過去の投稿記事()
(更新:24/02/06)




ムイシュキン公爵が言
う「賢い生活」のこと
(
1〜5)

(事項「ドストエフスキーの小説の中の気になっている箇所や表現」の過去の投稿記事より。)

投稿者:
Seigo、なおみ



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[Seigo]
[97
822]


白痴』第1編の第5の後半部において、 銃殺刑を直前で免れた人物のことをムイシュキン公爵が話すのを聞いて、聞き手の一人のアレクサンドラ(エパンチン将軍家の長女)が、

「一分一分いちいち計算して(そろばんをはじきながら)生活するのは実際できないことなのですね」

という感慨をもらしたに対して、公爵がそのことを認めつつも、

それでもやはり、何かそうとばかりも信じられない。時には、誰よりも賢い生活ができそうな気もします。」

と述べる箇所
(
新潮文庫上巻p111p112)
がありますが、 ムイシュキン公爵のこの終(しま)い部分の言葉の真意を、皆さんは、どうお考えでしょうか。

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[なおみ]
[97
831]


こんばんは SEIGOさんおかえりなさい。

さて、先日のムイシュキンの「算盤をはじいて生きる」件ですが、一体彼はどのように算盤をはじいていたのでしょうか?

わたしにはどうも読み込み不足と力不足でよくわかりません。SEIGOさんの考えをぜひ聞かせて下さい。

ドストエフスキーはシベリヤで死刑を宣告された後、恩赦になってから、時間を空費することなく大作を次々と仕上げて、マヨネーズのようにゆっくりゆっくり楽な方に流れて生きている私などからすればまさに、算盤をはじいたように1分1分を大切に過ごされたと思います。

ムイシュキンの計算といえばラゴージンが「ナスターシャと結婚しても一週間で殺すでしょう」 といったのも物凄い計算だったと思います。

あと計算ではないですが「病気の境遇で女の人は知らない」と性の弱さを強調しながら、アグラーヤとナスターシャと恋愛するのもちょっと興味深い点でした。

話が前後しましたが、よろしくお願いいたします。

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[Seigo]
[97
831]


>なおみ殿

上の小説『白痴』の中の第1編の第5の後半部(新潮文庫では、上巻のp111p112)で取り上げられている、
「一分一分いちいち計算して生活する」
(p111)
ということに関してですが、 私は、このテーマは、「生」を愛し、かつ、自意識過剰であり、相反する感情や意志を自己の内に抱えていたドストエフスキーが生涯、つねに意識し、かつ、苦しめられたテーマとして、また、私自身の切実なテーマとしても、きわめて関心があるのです。

実際、ドストエフスキー自身、シベリア流罪中の4年間に「未来のプログラムを作り、それを厳格に守る決意をした」にも関わらず、刑期を終えて出獄し、行動の自由が許されるようになるや、ご存じのように、(もちろん好きな創作には取り組んでいるものの、) 一方で、人妻と盲目的な恋に陥り、さらに、その4年間の国境警備の服役を終えると、女子学生スースロワとの恋愛や賭博(ルーレット)といったあらぬ方向に、とめどもなく情熱と時間を注ぎこんでいった、という事実があります。
(
以上のことは、中村健之介著『ドストエフスキーのおもしろさ』(岩波ジュニア新書。1988年刊。)p66p67で、中村氏が指摘しています。)

自分の決意したことと違ったことや逆のことをしてしまうドストエフスキー自身の傾向に関しては、『地下室の手記』を初め、作品の登場人物の口を借りて、その苦渋が切実に述べられていることは、周知の通りです。

ドストエフスキーは、そういった、我々が「生活」を自分の方針に従って自分でいちいち選択していくことの難しさ・煩雑さ・苦しさを痛烈に実感しつつも、ムイシュキン公爵の口を借りて、そう述べたあとに、

「が、それでもやはり、何かそう(=「一分一分いちいち計算して生活する」ことは、私たちには不可能である、ということ)と ばかりも信じられないのですが……」

と言っているわけですが、このムイシュキン公爵の言葉の真意に関しては、私自身、思うところがいくらかありますが、その披瀝(ひれき)は、また、次の機会にこのボードでしてみたいと思います。

>マヨネーズのように

なおみ殿の、この実に巧みな比喩表現には、感心しちゃいました。

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[Seigo]
[97
831]


上で「なおみ」殿が指摘した、ムイシュキン公爵の、ナスターシャの運命に関する驚くべき洞察や彼女らとの恋愛ぶりは、ムイシュキン公爵の、相手に対する深い同情や愛の精神からくる直感、どんな相手をも包みいれる寛大さやお人好しさ、彼と一緒に居る際の気楽さ(ただし、ナスターシャにとっては、公爵のそういった態度は自分の心の古傷をますます痛ましく自覚してしまう結果になるわけですが。)によって、可能になっていると思います。上の後半のムイシュキン公爵の言葉は、このあたりの公爵の内の精神が柱になるのかもしれません。

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[なおみ]
[97
91]


SEIGOさん お答え有難うございました!!

ムイシュキンはアグラーヤが

「それじゃ、あなたはだれよりも賢い生活が出来ると考えていらっしゃいますの?」と問いかけたのに対して「ええ、ぼくときどきそんな気もしました。」「今でも・・・します」と言ったのは、具体的には何を指すのでしょうか?

単純にドストエフスキーの代弁でしょうか?その後のムイシュキンの生活のことでしょうか? それとも単純にムイシュキンの願望でしょうか? それとも・・・なんだか頭がこんがらがってきました。またにします。