあと、豊臣秀吉に仕え、伊勢安濃津城主をへて丹波柏原城主となる。関ケ原の戦いで西軍に属したが、所領は安堵された。)
& 織田有楽斎
(信長の弟)
& 織田信光
(信長の叔父。織田信秀の弟。信長に味方した。)
& 織田信次
(信長の叔父。織田信秀の弟。長島一向一揆攻めで戦死。)
& 織田信友
(織田氏の本家筋にあたる人物。反信長派だった。信長に謀殺された。)
& 織田信清
(信長の従兄弟。織田信康(信秀の弟)の子。犬山殿(信長の姉)を正室とし、犬山城城主。のちに武田氏に移った。領土の領有で信長といくどもいさかいを起こした。)
& 織田秀信
(織田信忠の子。幼名・三法師。岐阜城主。)
・豊臣秀勝
(秀次の弟。秀吉の姉の子。秀吉に仕え、羽柴秀勝の遺跡を継ぐ。お江の夫となる。小田原征伐等で戦功を上げる。文禄の役で出兵し1592年に当地で病死。)
& 羽柴秀勝
(信長の四男。豊臣秀吉の養子となる。1586年に18歳で病死。)
・松平忠吉
(家康の四男。関ヶ原の合戦で活躍。)
& 松平忠直
(結城秀康の長男。大坂夏の陣で活躍。のちに豊後府内藩に敗流。)
& 松平忠輝
(ただてる。家康の六男。幼少より家康に嫌われる。)
・森 可成
(よしなり。信長に仕えた武将。宇佐山城の戦いで討ち死。)
& 森 長可
(ながよし。可成の次男。小牧・長久手の戦いで戦死。)
・北条氏直
(うじなお)
& 今川氏真
(うじさね)
・長束正家
& 増田長盛
・京極高次
(兄)
& 京極高知
(弟)
・島津義久
(長男。島津氏第16代当主。豊臣秀吉の九州征伐で秀吉に降るまで、すぐれた弟たちと共に屈強な家臣団を率いて無敗を誇り、九州統一一歩手前まで迫っていた。戦国の楠木正成と評された。)
&
島津義弘(二男)
& 島津歳久(三男)
& 島津家久(四男)
& 島津貴久
(上の四兄弟の父)
〔自選〕
すぐれた武将・best20
(第6回選・24/08/10)
文武・知勇の力量、業績、人物など、リーダーの武将たるべき諸面を総合的にみて、すぐれた武将を、20人選。
1.武田信玄
2.徳川家康
3.豊臣秀吉
4.織田信長
5.上杉謙信
6.黒田官兵衛
7.小早川隆景
8.直江兼続
9.北条氏康
10.立花宗茂
11.毛利元就
12.豊臣秀長
13.真田幸村
14.前田利家
15.明智光秀
16.石田三成
17.加藤清正
18.伊達政宗
19.蒲生氏郷
20.馬場信房
次点
柴田勝家
黒田長政
島津義弘
福島正則
本多忠勝
片倉景綱
竹中半兵衛
吉川元春
丹羽長秀
山県昌景
高坂昌信
秋山信友
内藤昌豊
浅井長政
山本勘助
太原雪斎
島左近
後藤又兵衛
明石全登
井伊直政
堀秀政
藤堂高虎
長宗我部元親
尼子経久
山中鹿之助
陶晴賢
なかなかの人物であっ
たことがもっと知られ
てよい武将
(上に挙げた武将以外で。)
加藤嘉明
田中吉政
小西行長
武田勝頼
豊臣秀次
蜂須賀小六
斎藤利三
結城秀康
吉川広家
北条氏照(氏康の三男)
佐竹義重(義宜の父)
稲葉良通
陶興房(晴賢の父)
大内義興(義隆の父)
毛利秀元
尼子晴久(経久の孫)
吉川経基
好きな武将・best20
(第6回選・24/08/10)
1.小早川隆景
(毛利宗家を支えた教養・学識も豊かな智将であり、賢い人格者・先見者であったその人物像に心ひかれます。)
2.蒲生氏郷
(信長の後継者と目され、つねに戦陣を切り、戦に強かった勇将であり、一方で、利発・開明な一級の文化人・経営人・人格者・クリスチャンであったその人物像に心ひかれます。)
3.織田信長
4.明智光秀
5.石田三成
6.竹中半兵衛
7.真田昌幸
8.島津義弘
9.立花宗茂
10.堀秀政
12.明石全登
13.本多忠勝
14.馬場信房
15.井伊直政
16.徳川家康
17.北条氏康
18.島左近
19.加藤嘉明
20.毛利秀元
武将・戦国期のサイト
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