ドストエフスキーとアメリカ
(1〜6)
投稿者:
Seigo、エハリ・バカーチン、
ka、大森
(1)
[122]
ドストエフスキーとアメリカ
名前: Seigo
投稿日時:08/02/09(土)
指摘されてみれば、『罪と罰』の作中には、スヴィドリガイロフの、
「アメリカに行く」
という言葉をはじめ、アメリカ方面の事項が、けっこう、出てくるようです。
(2)
[123]
RE:ドストエフスキーとアメリカ
名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:08/02/10(日)
「アメリカ」は、ドストエフスキーの作品だと、『罪と罰』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』で言及されていますが、いずれも祖国に居場所を失った逃亡者
が辿り着く、彼岸やフロンティアのメタファーという感じの触れられ方です。19世紀後半のアメリカというと、未だ建国間もない新興国家で、スカーレット・
オハラや荒野の用心棒が活躍していた頃です。ロシアも含めた古い歴史を持つ欧州諸国からしたら、世界の最涯ての開拓地みたいなイメージで見られていたので はないでしょうか。グルーシャと伴にアメリカへ逃亡したミーチャが、拳銃片手に大活躍する西部劇風の『カラマーゾフの兄弟』第二部を構想してみるのも一興
です。マカロニ・ウェスタンならぬ、ピロシキ・ウェスタン? 或いはもっと悪ノリして、『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』みたいなシュー ルなコメディ・タッチで、西部劇時代のアメリカに移り住んだカラマーゾフ一家の面々が珍騒動を起こす――なんて映画を作っても面白そうです。『カラマーゾ
フ・ブラザーズ・ゴー・アメリカ』、いずれ脚本書いてみようかしら。
もう少し「真面目」なアプローチをすると、ドストエフスキーが大きな影響を受けたゲーテの代表作『ヴィルヘルム・マイスター』の末尾では、主人公のヴィル
ヘルムたちが理想の共同体を築くべくアメリカに渡航する姿が描かれています。ゲーテ以来、カフカ、トーマス・マンに至るまでのドイツ文学で「アメリカ」と いうトポスが如何に描かれたかを考察した一冊に山口知三の『アメリカという名のファンタジー』(鳥影社)という著作があります。ドストエフスキーに於ける
「アメリカ」のイメージも、ゲーテ、カフカ、トーマス・マンという流れの中に置いて読み直してみるのも面白そうです。
(3)
[124]
ドストエフスキーとアメリカ
名前:ka
投稿日時:08/02/11(月)
このテーマ、意外と(?)すごく重要な感じがします。
『罪と罰』の中でスヴィドリガイロフが口にする「アメリカ」は、ほとんど「彼岸」「あの世」の同義語みたいに響くのですが、『悪霊』ではまったく違う意味
を帯びている。つまり、その言葉は、ある種の社会主義的なユートピア建設の志向と結びついているのです。そのあたりに例のラヴロフ思想とかが絡んでくるわ けですね。
山口知三『アメリカという名のファンタジー 近代ドイツ文学とアメリカ』は、たしか富山太佳夫も書評で絶賛してましたが、少なくとも過去十年間に出版されたドイツ文学の研究書のうちでは文句なしにベストだと私は思っています。(以前にも言いましたっけ?)
以下、同書の受け売りも含めて。
19世紀〜のヨーロッパにおいて「アメリカ」は、確かに一面ではミエハリさんの言う「世界の最涯て」の大自然+フロンティアのイメージで捉えられていまし
た。そのイメージを仲介する上で決定的な役割を果たしたのが、クーパーその他の冒険小説家が書いたインディアン小説です。(その事情がロシアでも変わらなかったことは、例えばチェーホフの短編『少年たち』からも知ることができます。)
――ただ、そういった大自然のイメージとともに/近代化および資本主義化が高度に進行した未来国家のイメージが奇妙に両立・融合したトポスとして現れてくるのが、当時のアメリカ像の面白い点なのですね。
来るべき社会主義の国がどのような形態であるべきか?を作家ドストエフスキーが考えるに際しても、おそらく「アメリカ」の問題は避けて通れなかったはずです。
そのあたりの事情をつかまえて、誰かしらロシア文学研究者で『近代ロシア文学とアメリカ』を本にしてくる人がいればなあ…というのが私の前々からの願望であったりします。
いずれにせよ、『カラマーゾフ・ブラザーズ・ゴー・アメリカ』の映画化企画の実現を願ってやみません(笑)。
(4)
[125]
みんなアメリカを探しに来た♪(サイモン&ガーファンクル/アメリカ)
名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:08/02/11(月)
『アメリカという名のファンタジー』は、以前Kaさんが紹介して下さっていたようですね。僕はそれを失念してしまっていて、昨年末、偶々図書館の書棚で見 つけて、山口知三氏といえば、筑摩叢書版の『非政治的人間の考察』やエーリヒ・へラーの『トーマス・マン――反語的人間』の名訳でかねて畏敬していた独文
学者だったので、大きな期待を持って手に取ってみたのですが、果たして、期待に違わず大変面白い一冊でした。
『アメリカという名のファンタジー』は、クラウス・マン、カフカ、ラーベ、ハウプトマン、カール・マイ――といった作家たちにも多くの頁が割かれています
が、やはり何と言っても全編を大黒柱的に支えているのはトーマス・マンの存在で、半ば以上トーマス・マン論として読める一冊だと思います。特に、『ドイツ 共和国について』に於いてゲーテを媒介に語られたノヴァーリスとホイットマンの親和性というのは、僕が同講演中最も感銘を受けたポイントでもあったので、
この点を山口氏が詳細に分析してくれているのに、大いに我が意を得たり、という気分にさせて貰ったものです。
――と、以上書いておきながら、『アメリカという名のファンタジー』には、実はまだざっとしか目を通していないので、いずれゆっくりと熟読玩味してみたい
と思います。山口氏の『アメリカという名のファンタジー』は、たとえば、ハードボイルド小説の源流をクーパーの西部小説に求めたロバート・B・パーカーの 『ハメットとチャンドラーの私立探偵』(早川書房)なんかと併読してみても面白いと思います。「アメリカ」は、アメリカ人にとっても未だ一種の「異郷」の
ようです。もっとも、全ての「近代人」にとって、「故郷」は同時に「異郷」であるのかも知れません。
Kaさんの指摘されているように、たしかに、『罪と罰』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』と書き継がれるにつれ、「アメリカ」の描かれ方も微妙な変化を
閲しています。ゲーテの愛読者であったドストエフスキーのことですから、自分の主人公をアメリカへ赴かせるに際して、そこに何某かユートピア的モチーフを 意識していたと考えるのはむしろ自然なことです。ミーチャのアメリカへの逃亡は第一部の段階で既に示唆されていましたが、信仰と革命を巡るプロとコントラ
をより壮大なスケールで描いたであろう『カラマーゾフの兄弟』第二部に於いて、アルカディア(過去)とユートピア(未来)の双方を具有した幻想を喚起する 「アメリカ」というトポスが重要な役割を担うことになる――という想像は、あながち荒唐無稽とも言えないのかも知れませんね。『近代ロシア文学とアメリ
カ』という研究は、たしかに、是非専門のロシア文学者にやって貰いたいものです。
――ということで、『カラマーゾフ・ブラザーズ・ゴー・アメリカ』の脚本は、いずれ本気で書いてみようと思います。
(5)
[126]
RE:ドストエフスキーとアメリカ
名前:大森
投稿日時:08/02/12(火)
ミエハリさん、「カラマーゾフ・ブラザーズ・ゴー・アメリカ」私も期待してゐます。
(6)
[179]
ベーリング海峡の悲劇
名前:ミエハリ・バカーチン
投稿日時:08/03/08(土)
ロシアとアメリカが最接近しているのがベーリング海峡ですが、先日「ドストエフスキー及びドストエフスキーの作品を読み解
くキーワード」のトピックで、西村寿行や矢野徹絡みでベーリング海峡に就いてちょっと触れたのを機に、モンゴロイドにとっても縁浅からぬ、この世界の最涯てのことを、少し調べてみたい気持ちになりました。
wikipediaによれば、ベーリング海峡を発見したのは、スウェーデン出身のロシア軍人、ヴィトゥス・ベーリングなる人物だそうです。ベーリング海峡という名称は、その人物に因んでつけられている訳です。
ベーリングがベーリング海峡を発見したのは1728年のことだそうですが、日本人が大平の浮世を満喫していた頃、ロシア人を含む白人たちは、せっせと地理的冒険に勤しんでいたのでした。同じ頃、北米大陸では所謂インディアン戦争が進展中でした。
ヴィトゥス・ベーリングがベーリング海峡を発見した頃、この地域には、アレウト人と いうモンゴロイドが栄えていたそうですが、ベーリングたちに続いて進出してきたロシア人たちに漁場を荒らされ、更にはロシア人たちの持ち込んだ伝染病のため、18世紀初頭には25,000人を数えた人口を、20世紀初頭には1491人にまで激減させてしまったそうです。1995年の調査では、アレウト語の 話者は305人を数えるのみだったということで、部族としては、実質滅びてしまったと言ってもいいでしょう。
アレウト人が栄えていたのと同じ頃、ベーリング海峡にはステラー海牛と いうジュゴン科の大型哺乳類が多く棲息していたそうです。遭難したベーリング率いる探検隊は、ステラー海牛を捕食することで辛うじて露命を繋ぎ、どうにか
ペトロパブロフスクに生還できたということですが、しかし、ベーリング隊の生き残りからその存在を知らされたハンター達がステラー海牛目当てにその後大挙 して押し寄せ、乱獲が始まり、1728年には1000頭単位でその棲息が確認されていたステラー海牛は、早くとも1768年には絶滅してしまったということです。wikipediaでは、その経緯は以下のように記述されています。
「ステラーカイギュウと名づけられたこの海獣の話はすぐに広まり、その肉や脂肪、毛皮を求めて、カムチャツカの毛皮商人やハンターたちが、数多くコマンドル諸島へと向かい、乱獲が始まった。
約10年後の1751年になって、シュテラーはこの航海で得たラッコやアシカなどを含む数々の発見に関する観察記を発行している。アラスカでは見かけなかったこの動物についても、彼は体の特徴や生態などを詳しく記録している。
ハンターたちにとって好都合なことに、カイギュウたちは動作が鈍く、人間に対する警戒心ももち合わせていなかった。有効な防御の方法ももたず、ひたすら海
底にうずくまるだけだった。このような動物を銛やライフルで殺すことは容易だったが、何トンにもなる巨体を陸まで運ぶことは難しいため、ハンターたちはカ イギュウをモリなどで傷つけておいて、海上に放置した。出血多量により死亡したカイギュウの死体が岸に打ち上げられるのを待ったのだが、波によって岸まで
運ばれる死体はそれほど多くはなく、殺されたカイギュウたちのうち、5頭に4頭はそのまま海の藻屑となったという。
ステラーカイギュウには、仲間が殺されると、それを助けようとするように集まってくる習性があった。特に、メスが傷つけられたり殺されたりすると、オスが
何頭も寄ってきて取り囲み、突き刺さった銛やからみついたロープをはずそうとした。そのような習性も、ハンターたちに利用されることになった」 (Wikipedia「ステラーカイギュウ」の項より)
上に引用した文章の中でも、
「仲間が殺されると、それを助けようとするように集まってくる習性があった。特に、メスが傷つけられたり殺されたりすると、オスが何頭も寄ってきて取り囲み、突き刺さった銛やからみついたロープをはずそうとした」
という記述は、あまりにも人間的で、こういう人間的な動物を平然と乱獲できるロシア人たちの非人間性に、思わず「銃殺です!」とアリョーシャばりに叫んでしまいたくもなります。
シベリアとアラスカの歴史、ことに、その「近代史」をじっくり勉強してみたくさせられる、アレウト人とステラー海牛の物語でした。
* * *
「ドストエフスキーとアメリカ」というトピックを考えることは、そのまま「近代」の歴史を考えることにもなるでしょう。「近代の悲劇」を典型的に象徴するようなアレウト人とステラー海牛の運命を、今回は簡略に紹介してみました。
|