心に残った詩 ()
(
更新:23/03/09)
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 1、嵯峨信之磔刑(たっけい)」             
     (『嵯峨信之詩集』(青土社1985年刊)に所収。)


  ぼくを凍結させる烈しい寒気は
  どこからともなく針のように地を這ってやってくる
  ひろくゆるゆると
  あくまで殲滅的に
  この透明な磔刑にかかるぼくを知っているものはない
  凍結する一瞬一瞬のきびしさは
  だれの経験にもなくだれの生涯よりも凄(すさ)まじい
  そこには偽りもなく真実もない
  身を焦()く欲望も 
  地を掻()きむしる絶望もない
  ぼくは物音のとだえた深い静けさのなかで
  いままさに失いつつあるものをはっきりと見きわめる
  この不在の遠い階段をぼくはのぼってゆく  
  そして大地が一個の巨大な氷塊になったとき 
  ぼくは燐光を放つ人柱となって
  垂れさがった厚い空をしっかりと支えるだろう



※、嵯峨信之
    19021997。詩人。


※、十字架にかけられたイエス・キリストの贖罪のイメージを借りて、作者は、近未来の地球社会の破滅の予感・気配に戦慄しつつ、全人類のすべてのその罪の報いを秘かに自ら一身に引き受けて我が身を責めます。将来のこの世界の大破滅を少しでもくい止めようと願う詩人の英雄的な自己犠牲の壮烈な思いが詩の中にすさまじく展開し結実していて感動的です。
この詩を読んで、内容上、タルコフスキーの映画『サクリファイス』の老主人公の行動のことも想起されました。また、終わりから4行目の箇所などは、芥川龍之介の『西方の人』の中の、
「けれどもクリストの一生はいつも我々を動かすであらう。それは天上から地上へ登る為(ため)に無残にも折れた梯子(はしご)である。薄暗い空から叩きつける土砂降りの雨の中に傾いたまま。…… 」
の内容を年頭に置いていたのでしょうか。 



 2、高橋睦男「朝」


  朝 玄関の戸を開けると

  世界は終わっている

  きみはさしずめ用のなくなった身

  さて これからどうすればいい?

  新聞受にインクの匂いの朝刊はない

  牛乳箱に露を噴いた牛乳瓶はない

  それ以前に 新聞受も牛乳箱もない

  ゆうべまで線と色と質感とで出来ていた

  風景が消え失せ 世界は白紙

  事の顛末を記録するために

  机に戻ろうと くびすを返しても

  広げた原稿用紙も 鉛筆も

  湯気を立てていた紅茶も

  すべては何もない まっ白

  外に出ることも 内に戻ることもできず

  開いた戸の前に立ちつくして

  きみは素足に下駄を穿った塩の柱

  きみもすでに終わっているか

  終わっているというなら

  きみはあらかじめ終わり

  世界はあらかじめ終わっていた

  戸はあらかじめ消去されていた

  朝もなく ゆうべもなかった

  


 3、高野 喜久雄「崖くずれ」
    〔『高野喜久雄詩集』より〕

  だれの心も
  見えないけれど険しい山々だ
  切り立つ断崖だ
  登りきれたためし無く
  頂には 舞う鳥も無い
  道も無く しるべも無い
  何も無い きびしい山々
  ただ 深くもだすものだけに
  時折かすかに 聞こえてもいた
  崖くずれ





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