「神のない世界ほど恐ろし
い世界はない」について
(1〜14)
(更新:24/10/02)
投稿者:
はげちゃびんとむっ
くん(ベニー・ブラック)、
Seigo、佐藤、竜之介、
確かな現実
(1)
ほにゃ
名前:はげちゃびんとむっくん
投稿日時:08/03/16(日)
「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」
「神がなければ善行も不死もない」
神ってどんな神でしょうか?
※、管理人より:
このトピは、テーマが大きくて、かつ、じっくり論じたいものなので、これまでの投稿記事を掲示板Tからこちらの掲示板U1(=当ボードの旧名)に移しました。
トピのタイトルも、管理人の方で、「はげちゃびんとむっくん」さんが付けた、
ほにゃ
から、
「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」について
に変えました。
(2)
[190]
>神ってどんな神でしょうか?
名前:Seigo
投稿日時:08/03/16(日)
>「はげちゃびんとむっくんさん」へ
ページ内に掲げていた言葉を見てくれての書き込み、ありがたく思います。
ほにゃさんが取り上げてくれたことの内容は非常に大事なテーマなので、話はやや難しくなりますが、以下、少し、私の思っていることを述べてみます。
まず、
>神のない世界ほど恐ろしい世界はない
の方は、ドストエフスキー自身や作中で直接述べた言葉では無いようなのですが(ドストエフスキーを論じた論者の言葉だったような記憶がありますが、いまだ確定できずにいます)、ドストエフスキーが考えていた深い考え(思い)とみなしてよいと私は思っています。
後者の、
>神がなければ善行も不死もない
は、作中の登場人物の言葉を一緒にしたものです。
・「人間、神なしにどうして善行なんかできるだろう?これが問題だ!おれはしじゅうそのことを考えるんだ。」
(『カラマーゾフの兄弟』のドミートリイの言葉)
・「神も不死もあります。神の中に不死もあるのです。」
(『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャの言葉)
など。)
その「神」は、ドストエフスキーが信仰していた「神」とみなしてよいと思いますが、私なりに言い換えてみると、
この世には悲惨なことや悲しいことも少なからずあるが、この私たちの世界を、ともかくも、徹底的な壊滅や悪のみの進行なしに、安定的に存続せしめ発展せしめているこの世界の根本的な力や働きのこと。そして、その働きは、人間が善行を行うことや人間の内の不死の部分(永遠不滅の部分)の大元(おおもと)になっていること。
と考えていいのではないでしょうか。
以上は、自分が、上の言葉をはじめ、
ドストエフスキーの作品を通して、特定の宗教思想から離れた内容として、学んで考えさせられたことです。自分は、この私たちの世界の歴史や状況から考えてこの世界の根底にあるそういった力や働きを信じたいと思っている者です。未来の科学(宇宙物理学など)にはそのことをぜひ解明・証明してもらいたいです。
以上、話は難しくなりましたし表現もおおざっぱですが(以上のような「説明」をしては、ドストエフスキーが一方で述べている私たち人間が抱く「神」の観念性という点から、ドストエフスキーに少なからず叱られるかもしれませんが)、さらに何か聞きたいことがあれば、述べてみて下さいね。
(3)
[191]
RE:「神のない世界〜
名前:はげちゃびんとむっくん
投稿日時::08/03/17(月)
おへんじありがとです。
なるほど、って難しくてちゃんと理解できたかわからないんだけど、
つまりドストさんのいう神とは
「生命の尊厳」
と言い換えてもいいわけですね。
そして
地球上に万有引力の法則があるのは確かだけどそれは普段私たちには見えません。しかしそれは厳としてある。
「『生命の尊厳』のない世界ほど恐ろしい世界はない」
「『生命の尊厳』がなければ善行も不死もない」
ということでしょうか?
(4)
[192]
「生命の尊厳」という言葉を使うなら、、、
名前:Seigo
投稿日時:08/03/17(月)
「はげちゃびんとむっくん」さん、
今晩わ。
>生命の尊厳
という言葉を使うなら、
私が捉えているドストエフスキーの言う「神」とは、前回述べたとおり、
不死や善行が行われる「生命の尊厳」を底辺のところで支えている力・働き
ということになります。
ゾシマ長老も述べた動物たちをも見守り導いている「神」、「汎神論」で言う「神」に近いもの、人格神というよりも森羅万象を貫く「根本法」「働き」としての「神」と考えてみて下さい。
(5)
[193]
RE:「神のない世界〜
名前:はげちゃびんとむっくん
投稿日時:08/03/22(土)
詳しい説明ありがとうございました。
「汎神論的な神」
「法的な神」
という言葉で今までしっくりこなかったことがおぼろげながら掴めたような気がしますw
でもやや抽象的過ぎてよくわからないという気もやっぱりします(笑)
世界を便宜的に{こと}の世界と{もの}の世界の二元論で分けたとして、未来の宇宙物理学によって解明できるのは、どちらかというと{もの}の世界の方だと思いますが、ここで話題としているところの「神」というのはどれだけ精緻な顕微鏡で{もの}の世界を観察しても決して見つからないのではないか、と思います。がどうでしょうか?
(6)
[194]
信仰の対象としての神
名前:Seigo
投稿日時:08/03/23(日)
ドストエフスキーの言う「神」は、言葉で説明して済ませる知識でなくて、あくまで信仰の対象としての神ですから、信仰の対象として感じ取り信じる「神」として理解することが大切になりますが、
(「はげちゃびんとむっくん」さんは、御自身の世界観・人間観として、そういった「神」の力や働き(知恵)に対する信頼や信仰をお持ちでしょうか?前に述べたように、自分は、クリスチャンではありませんが、そういった「神」の力や働き(知恵)は信じたいと思っている者です。)
一方で、
方向が正しければ、言葉の説明によって、ある程度、その対象やイメージを指し示していくことはできるのではないでしょうか?
また、
現代及び今後の科学が究明しつつある世界というものは、「はげちゃびんとむっくん」さんがイメージしているような低次元の世界だけに限定されるような浅薄なものでは決してありません。
昨年、サイエンス界のニュースで、微細の分子・原子のしくみの点から、この私たちの世界の「壊れない安定さ」ということを保証している事情が明らかになったという研究の報告を聞き、私の問題意識に沿うものとして、我が意を得たりの気持ちになったものです。
今後さらに発展進歩していく科学は、この私たちの世界及び人間のより深い根本的な構造に迫っていくことでしょう。
(7)
[195]
RE:「神のない世界〜
名前:はげちゃびんとむっくん
投稿日時:08/03/27(木)
>この私たちの世界の「壊れない安定さ」ということを保証している事情が明らかになったという研究の報告を聞き、私の問題意識に沿うものとして、我が意を得たりの気持ちになったものです。
もしよろしければ、Seigoさんの我が意というのはどういったものなのかもっと詳しく説明して下さい。
>今後さらに発展進歩していく科学は、この私たちの世界及び人間のより深い根本的な構造に迫っていくことでしょう。
同感です、しかし科学が生んだ兵器で傷つく人がこの世界に存在する限り手放しで科学の進歩を喜ぶことは僕には出来ません。勿論、それは科学の責任ではなく科学の生み出した物を扱う人間の側の問題ですが・・・。
(8)
[196]
マクロ的にこの世界を安定的に支えているもの
名前:Seigo
投稿日時:08/03/29(土)
※
当テーマについての過去の投稿記事はこちらの掲示板に移動させましたが、過去の投稿記事の修正・削除キーは、私の方で設定したので、過去の
投稿記事の修正・削除を希望の場合は、この掲示板に書き込んで申し出て下さい。>「はげちゃびんとむっくん」さん
※
>「はげちゃびんとむっくん」さん
>Seigoさんの我が意というのはどういったものなのかもっと詳しく説明して下さい。
これまで述べてきた通りです。
この私たちの世界は、状況的にはマイナス的な事態や悲しい出来事は生じているが、構造上、マクロ的にもミクロ的にも、ある大きな力と働きによって安定的に支えられ進歩発展していっているのではないかということです。て
そして、現代科学は、この世界のミクロの仕組みの研究の中で、その事実を早くも証明しつつあるということです。
来訪仲間の佐藤さんなどは、この方面に詳しいので、佐藤さんからも何か聞けるかもしれませんね。
科学技術や文明が人類の社会や生活を発展させながら、一方で、人類や地球の危機や破滅を用意しているという事態については、「はげちゃびんとむっくん」さんの言う通り、「神」のせいというよりは、「人間の側の問題」も多々あると自分も思っています。
ただ、この点についても、
仏典に
「大悪来(きた)れば、大善来(きた)る」
とあり、
カロル氏(イギリスの聖職者)が
「神がわれわれに悪を送るとともに、悪を征服する武器をも送る。」(『影と本体』より)
と述べている通り、
人類の英知や科学技術の力とともに、今後も続く「神」の力と知恵ある働きかけによりその解決や克服がなされていくことを信じたいと自分は思っています。
(9)
[199]
RE:「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」について
名前:ペニー・ブラック
(=はげちゃびんとむっくん)
投稿日時:08/04/03(木)
はげちゃびんとむっくん改め、ペニー・ブラックです。
Seigoさん了解しました。
こちらの方で展開していくのですね。
さて、
「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」
「神がなければ善行も不死もない」
を読み解く為にドストエフスキーの言葉「美は世界を救う」を鍵にしてみてはいかがでしょうか?
僕の解釈では
「美」とは「神」の力や働き(知恵)を求める人間の立場から、現実の人間(隣人)の中へ愛(または慈悲)の実践(アリョーシャ型)を行うタイプへの劇的な変化を指しているのではないかと思っています。
Seigoさんや皆さんにとっての「美は世界を救う」の美とは果たしてどういったものでしょうか?
(10)
[205]
美は世界を救う」の内容及び当命題との関連
名前:Seigo
投稿日時:08/04/09(水)
ペニー・ブラックさん、
こちらの掲示板に引き続いて書き込んでくれて、ありがとさんです。
レスが遅れましたが、
『白痴』でムイシュキン公爵の言った言葉として挙げている、
「美は世界を救う」
の「美」は、ドミートリイやステパン氏やイヴァンやゾシマ長老やスタヴローギンやキリーロフも心から言うように、いわゆる「真善美」のうちの、人が否応(いやおう)なくひきつけられ、それを見、聴き、思って、心から喜び・陶酔を感じる女性や自然や音声や色彩や事物の姿形の美のことを指して言っているということでよいのではないでしょうかね。美が存在しその美に心から喜び・陶酔を感じることが私たちにとって「救い」になるということです。
(なお、イヴァンが
「もしぼくがほんとに粘っこい若葉を愛せるとするなら、それはおまえを思い起こすことによって、はじめてできることなのだ。おまえがこの世界のどこかにいると思っただけで、ぼくには十分だし人生に愛想もつかさないでいられる。」
と言っている通り、ペニー・ブラックさんが挙げたムイシュキン公爵やアリョーシャのような「心の美(心の美しさ、心の美しい人)」も含めてもかまわないと思います。)
ペニー・ブラックさんが述べた、
>「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」「神がなければ善行も不死もない」
>を読み解く為にドストエフスキーの言葉「美は世界を救う」を鍵にしてみてはいかが
>でしょうか?
>僕の解釈では
>「美」とは「神」の力や働き(知恵)を求める人間の立場から、現実の人
>間(隣人)の中へ愛(または慈悲)の実践(アリョーシャ型)を行うタイ
>プへの劇的な変化を指しているのではないかと思っています。
については、大事な指摘だという感じは私は持ったので、その私の理解の確認のためにも、もう少し、説明を加えてもらえれば、と思います。>ペニー・ブラックさん
(11)
[223]
RE:「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」について
名前:佐藤
投稿日時:08/04/15(火)
<すべて在るものは神のうちに在る、そして神なしには何物も在りえずまた考えられない。>
(スピノザ『エチカ』より)
お久しぶりです。神についてああだこうだと人間が理屈をこねるのは大変な思い上がりなのかも知れません。もちろん慈悲深い神様は人間の愚かな行為を赦しては下さるでしょうが、イワンやスタヴローギンのように、神の世界を認めようとしない者、自ら神のまなざしを得ようとする者には裁きがあるのでしょう。ドストエフスキーが描き出したイワンやスタブローギンの最後の姿を見て読者は何かを悟る必要があると考えます。
科学の発達は人にいろいろなことを教えてくれています。物質の窮極の姿や宇宙の成り立ちを探る現代物理学を少し垣間見ると好むと好まざるに関わらず人間の思考の限界を知らされます。なぜこの世界が存在しているのか科学者自身何もわからないのです。しかし私は科学を否定しようとしているのではありません。実は科学を追及すること自体は重要なことであると考えています。追求することによって見えてくる何物か、そこのところに注目しています。
これは私の妄想ですが、11次元で存在するらしい膜宇宙そのものが神の存在なのかも知れません。
(12)
[775]
RE:「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」について
名前:竜之介
投稿日時:10/03/31(水)
「神がいない世界」…この場合はこの意味を、神の実際の有無ではなくて、「神がいなければ全てが許される」故に、恐ろしいという事なのでしょうか?
とすれば、秩序も何もかも否定され、犯罪も正当化されるでしょうね。
神が実際に存在しないとしても、人間は自ら神をつくり崇める事で内面の平安や、他者との繋がりを大切に出来る。
実際にいるとしても、ある程度の秩序が保たれ、いずれは救済がもたらされる。
神の概念万歳ですね。
(13)
[778]
ドストエフスキーが考えていた「神」の二つの意味
名前:Seigo
投稿日時:10/04/03(土)
>竜之介さん
>この場合はこの意味を、神の実際の有無ではなくて、
>「神がいなければ全てが許される」故に、恐ろしい
>という事なのでしょうか?
ドストエフスキーは「神」を二つの意味で考えていたのではないかと思います。
「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」
というドストエフスキーの命題の意味は、その二つの意味で、捉えてみたら、わかりやすいでしょう。
その二つの意味とは、
○この私たちの世界を支配し個々の人間を人間たらしめている実在・根本法則としての「神」
・「この世界を支配しているのは、神とその法則である。」
(米川正夫訳。『作家の日記』(77年5・6月号)。)
・「もし神さまがいらっしゃらなかったら、私などがどうして大尉でいられよう?」
(『悪霊』での、ある大尉の言葉。)
○人々の心や頭の内にあって道徳行為を促す畏怖すべき尊い観念(概念)としての「神」
・「神のない良心は恐怖そのものである。そんな良心は、最も不道徳なところにまで迷いかねない。」
(小沼文彦訳。晩年のメモより。)
であり、竜之介さんが上で言ったことは、後者のぶんと言ってよいと思います。
畏怖して自己の考えや行動を慎むことを促す内なる尊い対象を失って、考えの上でも行動の上でも「自由」で傲慢になった人間や人類がとんでも無い行動や方向へと向かう恐ろしさということでしょう。
ついでに前者(こちらの意味の「神」こそ注目すべきだと自分は考えています)で、あらためて当命題の内容を考えてみると、当トピでこれまで述べられてきたように、
・全体の安定や調和や進歩発展(さらには人間の不死)をもたらす根源を持たない世界
・愛や温かみを生み出していく根源を持たない世界
の恐ろしさ(それらの逆のものとしての苦しみや悪や虚無や無意味が不当に永遠に続くことの恐ろしさ)ということでしょう。
なお、
竜之介さんの投稿の後半部の、
・>神が実際に存在しないとしても、人間は自ら神をつくり崇める事で
>内面の平安や、他者との繋がりを大切に出来る。
・>実際にいるとしても、ある程度の秩序が保たれ、いずれは救済がも
>たらされる。
>神の概念万歳ですね。
といった見方には私も感銘を受けました。
(マルクスをはじめ、社会主義の立場に立つ人たちは、
宗教は民衆の阿片だ
として宗教の役割を痛烈に批判しました。彼らの宗教批判にも一理はあるとは思いますが、一方、竜之介さんの上のような宗教観にも一理や価値がありと自分も思わざるを得ません。)
(14)
[955]
「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」「神が〜」
名前:確かな現実
投稿日時:10/11/29(月)
「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」「神がなければ善行も不死もない」
神は人事物のために頑張れる心それ自体。恐ろしい世界でなくなる。周りの人に頑張りを感ぜられたならば!不死があるかもしれません。周囲がイエスキリスト的神的であったら幸せが充満。不死という幸せ感。
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