ドストエフスキーとヘーゲル
(1〜26)
投稿者:
ゲーゲリ、Seigo、
ミエハリ・バカーチン、威王、
ka、ちちこふ、サンチョ
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[203]
ドストエフスキーとヘーゲル
名前: ゲーゲリ
投稿日時:08/04/09(水)
はじめまして。Amazon.comでは'Dostoyevski Lee a Hegel en
Siberia y Rompe a Llorar"というスペイン語の本をみつけました。スペイン語で大体「ドストエフスキーはシベリアでヘーゲルを読み号泣」という意味です。それでさっそく注文してしまいましたが、まだ来ておりません。本の到着が待ちきれないので、質問させていただきたいと思います。
1. 本当にドストエフスキーはシベリアでヘーゲルを読んで泣いたのでしょうか?
2. もしそうだとすると、ヘーゲルのどの作品を読んだのでしょうか?
ドストエフスキーもヘーゲルも大好きなので、気になって仕方ありません。シベリア送りになる前にドストエフスキーはベリンスキー等を通してヘーゲルの思想
は知っていたと思うのですが… また、本当に号泣するほど感動したのであれば、作品のどこかに言及されていてもいいはずですが… 「虐げられた人々」の中 で「フォイエルバッハ」に言及があるのみで、ヘーゲルはどこにも出て来ません。私個人としては「ドストエフスキーの神」と「ヘーゲルの神」は近いところに
あると思っているのですが…
(2)
[204]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:Seigo
投稿日時:08/04/09(水)
初めましてゲーゲリさん。
'Dostoyevski Lee a Hegel en Siberia y Rompe a Llorar"というスペイン語の本についての知らせ、ありがとうございます。
本の題名が「ドストエフスキーはシベリアでヘーゲルを読み号泣」とはユニークな本ですねえ。本が到着して本の内容に目を通したら、どういった内容の本なのか、今度、教えて下さい。
ドストエフスキーのヘーゲルとの関わりのことを紹介した日本のドストエフスキー研究書や論文はほとんど見たことはありませんし、そういった本や論文は実際ほとんど無いように思います。
自分がこれまで目を通した本の中では、
中村健之介氏が著『ドストエフスキー・生と死の感覚』(岩波書店1984年初版)の中で、青年期以降のドストエフスキーの汎神論的な思想に影響を与えた思想家として、シェリングとスウェーデンボルグの名とともにヘーゲルの名を挙げています(p139)。
( ですから、ゲーゲリさんの、
>「ドストエフスキーの神」と「ヘーゲルの神」は近いところにあ
>ると思っているのですが…
という指摘は、当たっているでしょう。
自分は、大学時代の社会主義の思想をかじっていた時期に、エンゲルスが
著書『反デューリング論』の中でヘーゲルの考えを要約して述べた「自由
とは必然性の洞察である。」という言葉や、エンゲルスの「存在が意識を
決定する。」という言葉には感銘を受けましたが、ヘーゲルの「神」観に
ついては、前からもっと知りたいと思いながら十分知らずじまいのまま
なので、ゲーゲリさんが「ヘーゲルの神」のことに詳しいのでしたら、
「ヘーゲルの神」のことも、今度、教えてもらえれば、うれしいです。)
本『Dostoyevski Lee a Hegel en Siberia y Rompe a Llorar』の中にドストエフスキーが読んだヘーゲルの著書を挙げているのなら、貴重な情報なので、その著書の名も、今度、教えて下さい。>ゲーゲリさん
また、ドストエフスキーの小説中にあったという記憶はないものの、ドストエフスキーの書簡や「作家の日記」や論文やメモノート類に広くあたれば、ヘーゲルのことに言及して
いる箇所やヘーゲルの名を挙げている箇所は、いくつか見つかるのではないでしょうかね。( ※見つけたぶんを言うなら、服役終了後の1860年頃に書いたメモノートに、「カントや、ヘーゲルや、アルベルチーヌや、ドゥドゥインキンといったよう な、この世界の偉大な人物たちを云々」という箇所あり。)
なお、
>ドストエフスキーがシベリアでヘーゲルを読んだ
と言う場合の「シベリア」は、最初の4年半余りの監獄共同生活を送ったシベリアのオムスクのことではなくて、そのあとさらに5年余り服役生活(この時期は 読書や執筆がゆるされた)を送ったセミパラチンスクのことでしょう。流刑の身になっていた間に新たに刊行されたヘーゲルの著書をドストエフスキーはペテルブルグか
ら取り寄せて読んだということではないでしょうか。
(1820年代以降、ロシアの貴族界や思想界では、ドイツの哲学(ドイツ観念論)に関しては、ヘーゲルやカントよりもシェリングやフォイエルバッハやシラーの著書が広く読まれ刊行されたようですから、ドストエフスキー自身も、セミパラチンスクで服役生活が始まるまでは、ゲーゲリさんが「シベリア送りになる前にドストエフスキーはベリンスキー等を通してヘーゲルの思想は知っていた」と言う通り、ヘーゲルの思想については仲間や師からは聞いていたものの、ヘーゲルの著書自体はあまり読んでいなかったのではないでしょうかね。)
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[206]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:ゲーゲリ
投稿日時:08/04/10(木)
Seigoさん、親切な回答ありがとうございました。
私の専門は英語学、英文学ですが、ドストエフスキーには昔から関心をもっていました。と言っても、学生時代に読んだのは『死の家の記録』と『白夜』だけで
した。ヘーゲルの『小論理学』はその頃から片時も手放さず読みふけっております。この本の日本語訳はどれも大変わかりにくいので、英語版、フランス語版、 ドイツ語原典で読んでます。もう25年以上、暗号解読を続けています(笑)。そのため、文学を鑑賞する時間はなかったのですが、一ヶ月前、亀山訳『カラ マーゾフの兄弟』を読み、ぶったまげました。ぶったまげる箇所はいろいろあるのですが、ゾシマ長老の兄の「天国」観は特にたまりませんでした。それから
『罪と罰』をはじめ、日本語で手に入るドストエフスキーの作品はほぼすべて読みました。
こんなことを言う人間はあまりいないと思いますが、ゾシマ長老の兄の天国観と、ヘーゲルの絶対精神(世界精神)と、イエスの説くところ「神の国は人の心の
中にある」は、私の中でほぼ完全に一致します。(ちなみに、私はキリスト教徒ではありません。)ヘーゲルの神について私などが解説するのはおこがましいの ですが、私の幼稚な言葉でその骨組みを説明させていただきます:
まず「世界があって、世界の外に神が存在する」という考え方は捨てないといけません。もし、そんな風に想定するなら「世界の外とは何、世界の外に存在する
神は誰が創った?」などの疑問が生じ、最終回答がなくなってしまいます。だから、世界と神は同じものであるということになります。こういう考え方は「汎神 論」ですが、ヘーゲルの考え方はこの汎神論とは少し違います。ヘーゲルは「世界=神」以外に「愛」と「発展」を想定します。「三位一体」を平面的な図式と
してでなく「神の発展」と見ます。
最初にあるのは「言葉」とか「ロゴス」とかではなくて「精霊」です。創世記では「神は最初何々を創り、それを見て『よし』と言った」式の記述があります
が、ヘーゲルの言葉に直すなら「精霊は最初何々に発展し、それを感じて『ダメだ』と言った」式でなければなりません。ヘーゲルの神の力は「肯定力」でなく 「否定力」です。何かを創り、これはダメと否定し、それをふまえより高次元の何かを創り、まだダメと否定し…という具合にずんずん進んで行きます。しか
し、無限に発展して行くのかというとそうではなくて、最終ゴールはまだ実現されていないけれども、常に「想定されて」います。つまり「精霊」が最終的に行き着く発展形態が「神」です。つまり、神は「もう死んだ」のでなくて「まだいない」(発展し切っていない)のです。
ところで、現実の中で我々は「精霊の発展の歴史」を生きているのでなくて、「我々人間の歴史」つまり「今」を「ここで」生きている訳です。しかし、精霊も
また「今ここ」では「今ここ」までしか到達していないのです。つまり「今ここ」以上のものは「想定されるのみ」で、現実にはないのです。(「人間が神にな る」という考え方もこれと関連しています。)
これに対し「なんだつまらない!」と文句を言うことは出来ます。しかし、同じ事実を前にして「そうなのか、ここまで来たのか!」と評価し、感謝の気持ちで
これを受け入れることも出来ます。これがヘーゲルの態度であり、ゾシマ長老の兄の態度です。「ドストエフスキーがヘーゲルを読んで号泣」が本当であれば、 この点で号泣したのではないかと私は想像しています。
ドストエフスキーは作品のどこかで「聖愚」という言葉を使っています。この言葉は非常に大事なキーポイントの一つだと思います。スメルジャコフの母親、
『罪と罰』のソーニャとリザベータ、『白痴』の挿話の中のマリー、『キリストのヨルカに召されし少年』の主人公などは、この概念を具現しています。彼らの 他にこれを臭わせる脇役はたくさん登場します。宮沢賢治の世界なら、この「聖愚」こそが、これがほとんどすべてと言えるほど重要な概念だと思っています。
ディケンズの世界もこの「聖愚」を通してドストエフスキーの世界に重なる部分が多い気がします。彼らの一見「ユーモア」と思える描写も「聖愚」と深くかかわっている場合が多い気がします。「ドストエフスキー・ヘーゲル・宮沢賢治」とつなげる人はあまりいないでしょうが、つなげてみると、面白いドストエフス
キー論が出来るかな、と思った次第です…
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RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:威王
投稿日時:08/04/10(木)
ゲーゲリさんの感想面白く拝見させて頂いております.
キリスト教の本質は読んだことがあるのですが彼の師たる
ヘーゲルは未読なのは未熟の至りです.
以後拝読させて頂きますので宜しくお願いいたします。
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[208]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:ゲーゲリ
投稿日時:08/04/11(金)
威王さん、ありがとうございます。
私の友達は『貧しき人々』を読み「信じられないぐらい強烈だ。でも、救いがない」と言いました。それから私たちは「神」について何時間も議論しました。私
の友達は典型的な「神=万能」、「天国=ユートピア」の図式に基づいて話していました。私はいろいろ反論しましたが、彼を納得させることが出来ませんでした。(別に納得させる必要はないのですが…
また、もちろん、私が正しいとは限りません…)
聖書を読んでみれば「神=万能」や「天国=ユートピア」が成り立たないことがはっきりわかります。たとえ聖書の中にそう書いてあっても、です。聖書を素
直に、一般常識に照らし合わせて読んでみるなら、疑問がたくさん出ます。例えば、なぜ何回も何回も神を褒め讃えないといけないのか? なぜ何回も何回も 「慈悲深い」と言わないといけないのか? なぜ神の子イエスは人間の母親から生まれないといけなかったのか? 等々。
これらの疑問は「神が万能でない」ことを、少なくとも我々がぼんやり考える意味での万能ではないことを、示しています。もし神が「純粋に万能」だとすれば、何もすることはないだろうし、人間と関係する必要も全くない訳です。
「純粋に万能」ということを想像してみます。私が「純粋に万能」だったとします。コーヒーが飲みたいと思ったら、その瞬間に目の前にコーヒーが出現します。『カラマーゾフの兄弟』を読みたいと思ったら、1秒で全部読めます。頭が痛いから治れ!と言うと、治ります。世界に平和を!と叫べば、世界は平和になります。
そんなことがあり得るでしょうか? というか、あってもいいのでしょうか? そんなことは不自然きわまりないし、退屈きわまりないのではないでしょうか?
生きている意味がなくならないでしょうか? すべての願いが何の苦労もなく簡単に叶うということは、どんな願いも全く叶わないことと同じにならないで しょうか? (我々は「ドラマ」を生きているのですから…)
「落ちる」という動作があります。「落ちる」のは簡単だと思います。でも「落ちる」ためには高い所にいるか、高い所に上るか、深い穴や谷が必要です。ある
いは、床が崩れ去らないといけません。つまり「お膳立て」や「下準備」が必要な訳です。いやいや、そんなお膳立てが必要なのは我々人間だけであって、神は それを必要としない、と言えるでしょうか? 「果物」というものが存在すると我々は思っています。我々はその「果物」を見ることが出来るでしょうか? 出
来ません。我々が見るのはリンゴやバナナであって「果物そのもの」ではないのです。しかし、神になら「果物そのもの」を見ることが出来るのでしょうか?
「出来ない!」と考えないと面白くありません。そんなことが出来るのであれば、聖書というドラマも、人生というドラマも成立しなくなります。そんなことが
出来るのであれば、すべては「おとぎ話」になってしまいます。「天国」とやらはよぼよぼの老人達に満ちた退屈地獄に転化してしまいます。(その場合は地獄 が天国に転化するかもしれませんが…)
世界はダイナミックです。世界をつらぬいているのは「静」でなくて「動」です。「平面」でなくて「立体」です。だから、我々の身体が感じるのも「動」であ
り「コントラスト」です。我々が感じるのは単なる「白」でなくて「黒の横にある白」あるいは「黒の次に来る白」です。幸せになれるのは不幸だったことがあるからだし、自由になれるのは不自由だから、です。望ましいと考えられる「幸せ」や「自由」だけを純粋な形で取り出すことは、磁石からどちらか一方の極だけを取り出すのと同様、不可能です。世の中には「それが気に食わない」という人がたくさんいますが、そんなことを言って何になるでしょう?
上記は私の言葉ですが、ヘーゲルの言う「必然」を部分的に説明したものです。(詳しくは『小論理学』147章を参考にしてください。)
******************
ヘーゲルの言う「概念」について:
ヘーゲルは「必然性とは概念である」と言います。こんな言葉は誰もわからないのが普通でしょう。バカにされても当然かもしれません。概念なんて概念に過ぎないじゃないか!と。
ドストエフスキーの『キリストのヨルカの召されし少年』という短編を読んで「短すぎる」とか「具体性に乏しい」とか「マッチ売りの少女の焼き直し」とか悪
口を言うことは可能だと思います。あるいは逆に「感動的だ」とか「泣けた」とか褒めることも、美辞麗句を並べて解説することも可能です。しかし、もしその 人が現実の可哀想な少年をどこかで目の当たりに見て、助けてあげないし、助けてあげようともしなかったとします。もしそうなら、その人はこの物語を「読ま
なかった」ことになります。逆に「悲惨過ぎて途中で読むのをやめたよ」と言う人が現実の可哀想な少年をわずかでも助けてあげたなら、その人はこの物語を 「読んだも同然」です。つまり、この物語はその人の中にあり、その人の一部を形成しているのです。そうなって初めて「本当に読んだこと」になります。ヘー
ゲルの言う「概念」とはこういう働きをするもののことです。それは「生きたもの」です。
我々は普通「我々には目がある」と思っています。「昔はなかった」とは考えません。しかし、本当は「昔はなかった」のです。目は、おとぎ話の世界であるように、神様が突然我々に恵んでくれたものではないでしょう。「もっと感じたい」とか「もっと生きたい」という欲求が我々の身体に目を徐々に出現させたので
はないでしょうか。つまり、目を形成することによって我々は「発展」した訳ですが、さて、その「発展」(進化)とやらはもう止まってしまったのでしょう か? 進化の過程はもう終了したのでしょうか?
我々は「誰それには女を見る目がある」とか「彼の骨董を見る目はまだまだだよ」などと言います。もちろん、そういう「目」が生物学的に形成されたことを意味しているのではありません。これはあくまでも比喩です。しかし、もし誰かが「骨董を見る目をやしなった」のであれば、目の中にそういう機能が加わった、
あるいは、「骨董を見る目」という「ミニ器官」が形成されたのと同様な訳です。これがヘーゲルの言う「概念」です。
目がない動物に目が形成された… 結果的に、これは「大きな変化」です。でも、この「大きな変化」は、無数の「小さな変化」の集積であり、結晶です。ドス
トエフスキーを読むことは読者の中にそういう「小さな変化」の中でも「重要な変化」をもたらします。その意味でも、他の意味でも、ドストエフスキーの世界 は「神の世界」に直結しているように思えます。他にそんな作家がいるとは思えません。いたら紹介してください。
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空想から科学へ/科学から空想へ
名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:08/04/11(金)
ゲーゲリさん、初めまして。
宮沢賢治の描いた「聖愚」というと、虔十やグスコーブドリを思い出します。
『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラは、『カラマーゾフの兄弟』のコーリャとイリューシャを元ネタにしたものであるという説もあるそうです。特にコーリャの、
「僕もせめていつの日か、真実のためにこの身を犠牲にできたらな」
という言葉は、『銀河鉄道』だけではなく『虔十公園林』や『グスコーブドリの伝記』の中心的モチーフになっていると思います。僕は未読ですが、清水正氏が『宮沢賢治とドストエフスキー』という本を書いているので、読まれてみては如何でしょうか。
ところで、僕くらいの世代の人間の多くは、石ノ森章太郎原作の『がんばれ!! ロボコン』という子供向けテレビドラマに、藤子不二雄の『ドラえもん』と同
じくらいの情操教育をその幼年期に受けていると思われます。この『がんばれ!! ロボコン』の最終回が、ロボット学校の落ちこぼれロボコンが、子供たちの
為に一人身を滅ぼしながら公園を造営するというお話で、いま、こうしてその粗筋を紹介しながら、既に僕の涙腺は弛んでしまっているほどの、感動の名作でし た。しかし、いまにして思えば、あの最終回は、もろに『虔十公園林』を粉本にした作品だったような気もします。藤子不二雄も多くの「自己犠牲物」の名作を
残していますが、日本人はこういう義の為に身を捨てるお話がとにかく好きなようです。「自己犠牲」こそ「美」の究極である――という感覚が日本人にはある のかも知れません。とまれ、ロボコンとドラえもんという、二つのロボット物語は、現在30代の日本人の心に、「最高の教育としての美しい幼年の思い出」と なって確実に残っていると思います。ちなみに、「子供の理想の友達」としてロボットが想定された背景には、当時の未来観や科学技術信仰があるのではないか
と思います。70年代までは「科学が人類の歴史を救済する」というイメージが優勢でした。しかし、80年代に至り、そういう未来観・科学技術信仰は、社会 主義の敗北と軌を一にするが如く行き詰まり、多くの子供向けの物語で、ロボットではなく、むしろ妖怪の類いが「子供の理想の友達」として想定されるように
なってきたように思います。その転換のメルクマール的作品が宮崎駿の『となりのトトロ』でしょう。宮崎駿は『未来少年コナン』や『ルパン三世』の「死の翼 アルバトロス」や『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』で、科学技術信仰の限界を繰り返し描いた後、『となりのトトロ』で決定的に空想的な方向性へ
とシフトチェンジし、以後、『魔女の宅急便』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』――と、前近代的なモチーフを中心に据えた作品を作り続けています。すなわち宮崎駿は80年代半ば以降、「科学が人類の歴史を救済する」のではなく「空想が人類の歴史を救済する」という物語を紡ぎ続けているのです。宮崎駿の
「空想から科学へ」ならぬ「科学から空想へ」というベクトルを辿ったキャリアは、ソビエト連邦崩壊以降、人びとの間に広がった科学技術、ひいては「進歩」 への幻滅を反映したものであるのかも知れません。昨年公開され話題になった原恵一監督のアニメ映画『河童のクゥと夏休み』も、「科学から空想へ」というベクトルの上にある作品だと思います。
――閑話休題。ドストエフスキー存命時(特にドストエフスキーの青年時代)のロシアに於けるヘーゲル受容の実際に就いては、このホームページの常連だとKaさんがそれなりにお詳しいのではないかと思いますので、暇を見ての情報提供を期待したいと思います。
僕が今まで読んだヘーゲルの著作は、『精神現象学』(作品社)と『歴史哲学講義』(岩波文庫)と『キリスト教の精神とその運命』(平凡社ライブラリー)だ
けです。あとは竹田青嗣や西研のヘーゲル入門をいくつか読んだくらいですが、特に西研氏の提示するビルドゥングス・ロマン風のヘーゲル論は、若い頃にはなかなか魅力的に感じられました。
僕が読んだヘーゲルの著作で最もドストエフスキー的なものを感じたのは『キリスト教の精神とその運命』なのですが、この本は元々草稿として残されていた
ヘーゲルの遺稿をディルタイの弟子であるヘルマン・ノールが1907年に出版したものの邦訳だということなので、ドストエフスキーが『キリスト教の精神と
その運命』を実際に読んだ可能性は極めて低いものになります。ドストエフスキーに於けるヘーゲル的なもの、ヘーゲルに於けるドストエフスキーなものに就いては、ドストエフスキーがヘーゲルに一方的な影響を受けたというよりも、両者がともに元々相通じ合う問題意識を持ってその文筆活動をなしていたが故の共鳴
であった――と考えた方がいいのかも知れません。
禁欲的で原則的なカントに較べ、ヘーゲルの著作は難解ながらも物語的な躍動感があります。それが僕には魅力的に感じられて、元々哲学は苦手であるにも拘ら
ず、ヘーゲルの著作を何冊かは読み通すことが出来たのではないかと思います。カントの著作がルール・ブックを読んでいるような味気なさを感じさせるとすれ ば、ヘーゲルの著作は実際の競技の展開を記録したドキュメントを読むような面白さを感じさせます。この両者の違いは、「歴史意識」の有無にあるのだと思い
ます。「歴史意識」とは物凄く単純に言ってしまえば、時間の進展の中でより高度に成長していく「認識」のことです。こういう「歴史意識」の導入によって、 人間は今は理解できなくてもいつの日か世界の真実をすべて理解出来るという希望を持つことが許されるようになります。「カントの神」は時空を超越した永遠
の他者であるのに対して、「ヘーゲルの神」は歴史の成就として想定されています。「歴史意識」の導入によってヘーゲルは「カントの神」の超越性を克服しよ うとした、そして更に、「歴史意識」の導入によって、ヘーゲルは「救済」をより現世的なものにした――とも言えるでしょうか。
ところで、カントと違ってヘーゲルが「世界史」という概念を得ることが出来たのは、やはり、彼がフランス革命とナポレオンの出現をリアルタイムで体験した
ことが大きな理由ではないかと思います。「時代は変る」という感覚がなければヘーゲル的な「歴史意識」は成り立たないでしょう。ナポレオンなくしてヘーゲ ルなし。ヘーゲルの精神現象学や歴史哲学は、フランス革命とナポレオンという現象を、キリスト教的な救済史観の枠組みの中で捉え直そうという試みの成果
だったのではないかと僕は思っています。そしてそういうヘーゲル流の精神現象学や歴史哲学をより唯物的(科学的)に語り直したつもりだったのが、後代の フォイエルバッハやマルクスの哲学だったのでしょう。
とまれ、19世紀欧州の哲学や文学の中心的主題は、基本的に、フランス革命とナポレオンという現象を、如何に対象化するか――というものだったのだと思い
ます。ヘーゲルの『精神現象学』も、ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』も、スタンダールの『赤と黒』も、ユゴーの『レ・ミゼラブル』も、トルストイの『戦 争と平和』も、そしてドストエフスキーの『罪と罰』も、ナポレオンなくして決して書かれることのなかった作品群です。みな、ナポレオン・コンプレックスを
如何に克服するかに四苦八苦していたのでした。欧州に限らず、明治維新のイデオローグの一人である頼山陽がナポレオンのことを詩に謳っているように(岩下 哲典『江戸のナポレオン伝説』(中公新書)参照)、ナポレオンの出現は欧州にとどまらず、世界中に甚大な影響を及ぼしました。ナポレオンという希代の英雄
の与えたインパクトを抜きに、19世紀の文学・哲学・思想の見取り図を描くことは出来ないでしょう。
ドストエフスキーもヘーゲルも、ともに、19世紀の文人として、ナポレオンという「馬上の世界精神」の出現を如何に受け止め、如何に意味付けるかに、四苦
八苦して取り組んだ、その結果、ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』に行き着き、ヘーゲルは『精神現象学』を書き上げた。マルケルの言葉と『精神現 象学』の言葉がよく似ているのは、そもそもドストエフスキーとヘーゲルが問題意識(ナポレオンを如何に対象化するか)を共有していたということも、大きな
一因となっているのではないでしょうか。
そして、ドストエフスキーがしたたかなのは、「認識の完成=救済の成就」という歴史観をマルケル〜ゾシマ〜アリョーシャのラインで語らせながら、一方で、
イワン・カラマーゾフにそんな「救済=調和」への入場券を受け取ることを、永遠に贖われることなき少女の涙のために、断乎拒否させていることです。古今の 文学青年の多くが最も痺れているのは、イワン・カラマーゾフのこの「反逆」に他ならないのですが、「ヘーゲルの神」から見て、このイワン・カラマーゾフの
「反逆」はどのように考えられるのでしょうか? 正反合を成り立たせるための、永遠のアンチテーゼの人格化でしょうか?
私は常に否定をこととする霊です(ゲーテ『ファウスト』)
損な役回りです、イワン・カラマーゾフ。
ところで、ゲーゲリさんの専門が英文学だというのが、また面白いですね。英文学者にしてヘーゲリアンというのは、なかなかユニークな組合せですが、先日物故した、トマス・モア以来英文学伝統のユートピア文学の現代に於ける最大の継承者であったアーサー・チャールズ・クラークの「進化論」に則った作品群に
も、僕は何処かしらヘーゲル的なものを感じます。クラークはその作品で進化の究極としての「純粋精神」というものを描き続けました。これはヘーゲルの描いた生成する「世界精神」と一脈通じ合うものがあるように思います。
(7)
[210]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:ゲーゲリ
投稿日時:2008/04/11(金)
初めまして、ミエハリさん。
私が宮沢賢治と書いた時、頭にあったのはまさしく『銀河鉄道の夜』と『虔十公園林』でした。誠に恐れ入ります。清水正氏の本の紹介もありがとうございまし
た。さっそく探してみます。「宮沢賢治はトルストイの影響を受けている」というのは方々で聞いたことがあります。トルストイ音痴の私が言うのもなんです が、確かにトルストイの『イワンのばか』などは宮沢賢治風です。また、同じくトルストイの『人生論』は「これってもしかしてヘーゲルの『精神現象学』?」
という感じです。
誰が誰の影響を受けたというのは大変興味深いテーマですが、誰かの影響とは別に、誰の心の中にも「ドストエフスキー的なもの」や「ヘーゲル的なもの」など
が眠っているのだとも思います。ドストエフスキーを読むと、読者の中の「ドストエフスキー的なもの」が呼び覚まされる… プラトンではないですが、これは もう「想起」みたいなものでもあるでしょう。
ミエハリさんによると、私はヘーゲリアンで英文学者とのことですが、実は、私は怠け者であるし、文学はあまり好きでないのです。18〜19世紀の英文学と 米文学はいろいろ読みましたが、日本文学もフランス文学もドイツ文学もからっきしダメです。日本文学で全集を持っているのは夏目漱石と宮沢賢治と梶井基次
郎だけです。ロシア文学には最近はまりました。ちゃんと読んだのはドストエフスキーとゴーゴリだけで、これからプーシキンに行くところです。いつかはロシ ア語で読みたい!と思っています。
「ゲーゲリ」という名前も書いた直後に「しまった!」と思ったほどです。「ちちこふ」ぐらいにしておけばよかった…(笑)
何を隠そう、私も『ロボコン』世代です。ミエハリさんが言わんとしていることはよくわかります。
>イワン・カラマーゾフにそんな「救済=調和」への入場券を受け取ることを、永遠に贖われることなき少女の涙のために、断乎拒否させていること
ここは凄いところです。一部を中学生の息子に読んで聞かせたところ、「読みたい!」と言って持って行かれてしまいました。もう一度じっくり読んでみたいと
思っていたのに… そういう訳で、今は本が手元にないので確かなことは言えませんが、ゾシマ〜アリョーシャを一つのテーゼと見、イワンをそのアンチテーゼ と見るなら:
ヘーゲル vs マルクス
はやや近いところにないでしょうか? もちろん、マルクスは「無神論者」ということになっていますが、普通の無神論者に『資本論』が書けたでしょうか?
マルクスこそはイギリスの炭坑で幼い子供が無理な労働によってたくさん死ぬのを見て来た人です。そして、ヘーゲルの「精神的救済」を深く理解しつつも「身 の毛がよだつ」と言って攻撃した人です。いかがでしょう?
(8)
[211]
ヘーゲル的な発想が感じられる箇所
名前:Seigo
投稿日時:08/04/11(金)
ドストエフスキーの作品の中でヘーゲル的な発想が見られる箇所について、いくつか思い起こしたので、以下に、挙げてみます。
「作家の日記」の1877年5・6月号の中の文章(ビスマルクが指導するドイツやフランスの動向を論じた外交批評の文章)において、途中、読み手にとっては思いがけない、
世界を支配しているのは神と神の掟(おきて)である。
( 小沼文彦訳。米川正夫訳では「神とその法則である」と訳しています。
「神の掟」は、神の定めた意志、といった意味ではないでしょうか。)
という一文が現れて、ヨーロッパの動向に不測の事態が今後生じた場合は、その事態は神の意志の現れであるとドストエフスキーは述べていますが、この箇所で思わず表
明されたドストエフスキーの歴史観などは、神の意志の顕現・成就として歴史の流れを捉えていくヘーゲルの歴史哲学に近い発想ではないでしょうかね。
それから、
『カラマーゾフの兄弟』の中では、ゾシマ長老の教説の中の、
全体のために働けばよいのである。未来のために仕えればよいのである。
の、「全体のために」「未来のために」という表現や発想も、ヘーゲル的なものであるような感じがします。
( ゾシマ長老の教説には、オプチナ修道院で取材した教えだけでなくて、ドストエフスキー
自身が形成してきた独自の教えや考えも、ある程度含まれていると言えます。)
(9)
[212]
「ぜひともヘーゲル、特にヘーゲルの『哲学史』を送って〜
名前:ka
投稿日時:08/04/12(土)
「ぜひともヘーゲル、特にヘーゲルの『哲学史』
を送ってください。僕の未来はすべてこれらの本
にかかっているのです!」
>ゲーゲリさん
はじめまして。
ドストエフスキーとヘーゲルの親和性を扱った論文のたぐいは、確かに少ないと思います。その事情には、おそらくバフチンがドストエフスキー文学をアンチ・ドイツ観念論として位置づけたことも関係しているのかも。
しかし、ドストエフスキーはヘーゲルの同時代人(というか次世代人)として、実際かなり近い世界観をもっていたはずです。ミエハリさんが上に書いていたように、フランス革命とナポレオンが出てきたあとで「歴史」という発想を強烈に必要とした時期の人たちですからね。
ロシアでのヘーゲル受容は、主に1840年代になって「スタンケーヴィチ・サークル」を中心に行われます。
そこに加わっていたベリンスキーなどを通じて、当然ドストエフスキーはヘーゲルの存在をシベリア流刑前から知っていたでしょう。
表題に掲げたのは、ドストエフスキーが1854年2月22日、オムスクからセミパラチンスクに移る直前に、兄ミハイルに宛てて書いた手紙の一節です(=筑摩書房から出ている全集版の訳)。
そこで彼は、カントの『純粋理性批判』と並んで、ヘーゲルの著作を送ってくれと兄に頼んでいるわけです。
『哲学史』という訳が適切かどうか分かりませんが、『歴史哲学講義』のことじゃないでしょうか。
ご紹介いただいた書物『シベリアでヘーゲルを…』は、そこでドストエフスキーが実際に『歴史哲学』を入手して読んで影響を受けたという仮説を立てているのでしょう。
著者ラズロー・フェルデーニイ氏はハンガリーの美学研究者・演劇関係者だそうですが、何冊かスペイン語とドイツ語で本を出していて、今回の『シベリアでヘーゲルを…』も、スペイン語だけでなくドイツ語版も刊行されています。
なお、この著作の英語版が(…分量からして抜粋でしょうか)、"Common Knowledge"誌の10巻1号(2004年)に掲載されているようです。
この雑誌の当該号は、国内では一橋大学に所蔵がある模様。
L?szl? F. F?ld?nyi: Dostoevsky Reads Hegel in Siberia and Bursts into Tears.
Common Knowledge Vol.10, No.1 (Winter 2004), pp. 93-104
(10)
[215]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:ゲーゲリ
投稿日時:08/04/13(日)
Kaさん、情報提供ありがとうございます。
「ヘーゲルの『哲学史』を送ってください」と兄に書いているということは少なくとも興味があったということですね。それから「『歴史』という発想を強烈に必要としていた」というのは名言ですね。
もし『哲学史』が『歴史哲学』のことを差しているなら、『歴史哲学』中の以下の箇所は『罪と罰』のラスコリニコフにつながって面白いです:
「世界史的個人は冷静に意思をかため、広く配慮をめぐらせるのではなく、ひたむきに一つの目的にむかって突進します。だから、自分に関係のない事柄は、偉
大な、いや、神聖な事柄でさえ、軽々にあつかうこともあって、むろんそのふるまいは道徳的に非難されてしかるべきものです。が、偉大な人物が多くの無垢な 花々を踏みにじり、行く手に横たわる多くのものを踏みつぶすのは、しかたのないことです。」(長谷川宏訳)
>Seigoさん
ドストエフスキーの作品の中でヘーゲルの影響が見える部分は少ない、と私は思っています。Seigoさんが上げられている例も、私が上に挙げた例も、どち
らかと言うと例外的なのかもしれません。ドストエフスキーはヘーゲルに興味はあったでしょうが「影響を受けた」というよりは、「参考にした」とか「利用し た」という例の方が多いのかもしれません。
『悪霊』のキリーロフの「自殺することによって神になる」発想も、ヘーゲルのヘーゲルの小論理学87章と関係あるかもしれません:
「仏教徒はこの原理(神は無であるという原理)をつきつめて、人間は自己を絶滅することによって神となると主張している」(松村一人訳)
上の「絶滅する」は不自然な訳で、オリジナルは「vernichten」(破滅させる、ぶちこわす、根絶する等と訳される)です。キリーロフはもしかしたら意外と「仏教的」なのかもしれません…
(11)
[217]
追記
名前:ka
投稿日時:08/04/14(月)
確認してみましたところ、あくまで「歴史の哲学」ではなく「哲学の歴史」でした。上に挙げた既訳で問題ありませんね。
すると、やはり『哲学史講義』の方なのでしょうか。
なお索引で見るかぎりは、ドストエフスキーが書簡でヘーゲルに言及したのは、上のシベリアから兄に宛てた手紙一回だけのようです。
(そこに付いていた注釈によると、セミパラチンスク時代の友人ヴランゲリが、ヘーゲルへのドストエフスキーの関心と翻訳の企図について報告しているらしい)
ゲーゲリさん、フェルデーニイの著作をお読みになったら、また内容をご報告頂けると嬉しいです。
(12)
[218]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:ゲーゲリ
投稿日時:08/04/14(月)
Kaさん、Seigoさん
毎度お騒がせしております。本はまだ到着してませんが、報告の義務を感じ、スペインのGoogleで検索してみたところ、以下の書評がみつかりました。
tras cuatro años de trabajos forzados, el escritor ruso fue destinado como
soldado raso a Semipalatinsk, pueblo siberiano rodeado de un árido desierto
de arena y abrojo. Allí leía, entre otros filósofos, a Hegel. Mientras miles
y miles de personas iban llegando, desterradas, a Siberia, el filósofo
alemán, que entonces impartía clases sobre la historia universal en la
Universidad de Berlín, escribió: "Siberia se halla fuera del ámbito de
nuestro estudio. Las características del país no le permiten ser un escenario
para la cultura histórica ni crear una forma propia en la historia
universal". Al leer estas líneas, Dostoievski se quedó dolorosamente
asombrado. Ahora lo sabía: Europa no se interesaba en absoluto por él ni por
su dolor en el destierro. Europa lo expulsaba fuera de la historia, esa Europa
por cuyas ideas había sido condenado a trabajos forzados en Siberia. Desde
ese momento Dostoievski se sintió confinado a la no existencia.
「4年間の強制労働の末、ロシアの作家は兵士として、砂とアザミだけの不毛の砂漠に囲まれたセミパラチンスクに送られた。彼はそこでいろいろな哲学者達を
読んだが、ヘーゲルも読んだ。何千人もの人間がシベリアに追放されて来る間、当時『普遍性の普遍的な歴史』について講義していたドイツの哲学者(ヘーゲ ル)は以下の様に書いた:『シベリアは我々の研究範囲の外にある。シベリアが歴史をもった文化の舞台になったり、普遍的な歴史の中に独自の形式をつくり出
すことを、かの土地の風土が許さない』。この数行を読んで、ドストエフスキーは悲嘆にくれ、愕然とした。これでわかった:ヨーロッパは彼そして彼の流刑の 苦しみに対し全くの無関心であることが。ヨーロッパが彼を歴史から追放したことが。まさにそのヨーロッパの(進歩)思想のために彼はシベリア流刑に処せられたというのに。この瞬間から、ドストエフスキーは『存在の虚しさ』に閉じ込められた気持ちがした。」 (拙訳)
この書評を書いた人物はドストエフスキーの時代とヘーゲルの時代を混同していますが、大きな弊害はないでしょう。「存在の虚しさ」と訳した言葉は「no existencia」で英語だと「no existence」または「no being」で、素直に日本語にするなら「存在なんてないこと」となります。本はまだ手元にありませんが、本の趣旨はこの書評の通りなのでしょう。
フェルディーニイの本の中にはもっと詳しいことが述べられているでしょう。「この数行を読んで」が単にフェルディーニイの想像なのか、本当にこの数行を読んで愕然としたという記録があるのか… 本が届いたら、確認し、再び報告させていただきます。
(13)
[219]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:威王
投稿日時:08/04/14(月)
ゲーゲリさんの語学力は感嘆ものですな.
ゴルゴ13みたいw
すごい.すいません茶々で.英語しか出来ない私は恥ずかしい思いです.
いつかロシア語でドストエフスキー原典を読みたいと思っていますが。
(14)
[220]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:ゲーゲリ
投稿日時:08/04/14(月)
威王さん、
いつも温かいお言葉ありがとうございます。私は英語に加えてなぜかスペイン語なら読めるというだけです。スペイン語の知識からフランス語も苦労しながら読めるという程度に過ぎません。一生は短いのでそんなにたくさんの言葉が出来るようにはならないです。少なくとも私には無理です。若い頃、ロシア語を本格的
に勉強するチャンスがあったのですが、その時にロシア語を選ばなかったことを今では後悔してます…
本届きました! Priorityで取り寄せたため、5日で着きました。51ページの薄い本なので、ざっと目を通してみました。前半は上の書評の通りでし た。しかし「ドストエフスキーが泣いた」とか「ヘーゲルのここのところの数行を読んで…」などはすべて著者の想像だと書いてあります。確かに A.J.Vrangelという友人とヘーゲルの「歴史哲学」を毎日勉強会したのは事実のようです。(Vrangelという人がその手記を残している。)た だ、それだけのことでした。残念…
後半は、ヘーゲルのシベリア軽視からヘーゲルの「理性主義」にも「ヘーゲルの神」にもドストエフスキーは背を向け「反逆した」と書いてます。それから皮
肉っぽく「ヘーゲルの考える通りに世の中は進み」、ドストエフスキーが「次の世紀にはみんな奴隷になってしまう」と言った予言も当たったじゃないかという 内容でした。それを『悪霊』から引用したとかそういうこともはっきりとは書いてません。はっきり引用を明らかにしているのは、ほとんど『死の家の記録』だ
けで、監獄の悲惨な状態と、ドストエフスキーがそこから多くを学んだことと、結果的にはこの経験に感謝していることなどを氏の手記から引用しているだけで した。全くもってつまらない…
また、ヘーゲルに関しても『歴史哲学』だけのヘーゲル像が論じられています。『(大)論理学』や『精神現象学』を著者が読んでいないことがはっきり見て取
れます。つまり、ヘーゲルはうっかりシベリアを無視したお抱え哲学者、または、歴史の主人公を「理性」とし、弱い者に同情を寄せなかった強者として扱わ れ、ドストエフスキーは悲劇と反逆のヒーローになってます。
ああ、ヘーゲルはそんな人じゃない!です。ドストエフスキーもヘーゲルも私は敬愛してやまないです。本当は二人の接点なんてなくても結構です。それぞれ
別々に自分の道を極め、極めた真実が「偶然」似ている部分があると解釈出来る… もうそれだけで、私は満足です。ヘーゲルほど深い哲学者は他にいないし、 ドストエフスキーほど深い文学者はいない。その二人が別々のルートで山の頂に登りつめている… それだけで私は興奮します。
確かにドストエフスキーはヘーゲルの弟子達(つまり「ヘーゲル左派」)を軽蔑しています。彼らのせいでシベリア送りになったのだし、マルクス以外は誰も
ヘーゲルの足下にも及ばないので、これは当然です。最初の世代がよくて、次の世代がダメ… 世の中ではしばしば見受けられることです。
**************
それから、ドストエフスキーをニーチェに結びつけたがる人もいますが、私としては「それは勘弁してくれ!」と叫びたいです。ショーペンハウエル〜ニーチェ
路線は『地下室の手記』や『二重人格』のどの部分より不健康です。ドストエフスキーはどんなに暗かったり、悲しかったり、重々しかったり、風変わりだっと しても、倒錯していても、「×××」ではないのですから!
大体「神は死んだ」なんてもっての他です。「付き合いがあったのか? 葬式に出たのか?」と聞きたいぐらいです。自分の意志が通らないからといって「神は
死んだ」なんてもっての他です。初詣に行って札束を賽銭箱に投げ入れ「今年も商売繁盛しますように!」と願をかけるのと何も変わりません。そんなことを聞き入れてくれると期待するのは厚かましい限りです。聞き入れてくれなかったからふてくされるのもどうかと思います。
「神がいないとすれば、つくり出さないと」! 私が誰かに感謝する時、その感謝の気持ちはその誰かに向けられるだけじゃないです。漠然とその誰かの「向こう」にも向けられていないでしょうか。誰かに対することなく、いきなり天に向けて「今日も五体満足でありがとうございました」と感謝してはいけないので
しょうか? 神が死んだとすれば、一体、誰に感謝すればいいのでしょうか? これが人間の「宗教本能」というものでしょう。その本能を否定することが「最 先端」なのでしょうか?
(15)
[221]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:威王
投稿日時:08/04/15(火)
全然関係無いですが,あのダライラマもマルクスを参考にしているようで
自分を半マルクス主義者と認めておられるようです.
ヘーゲル読まなきゃなあ…
(16)
[224]
理性と空想
名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:08/04/15(火)
ゲーゲリさん、Kaさん、レスと『Dostoyevski Lee a Hegel en
Siberia y Rompe a Llorar』に就いての情報提供、ありがとうございました。
ゲーゲリさんは、『ロボコン』世代で中学生のお子さんがいるとは、晩婚が一般化した僕らの世代の平均からすると、かなり早くに所帯を持たれたのですね。とまれ、どのような形であれ、今時ドストエフスキー体験を親子で共有しているというのは、とても素敵なことだと思います。
どうやら、フェルディーニイ氏は、シベリアでヘーゲルを読んだドストエフスキーの流した涙は甘いものではなく苦いものであったと想定しているようですね。
「生成」を旨とするヘーゲル哲学を歴史の物神化と看做して、「存在」の立場から批判を展開するというのは、キルケゴールあたりが先鞭をつけて以来、所謂 「実存主義」の一つのお決まりのパターンで、ドストエフスキーやニーチェもその流れに連なる文人であるという論は、近代哲学史入門の本を読めば、必ず出て
来ますね。フェルディーニイ氏も、大枠はそういう近代哲学史の定石に則りつつ、しかし、ドストエフスキーの、シベリア流刑という「歴史の敗者」の境涯を身 をもって味わった具体的な体験に着目して論を展開したことで、多少の新味を醸すことが出来たのではないでしょうか。アイディアとしては悪くないな、と思い
ます。
トルストイの民話は、幼少時に絵本仕立ての『イワンの馬鹿』を読んで以来、僕のロシア文学体験の原点になっています。トルストイの民話の中でも特に深い印
象を与えられたのは『人は何で生きるか』です。中学時代に読んで感銘を受け、『人は何で生きるか』を真似て、「聖痴愚」を主人公にした小説の執筆を試みた こともありましたが、中学生で『人は何で生きるか』を真似できる訳がありません、その試みは、案の定挫折しました。
トルストイの民話に感化されていた中学時代の僕は、民話期のトルストイが所謂「回心」以前の作品(『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』等)を全否定し
ていたので、作者自身が否定しているのだから読む必要はあるまい――と、この世界文学に冠絶する傑作群を黙殺していました。しかし、成人後、まあそうは 言っても一度は試しに読んでおいてやるか、と軽い気持ちで手に取ってみたところ、『戦争と平和』も『アンナ・カレーニナ』も自伝三部作も、悉く面白く、こ
んな傑作群を否定するなよ! 作者の言葉を真に受けて損した! と深く後悔したのでした。……ということで、晩年のトルストイの頑固な道徳的拘りに一定の 敬意を評しつつも、作品としては、断然「回心」以前の小説群を僕は支持します。
さて、ヘーゲル対マルクスに就いて論を展開するのは僕の力にあまるので、それは今回は取り合えずペンディングさせて頂くとして、取り敢えずヘーゲルとドストエフスキーと並べて、その差異に注目するならば、両者の次の言葉がそれぞれ思い出されます。
「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」(ヘーゲル『法哲学』)
「空想的なものが、現実のまさに本質を成している」(ドストエフスキー「ストラーホフ宛ての手紙」)
ヘーゲルとドストエフスキーはたしかに似たところもありますが、似ていないところも多々あると思います。両者の違いが最も顕著に現われているのは、「ナポ
レオン体験」を如何に歴史的に意味付けようとしているか――という点だと思います。敢えて単純に図式化すれば、ヘーゲルは「ナポレオン体験」を肯定し、ド ストエフスキーは「ナポレオン体験」を否定しています。『罪と罰』の理念的な構図は、要するに、ラスコーリニコフの「ナポレオン的なもの」から「スラヴ的
なもの」への転向というベクトルで描かれています。
又、「ナポレオン的なもの」から「スラヴ的なもの」へという図式は、『戦争と平和』の基本的なプロットでもあります。そして、トルストイの後期の民話は、
『戦争と平和』で示された「ナポレオン的なもの」から「スラヴ的なもの」への転向というベクトルを純化し、その延長線上に開花したものです。
そして、ドストエフスキーやトルストイに於ける「ナポレオン的なもの」から「スラヴ的なもの」への転向は、「理性的なもの」から「空想的なもの」への転
向、と言い換えることも出来るのではないでしょうか。そういえば、ドストエフスキーとトルストイは「イギリス嫌い」だったことでも共通していますね。当時 のイギリスは「水晶宮」によって象徴されるような国だったのではないかと思いますが、「水晶宮」のイメージは、ヘーゲルの「理性=自由=必然=現実」とい
う甚だ楽天的な世界観とよく親和するもののようにも思われます。
ドストエフスキーを読む際には、やはり、彼が「水晶宮=調和」へのラジカルな批判者であったという点も、重視すべきだと思います。
あと、ヘーゲルとニーチェを較べて、「弁証法と遠近法」というお題の文章も書きたかったのですが、それは又の機会に。
(17)
[225]
「歴史」から排除されるもの
名前:ka
投稿日時:08/04/15(火)
>ゲーゲリさん
『シベリアでヘーゲルを…』の内容、早速アップされていて驚きました。的確な内容紹介+ネット上書評のご紹介、ありがとうございます。おかげさまで、どういう本かおおよそ把握できました。ヘーゲルの「受容」じゃなくて、彼への「反逆」が問題になってる、ということですね。
この本の勘どころは、つまり:
1.ドストエフスキー@シベリアは、ヘーゲルに強い関心を寄せていた
2.ヘーゲルは歴史哲学において、実は「シベリア」に言及してる
という二つの事実をつなぎ合わせてみた点にあるのでしょう。
ゲーゲリさんの不満は基本的に正当なものだろうと思いますが、「アイデアとしては悪くない」というミエハリさんのご意見に賛同します。この著者がやってい
るように、別ジャンルのできごととして従来はそれぞれ別々の事柄として捉えられていたものを→あえて関連づけてみせる手続きは、それ自体としてなかなか刺 激的だし、結構面白そうだと私は思いました。
そもそも「歴史」という概念は、19世紀当時の社会の近代化+いわゆる国民国家の形成と密接にからんでいます。
当時、いまだ国民国家が未形成であったドイツという場所においては、あるべき未来の社会+国家の姿を構想することが、一つの大問題でした。ヘーゲルの哲学
にせよ、その問題圏の枠内で行われたものに他ならないはず。「歴史」というものは、そこで思い描かれた望ましい社会への移行を、一つの必然的プロセスとして映し出すためのツールなのです。
その際、きれいな未来予想図を描こうとすればするほど、多くのもの断罪したり、切り捨てたりする必要が生じます。ですから、そこで排除されるものが出てくるのは、「うっかり」ではなく、必然です。
ポストモダン思想〜の文脈で散々言われている言葉遣いを採用するなら: 大文字の「歴史」を打ち立てようとする「近代」のプロジェクトは「他者」の排除という「暴力」をともなう、ということです。フェルデーニイの議論の前提にあるのも、それ系の話なのでしょう。
……私がちょっと気になるのは、そこでドストエフスキーを単純に「排除される側」のみに位置づけてしまっていいのか?という点です。後年の彼はむしろ、
「歴史」によって克服された段階に位置づけられてしまった《東》を復権させるために、ツァーリの「お抱え文学者」として大活躍することになる(=ミエハリさんが指摘している、「スラヴ的なもの」への転向を遂げる)わけですから。
ドストエフスキーにおけるヘーゲル流の歴史観への「反逆」は、むしろそっちの意味において行われた、と受け取るのが自然な気がします。
* * *
ところでゲーゲリさんのニーチェ理解については、「ああ、ニーチェはそんな人じゃない!」と慨嘆する人がいるかも(笑)。ただ私はそれほどニーチェLOVEというわけでもないので、その点はもっと詳しい方に譲ります。
あと細かい点について少しばかり:
・上で、「『普遍性の普遍的な歴史』について」と訳されている箇所は →「ベルリン大学で普遍史について」、じゃないでしょうか。
"Universidad"は「普遍性」ではなく、「大学」です。(この単語が大文字になってるのは「ベルリン大学」が固有名詞だからで、強調のための二重カギは不要)
・訳の最後の「存在の虚しさ」、ちょっと引っかかりました。さらに素直に日本語にすると、「存在しないこと」「存在しないもの」という具合になるかと思われます。
そして、この場合は具体的には「シベリア」を指しているのではないでしょうか。ヘーゲルがシベリアという土地を、存在しないも同然の場所として位置づけ
た…という直上の話題を受けて、ドストエフスキーは自分が「存在しない場所の囚人」であるかのように感じるようになった、という話のような。
(18)
[226]
『歴史哲学』にも日本を論じた箇所は〜
名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:08/04/16(水)
『歴史哲学』にも日本を論じた箇所は存在しない。ヘーゲルの歴史意識からは「日本」は完全に脱落していたのである(尾崎道彦『ヘーゲル事典』弘文堂
シベリアはまだ言及されているだけマシなのかも知れませんね。弘文堂から出ている『ヘーゲル事典』によれば、日本は完全にアウト・オブ・眼中だったようで
す。ヘーゲル的には存在しないも同然の「非歴史的」な国である日本に住む我々は、号泣どころか、悲憤慷慨をもって、ヘーゲル流の歴史哲学に「反逆」するべきなのかも知れません。
そういえば、西田幾多郎は、ヘーゲルの「有」に立つノエマ的な「過程的弁証法」に対して、「絶対無」に立つノエシス的な「場所的弁証法」を提唱しました。
この西田の批判は、今からすれば、ヘーゲルによって歴史的には非在の国と看做された日本の哲学者ならではのイロニーであったようにも思われます。
日本が存在しない国だと考えるのも、しかし、一興かも知れません。ゴーイング・ノーウェア♪ 何処にも行けないということは、何処にでも行けるということです。
ゆっくりでいいから君が本当に笑って泣けるような2人になろう
ちょっとずつアルバムを重くしよう 何でもない日も記念日にしよう
どんなにめくっても終わりがないかわりに続きがある2人のアルバム
まほうのアルバム
これからどこに行こうか僕ら 静かな場所ににぎやかな場所
どこでもいいんだよね それぞれの場所に
君らしいキミがいれば そこはまさに
地図にもない場所で手をつないで
インスタントのカメラももって
僕は花をつんで「きみに似合う花なんだろうか」なんて
本気で首かしげたりして
単純な僕の単純な唄 大事な人の為だけの唄
よくあるLOVE SONGでも2人の前だけでトクベツであればいい
よくある唄でいい
誰でも見かけホド強くないし自分で思うよりも泣き虫だから
「一人で大丈夫」なんて絶対言わせない
嫌がったってムリヤリ連れていくよ
地図にもない場所へ手をつないで 君の大切な犬もつれて
時々口ずさむその唄少し覚えたからちょっとでも一緒に唄わせて
OH YEAR!
小鳥が夜明けを唄であいず とっておきの声でリズムとって
何でもない日にも小さなドラマがあるって気付いたんだ
単純な僕の単純な唄 ナミダを止める為にある唄
不安のつのる夜は思い出して欲しい
この日を僕は確かめ生きる この日に君を見つけて生きる
この何でもない日が記念日になる
だからどんなに大きな地図にもない場所へ
手をつないで魔法のアルバムに続きを
不安のつのるヨルは忘れないで 君のタメのウタがあるコト
地図にもない場所へ 手をつないでテヲツナイデ
ゆっくりでいいから 君が本当に笑って泣けるような
地図にもない場所へ(Bump Of Chicken/とっておきの唄)
(19)
[227]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:Seigo
投稿日時:08/04/17(木)
ゲーゲリさん、
届いた『Dostoyevski Lee a Hegel en Siberia y Rompe a
Llorar』についての内容の書き込み、どうも。
皆さんも言うように、ヘーゲルがシベリアのことを論じていたこととそれを読んでのドストエフスキーの受け止め方を取り上げているという筆者の着眼がなかなか鋭いと思います。
kaさんが挙げてくれた、
>「ぜひともヘーゲル、特にヘーゲルの『哲学史』を送ってください。
> 僕の未来はすべてこれらの本にかかっているのです!」
という兄宛ての書簡の文章(これはドストエフスキーの生涯を詳述した本には引用されて紹介されているものであり、思い出すのを自分はちょっと逸していました)は、ドストエフスキーが求めたヘーゲルの著作のことを自ら述べた貴重な証言ですね。
(なお、
>ヘーゲルの『哲学史』
の『哲学史』は、ヘーゲルの死後(1831年没)、弟子たちが刊行した講義
録『美学(講義)』『歴史哲学(講義)』『哲学史(講義)』『宗教哲学(講義)』
のうちの『哲学史(講義)』のことではないでしょうかね。)
kaさんがさらに追記したように、同じくセミパラチンスク時代に当地で友人となったヴランゲリ男爵と一緒に、ヘーゲルの思想(ヘーゲルの哲学論など)を、読み、勉強し合ったことを、ヴランゲリ男爵はその回想記で述べています。
あと、ほかに、ヘーゲル関係の事跡を確認してみたところ、シベリア流刑になる前に、ドストエフスキーは、ベリンスキーからマルクス著『ヘーゲル法哲学批判序説』 (「それ(=宗教)は民衆の阿片である」が述べられていることで有名なマルクス初期の文献)を教えられて読んでいるようです。
ドストエフスキーのヘーゲル受容についての皆さんの指摘・意見を読みながら、ドストエフスキーが接したヘーゲルの思想に対してドストエフスキーが共鳴して影響を受けたぶんと批判的にとらえたぶんに分けて考える必要があるということもあらためて思いました。
前者のぶんとしては、ヘーゲルの「神」観や歴史観とともに、ヘーゲルの弁証法の考えも、その著書を読んで接していたとしたら、その影響も気になるところです。
(ドストエフスキーの友人のストラーホフはドストエフスキーについて「なによりもわたしの心を惹(ひ)きつけ、深い感動すら与えられていたもっとも重要なことは、かれのずば抜けた頭脳、一つの言葉や、ちょっとした暗示だけであらゆる思想を把握してしまう頭の回転の速さであった。」と述べていることからも、ドストエフスキーの古今の
諸思想に対する理解力・消化力は高レベルであったと言えます。)
ゲーゲリさんが触れた、
>『悪霊』のキリーロフの「自殺することによって神になる」発想も、
>ヘーゲルのヘーゲルの小論理学87章と関係あるかもしれません:
については、いつか詳しく聞きたいです。
〔もしそうなら、キリーロフのモデルとなった人物(ペトラシェフスキーの会のメンバーでドストエフスキーとともに逮捕された内務省官吏チムコフスキーとされていま
す)のその思想の形成がヘーゲルの哲学(自殺哲学?)の影響のもとにあったというケースかもしれませんね。『小論理学』の初版は1817年。〕
* * *
>ゲーゲリさん
ゲーゲリさんの[220]の書き込みの中に、ネット上の書き込みでは好ましくない、いわゆる差別用語の表現がありましたので、管理人の私の方で、先ほど、
その語句を「×××」に書き換えておきました。修正・削除キーの機能を用いて、今度、その箇所を別の言い方に書き換えておいてもらえればと思います。
(20)
[235]
RE: 弁証法的でない弁証法
名前:ゲーゲリ
投稿日時:08/04/19(土)
みなさん、
出張のため、コメント出来ませんでした。すみません。それにしても、ここの掲示板はすばらしいです。日本中どこもかしこも罵詈罵倒だけかと思っていたら、ここだけは違いました。さすが、ドストエフスキーが好きな人達の集まりだと感動しています。
>威王さん、ぜひヘーゲル読んでみてください! 私はマルクス・エンゲルスからヘーゲルに進みました。エンゲルスの『自然の弁証法』〜ヘーゲルの『小論理学』と進むのが順路です。
>ミエハリさん、私は『ロボコン』世代よりほんのちょっとだけ前の世代です。息子にはゴーゴリの『外套』と『カラマーゾフ』を、妻には『罪と罰』を、弟に
は『カラマーゾフ』を、同僚の一人には『白夜』と『貧しき人々』を、親友には『カラマーゾフ』『罪と罰』『貧しき人々』『悪霊』『死の家の記録』を、半ば 無理やり読ませました! 伝道者みたいなもんです(笑)
フェルディーニイ氏に私は「史実」を期待していたので、ちょっとがっかりしました。着想は確かに面白いです。トルストイの作品はあまりに分厚いので近寄り難いですが、近々挑戦してみます。
ヘーゲルについてはいろんな所でいろんな人がいろんな意見を言っています。みんな「弁証法」が大好きみたいです。でもどことなく「ヘーゲルは19世紀の人 で我々現代人の問題は解決してくれない」というニュアンスが漂っています。「ヘーゲルは19世紀の人」というのは全く正しいでしょう。しかし、私は、ヘー ゲルは「我々現代人の問題も解決してくれる」潜在性をもっていると確信しており、その様に読んでます。多くの専門家がヘーゲルを「死んだ古典」の様に扱ったり、テキストを文字通り解説するだけ、という状況が残念です。
私に言わせるなら、ヘーゲル哲学は「諸刃の刃」です。ヘーゲル哲学からは前向きの結論も後ろ向きの結論も出せます。観念論のままにしておくことも、唯物論
に仕立て上げることも可能です。弁証法は神を肯定するためにも、否定するためにも使えます。こう言ってしまうとつかみどころがなくなってしまいますが、も しヘーゲルが今生きていて量子学やDNAのことを知ったら… 神を肯定し、後ろ向きであると同時に前向きであるような結論を引き出したでしょう。私の思い 入れかもしれませんが…
ミエハリさんの「弁証法と遠近法」いつかぜひ語ってください。
>kaさん
歴史とポストモダンについてはおっしられる通りだと思います。
ドストエフスキーは文学者、ヘーゲルは哲学者と一応言えるでしょうが、ニーチェはどちらでもあるし、どちらでもない感じがします。ニーチェ主義の人は「ど
ちらも越えているのだ!」と言うでしょうが、私には「どっちつかず」に見えます… 文学者であれば「体系」などなくても納得しますが、哲学者であればやは り「体系」少なくとも「体系らしきもの」が欲しいです。アリストテレスやカントやヘーゲルに対する礼儀としても…
拙訳の「存在の虚しさ」は、もっとダイナミックに訳していいなら:「シベリアの刑務所でのと囚われの身から『無存在』という新しい刑務所での囚われの身に…」とします。「存在しない場所の存在しない囚人」… もちろん、意味的にはkaさんの解釈通りです。
>Seigoさん
ドストエフスキーがマルクスを読んでいた!は驚きです。ありがとうございました。それから不適切な言葉すみませんでした。これからは注意いたします。
『小論理学87章』:
ヘーゲルの体系には、キラッと光る部分もあれば、こじつけや強引なところも多いし、クセも強いし、何が何だか誰にもわからない部分もあります。だから、内容の起伏を平均化して理解してしまうと、とんでもないものになってしまいます。
『大論理学』でも『小論理学』でも先ずは「有と無」から始まります。また、どちらの作品の序文でも「哲学の目的は神が存在することを知ることではなくて、
神を知ること」とも言ってます。つまり、ヘーゲルは神を定義したいのです。神の定義の第一ステップが「神とは有である」です。しかし、この第一ステップで の「有」とは、「純粋な有」つまり「抽象的な有」または「直接的な有」または「何の規定も含まない有」です。見方を変えるなら、この「有」は「名前だけの
有」、「形骸化された有」です。そのような「純粋な有」は「純粋な無」と対立させられますが、どちらも「何の規定も含まない」ので、対立させようにも、対 立すらしません。つまり、どこまでも純化された「有」とどこまでも純化された「無」は「同じ(無意味な)抽象物」となってしまいます。だから、このような
純粋な意味での「有」という言葉を使って「神は有である」と主張するなら「神とは無である」と言うのと同じになってしまいます。
ヘーゲルはこういうことを少しとぼけた調子で言ってます。半分はシャレとも受け取れなくはないです。しかし、そういう風に講義している最中、ふと「そう言えば、仏教やヒンズー教では『神(仏)は無』と言うじゃないか」と思い当たったのでしょう。
Against it (=the definiton of God as mere being) there stands, with equal
justification, the definition of the buddists that God is nothing -- from
which it follows that man becomes God by annihilating himself. (Harris訳英語版、ドイツ語でなく英語の方がわかりやすいので…)
(神は有であるに過ぎないという定義に対し、これと同様の資格で、神は無であるという仏教徒達の定義が成り立つ。ここから、人間は自らを破滅させることにより神となる、ということになる。)
しかし、もちろん、これがヘーゲルのここでのメインテーマという訳ではないです。ただ、触れているだけ、です。メインテーマはあくまでも「有と無の発展」あるいは「神の定義の発展」(あるいは「世界精神の発展」)です。
有はあくまでも有であって無ではない、無はあくまでも無であって有ではない… もし、そうだとすると、そこですべてが終わってしまい、発展はないです。そこでヘーゲルは有と無を「生じる」(「なる」)あるいは「消える」に統合します。有名な「being + nothing = becoming」の弁証法です。というか、ここが「ヘーゲル弁証法」の生誕地です。(だから、ここが嫌という人は先をまじめに読まないでしょう。)
「有と無は反対物であって、統合されたりしない」というのが当時の常識であり、今もそれが常識でしょうが「これはbeing、あれはnothing」でな く「すべてがbecoming」というものの見方は斬新です。ギリシャ時代からこの発想はありましたが、ヘーゲルはこれをすべてに、また徹底的に当てはめ
ようとした訳です。もし、ヘーゲルが今も生きていて「光子は粒子でもあり波でもある」とか「真空中ではいたるところで素粒子が発生しては消滅、消滅しては 発生している」ことを知ったなら… と私などは勝手に想像しています。
「すべてがbecoming」であれば「素粒子が存在する」という見方は実は間違いで「素粒子は存在しようと努力している」ことになります。つまり、ある
のは「存在」でなく「存在への努力」です。(その「存在への努力」が「波」なのだとも解釈出来ます。)もちろん、ヘーゲルはそんなことを言ってませんが、 ヘーゲル哲学の延長としてそう考えることは許されると思います。「有と無」だけでなく「生と死」、「美と醜」、「喜びと悲しみ」、「愛と憎しみ」等々にも
この考え方を応用することが出来ます。
ところで、そんな場合に使われる「弁証法」は「テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ」という公式に当てはめられることが多いですが、例えば「美と醜」なんて
ものがこの公式通りになるでしょうか? 問題は弁証法の公式を機械的に当てはめることでなく、あくまでも着眼点と対象の観察にあるのではないでしょうか?
「美 vs 醜」は「有 vs 無」と似て、抽象的に過ぎます。つまり、多くのものが得られません。しかし「美は一皮のみ vs 醜は底なしに深い」とするなら「醜」に意味が生じたのと同様「美」にも意味が生じます。さらに「桜は美しい vs 女は美しい」はどうでしょう? 桜の美しさと女の美しさが違うことは誰にでもわかりますが、どう違うのか説明するのは難しいです。そこで弁証法を使ってみ
ましょう。即ち「女性美は美だけでなく醜を含むことによって初めて女性美として成り立つ」あるいは「女性美とは美と醜の統合である」。(平たく言うなら、 女はツルツルテンのマネキンではない、ということです!)
本題から外れてしまいましたが、弁証法こそ弁証法的に解釈しなければならない!じゃないですか? 大切なのは、それとわかる弁証法でなく、一見弁証法に見えない弁証法ではないでしょうか?
(21)
[239]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:威王
投稿日時:08/04/19(土)
ゲーゲリさん こんにちは.
私の下らないレスへのレスどうも有難うございます.
とりあえず以下でエンゲルスの『自然の弁証法』見つけましたので
(ていうか以前読んだ記憶が何故かどこかにあるのですがw)
http://www.marxists.org/
archive/marx/works/
1883/don/index.htm
読んでみて感想書きますね.
久々にゲーゲリさんとは話をしてみたいと思った人に出会ったという
感じです. とりあえず時間下さい.
ではでは.御仕事がんばって下さい。
(22)
[242]
そうだ、私は諸君に全(アレス)を語っている、なぜなら〜
名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:08/04/20(日)
そうだ、私は諸君に全(アレス)を語っている、
なぜなら無(ニヒツ)を語ったのだから!(カ
ール・マルクス「ヘーゲル」)
>ゲーゲリさん
丁寧なレス、いつもありがとうございます。ヘーゲルの「概念」を、見事に自家薬籠中にしているゲーゲリさんの書き込みは、読んでいるだけで頭が整理される
ようで、しかもそれだけでなく、理想主義的なドライヴ感もあって、「あたま」と「こころ」の双方にとても心地よい刺戟を与えてくれます。
ヘーゲルは、言葉遊び(概念遊戯)の達人だった――というイメージを僕は強く持っています。そういう意味では、日本では、意外と小林秀雄なんかの文章が
ヘーゲルの文章に近いような気がします。ヘーゲルも小林秀雄も、言葉遊びを突き詰めた挙句、最早、その文章で論われている対象を、肯定しているんだか否定 しているんだか、書いている本人にも判らないであろう文章をよく書きます。二人とも、書き手の意図を離れた「概念」の野放図な自動運動を顕現させる達人
だったのではないでしょうか。
トルストイは『戦争と平和』の中で、神を肯定する理論は結局同時に神を否定する――というようなことを、たしかアンドレイ・ヴォルコンスキイの口を借りて語っていました。いま、パラパラ『戦争と平和』の頁を繰ったら、きわめてヘーゲル的な、こんな言葉も見つけました。
「理性は必然の法則を表わし、意識は自由の本質を表現する」
『戦争と平和』にヘーゲルめいたドイツ観念論風のフレーズが出てくるのは、トルストイも1860年代のロシアのインテリゲンチャらしく、ドイツ観念論哲学
を一通りは齧っていたことの証左でもあるのではないかと思います。ちなみに、トルストイはドイツの哲学者の中ではショーペンハウアーを殊の他高く評価して いたようです。「転向」後、ペシミスティック(現世否定的)な傾向を強めていたトルストイにとって、ショーペンハウアーが親しき友と感じられたのも、何だ
かよく判るような気がします。
さて、僕は、ショーペンハウアーもニーチェも、トーマス・マンの強い影響下に受容してきました。トーマス・マンは、ショーペンハウアーの強い影響下に
『ブッデンブローク家の人々』を書き、ニーチェの強い影響下に『ファウスト博士』を書きました。又、ショーペンハウアーやニーチェ以外にも、その全文業に 渡ってヴァーグナーからの多大な影響を受け続けています。そして、マンは、ショーペンハウアー・ヴァーグナー・ニーチェの三人を、「永遠に結ばれた精神の
三連星」と呼び、生涯「導きの星」として讃仰し続けたのでした。
「三者は一体である。かれらの強大な生涯を自分の教養とした、畏敬の念にみちた弟子は、三人のことを一度に語れたらとおもう。かれらの一人ひとりに負うて
いるものを別々に切りはなすのは、それほどむずかしい気がするのだ。わたしは、自分のたましいの基調をなしているモラリズム(おなじことをもっと分かりや すい言葉でいえば、「ペシミズム」ということになる)を、わたしの初期のいくつかの習作のなかにもあらわれているあの「十字架と死と墓窖」の気分を、
ショーペンハウアーに負うているが、ニーチェのいうこの「エトス的空気」は、ワーグナーにも存在するのである。かれの巨大な作品は、まったくこの空気のなかに存在する。だから、ショーペンハウアーの影響を云々するのとまったくおなじように、ワーグナーの影響をもちだすこともできるわけである。ところで、ま
さにこのような基調がわたしを没落の心理家たらしめたのだが、そのさいわたしが師表と仰いだのは、ニーチェであった。というのは、ニーチェは、わたしに とっては最初から、かれが流行をきわめた時期に大多数の人びとが考えていたような、あのまったく抽象的な「超人」の予言者でなどではなく、むしろデカダン
スの比類なく偉大な、最も精通した心理学者だったからである」(トーマス・マン『非政治的人間の考察』)
トーマス・マンのニーチェ受容は一見の価値があります。「超人」の予言者としてのニーチェを問題にしなかったマンは、「私は彼の言うことを何一つ言葉通り
に受け取らなかった。殆ど何も信じなかった」(『略伝』)と語り、又、「ニーチェを言葉通りに受け取り、彼の言うことを信じるものはおしまいだ」(『我々 の経験から見たニーチェ哲学』)とも語っています。では、ニーチェの言うことを何一つ信じなかったマンは、ニーチェの何に感嘆していたのでしょうか――す
なわち、ニーチェの文体です。
「現にあったとおりのかれとは、世界第一級の文筆家である。かれは、偉大な師ショーペンハウアーよりもはるかに多くの世俗的可能性をもった散文家であり、最高級の文学者・評論家である」(トーマス・マン『非政治的人間の考察』)
「ニーチェの説教そのものは、ドイツにとってさして新しくも革命的でもなかった。かれの説教は、ドイツの発展にとってさして重要ではなかった。重要なのは、かれの説教の説きかたである」(同上)
「人びとは、かれの学校に学ぶことによって、芸術家という概念と認識者という概念をひとつにし、その結果、芸術と批評との境界を消し去る習慣を身につけ
た。かれは、竪琴だけでなく、弓もまたアポロンの道具であることを思い出させてくれた。かれは、標的を射当てることを、しかも致命傷を負わせることを教え てくれた。かれは、ドイツの散文に敏感さ、軽妙さ、美しさ、鋭さ、音楽性、明確なアクセント、情熱をあたえた。これは、まったく前代未聞のことであり、かれ以後ドイツ語で文章を書こうなどという大それたことを思いたったすべての者にたいして逃れがたい影響をおよぼさずにはおかなかった。ニーチェの人格や人
柄がこのような影響力をもっていたのでは断じてない」(同上)
マンにとってのニーチェは、思想家でも哲学者でもなく人格者でもなく、ドイツ語にゲーテ以来の革命を齎した偉大な文体家(批評家)だったのです。ニーチェ
の文体を特徴づけるのは諸価値の相対性を徹底的に暴露する「遠近法」ですが、この「遠近法」的認識はあらゆる超越的価値への帰依を峻拒する「距離のパト ス」によって可能になります。そして、ニーチェは「距離のパトス」こそ「イロニー」であると定義していました。マンがニーチェから学び取った最大のもの
は、この「イロニー」でした。
「ニーチェ体験がもたらす可能性には、精神的芸術的見地からいうと、兄弟のような関係をもつふたつの可能性がある。そのひとつは、あの無頼の審美主義、ル
ネサンス審美主義、力と美にたいするあのヒステリックな礼賛で、これはある種の文学が一時得意げにふりまわしていたものである。もうひとつは、イロニーと よばれるものである。この言葉でわたしが語ろうとするのは、わたし自身の場合である。わたしの場合、生のためになされる精神の自己否定は、イロニーとなった――この倫理的態度を説明し定義するには、それは生のためになされる精神の自己否定であり、自己裏切りである、としかわたしは言いようがない。(中略)
ところで、もちろん、イロニーは、かならずしも苦悩する種類のものとはかぎらないエトスである。精神の自己否定は、けっして真剣そのものの、まったく完全 な自己否定ではありえない。イロニーは、ひそかにではあるが、求愛をする。成功のあてはないにしても、精神のために愛顧を得ようとする」(トーマス・マン
『非政治的人間の考察』)
ここで描き出された「ニーチェ体験=イロニー」を作品化したものこそ、初期の名短編『トニオ・クレーゲル』に他なりません。
「『トニオ・クレーゲル』という作品全体は、一見したところ異質な諸要素、悒愁と批評、誠実さと懐疑、シュトルムとニーチェ、情緒と主知主義からなる混合
物であった……。すでに述べたように、青年たちがこれにとびつき、『ブッデンブローク家の人々』の部厚い二巻本よりもこの九十ページの方を好んだのは、な にもふしぎなことではなかった! 青年は造型的なものよりも精神的なものの方をはるかに求めるものだ。そして、この場合かれらのこころをかきたてたのは、
疑いもなく、この小さな物語のなかで「精神」という概念が扱われている、その扱いかた、精神という概念が「芸術」という概念といっしょになって、「文学」 という名前のもとに、無意識でもの言うことを知らぬ生に対置されている、その対置のしかたであった……。かれらのこころを捉えたものは、疑いもなく、この
小さな作品のなかにあるラディカルで文学的な、主知主義的で解体的な要素であった。とはいえ、もうひとつの、つまり、ドイツ的な、心情的保守的な要素も、 この作品にたいするかれらの好意に水をさすどころか、かえってそれをさらに強めさえした。それは、この要素がイロニーとしてあらわれたからであり、イロ
ニーそのものは最高度に主知主義的だからである」(「同上」)
『トニオ・クレーゲル』に於いて自家薬籠中のものとした創作原理としての「イロニー」を、マンは晩年の「ラジカルな告白」と称した『ファウスト博士』に至るまで縦横に駆使しつつ、その文業を営んでいくことになります。マンは、「ニーチェ体験」を「イロニー」として意味付けることによって、その作品を、教養
主義(弁証法)と教養主義批判(遠近法)という「二つの視角」を組み合わせて構成することを可能にしたのでした。マンの小説は、『トニオ・クレーゲル』以 来、常に「生成」と「解体」のせめぎ合いを基調として書かれることになります。このニーチェに由来する「解体」的な眼差しが、第一次大戦以後、時代の変転
の中でのマンの絶妙な位置取りを可能にし、やがてマンをナチズムに対する最大の内在的批判者とすることにもなったのでした。
「国家」を人倫の最高の発現態と看做したヘーゲル哲学は、近代市民の基礎的教養としてプロシアの御用哲学となりました。ヘーゲル流の国家観はプロシアのみ
ならず後のナチス帝国を正当化するものとしても利用されました。そんな国家主義のイデオロギーとして利用され易いヘーゲル流の弁証法に対する、ごく初期の 批判者がニーチェだったのだと思います。特に『反時代的考察』所収の「生に対する歴史の利害について」は、ニーチェがヘーゲルの何を批判していたのかがよ
く判る文章だと思います。弁証法が歴史を「体系」化するのに対して、遠近法は体系的に構築された歴史像を「解体」しようとします。ニーチェの遠近法が、 トーマス・マンから現代のポストモダン思想に至るまで、教養主義批判の有効なツールとして重宝されてきたのは、正史的思考(教養主義)に対する解体的眼差しを基本とするものだったからでしょう。
しかし、ゲーゲリさんに言わせれば、国家主義のイデオロギーとして利用される類いの俗流弁証法は、ヘーゲル弁証法の曲解に過ぎないということになるのかも知れませんね。だから、
「弁証法こそ弁証法的に解釈しなければならない!じゃないですか? 大切なのは、それとわかる弁証法でなく、一見弁証法に見えない弁証法ではないでしょうか」
と書かれているのでしょう。ゲーゲリさんの言う「弁証法」は、たとえばベンヤミンが言っていた「弁証法」に近いのではないかと思います。ベンヤミンの「弁
証法」もかなり非弁証法的な弁証法で、殆どドイツ・ロマン派のイロニーに近い発想だったように僕は思っています。たとえば、次に紹介するマンの「イロニー 論」は、ゲーゲリさんの考えられる「弁証法」とかなり近いことを語っているのではないでしょうか。
「決意は美しいものです。しかし真に実り豊かな、創造的な、従って芸術的な原理を、私たちは留保と呼びます。音楽においてはこの留保を、掛留音のあの心うずく幸として私たちは愛好します。まだまだということで、憂鬱に心くすぐるものとして、魂のひそかなためらいとして愛好します。このためらいは、充足や解
決や調和をふくみつつも、なおしばらくはそれを拒み、ひきのばし、留保します。まだ一時は、それが自ずから現われてくるまで心うれしく、ためらうのです。 精神的なものにおいては、私たちはこの留保をイロニーとして愛好します。――あのいずれの側にも向けられるイロニーとして。こうしたイロニーは、巧妙に、
無愛想に、といって誠実さを欠いているわけでもありませんが、相対立するもののあいだを移り動きながら、とくに急いで一派にくみしたり決定を下したりする ことをしないものです。つまりこのイロニーは人間の問題のような、重大な事柄においては、いかなる決定も早急で、尚早であることが証明されるであろうこと
を、決定が目的ではなく、調和が目的なのだということを、心から期待しているのです」(トーマス・マン『ゲーテとトルストイ』)
――しかし、現実の政治権力は、ヘーゲルの弁証法もニーチェの遠近法も、ともども自分に都合のいいように解釈し、利用し、挙句、マンは愛するドイツから亡命せざるをえなくなり、ベンヤミンは自殺に追いやられました。ヘーゲルから、ニーチェ、マン、そしてベンヤミンに至るまでの文人たちの運命を思うと、ロゴ
スの無力というものを痛切に感じざるを得ません。
「人生は文学のおかげで解脱させてもらったにかかわらず、平気でどしどし罪を犯していくじゃありませんか。罪といったのは、精神の眼から見れば、あらゆる行為は、ことごとく罪に見えるからです……」(トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』)
罪を犯しつづける「生」を前にして、残されているのは、「にもかかわらず」という、精神の最後の抵抗を象徴する言葉だけなのかも知れません。
「窮極的な問題にはけっきょく答えることができないという意識を持ちつづけ、自分は読者をあざむいているという良心の苛責にくるしめられながらも、最後ま
で働くこと、誠実に、うまず働き通すこと、――これは依然としてふしぎな《にもかかわらず》(Trotzdem)である。だが、事実はまさにそのとおりな
のだ。ひとは《物語を提供してまずしい人びとをたのしませながら、ひとかけらの救いの真理をも彼らに与え》ない。ひとは《私はどうしたらいいでしょう》と いうあわれなカーチャの問いにたいして、《良心にちかって、私にはわからないのだ》としか答えられない。だが、それにもかかわらず、ひとは働き、物語を書
き、真理を造形し、そして真理と晴朗な形式とが、おそらくは魂を解放し、この世界をよりよい、よりうつくしい、より多く精神の要求にかなった生活にたいして準備することができるだろうという、かすかな、ほとんど信念に近い希望をすてないのである」(トーマス・マン『チェーホフ論』)
長々と書いた挙句、甚だペシミスティックなオチになってしまいました。次回は、もう少し前向きな文章を書けたらと思います。
(23)
[248]
RE: 薄まった感情
名前:ゲーゲリ
投稿日時:08/04/21(月)
>ミエハリさん
大変詳しい解説をどうもありがとうございます。
私はニーチェに関しては『アンチクリスト』『ツラトストラ』『この人を見よ』しか読んでません。ちゃんと理解出来ている自信もありません。ニーチェに限ら
ず、また哲学に限らず読まなければならない本はたくさんあります。でも、現実には悲しいかな、時間がありません。能力の問題もあります。恥ずかしながら、 私は本を書こうとしています。「触覚から思考までの歴史(=考えるとはどういうことか?)」と「メタコミュニティ論」です。どちらもヘーゲルの影響を受け
ていますが、100%ヘーゲルでもありません。基本的には「私の考え」です。数年間書き続けて来た材料を整理している時に、ふと手に取ったのが『カラマー
ゾフの兄弟』でした。強い衝撃を受けました。自費出版は後回しになりました。「ドストエフスキーに近づきたいから」なんて大それた考えからではありませ ん。「生きることに対する真剣さ」について考えさせられたから、です。
ヘーゲルのどこが再利用されており、どこが非難されているか、巷で氾濫している資料に目を通せばわかります。非難されているのは「国家」とか「世界精神の
自己実現」とか「神」の部分です。ニーチェの嫌いな「理想主義」がそれこそプンプン臭ってます。実は、私もそういう部分は好きじゃないのです。「余裕のあり過ぎる理想主義」というやつは「非現実的」ですから。もし私が書くものにそういう臭いがあれば、「真剣に読んでもらえないだろうなぁ」という予想がつき
ます。しかし、これは体質の問題でもあるので、完全に払拭するのは不可能でしょう。ニーチェもキルケゴールも実に真剣です。でも、この人達の真剣さは私にはあまりアピールしなかったのです。しかし、ドストエフスキーは違いました。ドストエフスキーの作品群には読む人の生き方を変える力があります。巷ではよ
く「泣ける」なんて言葉を使いますが、『カラマーゾフ』も『罪と罰』も『貧しき人々』も『死の家の記録』も私にとってはそんな生やさしいものではありませ んでした。涙が流れることに変わりないにしても、まるで身近で大切な人が死んだ時の様に涙が流れる… それは、なかなかぬぐい去れない涙です。本を読んで
こんな経験をしたことはほとんどありませんでした。
生きることに対する真剣さ… 白状すると、これこそが私に最も欠けているものです。私は昔から古典を読むのはわりあい好きでした。でも、新しいものの多く
は横目でちらっと見るだけで、通り過ぎてしまいます。『ポスト何とか主義』とか『(ポスト)構造主義』とか『デカダンス』とか… どうしても自分の体質に 合いません。哲学や文学だけでなく、音楽に於いても、そうです。たぶん、私の体質は古典的なんでしょう。
そういう訳で、新しい思想について、私はそれらしくコメントすることが出来ないことをお許しください。フロイト(初期)までは読めてもラカンは途中で放り
出すし、カントは我慢してもベルクソンやハイデッガーは辛いし、デリダやメルロ・ポンティやサルトルは、私から遠い世界に住んでいるのです。
「古典的」に物事を眺めると「現代の問題」は単純に見えます。もちろん「単純」という言葉は「解決が簡単」という意味ではありません。それで、私は『メタコミュニティ論』などを書こうと思ったのです…
私の『メタコミュニティ論』の要約:
類人猿から人間になったばかりの時代、人間は一人で生きていくことが出来ませんでした。自然の脅威から身を守るため、食料確保、種族保存のため、人間は群れをなしました。数人単位か数十人単位かはわかりませんが、とにかく「最小のコミュニティ」を作ったのです。
その頃の「自然の脅威」というのは人間にとって大変なものでした。例えば、夜は洞穴から外へ出ることも危険だったし、病気は治せなかったし、獲物が穫れない時は飢えに苦しまないといけなかったし、冬は寒くて辛かったし… そういう状況下で、一つのコミュニティは力強く団結せざるを得ません。食料はふんだん
になかったでしょうから、他のコミュニティは明らかに敵です。猛獣も、病気も、嵐も、日照りも敵です。つまり、敵と仲間の区別がはっきりしていた訳です。 そこでは「仲間には愛を、敵には憎しみを」という原則が支配していました。夜、自分達の洞窟から見た「外」は闇に閉ざされ、どこまでも不気味で、「神」か「悪魔」が支配しているように感じられたことでしょう。
もちろん「仲間には愛を、敵には憎しみを」の原則は今も基本的には変わってませんが、原則の意味の深さは全く違ったでしょう。太古の昔、敵は殺してもよかったのです。「ヤツが憎いんだ!」と叫ぶのでなく、「冷たくあしらう」のでもなく、「殺した」のです。そして「殺す」というこの行為は鬱憤の発散になっていたと思われます。
「敵への憎しみ」がここまで深いというか「本物」であれば、仲間に対する愛情はこれと反比例して「本物」だったことでしょう。仲間の怪我や病気が自然治癒した時の喜びはまるで自分の治癒みたいに喜んだでしょう。自分の配偶者に対する愛情も同じ様に濃かったでしょう。
ゼロでバランスが取れるとするなら、+100と-100でゼロになります。もちろん、+10と-10でもゼロです。ゼロにゼロを足してもやはりゼロです。 太古の昔は+100と-100でバランスが取れていたのです。もちろん、太古の昔も「仲間荒れ」というのは存在したでしょうが、それは例外的だったでしょ
う。また、その場合の「仲間」は即「敵」に転化した訳ですから、「敵」として殺そうとしたでしょう。
それから100万年以上経って、人間は部落を作るようになりました。部落は何百、何千という単位の人間で構成されたでしょう。やはり、同じ部落内の人間は
仲間で、自然の脅威や他の部落の連中は「敵」です。しかし、人間は100万年前より多少頭がよくなっていますから、単に殺すだけとか、単に愛するだけでは
なかったでしょう。敵を捕虜にし奴隷にしたり、動物を家畜化したりも出来るようになったでしょうし、ある種の病気なら薬草で治したでしょう。従って、敵へ の憎しみ、仲間への愛、神や悪魔への恐れも薄くなります。人間に支配出来る領域が増え、支配出来ない領域が減ったのです。
やがて、部落は町へ、町が集まり国に発展します。「愛と憎しみ」の原則は基本的に変化しませんが、意味が薄れます。一つの国が別の国と戦争でもすると「外への憎しみ」と「内への愛情」が一時的に強まりますが、太古の昔みたいには行きません。
さて、現代です。国境はあってなきが如しです。メタコミュニティの誕生です。人間は砂漠も山も海も宇宙の一部も支配下におさめました。実際には支配下におさめていないにせよ、おさめたと思っています。10歳の子供に砂漠の写真を見せると「それは砂漠」と言います。まるで行ったことがあるみたいに… 「明日 ゾウを見に連れてってやろう」と言うと「テレビで何回も見たよ」と言います。「コロンビアで200人死んだ」と聞くと、一応気の毒そうな顔はしますが「あ あ、そうか」ぐらいの反応です。愛も憎しみも驚きもこれ以上薄まらないぐらい薄まったのです。もはや敵を槍で突くことはありません。敵を槍で突かないこと
を指して「文明」と呼びます。しかし、その文明の中で、隣の人がレクサスを買うと「きっと悪いことをして稼いでるんだよ」とか「あいつがレクサスねぇ」と いう具合に、憎しみは「やんわりと」表出されます。
そう、バランスは+100と-100でなく、+0.01と-0.01で取れているのかもしれません。しかし、人間と人間の結びつきは太古の昔からは想像も
出来ないぐらい弱くなりました。太古の昔は目的があって一緒にいたのが、今は「なぜかわからない」けど一緒にいるのです。一緒にいるのが辛いぐらいです。 だから、一緒にいる努力をしなければなりません。今やメタコミュニティの第一の存在理由は「メタコミュニティを維持すること」になったのです。我々はこの
メタコミュニティの中にいるので、なかなかこのことに気づきません… (コミュニティがコミュニティでなくなったのです。また、コミュニティの外というやつもなくなったのです。つまり「疎外」されたコミュニティです。「神」や「悪魔」が隠れていそうな場所もなくなったのです。ドラマもないのです…)
皆が「病的」と呼んでいることを古典的にこの様に解釈するのは如何でしょうか?
(24)
[261]
ストラーホフを通じての
名前:Seigo
投稿日時:08/04/27(日)
>ゲーゲリさん
ヘーゲルによる「有」「無」という概念を用いての「神」の説明のことや、『小論理学87章』における自殺哲学のことの紹介、ありがとうございます。
前者の方のゲーゲリさんの説明からすると、ヘーゲルは、結局、人間社会における観念や理念としての「神」のことを哲学的に(弁証法的に?)説明しようとしたのでしょうかね。
後者の方は、仏教の小乗教の教え(肉体や煩悩を滅してこそ仏になれるという考え)を援用しての考えのようですが、考えとしては単純で低次元の考え(大乗の
教えが本懐であった仏陀としては衆生を本懐へと導くためのあくまでも方便的な教えです)であり、そういった考えに過ぎないのであれば、キリーロフの複雑で
奥行きのある自殺哲学とはあまりつながりはないように思います。
なお、
神や仏や人間の存在論ということなら、ヘーゲルの「有」「無」という概念による存在論よりも、仏教の古代インドの中間派や中国の天台仏教の三諦論(「空 (くう)」「仮(け)」「中(ちゅう)」の三つの観点から捉えていく見方)の方が、より深いのではないでしょうかね。ゲーゲリさんが紹介してくれたヘーゲ
ルの「有」「無」の概念を用いての「神」の存在の思索はこの三諦のうちの「空(くう)」としての存在に迫ったものではないかと思います。興味があれば彼ら の存在論を見てみたらよいと思います。>ゲーゲリさん
(仏教の存在論と言えば、ハイデッガーやサルトルの存在論と道元の思想との類似点の指摘がなされてきたことは周知の通りです。欧米の哲学の限界の突破口を仏教の存在論や人間論や行為論に求める試みは有効と思われます。)
* * *
ドストエフスキーへのヘーゲルの思想の影響という点で、ドストエフスキーがペテルブルグに戻って小説の創作だけでなく誌上での言論活動も始めた時期以降(1861年〜)のことで確認できたことがあったので、以下に追加して報告します。
それは、
ストラーホフ
(1861年にドストエフスキーが発行を始めた評論雑誌(「時代」)の社会評論部の主幹となりその後ドストエフスキーが亡くなるまでドストエフスキーの良き友及び思想形成の良き議論相手となった人物)
を通じてヘーゲルの思想の受容や影響があったかもしれないということです。
(書き込み[227] で挙げたストラーホフが残した、
「なによりもわたしの心を惹(ひ)きつけ、深い感動すら与えられていたもっと
も重要なことは、かれのずば抜けた頭脳、一つの言葉や、ちょっとした暗示
だけであらゆる思想を把握してしまう頭の回転の速さであった。」
という証言は二人の普段の思想交換の様子をよく伝えています。中村健之介氏によれば、『白痴』の中の登場人物ラドムスキーのモデルはストラーホフじゃないかとのことです。)
中村健之介氏の研究によれば、ドストエフスキーは自分の考えの半分はストラーホフから得たということを自ら語っていること(この自らの証言は貴重です)からして、 ヘーゲルの弁証法や思想を深く学びヘーゲルに傾倒してヘーゲリアンであったストラーホフからのドストエフスキーのヘーゲルの思想の受容ということは看過(かんか) できないでしょう。
この点からして、ドストエフスキーの後期の作品や言論における思想や発想に表れているヘーゲルの思想の影響ということは十分注意して見ていく甲斐はあると思われますので、ドストエフスキーの小説を読んで貴重なドストエフスキー体験を経たゲーゲリさんには、ドストエフスキーの後期の作品にうかがわれた思想や発想のうち、ヘーゲルの思想に似た
ものがあれば、今後いつでも、指摘してもらえれば、ドストエフスキーの研究者たちにとっても、ありがたいと思います。>ゲーゲリさん
(追記:ドストエフスキーの後期の作品に見られる、相対立する二思想の共存と止揚的な鬩(せめ)ぎ合い、ポリフォニー性といった発想をドストエフスキーはいつどのようにして形成したのかという私の問題意識からすると、ヘーゲルの弁証法的発想を知って影響があったのかな?というのが私たちにはやはり気になってきます。スト
ラーホフ経由のものもあるのならば注目してみたいところです。)
(25)
[291]
RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:ちちこふ
投稿日時:08/04/28(月)
Seigoさん
まずハンドルネームを「ゲーゲリ」から「ちちこふ」に換えさせていただきます。これからは「ちちこふ」とお呼びください。「ゲーゲリ」はロシア語でヘーゲ
ルのことなので恐れ多いです。私という人間はドストエフスキー作品のどの登場人物よりゴーゴリの『死せる魂』のチチコフに似ていると思いますので… 布教活動は依 然として続けております。グルーシェニカの「一本のネギ」の話ではありませんが、いろいろな人にドストエフスキーの作品を読ませ、そこからまた別の人に… と輪が
少しずつですが、広がりつつあります。
このトピ「ドストエフスキーとヘーゲル」で、いろいろな意見交換が出来、有意義でした。でも、私たちは学者ではありませんから、実はヘーゲルやカントを持ち出すこともなく、本当のテーゼは「生きるとはどういうことか?」ということに尽きると思います。我々にとって大切なのは「アインシュタインが相対論をつくった」とか「探査機が火星に着陸した」ということでなく「ドストエフスキーを読んだ」とか「これからどうしよう?」ということの方だと思います。
ドストエフスキーの中にヘーゲルの影響があるか・ないか? むろん、少しはあるでしょう。でも、表面的・部分的にどこが似ているということより、私には「両者が暗示していること」が結果的に似ているという風に読めます。
仏教やウパニシャッド哲学は少々研究したことがありましたが、私には難し過ぎました。ハイデッガーやサルトルも別の意味で難しいです。新しい人達について
は、いつも、もっと簡単に書けないのだろうか?と不満です。「幸せになりたいけど、どうすりゃいいのよ?」という具合に。ヘーゲルだって難し過ぎますが、 私とはたまたま波長が合ったようです。
そもそも私はすべての言葉を「表現」としてでなく「暗示」として捉えます。厳密な意味で「表現」など出来ないと決めてかかっています。「文=主語+述語」
で「主語=既知の情報、述語=未知の情報」なんて教え方を見ると、鳥肌が立ちます。ソシュールの構造主義言語学なんてほとんど諸悪の根源です。我々が「表 現」しようとする時、まず頭や心に浮かぶのは「全体」即ち「まだ文章になっていない文章」です。名詞や形容詞や動詞ではありません。我々がサルみたいな動
物だった時、コミュニケーションは「鳴き声」あるいは「叫び声」で取られていたでしょうから、我々の頭や心に浮かぶ「文章でない文章」は「鳴き声」や「叫び声」に近いものです。(文・文章とは「潜在的なものの顕在化」です。)
その「叫び声」を聞いた相手はそれを暗号解読する訳ではなく、以下の様に推理したはずです:ヤツはギャーッと鳴いた。オレも木から落ちて痛い時などにギャーッと鳴く。してみると、ヤツはオレが木から落ちた時みたいに痛いんだ!
もちろん「進化」が進むにつれ、言葉は音節化され、名詞や形容詞や動詞が生まれ、「より客観的な記述が可能になった」訳ですが、言語の起源は「鳴き声」即
ち「感嘆詞」であるということに変わりはなく、今でもすべての文章は多かれ少なかれ「感嘆詞的」です。(こんなことを主張している言語学者はいないし、も し主張したら「破門」されます…)
頭でっかちの人達はやたら「論理」とか「客観」という言葉をふりまわしますが、本当に「論理体系」などというものが存在するでしょうか? たとえ存在した
としても「感情」や「感覚」に勝てるでしょうか? 最近はなぜか「反哲学」という言葉がはやっているようですが、私はこの言葉より「反論理学」という言葉 の方が好きです。(ヘーゲルの『論理学』が何を隠そう『反論理学』です!)
無事にその日暮らしをするだけでなく、Seigoさんが言われる「より深く」ということに私は大賛成です。しかし、その「より深く」はどこかに「主語+述
語」の形で書いてあるのでなく、ドストエフスキーの作品や、ヘーゲルの『論理学』の中や、他の本や、誰かの言葉の中に、あるいは言葉でないものの中に、 「主語+述語」とは違う形で「暗示」されています。もちろん、暗示は表現と異なって「表すもの」と「表されるもの」が正確に一対一対応していないじゃない
か、と言うことは出来ます。しかし、そんな「理想的な表現手段」は世の中のどこにも存在しないのですから、たとえ人によって解釈が異なっても、我々は「暗 示」に頼るしかありません。(「暗示」とは即ち「不完全な表現」です。「完全な表現」は夢や空想の中にあるのみ、です。)
「より深いもの」は「私」の心の中にあります。その「文章でない文章」を「主語+述語」に置き換えてしまったとたんに「真実でなくなる」ということも起き
ます。ヘーゲルはそれを嫌というほど知っていたので、あんなまわりくどい書き方をしています。ドストエフスキーもやはりそれを嫌というほど知っていたの で、論文よりも小説をより多く書いたのだと思います。
こういう言い方をすると悲観的に響きますが、私だっていつかは「真実を、もっと正確には、真実の近似値ぐらいは、つかみ取りたい」です! でも、その真実
の近似値は「目で見える形」や「論理」をはねつけるかもしれません… それは「(心を含めた)肌で感じるもの」だと私は確信しています。(目で見たものよ り、肌で感じたことを伝えることの方がずっと難しいです。)
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RE:ドストエフスキーとヘーゲル
名前:サンチョ
投稿日時:15/07/05(日)
サンチョと申します。初めて投稿します。
Seigoさんに伺いたいのですが、
>あと、ほかに、ヘーゲル関係の事跡を確認してみたところ、シベリア流刑になる前に、ドストエフスキーは、ベリンスキーからマルクス著『ヘーゲル法哲学批判序説』 (「それ(=宗教)は民衆の阿片である」が述べられていることで有名なマルクス初期の文献)を教えられて読んでいるようです。
ドストエフスキーがマルクスの本を読んだらしいということは初耳なので、ぜひ引用元を教えて頂けませんか?
初投稿で不躾な質問をして申し訳ありませんが、どうしても知りたいので、ご返事お待ちしております。
※
サンチョさんへ。
(記09/29・Seigoより)
レスが遅れていて、ごめんなさい。上記の件について、7年半前の投稿であり情報元をメモをしていなかったものですから、その後、いまだ、確認ができていません。確認が出来次第、当トピで、レスを行う予定です。
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