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  「白痴」を読む  
  (1〜5) 
  (更新:25/07/29) 
   
  投稿者:  
  kawati 
   
   
   
  
   
   
   
  (1) 
   
  「白痴」を読む 
  名前: kawati  
  投稿日時:17/12/04(月)  
  更新:25/06/28 
   
   
   レーベジェフと黙示録 
   
  「白痴」の主人公はムイシキン公爵だと思います。 
  レーベジェフと公爵との出会いはスイスからの帰途の車中から最後の「ドアーを開けて」発見されるまで公爵の「黒衣」のような存在として登場します。 
   
  レーベジェフは「黙示録にかけては、もう13年も講釈をつづけている大家だという」。  
  彼が「ただ一人で黙示録を読む時の顔を想像してみる事はできないか、彼の孤独な心のうちを駆け巡る「黒い馬」や「蒼ざめた馬」の姿がみえないであろうか」 (小林秀雄) 
   
   
  黙示録は聖書(新約)の最後に置かれている。 
   
  その物語は「終末の時に神によって「新天地」がもたらされ、今 迫害されて苦しむ義人は新しい至福の中に迎えられるというメッセージ」を象徴的な物語として書かれている。(山口雅弘) 
   
  黙示録が後世に与えた影響は絶大である。 
  例えば、 
  8章の第7の封印。 
  第1のラッパ  
  地上の三分の一は焼け、木々の三分の一が焼けすべての青草も焼けてしまった。 
  第3のラッパ  
  星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなってそのために多くの人が死んだ。 
  第5のラッパ  
  人々は死にたいと思っても死ぬことができず 切に死を望んでも 死の方が逃げてゆく。 
   
  すさまじい終末の世界が語られている。 
  日本の「往生要集」の地獄絵のごとくである。 
   
  「白痴」の作者はシベリヤで4年間聖書のみを読んで過ごした。 
   
  なぜレーベジェフと黙示録がつながったのか。 
  ボクには 重い問いである。         
  (「小林秀雄「白痴」について」を参照しました) 
   
   
  
   
   
   
  (2) 
   
  RE:「白痴」を読む 
  名前:kawati  
  投稿日時:17/12/17(日)  
  更新:25/06/28 
   
   
   レーベジェフと黙示録 
   
  最初の「福音書」と言われている「マルコ」にイエスの言葉として、 
    
  「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ あなたたちは大変な思い違いをしている」(12−27) 
  「安息日は人のために定められた、人が安息日のためにあるのではない」(2−27) 
  「自分自身の内に塩を持ちなさい」(9−50) 
  「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(12−17) 
   
  イエスは徹底した人間主義であったと思います。 
   
  黙示録は二世紀頃キリスト教発祥時のプロパガンダとして用いられ、不安を煽って信者を募るために書かれたと思ってます。 
   
  キリスト公爵の「黒衣」のようなレーベジェフ。 
  彼は現実のドロ沼にどっぷりつかって生きている。 
  「公爵は観念の中の人だ」と小林秀雄は言ってます。 
   
  なぜ レーベジェフと黙示録なのか。 
  キット作品の中に書かれていると想うが、それを探すしかない。 
   
   
  
   
   
   
  (3) 
   
  RE:「白痴」を読む 
  名前:kawati  
  投稿日時:18/01/10(水)  
   
   
   心と魂 
   
  スマホで検索してみました。 
  どちらも 同じような意味でしたが、ボクは少しニュアンスが違うと想うんです。 
   
   やまと 心 
   やまと 魂 
   
  受け止める人によって チョピリ違ってくるように思います。 
   
  直感的には「静」的と「動」的と言うのかなぁー。 
   
  般若心経でこれでもか これでもかと人間の存在を分析されても、ボクには「そうですか」としか 言い様がない。何も動かない。 
   
  以前「千の風になって」が多くの人に歌われましたが、風という言葉はギリシャ語で「プネウマ(霊魂)」という意味もあるそうです。風を魂と読んだ場合この歌の意味が良く分かる。 
    
   私のお墓の前で泣かないでくだ 
   さい 
   そこにはわたしはいません 眠 
   ってなんかいません 
   千の風に 千の風になって あ 
   の大きな空を 吹きわたってい 
   ます 
   
  心と魂は違うような気がするけど・・・ 
   
   
   
  (追伸 新約聖書はギリシャ語で書かれ「プネウマ」は霊とか聖霊魂と訳されているそうです) 
   
   
  
   
   
   
  (4) 
   
  RE:「白痴」を読む 
  名前:kawati  
  投稿日時:18/02/13(火)   
   
   
  石牟礼道子さん その訃報が新聞で大きく報じられています。 
   
  「苦海浄土」 苦しみ はてしない 浄土(訓読み) 
   
  このような立場 立ち位置 苦しみを共有する想像力 思わず胸があつくなりました。 
   
  「患者さんにとりついた水俣病は離れてくれず、痛みも癒えることはない。それなら いっそうのこと水俣病を「守護神」にしょう。この罪と痛みをわが身に全
  部引き受けて、一心に祈ろうと思っておられます。似たような心境を語ってくださる患者さんはほかにもいます」(語録・新聞より) 
   
  例えば 
  癌のステージ5の宣告を受けた者にあっては二つの選択肢があると思います。 
   
  痛みと苦しに耐え抜き、さとりの境地ともいうべき諦念の心境で過ごす 
   
  痛みと苦しみを「いのち」と受けとめ生きている証として積極的に引き受け、その時 その日を生きる。 
   
  黙示録を読み込めば 石牟礼さんと共通の立場を見出せるかもと直感した。前提としてレーベジェフをもっとよく知る事だとも想った。 
   
   
  
   
   
   
  (5) 
   
  RE:「白痴」を読む      
  名前:kawati 
  投稿日時:18/02/25(日)  
   
   
  亀山「白痴」3読書ガイドより 
   
  この小説「白痴」は 「ヨハネ黙示録」の濃厚な影に覆われている。 
   
  その主役ともいうべき人物が、レーベジェフであり、ナスターシャである。 
   
  そしてイポリートもまた、多かれ少なかれ「黙示録」の影響下にある。 
   
  カンニバリズム(人肉食)の問題が、ほかでもない、黙示録博士レーベジェフの口を通して語られているという点にヒントがある。 
   
   
   
        
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