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(更新:24/02/18)




ラスコーリニコフの
更生・復活・悔悛・回心のこと
(
1〜17)


投稿者:
Seigo、ちちこふ、
ミエハリ・バカーチン、ka
竜之介




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[290]
ラスコーリニコフの
更生・復活・悔悛・回心のこと

名前: Seigo 
投稿日時:08/05/05()


『罪と罰』の末部において、ラスコーリニコフに、悔悛も含めて、はたして回心があったのかどうか、もし回心があったのだとしたら、それはどういった回心であり、何によってもたらされたものなのか、について、意見がある人は聞かせて下さい。



 *     *     *


ある日の夕暮れ、もうほとんどよくなったラスコーリニコフは眠りからさめると、何気なく窓辺へ寄った。すると彼は思いがけなく、遠くの病院の門のそばにソーニャの姿を見た。彼女は佇(たたず)んで、
何かを待っているふうだった。その瞬間彼は、何かが彼の心を貫いたような気がした。彼はぎくっとして、急いで窓をはなれた。

(
『罪と罰』の「エピローグ」の第2内のもの。新潮文庫の下巻のp480p481。工藤精一郎訳。)

という箇所は、シベリアでのラスコーリニコフの変化の過程において大事な箇所(シーン)だと私は思うのですが、皆さんは、上の箇所はどう受けとめたでしょうか?
(
このシーンは、ラスコーリニコフがソーニャの両手を合わせる姿を認めて警察
 署の階段を再び登っていくシーンとともに、『罪と罰』の中の名シーンになり
 うるシーンだとあらためて思う。『罪と罰』を映画化するならこのシーンはさ
 りげなくもしっかり描きたい。)  



  ‥‥‥‥‥‥‥‥

★追記:08/05/10()
続く皆さんの書き込みはラスコーリニコフの更生のことにまで広がっているので、このトピは、ラスコーリニコフの悔悛・回心のほかに更生・復活も含めての意見交換のトピにしたいと思います。
そういうことで、トピのタイトルは、
「『罪と罰』の末部でラスコーリ
ニコフに回心はあったのか」
から
「ラスコーリニコフの
更生・復活・悔悛・回心のこと」
に変えました。



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[301]
RE:ラスコーリニコフの
更生・復活・悔悛・回心のこと

名前:ちちこふ 
投稿日時:08/05/08()


このシーンこそが『罪と罰』の命! 「刑事もの風」でもあり「ラスコーリニコフの苦悩の物語」でもあるこ の小説が「愛の物語」に転化する「大どんでん返し」がこのさりげないシーンに仕組まれている!と私は見ました。毎回「涙」の話で申し訳ないのですが、『カ ラマーゾフ』には「泣けるシーン」がたくさんあるのに対し、『罪と罰』の「泣けるシーン」はまさにここに集約されています。『罪と罰』で本当に泣けるのは ここ一回だけかもしれませんが、涙の量は『カラマーゾフ』全体に匹敵するとも思います。予想不可能な、凄いフィナーレです! はっきり言って、私などは完 全に打ちのめされました、読了後、しばらくは動けませんでした。

ラスコーリニコフはここで回心したか? 明らかに、文句なしに、回心したでしょう! 同じ状況に置かれたら、スビドリガイロフやスタヴローギンでさえ回心 したでしょう! 「聖愚」とも言えるリザベータに近い存在のソーニャの愛が絶えずラスコーリニコフを救おうとして来た訳ですが、ここの場面でラスコーリニ コフは「彼女の愛によって救われた」ことを悟った… 語り手であるドストエフスキー自身が「この二人の物語は別の物語になるだろう」という趣旨のことを言っている のだし… (つまり「前の続きではない」ということでしょう。)私にはどうしてもそうとしか読めません!

もしも、そういう風に読めないなら、私はこれを読んだ後、『白痴』、『悪霊』と読み進まなかったと思います。ここにあるのは「最高の救い」です!「聖女で もあり娼婦でもある最高の女性の限りなく深い愛」です! 確かにシベリア送りは辛いですが、一体、どこのどんな男がこんな愛を経験出来るでしょうか?

だから、友人と話す時、私はどうしても「『罪と罰』はドストエフスキーにしては珍しくハッピーエンド」と言ってしまいます。友人は「ハッピーエンドじゃな い!」と言います。確かに、人を殺したという過去、何の関係もないリザベータまで殺めてしまったという過去は永久に消えませんが…



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[302]
RE:ラスコーリニコフの
更生・復活・悔悛・回心のこと

名前:ミエハリ・バカーチン 
投稿日時:08/05/08()


>ちちこふさん

「ドストエフスキーとヘーゲル」のトピックへの返事を書こう書こうと思いながら、ユダヤ問題やチベット問題に首を突っ込んでしまい、余力がなく、ご無沙汰が続いていました。申し訳ありません。

さて、僕は『カラマーゾフの兄弟』のフェチュコーウイチ弁護士は、かなり皮肉に描かれていると思っていたので、彼の弁論に感動されたというちちこふさんの感想には、ちょっとびっくりしました。

ラスコーリニコフの回心に就いては、次の文章が重要だと僕は思っています。

「彼は意識の上では何も解決できなかったにちがいない。彼はただ感じていただけだった。弁証法の代わりに生活が前面へ出てきた。そして当然意識の中にはぜんぜん別な何ものかが形成されるはずであった」(工藤精一郎訳)

「弁証法」から「生活」への回心――、これこそが『罪と罰』でドストエフスキーが描こうとしたことだと思いますが、「弁証法の使徒」ちちこふさんは、このドストエフスキーの文章をどう解釈されるでしょうか?



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 [303]
RE:弁証法からの回心?
名前:ちちこふ
投稿日時:08/05/09()


>ミエハリさん

お久しぶりです。コメントありがとうございます。

確かにフェチュコーウイチ弁護士は最初「かなり皮肉に」描かれています。しかし、弁論に熱がこもって行くにつれ、好意的に描かれているのか・皮肉に描かれ ているのかはっきりしなくなって来て、弁論の結末の部分では、描写はかなり好意的になっている… と私は感じました。それから、彼の論敵、イッポリート検 事補はもっと辛辣に、そしてかなり冗長に描かれています。さらに比較材料として、『悪霊』のカルマジーノフのスピーチの場合は、状況は異なりますが、最初 から最後まで辛辣な扱いです。もしかしたら、ドストエフスキーはこの種の弁論を職業とする人達一般(政治家や政治家もどき)が嫌いだったのではないでしょうか。そ のドストエフスキーの嫌いな連中の中でフェチュコーウイチ弁護士は「比較的好意的に」描かれている、とは言えないでしょうか。(まあ、何はともあれ、私ちちこふは ちょっとフェチュコーウイチ弁護士みたいなタイプなのです… もちろん、あんなに切れませんが…)

「弁証法の使徒ちちこふ」として「弁証法から生活への回心」については「おっ!」と思いました。「そんなの読んだ覚えないぞ」とばかり『罪と罰』(江川卓訳)を調べてみると、問題の箇所は、な、なんと:

「いや、いまの彼には、何ひとつ意識的に解決することだってできなかっただろう。彼はただ感じただけだった。思弁の代わりに生活が登場したのだ。意識のなかでも、まったく別の何かが作りあげられなければならないはずだった。」

となっておるのです! 「弁証法」でなく「思弁」と来ました! もし、こちらの翻訳の方が正確なら、この言葉の解釈はヘーゲリアンでなくカンティアンの仕事です、と言いたいところですが、

ヘーゲルだって「思弁」も多用してますから、私が215に引用したヘーゲル『歴史哲学』の:

「世界史的個人は冷静に意思をかため、広く配慮をめぐらせるのではなく、ひたむきに一つの目的にむかって突進します。だから、自分に関係のない事柄は、偉 大な、いや、神聖な事柄でさえ、軽々にあつかうこともあって、むろんそのふるまいは道徳的に非難されてしかるべきものです。が、偉大な人物が多くの無垢な 花々を踏みにじり、行く手に横たわる多くのものを踏みつぶすのは、しかたのないことです。」(長谷川宏訳)

みたいな考えは改めた、ということで如何でしょう?



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[305]
RE:補足
名前:ちちこふ
投稿日時:08/05/09()


翻訳の相違が気になり原文に当たってみると、工藤精一郎訳「弁証法の代わりに生活が前面へ出てきた」の箇所は:

Вместо диалектики наступила жизнь

英語の文法を無視し、一対一逐語訳するなら:

Instead-of dialectics had-begun life

「диалектики」は「dialectics」つまり「弁証法」でした! ロシア語音痴の私でもこれは「思弁」とは訳せないだろうと想像します。つまり「弁証法の代わりに生活(人生)が始まっていた」となります。工藤氏の勝ちです。

ちなみに、インターネットで簡単に閲覧出来る英訳版でここの箇所は:

Life had stepped into the place of theory

となっておりました。これは完全に狂った訳です。意味通じません。敢えて訳すなら「人生は理論の場に踏み入っていたのであった」ということになるでしょ う。原文と反対の意味になりかねません。こういうのが流布するとまずいです。大負けに負けて「いままでずっと理論が占めていた場所に生活が侵入して来た」 と取れないこともないかもしれませんが…

ヘーゲルだけかと思いきや、ドストエフスキーの場合でも、翻訳の相違とは恐いものだと再認識いたしました。

ちなみに他の言語でどうなっているのか調べてみました。

フランス語:Au raisonnement sétait substituée la vie
スペイン語:Al razonamiento se había impuesto la vida.
ドイツ語:Statt der Dialektik begann jetzt das Leben,

ドイツ語が一番原文に近い感じではないでしょうか。ちゃんと「Dialektik」が入っております。
フランス語は「生活(人生)が理性に取って代わっていた」と訳されおり、
スペイン語はフランス語を孫引きしたと思われ「理性に対して生活(人生)が勝ちをおさめたていた」という訳です。
ちなみに「raisonnement」も「razomaniento」も英語で言うと「reasoning」、つまり「理性」よりは「理性的に考えるこ と」即ち「思弁」と訳した方が正確かもしれません。とすると、江川氏はこのあたりを参考にしたのか…とも思われます。「диалектики」つまり 「dialectics」がいきなり日本語の「思弁」になるのはおかしいですし…
(「raison」も「razón」も「reason」も「理性」以外に「理由」という意味もあるので、ing形を「理性」に当てることがあるため、それ らの単語のing形を「理性的に考えること」と訳すことも「理性」と訳すことも出来るのです。だからフランス語から孫引き翻訳すると「理屈ばっかりこねて ないで生きていかにゃならんということになった」みたいなニュアンスになってしまいます。「dialectics」の場合、少しニュアンスは異なるでしょ う。)

と見て来ると… ロシア語から直接訳している人は少ないということになるのか… ちょっとショックです。



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 [306]
RE:ラスコーリニコフの
更生・復活・悔悛・回心のこと

名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:08/05/09()


>ちちこふさん

こんにちは。

各国語訳の紹介、ありがとうございました。

たしかに、江川訳では「思弁」になっていますね。同じ箇所、池田健太郎訳では、次のようになっていました。

「それに今の彼は、何ひとつ意識的に解決することもできなかっただろう。彼はただ感じていただけである。弁証法の代わりに生活が登場したのである。そして意識のなかには何かまったく別のものが形成されねばならなかったのである」(池田健太郎訳)

池田氏も「弁証法」と訳していますが、

「да он ничего бы и не разрешил теперь сознательно; он только чувствовал. Вместо диалектики наступила жизнь, и в сознании должно было выработаться что-то совершенно другое.

という文章中の「диалектики」という語を、工藤氏と池田氏は「弁証法」と訳し、江川氏は「思弁」と訳しているわけですね。中村白葉氏や米川正夫 氏の訳ではどうなっているのでしょう? 気になるので、今度図書館で調べてみようと思います。現在亀山郁夫氏が『罪と罰』の新訳に取り組んでいるらしいで すが、彼がこの箇所を果たしてどう訳すかも気になります。

「диалектики」という言葉は、ヘーゲル哲学が流行していた当時のロシアでは、独特のニュアンスを持って使われていたのではないかと思います。ラ ズミーヒンがラスコーリニコフにドイツ語のテキストの翻訳のバイトを紹介するくだりがありますが、そんなテキストの中にも「Dialektik」という言 葉は溢れ返っていたのではないでしょうか。「Dialektik」は、一種の「決め台詞」的な言葉だったのではないかとも思います。そう考えると、ここは やはり「思弁」ではなく「弁証法」と訳す方が皮肉な含意も併せてより正確という気もしますが、江川氏としては、訳文に(ヘーゲル哲学に限定されぬ)より広 い一般性を持たせるために、敢えてここは「思弁」と訳したのかも知れません。「考えることをしている」などと称して、観念的に自己完結していては駄目だ よ! 「生活」とは他者との関わりそのもののことを言うんだよ! というメッセージを、ヘーゲルがあまり読まれなくなった現代の日本に即して訳出しようと した時、「弁証法」という言葉より「思弁」という言葉の方が訴求力がある――そのように江川氏は考えたのではないでしょうか。いっそ、「哲学の代わりに生 活が登場したのだ」というような意訳でもよかったかも知れません。

あと、もう一つ気になるのは、「диалектики(弁証法)」という言葉と対になっている「жизнь(生活)」の含意するものです。 「диалектики」が外来語であるのに対して「жизнь」はロシア語固有の言葉なのだろうと思います。つまりここでドストエフスキーは、ラスコー リニコフの意識の中で、外来的な観念に代わって土着の実感が前面に出てきた――という「回心」の構図を比喩的に表現していると読むことも出来るように思い ます。そしてこの「жизнь(生活)」は、土着的であると同時に神話的なルーツも持ったものとして設定されているのではないかと思います。「弁証法」か ら「生活」への「回心」を語った少し前に、ラスコーリニコフが川岸の作業場の向こう岸(彼岸)に点在する遊牧民のテントを眺めて憂鬱な物思いに耽る場面が あります。

「ラスコーリニコフは小屋から川岸へ出て、小屋のそばに積んだ丸太に腰をおろし、広い荒涼たる川を眺めはじめた。高い岸から眺めると、広々としたあたりの 景色が開けていた。遠い向こう岸からは、かすかな歌声が聞こえてきた。そこの、さんさんと日光を浴びた見はるかす大草原に、遊牧民のテントがかすかに点々 と黒ずんで見えた。あそこには自由があり、ここの人々とは似ても似つかぬ別種の人々が生活している。あそこでは時そのものが歩みを止めて、まるでアブラハ ムとその羊の群れの時代がまだ過ぎ去っていないかのように見える。ラスコーリニコフは腰をおろしたまま、目を離さずにじっと眺めていた。彼の考えは、とり とめのない空想へ、瞑想へと移っていった。何ひとつ彼は考えなかった。が、ある得体の知れぬ憂愁が、彼を興奮させて苦しめていた」(池田健太郎訳)

ここで描かれる川は、近代と前近代/ヨーロッパとアジア、を隔てる象徴として描かれているようにも思います。此岸(近代=ヨーロッパ=歴史)のほとりに佇 みながら、ラスコーリニコフは、彼岸(前近代=アジア=神話)の「アブラハムとその羊の群れの時代がまだ過ぎ去っていないかのように見える」遊牧民たちの 「生活」を遠く眺めているのです。神話的な彼岸には「生活」があり、歴史的な此岸にあるのは「弁証法」ばかり――そのコントラストに、ラスコーリニコフは 深いメランコリーに囚われたのかも知れません。アブラハムの時代で時が歩みを止めたような遊牧民(ノマド)たちの非「歴史」的な世界には、しかし此岸には 無い「生活」があるようにラスコーリニコフには感じられたのでしょう。又、この場面には「進歩」というものの虚妄性も含意されているように思います。

川岸の風景に世界の有様の象徴を見出して主人公が深いメランコリーに囚われるというシークエンスは、ドストエフスキーの好んで使ったもので、『弱い心』や 『未成年』でも有名な「ネヴァ川の幻影」のモチーフは繰り返し描かれています。『罪と罰』でも、老婆殺しを実行した後のラスコーリニコフが、少女に恵んで もらった二十コペイカ銀貨をネヴァ川に向かって投げ捨てる印象的な場面がありますが、この場面は、エピローグのシベリアの川岸の場面と対になっているよう に思います。

「彼は銀貨を片手に握って十歩ばかり歩き、宮殿を見はるかすネワ川の流れに顔を向けた。空には一点の雲もなく、水はネワ川には珍しく淡青色に近い色をして いた。(中略)彼はそこにたたずんだまま、長い間じっと遠くを見つめていた。ここはとりわけ懐かしい場所だった。まだ大学へ通っていたころ、よく彼は、 ――たいてい下宿へ帰る途中、――ことによると百度ぐらいこの同じ場所に足を止めて、文字どおり壮麗な眺望を食い入るように見つめ、そのたびにある定かな らぬ、ふしぎな自分の印象に驚いたものである。この壮麗な眺望からは、いつもふしぎな寒さが吹きつけて来た。この華麗な一幅の絵画は、彼にとって物言わ ぬ、言葉も受けつけぬ鬼気に満ち満ちていた。(中略)ふと何気なく片手を動かした拍子に、彼はとつぜん、自分が拳の中に二十コペイカ銀貨を握り締めている のを感じた。青年は拳を開いてじっと銀貨を眺め、手を振りあげて水の中へ投げ込んだ。それからくるりと向きを変えて、家路についた。彼はこの瞬間、すべて の人とすべての物事から、自分を鋏でばっさり切り離したように感じた」(池田健太郎訳)

これは、貨幣を媒介にする近代的人倫関係からのラスコーリニコフの訣別を象徴する場面ではないでしょうか。そして、ここでラスコーリニコフが投げ捨てる二 十コペイカ銀貨は、彼が老婆殺しを犯してまで盗んだ大金と対になっているとも思います。人倫を犯したラスコーリニコフにとって、最早貨幣は、それが二十コ ペイカだろうが大金だろうが、意味を持ち得ぬものになっていたのでした。ネヴァ川のほとりで「すべての人とすべての物事から、自分を鋏でばっさり切り離し た」ラスコーリニコフは、エピローグのシベリアの川岸で、前近代的な遊牧民たちの「生活」を眺めながら、深いメランコリーに囚われるのですが、もしここに ソーニャがいなかったら、ラスコーリニコフは世界との絶縁から回復することは出来ず、此岸と彼岸の隔絶の前にメランコリーに陥ったまま終わったことでしょ う。しかし、ラスコーリニコフの傍らにはソーニャがいました。

「突然、彼の横へソーニャが現われた。彼女は足音も立てずに近づいて来て、彼と並んで腰をおろした。まだ時刻が非常に早く、朝の寒さが和らいではいなかっ た。彼女は例の貧弱な古い外套を着て、緑色の頭巾をかぶっていた。顔はまだ病気の名ごりをとどめ、痩せて青白く、頬がこけていた。彼女はにこやかに、うれ しそうに彼にほほえんでみせたが、例によっておずおずと手を差し伸べた」(池田健太郎訳)

ラスコーリニコフは、この差し伸ばされたソーニャの手を取ります。「生活」へ向かっていく気持ちをこの時に固めたようです。ソーニャに導かれて、ラスコーリニコフは彼岸の「生活」への渡河を目指します。彼らは果たして「別の世界」へ辿り着くことが出来るでしょうか。

「しかしここにはもう、新しい物語が始まっている。ひとりの人間が一歩一歩更生していく物語が、――だんだんと生まれ変わって、だんだんと一つの世界から 別の世界へ移って行き、新しい、今までまったく知らなかった現実を知る物語が始まりかけている。それは立派に新しい小説の主題となりうるものだが、――今 のこの物語は、ひとまずこれで終わったのである」(池田健太郎訳)

厳密に考えれば、ここで描かれた殺人者と売春婦の手を取り合っての更生にどれだけリアリティがあるかは疑問なところもあるのですが、小説の組み立てとオチのつけ方として、これはやはり実に見事なラストだと思います。

 
*    *    *

フェチュコーウィチ弁護士とイポリート検事に関しては、 「現『カラ兄弟』のテーマ」のトピックで、いずれ書けたら書かせて頂きたく思います。

 



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 [307]
場所の中へ
名前:ka
投稿日時:08/05/10()


『罪と罰』ラストに「弁証法」という言葉が出てきているとは知らず、かなり驚きました。
それが「生」という語と対置されているというのは、19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパでの思想的流行を先取りしている観があって、すごく面白い点です。

邦訳既訳が「弁証法」を訳語として避けているのは、おそらく、それでは一般読者には意味が分かるまい、と訳者が判断した結果なのでしょうね。文脈から判断して、「頭で考えること」ぐらいに受け取って大過ないようにも感じられますが。
邦訳者が英訳を参照してるのは、まあよくあることだと思います。例えばドイツ文学でも、有名な人が訳してる有名作品の訳でも、英訳とそっくりな表現が出てくることは珍しくない。
(一応、それは原文から訳してない…ということではないと思いますよ>ちちこふさん)

ついでに、また余計なツッコミを一つ。
コンスタンス・ガーネット訳で用いられている"step into the place of"という表現は、「〜に取って代わる」という意味です。

英語の「場所」(place)という言葉は、そもそも「代わり」という意味と近しいものなのですね。

あるいは英語に限らず、ヨーロッパの言語ではたいてい同様の事情があります。
原文のロシア語で「弁証法」(диалектика)にくっついている、「〜の代わりに」(вместо)という前置詞にせよ、「場所」(место)という語と+「〜の中へ」(в)という語が合体してできたものに他なりません。



(
)

[308]
当トピのタイトルの変更、
生ける生、ラスコーリニコフの
その後の物語のこと

名前:Seigo
投稿日時:08/05/11()


自分としては、[290]で挙げた箇所などをもとにラスコーリニコフの「回心」のことについて意見交換していけたらと思って当トピを立てたのですが、皆さんの書き込みはラスコーリニコフの更生のことに及んでいるので、先ほど、当トピのタイトルは、

   ラスコーリニコフの更生・復活・悔悛・回心のこと

に変えました。
(
なお、自分は「回心」は、聖書で言うパウロの回心の如く、神の働きかけ()
 の結果として、その身に見舞った事態によって「突如として起こった転回(改心
 )」の意味で用いました。エピローグでは「しだいに更生していくものがたり」
 と述べているので、ラスコーリニコフに関しては「更生」と「回心」は使い分
 けて使用してもらった方がよいかもしれません。)
ラスコーリニコフの「思弁」から「生活」への更生(復活、回心)のことについての意見交換は、非常に興味深いので、さらに進めて下さい。

なお、
タイトルの中に「復活」「悔悛」を入れた通り、
 ・ラザロの復活に重ねられているラスコーリニコフの「復活」のこと
   ( エピローグでは「復活」は「更生」の意味でも使われていますか
    ね。)
 ・ラスコーリニコフの心に、はたして自己の罪を心から悔いるという事
  態はおとずれたのかどうかという「罪の悔い改め」「悔悛」のこと
   ( 作者ドストエフスキーは作中でラスコーリニコフに安易には「罪の悔い改
    め」を与えようとしてはいないことは確かでしょう。)
も含めて、意見交換していけたら、と思っています。


*    *    *


エピローグの、
 >弁証法の代わりに生活が前面へ出てきた
という箇所は私も『罪と罰』を初めて読んだ時から印象に残っていた箇所でした。
 ( トピ「ドストエフスキーとヘーゲル」では「弁証法」という表現を含ん
  だ『罪と罰』のこの箇所を取りあげることを忘れてましたね。)
ドストエフスキーは当時浸透していた「弁証法」という言葉を借りて「思弁」ということを表現したのでしょうが、ラスコーリニコフの更生として、ドストエフスキーが、「弁証 法(思弁)」から「生活」へのしだいなる移行ということを構想したことは、すばらしいと思います。この考えは、ミエハリさんが指摘したロシア語 「жизнь(ジーズニ、生活)」も踏まえて、ドストエフスキーの思想において言い換えれば、

  ・「弁証法(思弁)」=死せる生
     ( 江川卓氏が言い換えた訳「思弁」は、kaさんが言うように、「頭で考
      えること」「生活から離れて、考えてばかりいること」「物事を理論
      や理屈で解明したり解決したりすること」といったことでしょうね。)

  ・「生活」=生ける生(ジヴアヤ‐ジーズニ)

ということになるでしょうかね。この「死せる生」から「生ける生」へというテーマは中村健之介氏が『ドストエフスキー・生と死の感覚』(岩波書店1984年初版)等でドストエフスキーの大事なテーマとして取りあげていることです。
(
また、この「生ける生」「死せる生」というテーマは、『罪と罰』の前身たる『地下室の手記』でも「生きた生活」「生活」「生活からかけ離れている」(江川卓訳)等の表現で述べられていたテーマでした。)

ドストエフスキーが『罪と罰』の最後で打ち出したこの「生活」という言葉とその内容は、現代の私たちにとっても、ずしりと重くて、心ひかれてやまないものがあります。
(
関連として、小林秀雄のドストエフスキーの評伝のタイトル「ドストエフスキイの生活」は、おそらく、ドストエフスキーが用いたこの「生活」を踏まえてのものでしょうね。)


『罪と罰』の末部で今後のラスコーリニコフの更生・復活を暗示させた作者ドストエフスキーはラスコーリニコフのこの後の「物語」をそののち書いたのかどうかという ことを考えてみるなら、ドストエフスキーは『罪と罰』の末部で予告したその「物語(別個の新しい物語)」を結局本格的には書かずに終わったのではないでしょうか ね。
(
「生ける生」ということへの言及や教説なら、のちの『未成年』『カラマーゾフの兄弟』では出てくるようです。小林秀雄氏などは、『白痴』のムイシュキン公爵はシベリヤから戻ってきたラスコーリニコフだ、なんて言っていますが、、、。)



(
)

[310]
RE:お詫びと感謝
名前:ちちこふ
投稿日時:08/05/12()

kaさん

間違いのご指摘ありがとうございました。「余計なツッコミ」などではなく、大変有益なアドバイスです。「step into the shoes of」という表現の「shoes」を「place」に替えた慣用句ということになりそうです。Oxford English Dictionary以外のいろいろな辞書に当たりましたが「step into the place of」はRoget's Thesaurusでしか発見出来ませんでした。ちちこふめは深く反省しておりますとともに、kaさんに深く感謝しております。

それから「原文から訳してない」に関して、私は日本の翻訳者については「原文から訳している」と思ってます。「ちょっとショック」というのは、スペイン語 版がフランス語版のコピーみたいにみえるから、ということでした。説明不足で申し訳ありませんでした。(スペイン人はそういうことをやりそうなので…)

私は今舞台を日本からスペインに移し(ドストエフスキーを読ませる)布教活動を続けております。もちろん、スペイン語版で読んだり、読ませたりする訳ですが、スペイン語の翻訳に信憑性がないとなると、不安ですので…

私はこの20年ばかり年の3分の1ぐらいはこちらです。こちらではまわりがみんなカトリックです。だから、ドストエフスキーの作品に対する反応の仕方も自然と日本 人とは異なる部分があると期待されます。我々日本人がキリスト教についていろいろ論じても、結局のところ、我々に根付いているものではないのですから…  ドストエフスキーが「カトリックはダメ、特にイエズス会はダメ」と言っている部分にカトリックの人達はどう反応するのか、等々に興味があります。そういうことをお いおいこの場を借りて発表して行ければ有意義かもしれない、などと思っております。(もちろん、こちらでも熱心な信者は少ないですが、それでもカトリック がメタメタにやっつけられていると知ると面白くはないでしょう…)

それから「弁証法」についても、関心度の高いテーマみたいなので、「ドストエフスキーとヘーゲル」のところなどでおいおい意見を発表させていただければ、ありがたく思います。

「弁証法」というものはヘーゲルだけでなく、プラトンの時代からあるので、解釈の仕方がまちまちです。ヘーゲルの弁証法は基本的に「あれもこれも」です が、キルケゴールなどは「あれかこれか」になったりします。「弁証法」というのは非常に曖昧な言葉です。「ヘーゲルの弁証法」だけにテーマを絞っても、な かなか割り切れるものではありません。しかし、それでも皆が「弁証法」に興味をもつのは、普通の叙述に期待出来ない何かを「弁証法」に期待するから、では ないでしょうか。

それでは、これからもよろしく!

 



(10)

[311]
I Could Never Take The Place Of Your Man
名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:08/05/13()


皆さん、今晩は。

僕のリスペクトしているプリンスというアメリカのロック・ミュージシャンの初期のヒット曲に「I Could Never Take The Place Of Your Man」と いう曲があるのですが、この曲の題名を強いて日本語に訳すとすれば、「俺はあんたの恋人の身代わりにはなれないよ」という感じになるでしょうか。この曲 は、数あるプリンスの名曲のうちでも、最高のギターソロが聴ける曲の一つですから、多くの人にレコメンドしておきます。プリンスは、シンガー、ソングライ ターとしてのみならず、実はギタリストとしても稀有の才能の持ち主ですから、よく歌うギター・サウンドに興味のある人は必聴のアーチストです。ジミヘン〜 サンタナの流れを汲む、とにかく気持ちのいいギターを弾くんです、プリンスは。

さて、『罪と罰』の、

「Вместо диалектики наступила жизнь」

という文章は、やはり、「弁証法に生活が取って代わった」というような訳が最適なもののような気がしてきました。この箇所の「диалектики」を 「弁証法」としっかり訳すことで、ドストエフスキーが強くヘーゲルを意識しながら『罪と罰』を書いたのだと読み取ることが出来るからです。しかも、ドスト エフスキー自身がシベリア流刑時代に見たであろう「遊牧民」の「生活」との対比で「弁証法」という言葉を持ってきているらしいことは、とても重要なことだ と思います。

ドストエフスキーは確かにヘーゲルをそれなりに読んでいたのでしょう。そして、ヘーゲルからの影響を少なからず受けつつ、しかも、ヘーゲルからの影響をそ の創作によって超え出ようと試みていた――「ドストエフスキーとヘーゲル」の関係は、そのような構図で捉え直してみると、さらにいっそう面白くなるように も思います。

 



(11)

[312]
RE:参考までに
名前:ちちこふ
投稿日時:08/05/13()


こちらの地方都市の書店では『カラマーゾフの兄弟』、『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『地下室の手記』と『賭博者』がペーパーバックで入手可能でした。『罪と罰』は2種類の翻訳があり、新しい方の翻訳(Isabela Vicente, 1996)で問題の箇所は:

La vida había desplazado a la dialéctica

つまり「生活が弁証法を押しのけたていた」となっておりました。また、この版は「ロシア語から直接翻訳」をうたい文句にしておりました。



(12)

[331]
スペイン語訳
名前:ka
投稿日時:08/06/02()


>ちちこふさん

あ、お返事を頂いてました。見落としていてすみません。(しばらく間を空けて再訪すると、どこに誰の投稿があるか、ちょっと見つけにくいですね)

新訳で「ロシア語から直接翻訳」が売り…ということは、今までのは、やっぱり仏語からの重訳とかだったんでしょうか。
ちょっと驚きですが、スペイン人がドストエフスキーを読んでるかどうか?という点自体をあまり考えたことがなかったので、面白かったです。貴重な情報ありがとうございました。

スペイン人への「布教活動」、がんばってください!
続報も期待してお待ちしてます。



(13)

 [332]
語呂合わせの面からも?
名前:Seigo
投稿日時:08/06/02()


先日、思い当たったのですが、
ドストエフスキーが、その箇所に、「思弁」などの単語をそのまま持って来ずに、「弁証法」という意味の、
  「диалектики」
という単語(外来語になりますかね)を用いたのは、ミエハリさんも述べているように、当時のロシアの思想界のことを踏まえているとともに、並列し対比されている、
  「жизнь」
という単語との発音面での響き合い(語頭が「ヂー」「ジー」で発音が似ていること)、つまり、「диалектики」にすると、ちょうど語呂が合うという面(語呂合わせの面)からも、「диалектики」という単語を用いたのではないでしょうかね。
(
江川卓氏の『謎解き『罪と罰』』でも指摘されたように、語呂合わせや地口といったことは、ドストエフスキーが作中で行っていることです。)

そうみなすと、「диалектики」という一見特異な単語を用いた事情も、ある程度、得心がいくように思います。



(14)

[333]
スペインとロシア――ナポレ
オン(近代)を打ち負かした国民

名前:ミエハリ・バカーチン

投稿日時:08/06/02()


スペイン人がドストエフスキーを読む――という光景は、奇異と言えば奇異な感じもしますが、スペイン人に言わせれば、日本人がドストエフスキーを読んでいる姿も、相当奇異なものに感じられるのでしょうね。

ところで、ちょっと思ったのが、スペインとロシアは、ともに、ナポレオンの欧州制覇を挫いた国として近代史に名を残しています。しかも、ナポレオンを打ち 負かしながら、その後、フランコやスターリンといった、近代史上でも屈指の悪名高い独裁者を輩出しているという点でも、スペインとロシアは、なにか相合い 通じ合うものがあります。スペインとロシア、ラテンとスラヴ――その民族性には、ともに、「近代」の価値基準では捉え切れない「何か」があるのかも知れま せん。かのラズロー・フェルデーニイ氏が反ヘーゲル的(反近代的)なドストエフスキー論を書いたのも、ナポレオンを打ち負かした国ならではの民族性がバッ クボーンにあるのかも。

そういえば、ラテン気質を象徴する「マニャーナ」という言葉と、スラヴ気質を象徴する「ニチェボー」という言葉も、合理主義的利害を超えた叡智を民衆的に素朴に表現した言葉という意味で、相通い合うものがあるようにも思います。



(15)

 [334]
スペインと大審問官伝説
名前:ミエハリ・バカーチン

投稿日時:08/06/03()


Seigoさん、訂正ありがとうございました。

ところで、スペインとロシアというと、何と言っても「大審問官」を忘れてはいけませんでした。

スペインというと、「大審問官」や「ジェズイット」のご当地なのですから、この国でドストエフスキーが格別の興味を以って読まれているというのは、むしろ当然過ぎるくらい当然のことなのかも知れません。

しかし、「大審問官」にせよ「ジェズイット」にせよ、ドストエフスキーはあまり好意的に描いていません。ある意味、自国を象徴するような歴史的事項を極め てネガティヴに描いているドストエフスキーという作家が、実際にスペインでどのように受容されているのか、もう少し詳しく知りたくもなりました。

ちちこふさんのスペイン人へのドストエフスキー布教活動は、もしかしたら、結構蛮勇的な仕事なのかも知れませんね。



(16)

[643]
「弁証法」と「観念」

名前:ミエハリ・バカーチン

投稿日時:09/09/21()


遅ればせながら、亀山訳『罪と罰』で、件の、

「Вместо диалектики наступила жизнь」

という箇所がどのように訳出されているのか、本屋で立ち読みしてチェックしてみたのですが、亀山氏は、「диалектики」を「観念」と訳していましたね。

直訳では「弁証法」となる語を「観念」と訳すのは、ある意味大胆な意訳と言うことも出来るかも知れませんが、ヘーゲル弁証法はドイツ観念論の王様のような ものですから、それを考えると、「диалектики」を敢えて「観念」と邦訳することは、それなりに気の利いたチョイスなのかも知れません。

皆さんは、この亀山氏の訳、どのように受け止められたでしょうか?



(17)

  [766]
RE:ラスコーリニコフの
更生・復活・悔悛・回心のこと

名前:竜之介
投稿日時:10/01/08()


僕は語れるほど詳しくはないですが、個人的な感想を。

「罪と罰」は、主人公の「罪の意識、良心の呵責」などと説明される事がありますが、僕には、ラスコーリニコフの良心の呵責・自責の念などは微塵も感じませんでした。
ラスコーリニコフは、殺人に対して罪悪を感じたのではなく、あくまで自分自身の弱さ、一線を越えたものの、そこから圧し折れてしまった自分自身に幻滅した。その為にあれ程苦悩をする。
ポルフィーリイがラスコーリニコフを慧眼、明敏な頭脳だと褒めるのも、この点を評価してではないかと思います。
人を殺して呵責を感じるのは、おかしな言い方ですが、余り教養を必要としない。
つまり、普通の事です。その証拠に、ミコライは自殺をしようとした。
しかしラスコーリニコフに見られる、ある種の非凡さ、それにポルフィーリイは目を付けたのでないかと。
「百姓なら逃げるでしょう、しかし“あなた”は逃げない」という風に、彼は断言しました。
ラスコーリニコフは恐ろしく傲慢で、自分を第一に守ります。
その為に、最後まで自身の弱さを認められなかった。
人間性はありますが、己のことばかりに気を取られて、殺人に対する罪の意識はどこかへ飛んでいるように見えました。
スヴィドリガイノフが彼を「乳臭い」と述べたのも、頷けます。

しかし、ソーニャの出現とラスコーリニコフの心境の変化、自首等は、確かに彼の更正だったとは思います。