ドストエフスキーとフリーメイソン
(1〜6)
投稿者:
ミエハリ・バカーチン、
KYOUKOたん、Seigo
(1)
[231]
ドストエフスキーとフリーメイソン
名前:Seigo
投稿日時:08/04/17(木)
ドストエフスキーをめぐってフリーメイソンのことが取り沙汰されることがあります。(以前、「ドストエフスキーとフリーメイソン」という小論文を見たことあり。)
『カラ兄弟』でも作中でイヴァンをめぐってフリーメイソンのことが言及されています。(第5編の第5「大審問官」内。光文社古典新訳文庫『カラ兄弟』巻2のp294〜p295。)
この方面はタブーの領域かもしれませんが、ドストエフスキーにおけるこの事項に関して、何か興味深い情報があれば、書き込んでみましょう。
* * *
このトピで追求したいことそのものではないですが、
先月、書店で、
『あやつられた龍馬 ― 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』
(加治将一著)
という本を見つけました。2006年2月初版(祥伝社刊)ですが、版を重ねて最近でもこの本の話題は続いているようで、購入しましたが、内容は、なるほど(つまり坂本龍馬の活躍は龍馬一人の力だけによる活躍ではなかったということ)という感じで、興味深く読んでいます。フリーメーソンは東西の各所で歴史上
の重要な事件や出来事に関わり暗躍しているという事実の一端が知れる本だと思います。
(先月、テレビ番組で、関ヶ原の合戦において、東軍の家康側に対してイギリスのエリザベス女王側の暗なる働きかけやバックアップがあった事実を指摘していました。)
(2)
[232]
RE:ドストエフスキーとフリーメイソン
名前:Seigo
投稿日時:08/04/17(木)
>以前、「ドストエフスキーとフリーメイソン」という小論文を見たことあり。
についてですが、その所在を確認できました。
『19世紀ロシア文学とフリーメーソン』
(笠間啓治著。近代文芸社1997年刊。)
の中の、第1章「19世紀ロシア文学にあらわれたフリーメーソン」内の、
「07 ドストエフスキー」(p34〜p40)
です。
以前大分県立図書館で見つけて手に取った本ですが(品切れ中で現在は市販はされていないようです)、その時はドストエフスキー関係の部分の箇所のページ数 (p34〜p40)をメモしただけで内容には十分目を通していなかったので、今度、この本を借りることができたら、その内容や気付きを報告します。(こちら(※現在見れません)に上記の本の目次などあり。トルストイ文学とフリーメンソンのことにも多く触れているようです。)
追記:
思い出しましたが、
光文社古典新訳文庫『カラマーゾフの兄弟』第2巻の「読書ガイド」で、亀山郁夫氏は、「12 ドストエフスキーとフリーメーソン」と題して、『カラ兄弟』の中でのイヴァンをめぐるフリーメイソンのことや当時のロシアでのその動向や性格のことを少し
紹介していまし
たね(p497〜p498)。
このテーマのこれまでの研究・調査の結論としては、
ドストエフスキーはフリーメーソンのこと(当時のロシアでは分離派や異端派と同等に秘密セクトの一つと捉えられていたことなど)は知っており関心を持っていて作中 (『カラ兄弟』)で取り上げているが、ドストエフスキー自身はフリーメーソンとは関わりはなかった、ということになるんでしょうかね。
(3)
[233]
:ドストエフスキーとフリーメイソン
名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:08/04/18(金)
ロシア文学に於けるフーリーメイソンというと『戦争と平和』のピエール・ベズーホフを思い出しますが、しかし、Seigoさんも陰謀史観が好きですね。そういえば、立花京子という研究者は、織田信長を殺ったのはジェズイットだった――という説を唱えたりしていました。
個人的には、宇野正美などを引き合いに出しつつユダヤ人やフリーメイソンに纏わる陰謀史観を大真面目に論じる事には、所謂「差別語」を使用することより余程問題ありなのではなかろうか……という気もします。
ユダヤ陰謀説やフリーメイソン陰謀説はタブーでもなんでもなくて、現代日本の出版界に於けるロングセラー的コンテンツの一つだと思います。ユダヤ陰謀説や
フリーメイソン陰謀説が、胡散臭い目で見られるのは、タブーだからということではなく(タブーなら、そもそもこれほど多くそっち系の本が出版されたりはし ないでしょう)、そもそも論そのものが荒唐無稽に過ぎるからだと思います。
「ユダヤ人問題」を議論の対象にする際には、そもそも「ユダヤ人」が人種的概念なのか民族的概念なのか宗教的概念なのか――ということも問わねばならない
と思います。そしてこういう問いは、そもそも人種や民族や宗教が実体的なものなのかどうかへの追究にも繋がるでしょう。いずれにせよ、こういう手続きを踏 まえないままに論われる「ユダヤ人問題」なる問題意識は、容易にポグロム的な凶行へと転化してしまうのではないかと僕は危惧します。
トーマス・マンの『魔の山』では、人文主義者セテムブリーニはフリーメイソンとも言われ、全体主義者ナフタはジェズイットとも言われていました。何故マン
がこういう設定を採用したのかは、僕も未だよく判らないのですが、小説を通読しての感想を言えば、要するに、フリーメイソンやジェズイットに纏わる陰謀史 観そのものをイロニーの対象とするがためであったように僕は思っています。
勿論、国家間の交渉に於いて各国の諜報機関が暗躍するということは常にあることだとは思います。戦国期や幕末やロシア革命期にも、各国の諜報機関は丁丁発
止の暗闘を繰り広げたことでしょう。冷戦期の日本共産党も、ソ連崩壊前のロシア共産党から資金提供を受けていたということですし、北朝鮮による日本人拉致 事件も、国家間の諜報活動の現代に於ける最も生々しいサンプルの一つでしょう。そのうち『あやつられた宮本顕示――68年革命とKGB、そしてインターナ ショナル』なんて本が書かれることもあるかも知れません。
けれども、僕は、歴史を動かすのは、結局、党派的陰謀ではなく、民衆的欲望だと思っています。人間なんて、そんなに都合よく言うこと聞くような生き物では
ありません。『魔の山』でペーペルコルンがセテムブリーニやナフタを圧倒するのは、歴史の主役は理窟や陰謀ではなく気合だというマンの洞察の反映ではないかとも思います。
とまれ、陰謀史観に依拠したトンデモ本は、宇野正美から落合信彦に至るまで、世に溢れていますが、無批判にそういう類いの本に感心せずに、Seigoさんほどの人には、地道な史料批判も行なって欲しいと思います。
(4)
[234]
RE:ドストエフスキーとフリーメイソン
名前:KYOUKOたん
投稿日時:08/04/18(金)
>KYOUKOたんさん
以前の「宇野正美から落合信彦に至るまで」だとトンデモ本みたいだけどぉ
最近のベンジャミン・フルフォードやリチャード・コシミズなんか違うんじゃないかしらどお思われますか?教えてください。
例えばグーグル・ビデオ↓↓
http://video.google.com/videoplay?docid=-3859363222910740882
(※現在、見れません)
(5)
[236]
RE:ドストエフスキーとフリーメイソン
名前:Seigo
投稿日時:08/04/19(土)
17世紀〜20世紀の欧米(ロシアも含む)の有名な作家・文学者のうち、フリーメイソンの組織に入会していたことが明らかになっているのは、
スウィフト、
レッシング、
ゲーテ、ハイネ、
ウォルター・スコット、
スタンダール、マラルメ、ジュール・ヴェルヌ、
オスカー・ワイルド、コナン・ドイル、ラドヤード・キップリング、
マーク・トウェイン
※追記
(追記日時04/19(土)19:30)
著『19世紀ロシア文学とフリーメーソン』によれば、プーシキン、レフ・トルストイもフリーメイソンの組織に入会していたとのこと。
だそうですが、
作家のドストエフスキーがフリーメイソンの会員だったということや説(せつ)は聞いたことがなくて、前回触れた通り、ドストエフスキーが(秘密にということも含めて)フリーメイソンの会員だったことはたぶん無いでしょう。
(ただし、ドストエフスキーのいろんな面でのヨーロッパとの関わりや交渉のあった人物たち、及び、フリーメイソンの組織の理念や入会条件なども考え合わせてみると、入会を勧められたことや入会への関心も含めて、それは全くありえないとも言い切れないのかも知れません。)
一方、
中心になってロシアの新しい未来を切り開いていくのはどの勢力(人たち)なのかということに大いに関心を向けていたドストエフスキーは、
・ロシアの社会に浸透してきているユダヤ人たちの力
(今後ロシアにユダヤ人による革命が起こるだろうとドストエフスキーは
折に触れ述べていた)
・ロシア国内の分離派や異端派の宗教勢力
(彼らは来るべきロシアの変革や有事の際に「肉弾」になりうるかもしれないとドストエフスキーは『カラ兄弟』で述べた)
そして、
・当時ロシアで同じく秘密セクトとみなされていたロシアのフリーメイソンたちの動向
(フランス革命やアメリカの独立に彼らの指導や援助があったことをドストエフスキーは知っていたかどうか、また、そうなら、来るべきロシアの変革に彼らが関わっていくだろうとドストエフスキー
は考えていたかどうかということも気になるところです。)
に対して、少なからぬ関心を持ち、「作家の日記」ではユダヤ人たちのことを論評し、分離派や異端派については情報や文献を集めていました。当トピでの今後の情報・意見の交換の中で、その方面のことで、他の著作での言及や気付きが得られればと思います。
* * *
ミエハリさん、
トンデモ本やトンデモ説を無批判的に受け入れ他の人たちにもすすめて私たちがトンデモ化していくことや時に社会に問題を引き起こしていくことへの危惧とその忠告の書き込み、貴重であり、ありがたく思います。
過去に自分は多分にトンデモ化している本(ユダヤのことなどをからませて超常現象や日本内外の歴史や政治経済の動向のことを述べた本)に広く熱中しそのまま受け入れていた時期がありその後それらの行為を反省し(トンデモ本たちを批評した「トンデモ本の世界」シリーズに触れたことが反省・戒めに向かう大きなきっかけになったようです)それらを差し控えるようにしていたことから、
じつは、前回の書き込みで、
>この方面はタブーの領域かもしれませんが、
とともに、
お互い、トンデモ化していくことにならないよう戒めつつ、
と書き入れるつもりでしたし(その通り書いておけばよかった!)、当トピを立てる時点からお互いトンデモ化していくことへの戒めの気持ちはありました。
(なお、
上で変革期におけるフリーメイソンの働きかけのことで挙げた著『あやつられた龍馬』は、読んでみればわかるように、彼らが関わった当時の史実を検証して取り上げており、思うほどトンデモ化している本ではないでしょう。独自のスタンスに立って論評していく宇野正美氏の国際政治経済の動向を論じた一連の著作に
対してはそのスタンスに対しては批判はあるでしょうが、トピ「ドストエフスキーとユダヤ人問題」で挙げた『罪と罰』についての宇野氏の指摘に限っては、ドストエフスキーの
登場人物設定の傾向から考えても、なかなか鋭い指摘だと自分は思っています。
トピ「ドストエフスキーとユダヤ人問題」ではドストエフスキーがユダヤ人やユダヤ人問題をどう論評していたか、ドストエフスキーのユダヤ嫌いの事情、などを整理していけたらと思っています。
両トピを立てた私としては、ドストエフスキーをめぐるフリーメイソン関連・ユダヤ関連の事実を検証できたらと思っているに過ぎず、フリーメイソン(組織・会員)や ユダヤ(ユダヤ人・ユダヤ教徒)の概念(指している対象)や彼らの歴史上の動向の事実はお互いに確認しつつも、両トピで陰謀史観や親ユダヤ主義・反ユダヤ
主義を強調したり称揚していこうとする意向など毛頭(もうとう)ありません。)
事実と推論が史実や根拠に基づいてちゃんと述べられているならば、また、納得のゆく鋭い指摘であるならば、その記述の箇所や指摘の箇所は認めていくべきで
しょうし、一方、興味本位や都合から飛躍や牽強付会によってトンデモ化している部分は批判的に捉えていくようにし、かつ、トンデモ化している本や書き込み によって自分及び来訪者の皆さんがトンデモ化し問題が生じていくことにならないよう、お互い、努めたいと思います。
(ついでに言うなら、当ページの存続や身の安全のためにも、情報や考えがあっても、タブーのアブナイ領域や方面のことを明かし洞察した書き込みも、差し控えるよう、お互い、気を付けましょう。)
(6)
[251]
ユダヤ人の解放は、その究極の意味において、ユダヤ教からの人類の解放である(カール・マルクス『ユダヤ人問題について』)
名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:08/04/21(月)
Seigoさんがなるべくフェアであろうと意識されていることは判りますし、そういう姿勢には一定の敬意を表します。
そもそもドストエフスキー自身がトンデモ作家な訳だし、僕は文学に於けるトンデモを一つも否定しません。むしろどれだけトンデモ的にぶっ飛べるかにこそ、
作家の才能は掛かっていると言ってもいいでしょう。斯く言う僕も、日本人の祖先は宇宙人だろうし、イエス・キリストが死んだのは日本だろうし、成吉思汗の 正体は源義経だろうし、徳田新之助の正体は徳川吉宗だろうし、真珠湾奇襲はルーズベルトの仕組んだ罠だろうし、ブライアン・ジョーンズを殺ったのはミッ
ク・ジャガーだろうし、西南戦争で敗れてひそかにハワイに逃れた西郷隆盛の子孫が武蔵丸だろう……と思っています。更には、当然、ヒトラーやプレスリーは 未だ生きていると思っています。――つまるところ、トンデモ史観とは、押し隠された「願望」のルサンチマン的発現なのです。陰謀史観とは、ルサンチマンの
最も稚拙な現われなのです。これをフィクションとして発信し、そして受信しているのであれば、基本的には問題はないのです。たとえば木村鷹太郎レベルにまで行けば、むしろ天晴れです。木村鷹太郎は、ホント、天才だと思います。
そもそも、宇野正美や加治将一の著作は、その題名自体が、既に興味本位のセンセーショナリズムに阿っているように思います。もし、興味本位でなく「ユダヤ
人問題」や「フリーメイソンの実態」についてもっと地に足がついたスタンスで考究したいと思うのであれば、彼らのような題名はつけないでしょう。これで は、自分たちの本はトンデモ本ですよ――と予め断わっているようなものです。そして実際、そうなのかも知れません。彼らとしては、あくまで自分たちの本は
「ネタ」として消費して欲しいと思っているのではないでしょうか。そして、読む側もこれは元々「トンデモ」なのだ、と判った上で、その妄想炸裂のバッド・ トリップを楽しむのが、この手の本との一等まともな付き合い方である――ということこそ、『トンデモ本の世界』が世に訴えたかった最大のメッセージです。
一見もっともらしい断片的事実を繋ぎ合わせつつ、しかして、全体としてはぶっ飛んだ妄想を語るのがトンデモ本の手法なのですから、部分部分に正しい情報や 納得いく推論があったとしても、この手の本の基本的な荒唐無稽さは見逃してはなりません。要するに、読む方がトンデモを自覚しているのなら、一向に構わないのです。
以下、世界と日本に於けるユダヤ陰謀論(反ユダヤ主義)の歴史について、Wikipediaから引用してみます。
「1902年 - ロシアでユダヤ人が世界征服を企んでいるとする、シオン賢者の議定書(プロトコル)が作成される。
制作者はロシア秘密警察とほぼ推定されており、これは、当時ロシア民衆が持っていた不満をロシア皇帝からユダヤ人にそらす意図で作成された本と考えられ
ている。1921年には英『タイムズ』紙の記者により捏造本であることが解明・報道されたが、すでにこの本を読んだ民衆は、内容を信じ込み、よりあからさまにユダヤ人の排斥運動(ポグロム)が起きるようになった。
1917年 - ロシア革命が起きる。
ユダヤ人であったトロツキーはロシア革命で功績がありながら、もし彼がレーニンの後継者になると、まさにシオン賢者の議定書の予言が成就してしまう。こ
のために彼は左遷されたとも言われる(レーニン自身もユダヤ系ではあったが)。また、ロシア革命によりシオン賢者の議定書は類似本を含め世界中に広まる。 それにより、「ユダヤ人による世界征服の陰謀」の話は世界的に流行した。
その後、シオン賢者の議定書は多くの人を引きつけ、アメリカではヘンリー・フォードが、ドイツではヒトラーが熱狂的な信奉者となった。ヒットラーはこの
本が偽書であることを指摘されても「偽書かも知れないが、内容は本当だ」と擁護し、自らの反ユダヤ的態度を改めることはなかった。結果的にシオン賢者の議 定書はナチス・ドイツに影響を与え、ホロコーストを引き起こすことになる」(Wikipedia「反ユダヤ主義」の項より)
「歴史的にユダヤ人がそれほど迫害されてこなかったという報告があるのにも関わらず、一時期ユダヤ人迫害が非常に流行するのは、ロシア革命に伴って世界各
国に流布された偽書「シオン賢者の議定書」によるところが大きい。世界を陰で操ろうと目論む人々(=ユダヤ人)がいるとする陰謀論は、これを認めるだけで 「不愉快な社会的現象を説明」できてしまい、多くの人々を惹きつける。また、世間から隠された事実があるとするオカルト的考えも、人々にそれを知っている
という優越感をくすぐる。シオン賢者の議定書は多数の類書があるが、単にお互いに参照を繰り返し話がふくらんでいるだけで、陰謀の直接的証拠は全くない。 また、実際にユダヤ人が多く入会していた秘密結社フリーメーソンが陰謀に加担していたのではないかと指摘されることが多い。ナチス・ドイツがユダヤ陰謀論
を受け入れ、政権維持や宣伝に積極的に利用したのも、彼らがオカルト的なものを好んでいたからでもある。また、シオン賢者の議定書が作られた当時のロシア 宮廷にはラスプーチンをはじめとするオカルト主義者が多数存在していた。
このように反ユダヤ主義的思想は学術的にはあまり褒められたものではないオカルトに類する話から影響を受けていたことが多い。したがって、反ユダヤ主義を論じる時に、オカルトの部分を切り離して論じるのでは真実が見えてこないことが多々ある」(同上)
「1918年日本はシベリア出兵を行うが、日本兵と接触した白軍兵士には全員「シオン賢者の議定書」を配布されていたことにより、日本兵は反ユダヤ主義の
存在を知ることになる。シベリアから帰った久保田栄吉は1919年初めて日本にこの本を紹介した。後の大連特務機関長になる安江仙弘はシベリア出兵で武勲
を上げたが、日本に帰ってくると酒井勝軍にこの本を紹介し訳本を出版させたり、また自らも1924年包荒子のペンネームで『世界革命之裏面』という本を著
し、その中で初めて全文を日本に紹介した。また独自に訳本を出版した海軍の犬塚惟重とも接触し、陸海軍のみならず外務省をも巻き込んだ「ユダヤの陰謀」の 研究が行われた。しかし、陰謀の発見等の具体的成果をあげられなかった。
彼らは、満州国経営の困難さを訴えていた人らと接触するうちに、ナチスドイツによって迫害されているユダヤ人を助けることによってユダヤ資本を導入し、
満州国経営の困難さを打開しようと考えるようになった。これが河豚計画である。安江仙弘や犬塚惟重は反ユダヤ主義とは全く正反対の日ユ同祖論を展開、書籍 を出版することなどによって一般大衆や軍にユダヤ人受け入れの素地を作ろうとした。結局河豚計画は失敗するが、数千人のユダヤ人が命を救われたり杉原千畝
の活躍などの成果も残すこととなった。また、ゲーム会社のタイトー創業者であるロシア系ユダヤ人ミハエル・コーガンも安江らの影響で日本で活躍の場を求めるようになった。
作家山中峯太郎は少年向け雑誌少年倶楽部に1932年から1年半『大東の鉄人』という小説を連載する。この小説では、ヒーローが戦う相手は日本滅亡を画
策するユダヤ人秘密結社シオン同盟とされた。山中は安江の陸軍士官学校における2年先輩であった。また、海野十三や北村小松らもユダヤ人を敵の首領とする
子供向け冒険小説を書いている。太宰治もユダヤ陰謀論的内容のことを作品に書いており[要出典]、戦前、反共産主義的思想と結びついてユダヤ陰謀論は一般に広がっていた。
戦後しばらくはユダヤ問題はほとんど動きは無かったが、1986年宇野正美によって「ユダヤが解ると世界が見えてくる」(徳間書店)が出版される。この 本は一大ベストセラーとなり、戦後の反ユダヤ主義の動きを決定づけることになった。この本の影響によって、オカルト雑誌「ムー」や多数出版された他の書籍
において「ユダヤ人が世界を操っている」などの陰謀を説く言説が流布されていった。これらの日本の書籍は、ユダヤ陰謀論と関連づけられて語られることが多いフリーメーソン、イルミナティ、薔薇十字などの、いわゆる秘密結社と共に扱われることが多い。この動きはその後、マルコポーロ事件を始めとするホロコー
スト否認論に繋がっていく。
また、1981年に五島勉によって出版された『ノストラダムスの大予言III-1999年の破滅を決定する「最後の秘史」』でもユダヤ陰謀説は展開され ており、この本が後年ユダヤ陰謀説の流行する下地を作っていたのではないかとする意見もある。近年では田中宇によるホロコーストへの疑義が知られている。
日本の反ユダヤ主義にはオカルト的な知的遊戯の要素が高い。例えば宇野正美らが本当にユダヤの世界支配を心配するなら、まず何よりユダヤ人の経営者の
元、商業的大成功と共に強烈なバッシングも巻き起こし、またその後日本のみならず世界に大きな影響を与えた、日本のゲーム会社のタイトーに言及しなければ ならないはずだが、それがなく、延々外国の噂話に終始しているのが何よりの証拠である。また宇野正美が、安江らのように日ユ同祖論の本も何冊か出版し、緻
密な論理構築よりも興味本位的な話題作りを重視している点もその証拠となる」(同上)
……以上、Wikipediaから引用でした。勿論、Wikipediaの記事に対する史料批判もなされるべきでしょうが、全体に、かなりフェアで冷静な
記述がなされていると思います。そして、次に引くWikipediaの記述は、現代の日本で所謂「ユダヤ人問題」を云々する際、特に大切なことを語っていると思います。
「日本に限っては、そもそも日本語における「ユダヤ人」という言葉が誤解を大きくしている部分がある。 英語であれば"Jew"や"Jewish"の一語で表せるが、日本語では単に「ユダヤ」とは呼ばず、その後に「〜民族(人)」や「〜教徒」とつけて呼び習
わしているが、「教徒」では宗教的な意味合いだけで考慮されることが多く、「民族」では(実際にはそうでないにもかかわらず)「ユダヤ人」がひとつの「人 種」であるという印象を与えてしまう。
「ユダヤ」という宗教共同体が、共同体意識を持ちながらも2000年近く国家を持たず、定住した各地で独自の文化を育んできた事実がある。またイスラエル
国内、「ユダヤ人」同士でも、「ユダヤ人」に関する定義については論争がある。アメリカに暮らすユダヤ人とイスラエルに住むユダヤ人の間でも「ガラス越し のキス」と言われるほどシオニズムなどに対する温度差がある。
日本における「ユダヤ人論」は殊更にユダヤ人の一体性を強調し、あるいは世界中の「ユダヤの共同体」の多様性を全く無視したものとなっている」(同上)
「ユダヤ人」という茫漠とした概念を持ち出して現実に生起する事象を意味付けてしまおうという思考の暴力性を、上に引いた文章はよく戒めてくれるものです。ジョージ・オーウェルは、
「私が「ナショナリズム」と言う場合に真っ先に考えるものは、人間が昆虫と同じように分類できるものであり、何百万、何千万という人間の集団全体に自信を
もって「善」とか「悪」とかのレッテルが貼れるものと思い込んでいる精神的習慣である」(ジョージ・オーウェル「ナショナリズム覚え書き」)
という言葉を残していますが、結局、陰謀史観なるものは、ナショナリズムの最も低級な一変種なのだと思います。ユダヤやフリーメイソンに絡めた陰謀史観は、近代ナショナリズムの鬼子的裏面史と言ってもいいかも知れません。
そして、僕が最も危惧するのは、たとえSeigoさんに差別意識がなくても、ユダヤ陰謀説の類いを結局は興味本位で語ること自体、所謂「差別語」を使うこ
と以上に差別的影響を世間に与えてしまうことになりかねない――ということです。何故興味本位かというと、それはSeigoさんご自身が、「ユダヤ人」か
ら現実的・日常的に特段の被害を受けていないでしょうからです。Seigoさんにとって畢竟無関係な人びとに纏わるネガティヴな風説を大仰に語ってしまう
ことこそ、僕は興味本位なことだと思います。
結局、「ユダヤ人」や「フリーメイソン」に纏わる陰謀論がタブーであるのは、陰謀論を語る者の身が危うくなるからではなく(かつてユダヤ陰謀論を唱えて消
された人はいません)、むしろ、陰謀論の対象とされている人びとに対する偏見が世間で醸成され、陰謀論の対象とされている人びとこそが迫害されてしまう怖れがあるから――という意味で「タブー」なのです。
Seigoさんが興味本位にこの「タブー」を語ることで、身の安全が脅かされるのは、Seigoさんではなく、まさにユダヤ人やフリーメイソンに入会して いるような人たちなのだ――ということをくれぐれも自覚した上であれば、たとえばドストエフスキーに於ける「ユダヤ人問題」に就いても、より稔りある意見
交換が出来るかも知れないと思います。ドストエフスキーも又、19世紀の欧州を猖獗した「ユダヤ人問題」の圏内でその述作をなした一人だったのですから。
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