俳人・俳句とドストエフスキー
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投稿者:
Seigo
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俳人・俳句とドストエフスキー
名前: Seigo
投稿日時:08/12/14(日)
日本の近現代の俳人におけるドストエフスキー受容を中心に、俳人・俳句とドストエフスキーというタイトルで、情報や気付きの書き込みを歓迎します。
同じ文学であっても日本の伝統的な短詩型文学としての俳句はロシアの帝政時代のドストエフスキーの冗長な長編小説とは対極にある存在でしょうが、その内容や手法、また、その目指して得た文学精神の面でも、意外と、その共通点や重なる面は指摘できるかもしれません。
自分は高校時代から折ごとに俳句を詠み、近現代の俳句や松尾芭蕉の俳諧にも親しんできたので、今後、いろいろと指摘できていければと思っています。
(以前 から予告していた「近現代の名句(BEST 50・Seigo選)」も近いうちにページ内にUPできればと思っています。)
また、ドストエフスキーをめぐっての句ができたら、今後、「句作(1・2〜)」として、このトピに書きとめていく予定です。
* * *
【近現代日本の俳人
とドストエフスキー】
・露人ワシコフ/叫びて石榴(ざくろ)/
打ち落とす 三鬼
・暗く暑く/大群衆と/
花火待つ 三鬼
・倒れたる/案山子(かかし)の顔の/
上に天 三鬼
・胡瓜(きゅうり)もむ/エプロン白き/
妻の幸(さち) 麦南
・国狭く/銀漢流れ/
わたりけり 麦南
・想念の/絶壁の如し/
鉦叩(かねたたき) 茅舎
・栗の花/白痴四十の/
紺絣(こんがすり) 茅舎
〔句集『白痴』より〕
・降る雪や/明治は遠く/
なりにけり 草田男
・真直ぐ往(ゆ)けと/白痴が指しぬ/
秋の道 草田男
〔句集『美田』より〕
・万緑や/死は一弾を/
以(もっ)て足る 五千石
ページ内にすでに掲載していますが、ドストエフ好きーの俳人としては、
上掲の、
・西東三鬼
(1900〜1962)
・西島麦南
(1895〜1979。熊本県出身。飯田蛇笏に師事。氏はドストエフスキーの著作に
生の救いと支えを見出した。)
が知られています。
三鬼の蔵書には岩波文庫の米川訳の『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』があり、三鬼は両小説を愛読していました。三鬼の句「暗く暑く/大群衆と/花火待つ」の「暗く暑く」は、米川訳『カラ兄弟』の大審問官の章の中の一文「一日も過ぎて、暗く暑い、死せるがごときセヴィリヤの夜が訪れた。」の「暗く暑い」を踏まえていると思われます。
三鬼は、なんと、7カ国語に精通していたとのこと。その中にロシア語も入っていたのでしょうかね。(驚いた感じと滑稽味を含む三鬼の句は、私には、面白いです。)
麦南におけるドストエフスキーについては、いつか、追加の情報や気付き等をまとめてみたいと思います。(麦南は、師の蛇笏の作風の良き一面を受け継いでいて、清新で風格のある佳句も多くて私の好きな俳人の一人です。)
ほかに、
・川端茅舎
(1897〜1941)
へのドストエフスキーの影響の指摘あり。
(茅舎は虚子に入門し麦南は虚子の弟子で蛇笏に師事していたと
いうこともあって、茅舎と麦南は交友関係があった。)
・中村草田男
(1901〜1983)
に、ドストエフスキーに関して触れている文章あり。
(上掲の「白痴」という語を含めている茅舎の句・草田男の句は、ともに、ドストエフスキーの『白痴』の主人公の人物像を踏まえているのではないかという指摘があるようです。年下の草田男が同門として茅舎に兄事していたので、草田男と 茅舎は親交がありました。麦南・茅舎・草田男は、薦め合った関係はわかりませんが、ホトトギス派の俳人として、東京の地でお互いにドストエフスキーの作品を読み合い、語り合った仲だったの
でしょう。)
上掲の
・上田五千石
(1933〜1997)
の絶唱には、私には、『悪霊』のキリーロフの自然讃美の人生観とその人生観の中での彼のピストル自殺の行為のこと が感じられました。どういう時にこの句を作ったのかわかりませんが、氏の念頭に『悪霊』のキリーロフのことがあったのではないかという気がします。
* * *
【 句作 (1)
】
凍(い)てる夜は/死の家の/
氏を想ふ
(または
寒き夜は/オムスクの/
氏を想う、
初作
冷える夜は/流刑期の氏の/
こと想う)
※、
「われわれは一塊りになって、みんなといっしょに、一つ監獄の建物に暮らしました。ひとつ古い、老朽しきった、木造
の家を想像して見て下さい。それはもうとっくに取り毀(こわ)しときまっていて、もはや役に立たないようなやつなのです。夏はやりきれないほどの息苦しさ、冬は耐え難いような寒さ。われわれはちょうど樽に詰められた鰊のようです。暖炉にはたった六本の薪をくべるだけですから、暖気などはありません(部屋の中でさえ氷が解けるか解けないかです)……僕らは寝板の上でじかに寝ました。許されるのはただ枕一つだけです。短い半外套を被るので、足はいつも夜ぴって剥(む)きだしで、一晩中ふるえている始末です。……冬、身につけるものといったら、半外套、それもおおむね話にならぬならぬほどひどいやつで、ほとんど体をあたためてくれません。それから足には胴皮の短い靴、それで極寒の中を歩けというのですからね。……」
(兄ミハイル宛ての書簡より)
* * *
【 松尾芭蕉 VS ドストエフスキー 】
ドストエフスキーは日本の松尾芭蕉のことを知っていたかどうかは知りませんが、以下に記したぶんは、両者の作品の内容面や生涯の事跡の比較・重なりについての私の
気付き・連想の一部です。(一部はすでにページ内に掲載済み。当トピでは、以下のようなちょっとした気付き・連想などの書き込みも歓迎します。)
『死の家の記録』の中の、
すきとおるような紺碧の大空に何鳥か、鳥を見つけて、執拗にいつまでもその飛んでいく姿を追う。さっと水面をかすめて、青空に消えたかと思うと、またちらちらする一点となってあらわれる……早春のある日、岸の岩の裂け目にふと見つけた、しおれかけた哀れな一輪の草花でさえ、何か痛ましくわたしの注意をとめるのだった。
(新潮文庫の工藤訳)
のシーンなどは、
松尾芭蕉の句、
・この秋は/何で年寄る/雲に鳥
・山路来て/何やらゆかし/菫草(すみれぐさ)
が想起されました。
・荒海や/佐渡に横たふ/
天の河
における芭蕉の立ち位置と視界は、
・「暗」としての、
前の荒れる日本海と、古来流罪地として知られた佐渡島 ―― 目前の親子・兄弟の憎しみ合い・争いと、ドミートリイの後のシベリア流罪
・「明」としての、
佐渡島の上に横たわる天の河 ―― 天心から地平へかけて二筋に分かれている銀河(米川訳)
といった対応など、
『カラ兄弟』の章「ガリラヤのカナ」の僧院の庭のシーンにおけるアリョーシャのそれに似ています。
・命二つ/の中に生きたる/
桜哉(かな)
は、『罪と罰』のシベリアでのラストシーンでの、ラスコーリニコフとソーニャの二人の姿(この作の場合桜の代わりに朝日=曙光でしょうか)に重なります。
・若葉して/御目の雫(しづく)/
ぬぐはばや
※ぬぐはばや=ぬぐって
さしあげたい。
における奈良の唐招提寺での鑑真上人座像を拝しての芭蕉の態度は、『白痴』におけるナスターシャ・フィリッポヴナの写真を見てのムイシュキン公爵の態度に重なりました。
死を迎える床(とこ)でのドストエフスキーは、初めて九州まで行く途次、病に倒れた芭蕉の、大坂の宿の病床での辞世の句、
・旅に病(や)んで/夢は枯野を/
かけ廻(めぐ)る
に似た心境であったのかどうか、気になるところです。
(2)
[448]
ドストエフスキーの作中
の俳句的表現
名前:Seigo
投稿日時:08/12/19(金)
『カラ兄弟』の中に、訳者(米川正夫)が俳句のように五七五の形にして訳している箇所があるので、以下に、挙げておきます。
『静寂のささやきのみぞ聞こゆなり』なぜかこんな一節が彼の頭をかすめた。
(『カラ兄弟』第8編の第4「闇の中」より。)
ミーチャが父フョードルの屋敷にしのびこむシーンの中の、夜のその庭の静かさを感じてのミーチャの内心の言葉を述べた箇所です。
詩の一節のようになった彼の内心の言葉を訳者の米川正夫が俳句の形式にして訳したに過ぎないものですが、私が中学時代に最初に『カラ兄弟』を読んだ時に、「静寂の/ささやきのみぞ/聞こゆなり」という俳句の形にして訳していることにより、妙に印象に残った箇所でした。
ちなみに、亀山氏の新訳では、上の箇所は、
《そして静けさのみがささやき》なぜかふとこんな詩が脳裏をかすめた。
と訳しています。)
* * *
※、
以下は、「ドストエフスキーの総合ボード(掲示板U2)」での過去の書き込み記事ですが、当トピに関連しているので、ここに再掲します(一部、追記しました)。
>作中に出てくる街灯
Seigo 08年09月28日16時48分
『罪と罰』に関しては、
「街灯」が作中に出てきているかどうか覚えがないので、CD-ROM版「新潮文庫の100冊」の中の『罪と罰』(新潮文庫・工藤精一郎訳の全文)で語句検索したところ、一件、ゲットできました。
作中の街の通りにあるものとして描写されているものでなくて、ラスコーリニコフが、自分が見聞きするのが好きなものとして会話の中で挙げているも のです。ペテルブルグの街へと例の如く当てもなくぶらぶらと歩き出たラスコーリニコフが、店先で歌っている流し芸人の唄を聴いたあとに隣で一緒に聴いていた男に語りかける場面です。
(この箇所にあたってみると記憶がよみがえってきたようです。たしかに、当時すでに街にガス灯はあったんですね!
)
「ぼくはね、寒い、暗い、しめっぽい秋の晩、手風琴の音にあわせてうたっているのを聞くのが、好きなんですよ。それもぜったいに、通行人がみな蒼い病人みたいな顔をした、しめっぽい晩でなければいけません。さもなきゃ、もっといいのは、しめっぽい雪が降っている晩です。風もなく、まっすぐに、わかりますか? そして雪ごしにガス灯がぼんやり光っている……」
(第二部の第6内)
この箇所の感想を述べてみると、
人工都市ペテルブルグと言われながら、
ガス灯の/ぼんやりひかる/
雪ごしに
(※私Seigoの言い換えです)
と、まるで日本の俳句になるような風情(ふぜい)のある一コマの小景の取り挙げになっています。(詩人ラスコーリニコフ? 俳人工藤精一郎?)
ドストエフスキーは光景描写が少ないと言われながら、作中でふっと現れるこういった簡潔な光景描写は、時に俳句的であり、なかなかのものです。(詩人ドストエフスキー?)
しめっぽく/手風琴の唄/
秋の暮れ
(※私Seigoの言い換え)
まっすぐに/雪降る晩の/
琴の唄
(※私Seigoの言い換え)
(3)
[451]
ドストエフスキーの作中
の俳句的表現(2)
名前:Seigo
投稿日時:08/12/23(火)
『罪と罰』の「エピローグ」の冒頭の、
シベリア。
という一文は、中学時代に初めて読んだときに、若年ながら、お見事!
と大いに感心した箇所です。
いかにしてドストエフスキーはこの表現を得たのか気になるところなのですが、
この表現は、
・夏の河/赤き鉄鎖の/
はし浸る 誓子
・春の海/ひねもすのたり/
のたりかな 蕪村
・木枯や/目刺しにのこる/
海のいろ 龍之介
・万緑や/些事に惑ひし/
吾のあり 一平
のように、
俳句の、
初句の体言止め・切れ字の表現法
(初句を名詞や「〜〜や」で止めて、その名詞の内容を、その句の内容の舞台や大事な要素として句の前面に打ち出して余韻を込めて強調していく表現技法 )
に似ているように思います。
『罪と罰』の「エピローグ」は、そのあとは、(七五で結んではいませんが、)
荒涼とした大河の岸に一つの町がある。ロシアの地方行政の中心地の一つである。この町に要塞があって、要塞の中に監獄がある。
(新潮文庫・工藤訳)
と、場所をそのシベリアの中の一つの町、一つの要塞、一つの監獄へとしぼっていって、そこに流刑となったラスコーリニコフがいることを述べていくのです
が、冒頭に続く上の各文も、ドストエフスキーの小説の中に時に現れる、文を短く切り削りに削った簡潔な描写及び叙述の箇所と言ってよいでしょう。(ドストエフスキーの小説 は、各会話や人物関係は饒舌であり込み入っているが、場面や行為や人物の描写は意外と簡潔で俳句的(?)です。)
シベリアや/大河の岸の/
冬の町
※私Seigoの言い換え)
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