『未成年』を読む
(1〜13)
投稿者:
確かな読書
(1)
[1256]
『未成年』アルカージーさま!!今まで、完読出来ないでいて、申し訳ありませんでした!
名前: 確かな読書
投稿日時:17/12/26(火)
工藤精一郎 訳
新潮社 13巻
== 引用文の始まり ==
「第一部
第一章
1
わたしは自分をおさえきれなくなって、人生の舞台にのりだした当時のこの記録を書くことにした。しかし、こんなことはしないですむことなのである。ただ、
一つはっきり言えるのは、たとい百歳まで生きのびることがあっても、もうこれきり二度と自伝を書くようなことはあるまいということである。実際、はた目に みっともないほど自分にほれこんでいなければ、恥ずかしくて自分のことなど書けるものではない。ただ一つ自分を許せるとすれば、みんなが書くような理由か
ら、つまり読者から賞賛を得たいために、書くのではないとうことである。もしわたしが急に、去年からわたしの身辺に起ったことを逐一書き起そうと思いたっ たとしたら、それはわたしの内的要求の結果なのである。それほどわたしはそれらのできごとにはげしく胸をゆすぶられたのである。わたしはつとめていっさい
の余計なもの、特に文学的な潤色をさけて(読者感想⇔作家ドストエフスキー氏の特徴であると思いますね。例えば、三島由紀夫氏の『金閣寺』、川端康成氏も
少々、などはは、ちょっと潤色!?)、事件だけを記述しようと思う。文学者というものは三十年も書いてきて、結局は、それほどの年月をなんのために書いた
のか、自分でもまったくわからないものだ。わたしはーー文学者ではないし、文学者になりたいとも思わない。また自分の魂の内部ともろもろの感情の美しい描 写を文学市場へもちだすことを、わたしは無作法ないやしいことだと思うのである。とはいえ、いまいましいことだが、まったく感情の描写や思索(おそらく、 俗悪なそれさえも)をぬきにしてしまうわけにもいかないらしい。およそ文学の仕事のしごとというものは、たといただひたすら自分だけのために書かれたもの
であっても、実にろくでもない作用を人に与えるものなのだ。思索だってきわめて俗悪なものにさえなりかねない、というのは、自分ではいいと思っても、他人 の目から見れば何の価値もないという場合が、大いにあり得るからである。しかしこんなことわりはよそう。ともあれ、これが序文である。」
(読者私の感想)
こんなに書き出しだったとしたら、読者わたしが好きになる小説であったのに、何故、読み進められずに、途中で、いつでも放棄してしまったのか、不思議でありましたね。さらに、最初のこのような始まりの文章群も覚えていないのでありますね。訳者工藤精一郎氏では初めての『未成年』!読書体験
でありますね。主人公アルカージーの苦悩が、最初から、前面に押し出されておりますね。アルカージーの苦悩を、理解しようとしてあげなくて、ごめんなさ い!!!と、読者私は、そんな気分で、『未成年』という小説をスタートさせて頂きました。まだまだ、長い道のりではありますが、やはりバックグラウンド musicというか、そのようなドストエフスキー作品が読者私には必要なのですね!
(読者私の感想文)
主人公アルカージーが、ドストエフスキー氏のある部分で、ある意味で、自伝的精神的日記的要素を、持っているのではないかと、未だ、読みだして10数ページではありますが、思いましたね。何故かと申しますと、アルカージーは、私生児なのですが、【私生児であることを、主人公アルカージー本人が、《苦悩》であると捉えた事象に、作家ドストエフスキー氏が二十代に牢獄で捕らわれた《苦悩》が、共通単語、共通認識を持つこと。人生での苦悩が、
人生をあれやこれやと、形作っていくという共通点でありますね。それから、未だ、小説の初期段階でありますが、この時点の読者私の気付きで、『未成年』のアルカージーが、作家ドストエフスキー氏の自伝的心の一片を醸し出されているなと、読者私が、決断した箇所、空想した箇所が、ありましたね。
それは、第一章の5で
「わたしが言っておきたいのは、どのようなきっかけから彼とわたしの母の関係がはじまったのか、どうしても知ることができなかった
し、得心のゆく推測もできなかった、ということだけである。」
「ことわっておくが、わたしの母をわたしは、去年までずっと、ほとんど知らなかったのである。わたしは赤ん坊のころから、ヴェルシーロフの安楽のために、里子に出されていた。」
「もし彼女が決して美しいとはいえない女であったとしたら、当時の ヴェルシーロッフのような男がいったい彼女のどこに惹きつけられたのか?」
「『不幸せなアントン』と『ポーリンカ・サックス』ーーこれは二つとも、当時の わが国の若い世代に限りない啓蒙的影響をあたえた文学作品であるがーーを読んだばかりであったので、とわたしに語ったのである。」
という文章からでありますね。作家ドストエフスキー氏の結婚とは?最初の?
(2)
[1257]
『未成年』に、至っては、あれこれと、ドストエフスキー世界へ飛んでしまいます!
名前:確かな読書
投稿日時:17/12/26(火)
第二章あたりですが、読書しながら、彼方此方あちらこちらと、作家ドストエフスキー氏の周辺が、気になって
、『未成年』とは、直接に関係しない事柄も、書き留めたくなってしまう今日この頃!でありますね!
「憐憫」が、人間の運命に、取り返しのつかない事件を、起こしてしまう可能性ですね。
『悪霊』のスタブローギンも、「憐憫」が、命取りとなってしまったかもですね。女の子に、貧しさと家庭の不思議をスタブローギンが、想像不可能であった状
況把握から、その「憐憫」は、スタブローギンの中で、瞬時に、ホッペへのキスや可哀想な少女という気持ちが、瞬時に始まったのでありますが、瞬時に、スタ ブローギンとしては、終わった感情でありましたね。スタブローギンの環境周囲は精神的にも物理的にも、色々と、心は身体は忙しいわけで、ありますね。その
人物の置かれている状況や精神や肉体の立場に対して、貧しくて今の家庭の環境に満足されてない少女は、スタブローギンの憐憫の優しさを「愛されてる」と、 勘違いして、夢中になってしまう救世主と、スタブローギンを、勘違いしてしまうのでありますね。女の子の教育されていない家庭環境などが、ありますね。す
ごい勢いで救世主であると、スタヴローギンをみなすのですね。スタブローギンは、一瞬の憐憫でありました。おんなのこは当て付けに死を選び、スタブローギ ンも、貧しい教育のない社会が悪いと主張しながらも、自身を滅ぼしてしまう悲劇になってしまいましたね。良かれと行動した事が、悲劇となってしまう不憫さ
でありますね。
やはりDNAという分かり合えない「諦めの世界」が、必要なのでしょうね!!!
飛んで飛んで、作家ドストエフスキー氏を探求したく、廻り道ばかりです!
作家ドストエフスキー氏の環境、結婚、子供、幸せ度、病気などで、ありますね。
今回は、『憐憫の効用』でありましたね。
【何故、憐憫の発想をしたのかという、『未成年』の引用文であります】
p17
== 引用文の 始まり ==
「わたしは問題をやたらに並べたが、一つだけまだ出していない重大な問題がある。実を言うと、去年あれほど親しく母の身近にいたのに、しかもみんなが自分
に対して罪があるのだと考えているような、粗暴な恩知らずな犬ッころで、母に対してまるで遠慮なんかしなかったのに、それでもやはりこの問題だけはまとも に母にぶつけられなかったのである。それはこういう問題である。どうして彼女が、もう半年も結婚生活をして、その上、結婚の神聖という観念におさえつけら
れ、無力な蠅みたいに、完全におしつぶされて、良人のマカール・イワノーヴィチをへたな神よりも尊敬していたような女が、、わずか二週間かっそこらのあい だに、どうしてこのような罪を犯すまでになり得たのか?だってわたしの母は淫蕩な女ではなかったではないか?清らかな心は、そしてそれは生涯変ることがな かったのだが、想像することも難しいほどである。ただひとつ説明ができるとすれば、彼女がわれを忘れてやったということだけだ。といっても、近頃の弁護士
が殺人犯や強盗の弁護に言うような意味ではなく、≪あまりにも強烈な印象を受けたために、その素朴な心の抵抗をこえて、宿命的に、悲劇的にそのとりこにさ れてしまったということである。なんとも言えないが、もしかしたら、母は死ぬほど彼を愛してしまったのではなかろうか・・・・・・彼の粋な仕立ての服、パ
リ風の髪の分け方、彼のフランス語の発音、彼女には一言もわからなかったフランス語そのもの、彼がピアノをひきながらうたったロマンス、こうしたいままで 見たことも聞いたこともなかったものに心をうばわれて(そのころの彼はひじょうな美男子だったあのである)、そしてもう夢中で、身も心もくたくたになるほ
ど、服もロマンスもふくめて彼のすべてを愛してしまったのかもしれない。≫農奴制の時代に屋敷つとめの娘たちにはよくこういうことがあったし、それも心の 美しい娘ほどそれが多かった、とわたしは聞いたたことがある。わたしにはそれがわかるような気がするし、それを単に農奴制と『虐げられた境遇』だけで説明
しようとするなどとは、卑劣きわまる男である!さて、こういうわけで、この若い男は、それまでまったく純真であった女を、しかも、肝心なことは、自分と まったく世界を異にする女を、明らかな破滅にむかうとわかっていながら、惹きつけるだけのもっとも直接的な魅力をもっていたわけである。それが破滅だということーーそれも母も、生涯わかっていたらしい。ただ愛につきすすんだときは、破滅ということはちっとも考えなかったようだ。しかしこれは『頼りない』女
たちには常にあることで、破滅と知りながらも、ずるずるとひきずられて行くのである。」
== 引用文の 終わり ==
(3)
[1258]
第三章 で、『悪霊』を思い出し、作家のペトラフシュキーサークルは、参加しただけという確実性!!!
名前:確かな読書
投稿日時:17/12/26(火)
ドストエフスキー:1821年11月11日〜1881年2月9日は、ロシアの小説家・思想家である。十九世紀後半のロシアの小説を代表する文豪である。レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフと並び。
💓フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー💓(59歳没)さまを、誰よりも、読者私は、尊敬しておりますね。その著作は、当時広まっていた理性 万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し・・・。⇔第5章に突入致しましたが、上記の文章を、書きたくなりましたね。
第5章は、『悪霊』のピョートルの社会主義革命のサークルの様子に、例える事が出来ますね。
作家ドストエフスキー氏ミハイル・ペトラシェフスキーが主催する空想的社会主義サークルの会員になったために、1848年に官憲に逮捕されて、死刑判決を
受けるも、執行刑直前に皇帝ニコライ一世からの特赦が与えられました。【この一連の特赦はすべて仕組まれたものである】と言われています。シベリヤに流刑 となり、オムスクで1854年まで服役します。
『未成年の第五章では、主人公=ほぼ、ドストエフスキー氏が、革命運動のサークルで、革命に反対である理由を【わたしは氷を破って、しゃべりだしたのである】というような風で、沢山の哲学・思想を述べていますね。
読者私は、第五章のそれらの場面から、想像いたしまして、作家ドストエフスキー氏は、【当時は広まっていた理性万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知 識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し】たのでありますから、【この一連の特赦はすべて仕組まれたものである】に繋がっていくと考えましたね。
アルカージーとワーシンが思想的に同じで仲が良く、その他クラフトやチホミーロフという長身の浅黒い男で、黒い頬ひげを生やし、三十歳前後で、よくしゃべり、どこかの教師かなにからしい人と、思想的哲学的意見が対立している会話の場面でありますね。
アルカージーやワーシンは、社会改造の革命を欲してないという会話群でありましたね。
読者私もアルカージー的哲学・思想は、大好きでありますね。
== 第五章 引用文の始まり ==
「 3
……このクラフトというのはわたしにとってきわめて必要な男で、もうじきヴィルノから帰って来ることになっていた。……彼もなにかぜひ伝えたいことがある
とかで、緊急にわたしに会いたがっている、とわたしに言った。……わたしは、デルガチョフのところへ行くのを恐れはしなかったが……わたしが恐れたとすれ ば、【それはぜんぜん別なものだったのである。】……「あそこじゃいったいなにをやってんだろう?いつも有象無象がたくさん集まってるが?」とわたし(ア ルカージー)はわざとこう訊いてみた。……「決して有象無象なんかじゃないさ。知合いが集まるだけだよ、ぜんぶ仲間だ、安心したまえ」
「仲間であろうとなかろうと、ぼくにどうだというんだ!それにぼくがあの連中の仲間だというのかい?なぜ彼らがぼくを信じることができるんだい?」
「ぼくがきみを連れて来た、それだけで十分さ。それにきみのことは聞いてるよ。クラフトだってきみのことを言明できるさ」
きみ、ワーシンは来てるだろうか?」
……「ワーシンのことはいろいろ聞いて、わたしはかねがね興味をもっていた。……【わたしは、いかなる場合もわたしという人間についていかなる結論も下さ
れぬようにすること、と自分に誓っていたのである。要はーー議論をしないこと、これがわたしのモットーであった】(読者感想文:あまりにも目立ちすぎる時 に、小学生高学年から中学生低学年頃には、『自分の小さな片隅をつくって、その中で暮らしていた』とういう時代も読者私にもありましたね!あまりにも目立
ちすぎたから、好きとかどうとか変な噂の中一時代だなぁ〜。小学校高学年で目立ちすぎたから、中学校では目立たないように、自由な悪いことも出来るような 立ち位置として振舞おうとかの決心した記憶がありますね!)……
室内には、それもあまり大きくない部屋であったが、七人ばかり、女を加えると十人ほどの人が集まっていた。……
男たちといえば、みな立っていて、坐っていたのは、わたしのほかは、クラフトとワーシンだけだった。……
クラフトの顔を、わたしは永久に忘れることができない。……二十六歳で、やせぎみで、背丈は高いほうで、髪はブロンドで、顔は謹厳だが、柔和で、身体ぜん
たいにどことなくものしずかな雰囲気がただよっていた。だが、それでもーー【わたしのひどく平凡なほうらしい顔を、これほど魅力的に思われた彼の顔ととり かえたら、といわれても、わたしはうんとは言わないであろう。彼の顔には、わたしが自分の顔にあってほしくないような、なにものかがあった。精神的な意味
においてあまりにも平静すぎるようなあるもの、あるひそやかな、自分でも知りえぬ誇りのようなあるものである。しかし、あのときここに述べたとおりにはっ きりと判断を下すことは、おそらく、できなかったろう。今にして、つまりあの事件があった後に、思えば、あのときわたしがこう判断を下したように思えるま
でである。】……
デルガチョフ……目には怜悧なひらめきがあり、……しかし明らかに一同の議論を支配していた。(読者感想文:『悪霊』のピョートル?に似ているかな?と思いましたが、未だ、第五章でありますので)
ワーシンの顔はそれほどわたしをおどろかさなかった。髪はブロンドで、明るい灰色の大きな目をして、顔はすこしも影がなかったが、しかし同時になにか度外
れに不屈な気色が見えて、あまり人とうちとけぬ性質と思われたが、目はまったく怜悧そのもので、デルガチョフの目より聡明で、深みがありーー室内の誰より も聡明そうに見えた。(読者の感想文:『悪霊』のキリーロフかなぁなんて考えましたね。そして、そうすると、アルカージーは、『悪霊』の主人公スタヴロー
ギンとなりますね!!わくわく(^^♪)……
一人は長身の浅黒い男で、黒い頬ひげを生やし、三十歳前後で、よくしゃべり、どこかの教師らしかった。(読者の感想文:『悪霊』のシャートフかシガリョ フ?)もう一人は、わたしと同年ぐらいの青年で、ロシア風の半外套を着て、顔にしわのある寡黙な男で、人の話をじっと聞いているというふうだった。あとで
彼は百姓の出であることがわかった。
(読者の感想文:
『悪霊』のシャートフかシガリョフ?)
=*=*=*そろそろ、会合の会話の始まりです!蘊蓄が沢山!!!*=*=*=
これからの文章群によりまして、『悪霊』とか、アルカージーはスタヴローギンだとかの、想像が空を舞い『未成年』にいよいよ惹きつけられてきました ね!!!アルカージーやワーシンの会話は、読者私の清涼剤でありますね!!!『悪霊』のスタヴローギンの行動には、清涼剤風な言葉は、なかったと思うので
ありますけれど、最終場面の女の子による身代わりの「貧しさ、教育の貧しさの抗議」は、スタヴローギンの言葉がなくても、行動で証明出来ますね。スタヴ ローギンの良心の抗議という表れである事が、証明出来ていますね。『未成年』のこのサークルでの場面での、主人公アルカージーとワーシンの哲学的会話に
は、スタヴローギンの心の中を読み解く答えが詰まっておりますね。作家ドストエフスキー氏の心情でもありますね。当時広まっていた理性万能主義(社会主 義)思想に影響を受けた知識階級の(インテリ)の暴力的な革命を否定している作家ドストエフスキー氏でありますね。
p61
== 引用文の 始まり (アルカージーとワーシン 対 その他) ==
「いやそんなふうに提起すべきではな」明らかに先ほどの問題のつづきらしく、黒い頬ひげの教師が、誰よりも熱くなって、言いだした、「数学的証明については、ぼくはなにも言わんが、しかしこれは数学的証明がなくてもぼくが信じたいとする思想だ・・・・・・」
「待ちたまえ、チホミーロフ君」と大きな声でデルガチョフがさえぎった。「今来た人たちはなんのことかわからんじゃないか。これは、ですね」と不意に彼は
わたしだけに向って言った(これは正直に言うが、もし彼が新人のわたしを験そうとするか、あるいはわたしになにか語らせようという意図をもっていたとすれ
ば、これは彼としてあ実に巧みな方法であった。わたしはすぐにそれを感じて、心構えをした)「つまり、
○「それはたしかにあなたの言ったとおりです!」と不意にわたしは彼にむかって言った。わたしは氷を破って、突然しゃべりだしたのである。「たしかにある
感情をなくそうと思ったら、それに代る別な感情を注入しなければなりません。モスクワで、四年前になりますが、……とすると、なにによって彼を生へひきも どすことができたか?その答えは一つ、同程度に強烈な感情によってです!……といってそれは不可能なことですから、なにかこれと同等のことです。……」
……
「きみがあげた事実は、今問題にしていることと性質はちがうが、しかし似たところがあって、説明の役には立つよ」とワーシンがわたしのほうを向いて言った。
4
ここでわたしは、「思想・感情」に関するワーシンの論証になぜ感激したか、告白しなければならないが、……ーー理論家たちで、『わたしの理想』を粉砕する
かもしれない。わたしはまさかわたしの理想を彼らに洩らしたり、うっかり口をすべららしたりすることはあるまい、とかたく自分を信じていたが、しかし彼ら が(つまり、またしても彼らか、あるいはその類だが)なにかわたしに言って、そのために、こちらからそれを彼らに言わなくても、自分で自分の理想に失望す
うるかもしれない、というおそれがあった。『わたしの理想』には、わたし自身によって解決されていないいくつかの問題があったが、しかしわたしは、わたし 以外の誰かにそれを解決してもらおうとは思わなかった。最近の二年間は、わたしは本を読むことさえやめた。なにか『理想』に不利な箇所に行きあたり、そお
おために自分が動揺させられはしないかとおそれたのである。tころが今不意に、ワーシンが一挙にこの課題を解決して、最高の意味でわたしを安心させてきれ
たのである。実際に、なにをわたしはおそれていたのか?そしていかなる理論があったにせよ、彼らはわたしになにをなすことができたであろうか?もしかした ら、ワーシンが『思想・感情』について語ったことおのなんたるかを、あそこで理解したのは、わたしだけかもしれない!(読者感想文: ふぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜むっ!!!!!!!!!!!!)
美しい思想を論破するだけではだめだ、同程度に力強い美しいものを代りにあたえねばならぬ。さもないとわたしは、ぜったいにわたしの感情と別れることを望
まないから、彼らがなにを言おうと、たとい強引でも、わたしの心の中で論破されたものを更に論破することになる。だって、彼らがいったいなにを代りにあた えることができたろう?だからこそ、わたしはもっと勇気をもってよかったのだし、もっと男らしくならなければならなかったのだ。ワーシンの言葉で感激しな
がら、わたしは羞恥を感じた。自分が未熟な子供のように思われたのである。
……
とたんにわたしにはもうなにも残らなくなり、したがってみんなと同じになってしまうし、もしかあしたら、そてっきりりそうすぉ放棄してしまうことになるか
もしれない、と想像して胸のつぶれる思いがした。だからわたしは、それをしっかりと守って、胸の中にしまいこみ、つまらぬ口をきくことをおそれたのであ る。
……
5
……
「話せば長くなるが・・・・・・
……十倍も奉仕するかもしれません。
……
世の中の卑劣漢には三種あります。
……
「一度しかこの世に生を受けないのですから、そんな集団の中に住むことはごめんですし、……」
……
ワーシンとクラフトだけが笑わなかった。
「千倍も人類を愛しているでしょうから!……」
〜〜〜 すべてをp74まで、転記させて頂く予定であります! 〜〜〜
(4)
[1259]
第四章 クラフトとアルカージーの、興味深い哲学的会話の始まりですね!!!ワクワク!!!
名前:確かな読書
投稿日時:17/12/27(水)
第四章の引用文の始まりです!
あとから!
とりあえずでありますが、第四章の1 までの、気付いた箇所の転記を致したいと考えましたね。小説の前の方の文章を「探検」に出掛けたくなりましたね。探検の結果でありますね!
第四章の1 の 終わりの方ですが、
== 引用文の始まり ==
「アンドロニコス自身がこの事件にもつれこんでしまったと、たしかそうマーリヤ・イワーノヴナは語ってましたが。この事件は、どうやら誰も解くことができ
ないようです。足を踏み入れたら、それこそ悪魔に足を折られてしまうでしょう!でも、あなたはそのといエムスにいたはずです・・・・・・」
== 引用文の終り ==
(読者感想文)
p58【第三章3「それは彼が(これも語るまでもないいろいろな事情があって)クラフトの落着き先をすぐに知ることができるからだ。このクラフトというのはわたしにとってきわめて必要な男で」】
と
p27【第二章1「はじめに明らかにしておくが、このソコーリスキー公爵は富豪で、三等官で、ヴェルシーロフが訴訟をおこしているモスクワのソコーリスキー公爵と家(これはもう数代前からとるぬたらぬ貧乏貴族に没落していた)とは、すこしも血のつながりがなかった。両家はただ姓が同じというだけであっ
た。しかしそれでも、老公爵は彼らにひどく関心をもち、一門の一人で、同家の長系である若い士官を特に愛していた。ヴェリシーロフはつい先頃までこの老公 爵の諸問題に対して大きな影響力をもっていて、その親友、といっても奇妙な親友だった。というのはこの哀れな公爵は、わたしが認めたかぎりではわたしが勤
めについたばかりでなく、どうやら交際のはじめからずぅッと、ひどく彼をおそれていたらしいからである。しかし、彼らはむしばらく顔をあわせなかった。 【ヴェルシーロが非難された破廉恥な行為は、この公爵家の一人が関係していたのである。】ところがタチヤナ・パーヴロナがたまたま顔を出して、彼女の口ききでわたしが、自分の書斎に『若い男』を一人望んでいた老人のところにあてがわれたのだった。それでわかったのだが、【彼のほうもやはりヴェルシーロフの
意にかなうことをなにかしてやりたいと切望していて、いわば仲直りの第一歩を踏み出したわけで】、ヴェルシーロフはそれを許したのである。老公爵はある将 軍の未亡人になっている自分の娘の留守のあいだにこれを決めたのだが、もしその【娘がいたらおそらくこの一歩を老公爵に許しはしなかっただろう】。そのこ
とはあとで述べるとして、しかし一言だけことわっておくが、ヴェルシーロフに対する関係のこの奇妙さが、彼に有利な響きをわたしにあたえたのである。侮辱 をうけた一家の長がそれでもなお【ヴェルシーロフに尊敬】の気持を抱きつづけているとすれば、それは、つまり、【ヴェルシーロフの卑劣な行為についてまき
ちらされている噂も、ばかばかしいものか、あるいはすくなくとも裏のあるあいまいなものにちがいない、とわたしには思われたのである】。ひとつにはこうし た事情が、わたしに勤めにつくことを反対させなかったのだ。勤めにつくことによって、わたしはこうしたことをすべて究明できるかもしれないと思ったのであ
る。」
これらの、小説の前の方の文章の結合でありますね!
(読者私の、さらなる感想)彼女は、粋な仕立てに夢中になり、ヴェルシーロフ(老公爵も)は、『虐げられた境遇』に繋がるようなでありますね。)
それから、第四章では、クラフトは、『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老であるなぁ〜〜〜と、思考面で考えましたね。勿論、ゾシマ長老より若者であります
が。思想面や考えの方向で、似通っているような、優しい心の持ち主のような、さばけた、そして良心のある人間であるような気が、読者わたしは、致しました ね。
しかも、『良心の問題なのです』という言葉が、第四章の終りの方へ、出てきます。『未成年』の趣旨が、《良心》という【おおきな重量の文字】であるかなっと、考えてしまいました。読書は、未だ未だの、前半でありますね。
(5)
[1263]
『未成年』第八章 2ですが、面白くて!やめられませんね!!『未成年』!!!
名前:確かな読書
投稿日時:18/01/03(水)
コーヒータイムですね
確か、ドストエフスキー文学を、アガサ・クリスティ文学であると、言った人が、いたかと、記憶を少ししてますが、まさに、特急列車に、乗って、主人公アルカージーとステペリコフの会話を息もつかずに突っ走っている状況でありますね!
そこで、用事もあり、コーヒーブレイク☕♬ですね!
しかし、ドストエフスキー文学の、人間ドストエフスキー様らしさの
描写を転記させて頂きますね!
== 引用文の 始まり == <第八章1>
「わたしは母とあのテーマ以外の話はできそうもなかったし、なにか新しい思いがけない印象のために計画遂行の気持をそがれはしないかとおそれたのである。」
「寒い朝で、しめっぽい乳色の霧がいちめんに垂れこめていた。どういうわけか、あわただしいペテルブルグの早朝が、その醜悪きわまる外観にもかかわらず、
いつもわたしには好ましいものに思われた、そしてそれぞれのしごとに急ぐ、エゴイスチックな、いつも気むずかしそうな顔をした人々全体が、朝の八時には、 わたしの目にはなにか特別な魅力あるものに見えた。わたしは道を急ぎながら、こっちが誰かになにかものを訊ねたり、あるいは誰かになにか訊ねられたりする
のが、特に好きだった。問いかけと返答はいつも短く、明瞭で、わかりやすく、歩いたまま交わされて、しかもいつも親切で、一日のうちでもっとも積極的であ る。ペテルブルグは日中か日暮れ近くになると、しだいに不機嫌になって、ちょっとしたことで罵倒したり、嘲笑したりしがちになる。早朝、まだしごとまえ
の、もっとも頭のすっきりした、気持のまじめなときは、ぜんぜん別である。わたしはそれに気付いていた。」
「いったいに朝というものは、ペテルブルグの朝もその例外ではないが、人の心に覚醒作用をあたえるものである。燃えるような夜の妄想が、朝の光と冷気の訪
れとともに、すっかり蒸発してしまうことがある。わたし自身もときどき朝になって、つい今しがたすぎたばかりの夜の夢想や、ときには行動を思い出して、恥 ずかしくなり、自分を叱りつけることがあった。」
「わたしは、地球上でもっとも散文的に見えるかもしれぬこのペテルブルグの朝をーーほとんど世界でもっともファンタスチックなものと考えているのである。
これはわたしの個人的な見解、というよりはむしろ印象であるが、わたしはこれを固辞する。このようなじめじめした、しめっぽい、霧深いペテルブルグの朝に こそ、プーシキンの『スペードの女王』のゲルマンキ
の奇怪な夢想が(これは稀に見る偉大な創造で、完全にペテルブルグ人の一曲型ーーペテルブルグ時代の一つのタイプである)、ますます強化されるにちがいな い、とわたしは思うのである。わたしは幾度となく、この霧の中で、奇妙な、しかも執拗な夢想にとりつかれた。」
「どうだろう、この霧が散って上空へ行くとき、それとともにこのじめじめした、つるつるすべる都会全体も、霧につつまれてたまま上空へはこび去られ、煙の
ように消えてしまって、あとにはフィンランド湾の沼沢地がのこり、そのまん中に、申し訳に、疲れきって火のような息をはいている馬にまたがった青銅の騎士 だけが、ポツンとのこるのではなかろうか?』
「どうしても、わたしは自分の感じをうまく言いあらわせない、というのはそれがみな夢想であり、結局は詩であり、したがって、たわごとだからである。それ
にもかかわらず、わたしは一つのこれはもうまったく無意味な疑問に、しばしばとりつかれてきたし、今もとりつかれるのである。『ああしてみんなあくせくと 走りまわっているが、もしかしたら、こんなものはみな誰かの夢で、ここにはほんものの生きた人間なんか一人もいないし、現実の行為などひとつもないのでは
なかろうか?そうしてそうした夢を見ていた誰かが、ひょいと目をさましたらーーすべてがとたんに消え失せてしまうのではなかろうか?』しかしわたしはわき みちへそれすぎた」
== 引用文の終り ==
(読者感想文)
プーシキンの『スペードの女王』を、読まないといけないですね!!ドストエフスキー文学は、つまり、視線を地球規模に拡げて下さる貴重な文学でありますね!ついついその気になって、難解な文学作品にも、手を伸ばしてみようとさせる力があるのですね。
もっともな読者わたしにとっての魅力は、『癒し効果』であります。
人間の心の奥底の微細な感覚や感情や心の内面を、喜怒哀楽表示して下さっていますので、ある時は、この人物に、ある時にはこの人物に、等、感情移入をする
ことによって、というよりも、過去や今現時点で持っている心の奥底に溜まって吐露出来ないでいる感情とかを、唯一同意させて下さる、作家ドストエフスキー 氏の製作は、文学書でありますね。
詩的文学でもあり、サスペンス実際的文学でもあり、多分、読者私が、感動やら気付かせて頂いて「ほんとに、そうだぁ〜〜〜!!」など、同意者が居て嬉しいという感覚は、自分自身の経験した感覚と自分勝手に一致させて、感動やら同意やら、するからでしょうね!
種々の人間の経験値とか環境値とかで、様々な種類の読まれ方や、感動の仕方、同意の仕方が、あると、思われますので、読者の感想文は、まことに、勝手ながら、読者個人の自分勝手な解釈による、自分勝手な結論を決め込んだ、自分勝手な夢想であるのでしょうね。
少しでも、評論家とかの意見の箇所で、一致したときには、飛び上がるほど、嬉しいのでありますが。
未だ、評論家の趣旨はいらないあなぁ〜〜〜い!!と、こっそり見ることもありますが。底辺では固辞致しておりますね!
(6)
[1264]
≪思索≫作家ドストエフスキー氏の(アルカージーの)
名前:確かな読書
投稿日時:18/01/07(日)
== 引用文の始まり == A、B、C の Aという悲劇の記述 ==
「あの娘はトンと床を踏み鳴らすと、いきなり立ち上がって、自分で商人のところへかけ出して行きました。商人は男やもめで、あの娘としばらく話をすると、
明後日五時においでなさい、なんとか考えておきましょう』と言ったそうです。あの娘はもどって来るとにこにこすながら、『なんとか考えてくれるそうよ』と 申しますのでわたしもほっとしましたが、なにかいやな胸さわぎがしたのでございます。これはなにかあるなと思いましたが、恐くてあの娘にいろいろと訊いて
みることもできません。その明後日にあたる日、あの娘は商人のところから真っ蒼な顔をして、がたがたふるえながらもどって来ると、いきなり寝台に突っぷしてしまったのでございますーーわたしはいっさいをさとりましたので、なにも訊きませんでした。どうでしょう、あなた、あの悪党め、あの娘に十五ルーブリ出
して、『もし完全な処女だったら、もう四十ルーブリ足してやろう』こんなことを面とむかって、恥ずかしげもなく言ったんだそうですよ。あの娘が怒ってつか みかかると、悪党め、あの娘を突きとばして、となりの部屋に逃げこみ鍵までかけてしまったというのです。ところがわたしたちは、恥をしのんで正直に打明けますが、ほとんど食べるものもないしまつでございました。わたしたちは兎(うさぎ)の毛皮の裏のついたカーディガンを売りまして、あの娘はその金をもって新聞社へ行って、全科目と算術を教えますという広告を出してもらいました。『せめて三十コペイカずつぐらいは払っていただけるでしょう』なんて申しまし
て。おお、しまいにはわたし、あの娘が恐ろしくさえなりました。わたしには口もきかないで、何時間も窓際に坐ったきりで、むかいの家の屋根をじっと見つめて、だしぬけに、『下着の洗濯でもかまわない、土方でもいい!』なんて叫んでーーそんなことばかり一言二言叫ぶかと思うと、足で床を踏み鳴らして。それ
にこの土地には知り合いは一人もおりませんので誰に相談のしようもありません。わたしたちはいったいどうなるのだろう?一人でくよくよ考えましたが、あの 娘とはやっぱり恐くて話のしようもありません。一度こんなことがございました、あの娘が昼寝をしていましたが、ふっと目をさますと、大きな目をひらいて、
じっとわたしを見ました。わたしはトランクの上に腰かけて、やはりじっとあの娘を見ていました。あの娘は黙って立ち上がると、わたしのそばへ来て、わたし をかたくかたく抱きしめました、そのとたんにわたしたち二人はこらえきれなくなって、わっと泣きだしてしまいました、そしてそのまま坐って、抱きあったま
ま、いつまでもいつまでも泣いたのでございます。あの娘とこんなふうにして泣いたのは長い生涯ではじめてのことでございました。」
== 引用文の始まり == A、B、C の B という悲劇の記述 ==
「こんなふうにして抱きあって坐っておりましたところへ、お宅の女中さんのナスターシャが入って来て、『どこかの奥さんがお会いしたいと訪ねてお見えで
す』というじゃありませんか。これはつい四日まえのことでございます。奥さんが入っていらっしゃいました、見るとたいそうりっぱな身なりをしてらっしゃい まして、いくぶんドイツなまりのあるロシア語で、こうおたずねになりました、『新聞に家庭教師の広告をお出しになったのは、こちらでございますの?』わた
したちはすっかり喜んで、さっそく椅子をおすすめいたしました、すると奥さんがやさしく笑って申されるには、『わたしどもじゃございませんけど、わたしの 姪のところが子供たちが小さいものですから。さしつかえなかったら、家へいらしていただけません、あちらでご相談致しましょう』。そして住所をおしえてくれました、ヴォズネセンスキー橋の近くで、これこれ番地の何号と。そして立去りました。オーリャはその日さっそく出かけて行きました、するとどうでしょ
うーー二時間もすると真っ蒼な顔をしてもどって来て、いきなりヒステリーの発作をおこして、わめきちらすじゃありませんか。あとであの娘の言いますのに は、、こうなのでございます。『これこれ号の家はどちらでしょうか?』とあの娘が門番にきくと、門番はあの娘をじろじろ見て、『あんた、あの家になんの用
があるんだね?』と言ったそうです。その言い方のへんな調子から、もうそのときに気がついていいはずなのですが、なにしろあの娘はひどく気位が高くて、気 が短い方ですので、そんな無礼なきき方をされたらがまんができなかったのですね。『そっちへ行きな』こう門番は言って、指で階段をさすと、ぷいむこうを向
いて、番小屋へもどってしまったそうです。それから、あなた、どうなったと思います?あの娘が入って行って、ごめんくださいと言うと、とたんにあっちこっちから女たちがとび出して来て、『あーら、いらっしゃい、さ、どうぞこちらへ!』なんて言って、みんな女ばかりで、厚化粧をして、いやらしい恰好をして、
げらげら笑いながら、とびまわったり、ピアノをひいたり、あの娘をひっぱったりするんですって。『わたし逃げようとしましたけど、もうはなしませんのよ』 なんてあの娘は言ってましたよ。あの娘はすっかり怖気づいてしまって、膝ががくがくしてしまったそうですが、みんなははなしてくれないで、やさしいこと
言って、なんとかまるめこもうとかかって、英国の黒ビールの栓をぬいて、飲ませようとすうるんですって。あの娘はとび上がって、ぶるぶるふるえながら声を かぎりに、『帰して、帰してください』と叫びながら、扉口へかけよったが、みんな扉をおさえて開けてくれません。あの娘はわっと泣き出してしまいました。
するとそこへさっき家へ来た女が飛んで来て、うちのオーリャの頬を二つひっぱたいて、扉口から突き出し、『とっととお帰り、なにさ、おまえみたいなぶすは こんな上品な家に住む資格はないんだよ!』とどなったそうです。すると別な女がもう階段をかけ下りようとするあの娘の後姿に、『なにさ、食うに困って、自
分で頼みに来たくせに、おまえみたいなおかめ面見たくもない!』とどなったというじゃありませんか。その夜は一晩じゅう熱病にかかったみたいに、うなされ つづけておりましたが、朝になると、目がぎらぎら光って、歩きまわりながら、『訴えてやる、あの女を裁判所に訴えてやる!』なんて口走って。わたしは黙っていました。だって、裁判所にもちこんで、いったいどうなるというのです?あの娘はぐるぐる歩きまわっていました。手をもみしだいて、涙をぼろぼろこぼして、でも口はきっと引結んで。そしてそのときからあの娘の顔に暗いけわしい表情がでて、それが死ぬまで消えなかったのでございます。三日目になるとすこし
楽になったようで、気がしずまったらしく、黙りこんでいました。」
== 引用文の始まり == A、B、C の Cの悲劇になってしまった記述 ==
「その日の夕方の四時ごろでしたか、ヴェルシーロフさんがお見えになったのでございます。
ここで正直に申し上げますが、あんなに人が信じられなくなっていたオーリャが、あのときどうしてほとんど最初の一言からあの方のおっしゃることを聞く気に
なったのか、いまだにわたしにはわからないのでございます。いずれにしましてもあのときなによりもわたしたち二人の心をひきうけたのは、あの方の真剣な、 いっそいかめしいほどの態度で、しずかな声で、考え深げに、それはそれはていねいにーーいえ、ていねいどころか、敬意をさえこめて語ったからでございまし
た。しかもなにかものほしげなところはみじんも見えません。心のきれいなお方だということは、すぐにわかりました。『あなたの広告文を新聞で拝見しました が、お嬢さん、あの書き方はちょっとおかしいところがありまして、かえってご損をなさるかもしれませんね』と申されまして、算術がどうのこうのと説明をな
さいましたが、正直のところ、わたしにはなんのことやらわかりませんでしたが、オーリャは、見ると、赤くなって、なんだかすっかり生きかえったみたいで熱心に聞くし、自分でもすすんで話をしますし(そうです、きっと聡明なお方にちがいありません)、お礼さえ申しておりました。あの娘にいろんなことをそれは
こまかに訊きまして、どうやらモスクワにもしばらく住んでいたらしく、しかも女学校の校長先生ともお知合いだとわかりました。そしてこんなことを申された のです、『家庭教師の口は、わたしがきっと見つけてさしあげましょう、わたしはここに知人が大勢おりますし、有力者もたくさん個人的に親しくしております
から。それでもし固定した教師の口をお望みなら、それも考えてあげてもかまいません。・・・・・・ところでさしあたって、失礼ですが、ひとつ率直な質問を させてきださい、今わたしになにかあなたのお訳に立つことができませんでしょうか?なにかあなたのお役に立つことをさせていただけますと、わたしがあなた
にではなく、その逆に、あなたがわたしに、そのことによって満足を感じさせてくれることになるのです。それをあなたの借りにしたいならそれもかまいませ ん、しごとが見つかりましたら、ごく短時間にわたしに返してくれればいいわけです。もしわたしのほうが、これは本気で言っているのですよ、いつか困窮におちいるようなことがあったら、そして逆に、あなたのほうが余裕ある生活に恵まれるようになったらーーそのときはわたしが直接応分の援助を願いにあなたを訪
ねるか、あるいは妻か娘をうかがわせることにしましょう』・・・・・・でも、あの方の言葉をそっくりそのまま思い出すことは、わたしにはとてもできません、だってオーリャが感謝で胸がいっぱいになって唇をふるわせているのを見ましたら、わたしとたんに泣けてしまったんですもの。あの娘はこんなふうに答えました、『もしお受けするとしたら、わたしの父とお呼びしてさしつかえないような、心のきれいな人情のあつい人を信頼するからですわ』・・・・・・あの娘
はほんとに上手に言いましたわ、『心のきれいな人情のあつい人』だなんて、短く、しかも感謝をこめて。あの方はすぐに立ち上がると、『きっと、きっと、あ なたに教師の口をさがしてあげます、今日からさっそくさがしにかかりましょう、だってあなたはそのりっぱな資格をお持ちですから』とおっしゃいまし
た・・・・・・わたし言い忘れてましたけど、あの方はいらっしゃるとすぐに、あの娘に見せられて、女学校の卒業証書をしらべておいででしたし、いろんなことをあの娘に訊ねて試験をしていたのでございます・・・・・・あとでオーリャがこんなことをわたしに言いました、『お母さん、あの方はいろんな課目をわたしに試験なさいましたのよ、ほんとになんという頭のいい方かしら、こんな時代にあのような深い教養の方とお話しできるなんて!』・・・・・・そして、それはそれは嬉しそうな顔をしていました。六十ルーブリの金がテーブルの上にのせてありました。『お母さん、しまってください。しごとが見つかったら、第一の義務としてあの方にできるだけ早くお返しして、わたしたちが正直な人間であることを証明しましょうね、わたしたちの心のやさしいことは、もう見ていただき
ました』なんて言ったきり、黙りこんでいるので、見ると、深い溜息をついてるじゃありませんか。そして、だしぬけに「わたしにむかって、『ねえ、お母さん、もしわたしたちが礼儀知らずだったら、プライドのために、きっとお金を受取らなかったでしょうね、だから今、受取ったということは、りっぱな初老の男
としてあの方をすっかり信頼しているということで、わたしたちの心のやさしさをあの方に証明しただけですわね、そうじゃないかしら?』なんていうんです よ。わたしははじめのうちその意味がよくわからなかったものですから、『どうしてオーリャ、身分のりっぱなお金持のお方から恵みを受けちゃいけないおだ
ね、おまけにそのお方が心の美しいお人なら?』 と言いますと、あの娘はむずかしい顔をして、『いいえ、お母さん、それはちがいますわ、必要なのは恵みではなくて、あの方の人道的な心なのよ、それが尊い
ものなのよ。だから、お金はぜんぜん受取らないほうが、かえってわたしたちにはよかったのかもしれないわね、お母さん、だってしごとを見つけてくださるっておっしゃったんだから、それだけでもう十分なのよ・・・・・・たといどんなに困っていても』なんて言うじゃありませんか。だからわたしは、『それは、
オーリャ、わたしたちの困りようはひどいものですよ、ことわるなんてできるものですか』と言って、思わずにやりと笑ってしまいましたよ。そりゃ、わたし内 心ほっとしましたからねえところがオーリャは一時間ばかりすると、いきなり、『お母さん、あの金に手をつけるのは待ってくださいね』とこうなんですよ、まるでぴしゃりときめつけるみたいに。『どうしたというのさ?』とわたしが言うと、『どうでもいいから』とはねつけて、それっきり黙りこんでしまいました。
その晩はずっと黙りこくっていました、ただ夜の一時をまわったころ、わたしがふっと目をさますと、オーリャがベッドの上でしきりに寝返りをうっているようすで、『ねえ、お母さん、寝てないの?』と声をかけるから、『ええ、寝てないよ』と返事すると、『ねえ、お母さん、あの人はわたしを辱めようとしてるんじゃないかしら?』(読者感想文:オーリャが、ああ、可哀想ーーー!!!っと思ってしまいました。)」
== 引用文の始まり == A、B、C の Cの悲劇になってしまう場面 ==
『なにを言うんだね、おまえ?なんてことを?』とたしなめると、『きっと、そうだわ。あれは卑劣な男だわ、お母さん、あの男の金にはぜったいに手をつけな
いでね』だなんて。わたしはくどくどとあの娘に言いきかせて、そのままベッドの上で泣き出してしまいましたーーところがあの娘ときたら壁のほうを向いてし まったり、『しずかにしてよ、わたし眠りたいんだから!』なんて、にくらしいことを言って、朝になって、見ると、まるで見ちがえるほどとげとげしい顔に
なって、ふらふら歩きまわってるじゃありませんか。信じていただけるかどうかわかりませんが、わたしは神の裁きのまえできっぱり申上げるつもりですが、あ の娘はそのときもう気がふれていたのでございます!あのいやしい家で侮辱されたそのときから、あの娘の心は・・・・・・そして頭も、にごってしまったので
ございます。わたしはその朝あの娘を見て、はっと思いました。背筋がつめたくなりました。そして、一言もさからうまいと思ったのでございます。『母さん、 あの男は住所をのこして行かなかったわね』と言うものですから、『なにを言うんだね、オーリャ、自分で昨日お聞きして、自分でほめて、自分でありがた涙を
こぼしそうになったじゃないの』と、たったこれだけ言いましたのに、あの娘はいきなり足を踏み鳴らして、ヒーッとわめくと、『なんて卑屈な根性なの、農奴 制時代の古い教育を受けたからよ!』だなんて・・・・・・そしてもうわけのわからないことをさんざんわめきちらして、帽子をつかむと、いきなりかけ出して
行くじゃありませんか、わたしはうしろから大声で呼びもどそうとしました。どうしたんだろう、どこへ行ったのかしら?ところがあの娘は警察の住所係へ行っ て、ヴェルシーロフさんの住所をしらべて来たのでした、そしてもどるなり、『今日、これから金をもってって、あの男の顔にたたきつけてやるわ。あの男はわ
たしを凌辱しようとしたんだわ、サフローノフ(これはあの商人のことでございます)と同じよ。ただサフローノフは粗暴な百姓らしくわたしを辱めたけど、あ の男は老獪な偽善者としてわたしをもてそぼうとしてるだけよ』なんてわめきちらしました。するとそこへわるいことに、あの昨日のお方がノックして、『聞い
てると、ヴェルシーロフのことをお話のようだが、あの男のことならよく知ってますから』と入って来たわけでございます。(読者感想文:ステベリコフ?ヴェ ルシーロフが乳飲み子を産ませたと、間違って解釈している人物)あの娘はヴェルシーロフという名を聞くと、いきなりあの方にとびついて、もうすっかり夢中
になって、しゃべるしゃべる、わたしはあっけにとられてしまいました。もともと口数の少ない娘で、誰ともあんなふうにしゃべったことがなかったのに、それ もまったく見知らぬ人に!頬が燃えて、目がぎらぎら光って・・・・・そこへあの方が調子をあわせて、『まったくおっしゃるとおりですよ、お嬢さん。ヴェル
シーロフってやつは、よく新聞などに書き立てられる将軍連とまったく同類の人間です。彼らは軍服の胸にありったけの勲章を飾って、新聞広告を調べて家庭教 師希望の娘たちをかたっぱしから訪ねて歩き、お好みの娘をあさるってわけですよ。お好みがわなけりゃ、ちょっと坐って、すこしばかりお話をして、いろんな
ことをどっさりこと約束して、立去るーーそれで結構なぐさめになるのですよ』なんて言うものですから、オーリャまでひきこまれてけたけた笑ってましたが、 なんだか毒のある笑いでした。そのうちに、見ていると、その男はオーリャの手をとって、自分の胸におしあてながら、『お譲さん、わたしもかなりの資産とい
うものを持っておりましてな、いつだって美しい娘さんに援助の申し出ができるんですが、そのまえに白魚のような美しい手にちょっと接吻するのが好きでして な』なんて言って、あきれたことに、あの娘の手に接吻しようとするじゃありませんか。あの娘はさっと立ち上がりました、このときばかりはわたしもすぐに立
ち上がって、二人であの男を追い出してやりました。そしてその日の夕方、オーリャはわたしから金をひったくって、とび出して行きましたが、もどって来ると こう言ったものです、『お母さん、恥知らずな男にしかえしをしてやりましたわ!』ーー『ああ、オーリャ、オーリャ、わたしたちはみすみす幸福を逃したかも
しれないんだよ』と言うなり、あまりの腹立たしさい、こらえきれなくなって、泣き出してしまいました。するとあの娘はわたしにわめきちらすじゃありません か、『いやよ、いやよ!たといどんな正直な人間にしたって、お情けを受けるなんていやよ!人に同情されるなんて、まっぴらよ!』わたしは横になりました、
なにも考えられないで、頭の中はからっぽでした。そのときわたしは鏡のかかってたあとの壁の釘を何度ながめたか知りませんが、ーーわたしには思いもよりま せんでした、まったく思いもよりませんでした、昨日も、そのまえも、そんなことを考えませんでしたし、ぜんぜん、オーリャがあんなことをするとは、察しら
れなかったのでございます。わたしはいつものようにぐっすり眠りました、いびきをかいて、血が頭にのぼると、わたしいびきかくのでございますよ、またとき には心臓に血がよせすぎて、眠ったまま大声を立てることがあるのですよ、それでオーリャがわたしを突つき起して『ほんとにお母さんたら、ぐっすり眠って
て、まるで死んだみたいに、なにかあっても、起せやしない』だなんて。『おやおや、オーリャ、ほんとによく眠っていたよ』なんて笑ったものでしたよ。そん なふうにわたし、きっと、昨夜もいびきをかきだしたにちがいないのです、それをあの娘は待っていて、もうなんの気づかいもなく起きだしたものでございま
しょう。あの長いトランクの革紐は、この一月というものずっと目につくところにじゃまになっておりまして、昨日の朝も、『いつまでも散らかしておかない で、片づけなくちゃけないな』なんて考えたばかりでした。椅子はあとで足で蹴たおしたものにちがいありmせん、しかも音のしないように、スカートが横にし いてありました。そしてわたしは、ずいぶんたってから、一時間かそれ以上もすぎてから、目をさましたらしいのでございます。『オーリャ!オーリャ!」不意
になにか胸さわぎがして、わたしは呼んでみました。あるいはあの娘のベッドのほうから寝息が聞えなかったせいか、あるいは闇をすかしてベッドがからっぽら しい気がしたのかーーとっさにわたしは起き上がって、手でさぐりました。ベッドの上には誰もいないし、枕が冷たくなっているではありませんか。わたしは胸
がさわさわっと冷たくなって、感覚がなくなったみたいに立ちすくみ、頭がぼうっとしてしまいました。『どこかへ出て行ったのだな』と思って。寝台のそばか ら一歩ふみ出しかけて、ふと見ると、隅っこのドアのそばに、あの娘が立っているようなのです。わたしは突っ立ったまま、黙って、あの娘を見つめました、あ
の娘も闇の中からわたしを見ているようで、身じろぎもしません・・・・・・(省略ですね) ヴェルシーロフの顔がちらちら浮んだ。あの婦人の話が彼にまったく別な光りをあてたのである」
(読者感想文:
人それぞれ事象に対する感受性や、行動方法が全く異なるので、人間社会は難解ですね!)
(読者感想文)
『悪霊』のマトリョーシャも、『未成年』のオーリャも、精神的<死>を遂げてしまった!という理解であります。
オーリャの言葉
上記の記述のとおりでありますが、個人個人の感受性や行動の仕方は、難解でありますね。
マトリョーシャの『悪霊』の主人公スタヴローギンへの怒りの<死>でありますが、貧しく家庭環境など、環境が最悪な家庭の女の子の一方的な、主人公スタヴローギンへの非難の<死>でありますね。
普通の人間であり、好奇心の強い人間が、貧困家庭の親が小さな娘を箒でぶったりして、子供を微微たりとも尊敬していない家庭の様子を垣間見てしまう主人公スタヴローギンは、幼少な子供を可哀想に思うのですね。
そうして、さらに、この家庭に踏み込んで、ペンナイフを隠したら!?だっけ?この家庭はどうなるか、スタヴローギンは実験を、不思議な折檻を子供にする家
ですから、してみますね。すると、貧困家庭は、教育も無い家庭であるでしょうね。子供に母親が折檻をします。主人公のスタヴローギンは可哀想になり、少女のほっぺなどに、チュッチュなど、頭を撫でるなど、抱っこなどをしたのでしょうね。
少女は、一瞬で、救世主が現れたと、『悪霊』の主人公のスタヴローギンを、位置づけてしまったのでしょうね。
かたや、スタヴローギンの方は、若者で、忙しくもあり、その場のその場限りの人間として、貧困家庭、教育のない家庭を見たら、同情をするのが当然の、「少
女が可哀想〜〜〜!!!」という行為をしただけであって、少女マトリョーシャから離れたら、即、忘れてしまっていますね。
青年スタヴローギンは、賢いであろうし、忙しい身であります。
たまたま出逢った女の子が自分のことをこんなに、必死で愛してくれるなんて、想像もつかなかったでしょう。
どんな家庭か、垣間見たい好奇心が、必死の女の子が愛を求める庇護を求める態度を、スタヴローギンは、すぐには、理解できなかったので、わざとらしく。無視をしたかもしれません。
だけれど、マトリョーシャが<死>をわざとらしく、選ぶとは、スタヴローギンにとっては、マトリョーシャに親切にしただけなのにという気持ちから、晴天の霹靂だったでしょうね。
結局、『悪霊』の主人公スタヴローギンは、この事件を忘れる事が出来ずに、「同情」「憐憫」「親切」など、いろいろの良心が、スタヴローギンに起ったから
の少女とのかかわりだったのでりますが、賢いスタヴローギンも<死>を選びますね。民衆の前での、間違った嘲笑をされながらの演説でありましたが。
結局は『社会の貧困』や『貧困家庭の無教育』に対する、抵抗の死であったのですね。
****** 大結論 ******* は!!!******
『悪霊』のマトリョーシャという少女も『未成年』のオーリャという少女も*************** 精神的抵抗 ****************でありましたね!!!!
* ・end *
(付け足し)
『未成年』のオーリャの境遇は
「彼女たちはモスクワから来たのだった。彼女はもう長いこと後家をとおしてきた、それでも『七等官の家内』で、良人はりっぱに勤めていたが、死後はほとんどなにものこしてくれなかった、『わずかに二百ルーブリの年金がもらえることになっただけですがそれぽっちの金がなんになりましょう?』それでもオーリャ
を育てて、女学校へも入れた・・・・・・『ところがほんとによくできる娘で、よく勉強して、卒業のときには銀メダルまでもらいまして・・・・・・』(ここ でややしばらくさめざめと泣いたことは、ことわるまでもない)。亡くなった良人がこのペテルブルグのある商人にほぼ四千ルーブリ近い金を貸して、それがそ
のままこげつきになっていた。ところがその商人が球にまたしごとにあたって大金持になった。『わたしの手許に証文がありましたものですから、相談いたしま したっところ、請求しなさい、きっともらえるから、とみなさんが言ってくれましたので・・・・・・」
「そこでお話をすすめますと、商人もだんだん承知してくれそうになりましたし、自分で出かけて行ったほうがいいなどと、みなさんがすすめてくださるも
のですから、オーリャと支度をして、もう一月まえになりますか、こちらへ着いたのでございます。ふところがとぼしいものですから、この部屋をお借りしたわ けですが、と申しますのはいろいろ見た中でいちばん小さい部屋ですし、それにみなさんがいい方らしいので、そこでまあ、こちらさまへ一月分の家賃をお払い
しまして、あちらこちらと歩きまわりましたが、ペテルブルグというところはおそろしいところでございまして、商人はまるでわたしたちを相手にしてくれない で、『知りませんな、おまえさんなんぞ見たことも聞いたこともない』なんて言うじゃありませんか。そりゃ証文はずさんなものです。そんなことくらい自分で
も承知してますよ。すると、……オーリャのところへもどって、しょんぼり顔をつきあわせて坐ると、わたしは泣き出してしまいました。オーリャは泣かない で、えらいきつい顔をして、ぷりぷり怒っているのでございます。あの娘はいつも、死ぬまでずっと、あんなふうでございました。小さな子供のときでさえ、決
して弱音をはいたり、泣いたりしたことがなく、じっと坐ったまま、おそろしい目で見ているので、こっちが気味が悪くなってしまうほどでした。まさかとお思 いになるでしょうが、わたしはあの娘を恐れていたのでございますよ、ほんとに気味がわるくて、もうずうっとまえからでございますが。ときどき泣きたいと思
いましても、あの娘のまえだとなんだか気おされてしまって、それもできないのでございます。
これを最後と思って、わたしは商人のところへ行きまして、思いっきり泣いてやりました、、ところが商人は、『もういいから、泣くのはおよすなさい』と言う
だけで、聞いてくれようともしないのでございます。そうこうしてますうちに、あなたにありのままを白状しなければなりませんが、長く滞在するつもりじゃな かったものですから、もうだいぶまえからお金をすっかりきらしてしまいまして、すこしずつ着るものをもち出しては、質に入れて、それで暮しているようなし
まつでございました。わたしのものをすっかり入れてしまいましたので、あの娘は自分の最後の下着までわたしにさし出したのでございます、わたしはもうこら えきれなくなっておいおい泣きました。ーーーーーーーーーーーーーーー>>>>>>
======「あの娘はトンと床を踏みならすと」へ、ワーーーップ♪ ======
((大大結論))
「男が女を、お金で買う」という罪悪。←オーリャ
「男が女をお金で買うという事実を受けいれるだろうと想像されたときの女性の精神を壊した罪悪」←オーリャ(精神が壊れたのは、超貧困も拍車をかけたかも
しれませんね。貧しさを馬鹿にされ、人間性を否定されたように、賢いオーリャ、教育を受けたオーリャは感じたのでしょうね。)
貧困マトリョーシャの家庭環境の悪すぎる罪悪 ←マトリョーシャ
貧困のマトリョーシャの無教育の「愛に飢えている」罪悪 ←マトリョーシャ
◎ヴェルシーロフは、乳飲み子の父親ではなかったのですね。乳飲み子は、セコーリスキー・セルゲイ・ペトローヴィチ公爵の乳飲み子であったわけでありま
す。しかし、次の男友達としてリーディヤ・アフマーコワ(カテリーナ・アフマーコワの継娘)の相手だったヴェルシーロフでありましたから、結婚をしてもい いですよ!!と、ヴェルシーロフの良心が言ったのですね。
そして、オーリャの場合にも、ヴェルシーロフは、家庭教師の口をさがしてあげましょう!と、ヴェルシーロフの良心の優しさから、オーリャの貧困を、あるい
はオーリャの精神の打撃を救済しようと思ったのですね。 オーリャの家を訪問したのでありますが、その時には、すでに、オーリャは、前回、前々回の、商人の嘘の話や、どこかの奥さんの嘘の家庭教師の話で、精神
は、既に、気がふれていたのですね。
ヴェルシーロフは悪者であると、オーリャから、さんざんと、言われてしまいましたね。
ステベリコフも、ヴェルシーロフの事を悪く間違って解釈していましたね。つまり、乳飲み子がヴェルシーロフの子供であると、誤解していましたね。
アルカージーは、ヴェルシーロフの明るい光を得る事が出来ましたね!!
アルカージーは、父親ヴェルシーロフの「良心」を見たのでしょうね!!
(((大大大結論)))
人を理解する以前に!
神様みたいに、優しい人もいるかもしれない!
DNAという諦めと羨望!!!神様みたいにやさしい人の存在の可能性!でありますね!!
(7)
[1265]
『未成年』のヴェルシーロフと『悪霊』のスタヴローギンの共通な心情!
名前:確かな読書
投稿日時:18/01/07(日)
『未成年』のヴェルシーロフも、作家ドストエフスキー氏の壮年の心ですね!『悪霊』の主人公スタヴローギンが、マトリョーシャを、〈死〉に追いやった責任を感ずる行為が、民衆の前での、スタヴローギン本人を屈辱させ得る仕方での、演説でありました。結局、世
の中の貧困を非難する演説であったのです。 貧困が家庭の問題点が、貧困の 家庭の問題自体や、教育を受けられないことや、家庭の教育のなさを馬鹿にする女性蔑視や、家計を助けるための女子の売春でありますね。貧困それ自体と無教
育と売春などの辱めの言葉自体でもありますね。そういう演説を、『悪霊』のスタヴローギンは、演説で言ったはずです。『未成年』では、オーリャが、売春と いう辱めの言葉自体で、それらが、二度辱められた経験で、〈死〉を選んでしまったオーリャでした。リーディヤ・アフマーコフの乳飲み子は、ソコーリス
キー・セルゲイ・ペトローヴィチ公爵の私生児でした。
ヴェルシーロフは、ソコーリスキー・セルゲイ・ペトローヴィチ公爵の後に、リーディヤ・アフマーコフと付き合ったこともあり、私生児の存在すら、知らな
かったヴェルシーロフでした。真実はヴェルシーロフの私生児ではなかったのです。しかしながら、ヴェルシーロフ自身の子供としましょうと言い、その様な優 しさをヴェルシーロフは持つほどの善人でありました。一方、今度はオーリャに優しさをと考えた善人のヴェルシーロフでありました。収入を求めた求人から二
回騙されたオーリャは、オーリャの心への悲しい打撃で、気のふれそうになってしまっていました。女の子オーリャには、時期が遅すぎました。ヴェルシーロフ が、心の優しさから、家庭教師という仕事を、オーリャに紹介するという約束をした時には、オーリャの心に病魔がしのびより、ヴェルシーロフの家庭教師の仕
事に疑惑が生じてしまいました。気がふれて〈死〉を選んでしまいます。その事態は、ヴェルシーロフを驚嘆させますね。ヴェルシーロフは、ヴェルシーロフ自 身の善は通じなかったと、嘆いてていますね。ソコーリスキー・セルゲイ・ペトローヴィチ公爵と、≪決闘≫という手紙を彼に送っていますね。多分、年の差
で、ヴェルシーロフは決闘に負けたでしょうが、三時間前に決闘を申し込む手紙を書き、一時間前に決闘取り消しの手紙を書きます。オーリャに、ヴェルシーロ フが紹介してオーリャを助けてあげようとした家庭教師の仕事の収入という行為、つまり、善意であるはずの行為が、〈死〉を選んでしまったきっかけになって
しまって、善人であるヴェルシーロフは責任をとって、自分自身も〈死〉を!!と思ってしまうのですね。その箇所でありますが、他者が、つまり、女の子オー リャが、ヴェルシーロフを〈悪者〉に思ってしまったならば、つまり、〈死〉を選んだ女の子オーリャが、そのようにヴェルシーロフを、判断してしまった事
が、原因で〈死〉を選んだならば、潔くヴェルシーロフはヴェルシーロフ自身、≪非≫をみとめよう!!とするヴェルシーロフの姿勢でありますね。〈死〉を 選んだならば、自己の責任、つまり、ヴェルシーロフ自分自身の責任であると結論付けます。『悪霊』のスタヴローギンと『未成年』のヴェルシーロフが、他者
がそのように、考えて〈死〉を選んでしまったならば、自分自身にも、そのように誤解させてしまった原因があるのでありますから、責任をとり、〈死〉を、選びましょう!という【心の認識】の共通点です。ただし!!『未成年』のヴェルシーロフは、未だ、責任をとる行動には至っていませんね!≪決闘≫という手紙
で、一度は、観念したのでありますが。
〜〜〜未だ、『未成年』の読書は、途中でありますね 〜〜〜しかも、未読の結論も、あやふやな、その時の注意書きの様相を呈しておりますね!
結論!!作家ドストエフスキー氏の壮年の心の『未成年』のヴェルシーロフと『悪霊』のスタヴローギンは、心の構造が似ている善い人ですね。
(8)
[1266]
第十章 1 〜 5
名前:確かな読書
投稿日時:18/01/07(日)
「第十章
1
わたしは十時半ごろに目をさました、そして しばらくは自分の目が信じられなかった。わたしが昨夜寝たソファに、わたしの母が坐っていたのである。そして母とならんでーー自殺した娘の不幸な母親が
坐っていた。二人は手をとりあって、おそらくわたしの眠りをさまたげないためらしく、ひそひそ声で話しあいながら、涙で顔をよごしていた。わたしは寝台か ら下りると、いきなり母に抱きついて接吻した。母はさっと顔を輝かせて、わたしに接吻し、右手で三度十字を切ってくれた。わたしたちがまだ一言も交わさないうちに、ドアが開いて、ヴェルシーロフとワーシンが入ってきた。母はすぐに立ち上がって、隣室の女をつれて出て行った。ワーシンはわたしに手をのばした
が、ヴェルシーロフはなにも言わないで、椅子に腰を下ろした。彼と母はもう大分まえからここに来ていたらしかった。
「なによりも残念なのは」と、とぎれていた話をつづけるらしく、彼は一語一語考えるようにワーシンに言った、「昨夜のうちにすべてを解決しておかなかった
ことです、そうしたらーーこのような恐ろしいことにならずにすんだかもしれない!それに時間もあった。まだ八時になっていなかったのだ。あの娘が昨日わたしどもからとび出したとき。わたしはすぐにあとを追ってここへ来てよく言い聞かせて誤解をとこうと思ったのだが、そこへこの予期しなかったのっぴきならぬ
用事ができたものだから、もっとも、これは今日まで・・・・・・いや一週間でも、のばしてんおばせないことはなかったのだが、ーーこのいまいましい用事が じゃまをして、すべてをだめにしてしまったのだよ。わるいときにはこういうことがかさなるものだ!」
「いや。説得はできなかったかもしれませんえ。あなたのことがなくても、もうあまりにも熱しきっていたようですから」とワーシンは軽くいなすように言った。
「いや、できたでしょう、きっとできたはずです。それに かわりにソーフィヤ・アンドレーエヴナやろうかとも思ったのでしょ。ちらっと頭に浮んだだけでしたが。ソーフィヤ・アンドレーエヴナ一人でもあの娘によく言い聞かせただろうし、あのかわいそうな娘も死なずにすんだろう。いや、もう今後ぜったい他人(ひと)ごとに立入るのはやめましょう・・・・・・
『善意』のつもりで・・・・・・それも一生にたった一度やったことなのに!わたしはね、これでもまだ時代にはのりおくれていないと思って、現代の青年たち
を理解しているつもりでいたのですよ。だが、老いというものは青年の成熟よりもすこしずつ早くすすむものですなあ。横道にそれついでですが、実際今の世の 中には、昨日までそうだったので、つい習慣で、まだ自分を若い世代だと思っていて、実はもう予備役に入ってしまったのに気付かずにいる者が、実に大勢いま
すよ」
「それは誤解ですね、あまりのも明らかな誤解ですよ」とワーシンは慎重に言った。「母親の話によりますと、娼家でひどい侮辱を受けてからそのショックで彼
女は理性を失っていたようですし、そこへ更に、商人から受けた最初の侮辱という事情を思いあわせますと・・・・・・こうしたことは以前にもやはりあり得た ことですし、ぼくに言わせれば、すこしも特別に現代の青年男女を特徴づけているものではないと思いますね」
「少し性急すぎますな、現代の若者は。加えて、これは言うまでもないことだが、現実に対する理解が足りない、もっともこれはいかなる時代の若者でも同じこ
とだが、しかし現代の若者はどことなくちがうところがある・・・・・・ところで、ステベリコフだが、どんなつまらんことをしゃべったのかね?」
「ステベリコフ氏がすべての原因なのです」とわたしはいきなり横あいから口を入れた、「あの人がいなかったら、なにも起らなかったでしょう。あの人が火に油を注いだのです」
ベルシーロフは耳をかたむけかけたが、わたしのほうへはちらとも目を向けなかった。ワーシンはしぶい顔をした。「それからもうひとつ、ばかばかしい自分の
癖もわたしは責めているのです」とヴェルシーロフはゆっくりした口調で、あいかわらず言葉をひっぱりながら、つづけた、「わたしは、実にいやな癖があっ て、あのときあの娘に話をしながらすこし陽気になって、軽薄な笑顔なんか見せたらしいんだな、ーー要するに、峻厳、冷淡、陰鬱に欠くるところがあったわけ
だ。この三つの要素も、現代の若者たちのあいだではきわめて重視されているらしいですな・・・・・・要するに、わたしをさまよえるセラドン(フランスの作 家デゥレ』の主人公。好色漢の代名詞となる)と思わせる起因をあの娘にあたえるということです」
「ぜんぜんちがいます」とわたしはまた鋭くきりこんだ、「母親は、あなたが真剣さと、きびしさと、ですよ、それから誠意とで、深い感銘をあたえたと、特に
強調していました。これは母親の言葉ですよ。自殺した娘さんも、あなたが立去ってから、これと同じような言葉であなたをほめていたそうです」
「そうかい?」とヴェルシーロフはようやくわたしにちらと目をくれて、口の中でつぶやいた。「この遺書をしまっておきなさい、この事件に必要なものだ」と
言って、彼は小さな紙きれをワーシンのほうへさしだした。ワーシンはそれを受取ったが、わたしが好奇の目を光らせているのを見ると、それをわたしに見せ た。それは不ぞろいな二行ばかりの遺書で、鉛筆で、おそらく暗闇の中で書きなぐられたものらしかった。
『愛するお母さま、わたしが人生のデヴューを自分の手で断ちましたことをお許しください。あなたを悲しみにおとししたオーリャ』
「これは今朝になってから見つかったんだよ」とワーシンが説明した。
「なんて奇妙な遺書だろう!」とわたしもびっくりして叫んだ。
「どこが奇妙なんだい?」とワーシンは訊ねた。
「だってこのようなときにユーモラスな表現で書けるものだろうか?」
ワーシンは不審そうにわたしを見た。
「だって妙なユーモアじゃありませんか」とわたしはつづけた、これは中学生仲間の隠語ですよ・・・・・・それにしても、このような場合に、不幸な母はあの
娘をとても愛していたんですよ、ーーこのような手紙の中に、『わたしの人生のデヴューを絶った』なんてことを、いったい書けるものだろうか!」
「どうして書いちゃいかんのだね?」ワーシンはまだわからなかった。
「ここはすこしもユーモアなどないよ」としまいにヴェルシーロフが意見をにべた、「表現は、たしかに、ふさわしくないし、まったくこうした手紙の調子では
ない、そして事実きみの言うように、中学生かあるいは若い連中の隠語や、新聞の風刺欄にでもつかわれそうだ、しかし亡くなった娘さんは、この表現をつまい ながら、きっとそれが調子にあわないことに気がつかなかったのだろうし、おそらく、それをこのおそろしい手紙の中に完全に純粋なそして真剣な気持ちで書いたのちがいないのだよ」
「そんなことはあり得ないですよ、彼女は女学校を銀メダルで卒業したんですよ」
「銀メダルなんかなんの意味もなさんよ。今どきはそんなふうで学校を終ってしまう者が大勢いるからな」
「また青年攻撃ですか」ワーシンは苦笑した。
「すこしも」とヴェルシーロフは帽子をつかんで、立ち上がりながら、ワーシンに答えた、「現代の青年が文学的素養にいささか欠けているとしても、疑いもな
く、それとは・・・・・・別な資質を持っています」と彼は珍しく真剣な顔でつけくわえた。「しかも『大勢』ということはーー『全部』ということではない。 例えばあなたを、わたしは文学的素養の不足で責めはしませんよ、あなただってまだ青年でしょう」
「そのワーシンが『デヴュー』にすこしの疑問をもたないのですよ!」わたしはがまんができなくなって、こう指摘した。
ヴェルシーロフは黙ってワーシンに手をさしだした。ワーシンもいっしょに出てうくために帽子をちかんだ、そしてわたしに『じゃ、また』と声をかけた。ヴェルシーロフはわたしに目もくれずに出て行った。
わたしもぐずぐずしてはいられなかった。なにがなんでも部屋をさがしにかけまわらなければならなかったーー今は他のいつよりもそれが必要なのだ!母はもう
主婦のところにいなかった。母は隣室の女を連れて、もう立去ったのである。わたしはなにかじっとしていられないような気持で外に出た・・・・・・なにか新 しい大きな感情がわたしの心に生れたのである。おまけにそれを、まるでわざとのようにすべての事情が盛りたてた。わたしはいつになく早くうまいチャンスに
ぶつかって、希望にぴったりの部屋を見つけられたのである。だが、この部屋のことはあとで語るとして、とにかく重要な問題を片づけることにししょう。
一時をわずかにまわったころ、わたしはトランクをとりにワーシンのところへもどって来た。彼はたまたま部屋へもどっていた。わたしを見ると、彼は心底から嬉しそうな顔をして叫んだ。
「やあ、よかった、あなたに会えて、ぼくは今出るところでした。ぼくはあそらくあなたがとびつきそうなある事実を、あなたに
知らせようと思っていたんですしょ」
「嬉しいですね、聞かないうちじゃからとびつきましょう!」とわたしは叫んだ。
「おや!ずいぶん元気そうじゃないですか。ところで、クラフトが保管していて、昨日ヴェルシーロフ氏の手にわたったとかいう手紙のことだが、なんでも彼が
勝訴のなってた遺産に関係したものだそうだが、この手紙のことであなたはなにか聞いてませんか?その手紙の中で遺言者は昨日の判決とは反対の意味の自分の 意志を明らかにしてるとか。ずいぶんまえに書かれたものらしいとか。要するに、ぼくは詳しいことはわからんのですが、あなた、なにか知りませんか?」
「知らないどころか。クラフトが一昨日ぼくをあの連中のところから・・・・・・わざわざ自分の家へ連れて行ったのは、その手紙をbくんいわたす「ためなんですよ、で、ぼくが昨日ヴェルシーロフにわたしたというわけなんですよ」
「そうでしょう?ぼくもそう思ってました。そこでですね、ヴェルシーロフがさっきここで言った用事、ーーほら、昨日彼があの娘を説得に来るのをさまたげた
というそれですよ、ーーその用事はその手紙から生れたとは思いませんか。ヴェルシーロフは昨日まっすぐにソコーリフスキー公爵の弁護士のところへ出向い て、その手紙をわたして、せっかく勝った遺産を全部拒絶したんですよ。今ごろはその拒絶がもう法的手続きを踏んで確認されたはずです。ヴェルシーロフは贈
与するのではなく、その手続きによって公爵の完全な権利を認めるわけです」
わたしは唖然とした、しかしわたしは大きな感動につつまれていた。実のところ、ヴェルシーロフが手紙を隠滅してしまうものと、わたしは完全に信じこんでいたのである。そればかりか、わたしは、そんなことをするのは卑劣さとクラフトにも言ったし、自分でも飲食店で何度もそれをくりかえし、『おれは心の正しい
人のところへ来たのであって、あんな男のところへ来たのではないのだ』と自分に言い聞かせもしたが、ーーしかしやはり腹の中では、つまりもっともいつわらぬ心の底では、この手紙を完全に抹殺してしまわないことにはどうしても動きがとれない、と考えていたのだった。つまり、わたしはそれを至極当然のことと考
えていたのである。もしあとでわたしがそのことでヴェルシーロフを責めたとしても、それは故意に、うわべだけのことで、つまり彼に対する自分の優位を保つためである。しかし、今ヴェルシーロフの勇気あるりっぱな行為を聞いて、わたしは心底からの深い感動につつまれてしまった、そして悔恨や羞恥にさいなまれながら自分のシニズムと、善行に対する蔑視とを責めながら、一瞬にしてヴェルシーロフを自分よりも限りなく高いところへまつり上げて、ほとんどワーシン
を抱きしめないばかりにした。
「なんという人間だ!なんという人間だろう!誰がこんなことができよう?」とわたしは夢中になって叫んだ。
「その通りです、たいていの者はこういうことはできないでしょう・・・・・・それに、きわめて無欲な行為であることは、論ずるまでもありませんが・・・・・・」
「しかし?・・・・・・おしまいまで言ってください、ワーシン、あなたは『しかし』があるのでしょう?」
「そう、もちろん、『しかし』があります。ヴェルシーロフの行為は、ぼくに言わせると、すこし早計に失しましたし、それにいささか誠心に欠けるところがありますね」」ワーシンはにやりと笑った。
「誠心に欠ける?」
「そうです。そこにはある種の『権威』のようなものがあります。というのは、いつだって、自分を傷つけないで、あれと同じことができたはずです。どんなに
慎重な目で見てもたとい半分でもないまでも、やはり遺産のある程度はぜったいにヴェルシーロフの手に行くはずです、まして手紙は決定的な意味を持ってるわけではないし、裁判では彼がもう勝ってるのですから、まあ疑問の余地はありません。公爵側の弁護士もこのような意見でした。
(9)
[1267]
第十章 4 ⇔ 『カラマーゾフの兄弟』の最後の場面
アリョーシャの平和の言葉のようですね!
名前:確かな読書
投稿日時:18/01/07(日)
== 引用文の始まり == アルカージーと妹リーザの会話 ==
「すっかり知ってる?ほう、そりゃおまえだものな!おまえは利口だよ、ワーシンよりよっぽど利口だ。おまえとお母さんはーー人の心を見通す、人道的な目
をもっている、つまり理解する目だよ、ただの目じゃない、だがぼくはうそばかりついている・・・・・・ぼくはわるいところだらけの男だよ、リーザ」
「兄さんはしっかりおさえてやらなきゃいけないのよ、それでいいのよ」
「おさえてくれ、リーザ。今日はおまえを見てるとなんとも言えない楽しい気持だ。自分が素晴らしくきれいだってこと、おまえ知ってるかい?ぼくはこれまで
一度もおまえの目を見たことがなかった・・・・・今日はじめて見たんだよ・・・・・・どこでもらってきたんだい、その目を、リーザ?どこで買ったんだい? なにを代りにはらったのさ?リーザ、ぼくには親友というものがなかった、そしてそんな交際なんてナンセンスだと思っていた。だがおまえとならナンセンス
じゃない・・・どうだい、友だちになろうじゃないか?わかるかなあ、ぼくの言いたいことが?・・・・・・」
「よくわかるわ」
「いいかい、約束や契約ぬきだぜ、ーーただぶっつけに友だちになろうや!」
省略〜あとで書き込みを致しますね〜
「ああ、リーザ!なんとかすこしでも長くこの世に生きることにしようよ!え?何と言った?」
「いいえ、あたしなにも言わないけど」
「おまえ見てるかい?」
「ええ、あんたも見てるわ。あたし兄さんを見て、見て、見惚れてるのよ」
わたしはほとんど家のまえまで妹を連れて行って、アドレスを書いてわたした。別れぎわに、わたしは生れてはじめて妹に接吻をした・・・・・・」
== 引用文の終り ==
(10)
[1268]
『未成年』こそ、読者私の指針書ですね!やっと、見つかつたぁ!感激でありますね!
名前:確かな読書
投稿日時:18/01/09(火)
『未成年』こそ、読者私のバイブルでありますね!
ヴェルシーロフという作家ドストエフスキー氏の壮年の思考と、若き時代を振り返った時の、アルカージーという作家ドストエフスキー氏の思考とを、あれこれと、作品として、読書物として、書かれていますね。実際の生き方を、学ぶ時の、指針となりますね!
それから、『死の家の記録』監獄での体験や人達や、監獄での心の持ちよう、つまり、負の体験で、如何に、作家ドストエフスキーである壮年のベルシーロフ
の、へこたれぬ精神を持ち得ていたかの記述があります。『死の家の記録』だなぁと、勝手に、読者私は、監獄に入れられてしまった時の作家ドストエフスキー さまを、想像致してしまいました!
作家ドストエフスキー氏は、《監獄》という、想像だに難しい、厳しい体験をされた方なのだなぁと、思い入りますね。
そうして、含蓄ある本物の書物を執筆してくださり、感謝感謝でありますね!!
未だ、一巻ですが。
(11)
[1269]
第二部 第一章 を、すべて、転記したい気分でありますね!面白くて、『未成年』やめられません!
名前:確かな読書
投稿日時:18/01/09(火)
== 引用の始まり ==
○ヴェルシーロフとアルカージーの会話 ⇔ ベルシーロフをアルカージーが尊敬をしだした箇所ですね。
「もっとも素晴らしい徴候だよ、アルカージイ、もっとも信頼できる徴候とさえ言える。というのはわがロシアの無神論者は、もっともほんものの無神論者で、
ほんのわずかでも頭脳があればの話だが、ーー世界中でもっとも善良な人間で、常に神を甘やかす傾向があるが、それはかならず根が善人だからで、なぜ善人か といえば、自分がーー無神論者、ということにすっかり満足しきっているからだよ。わが国の無神論者たちはーー尊敬すべき、しかも最高度に信頼できる人々
で、言ってみれば、祖国の支柱だよ・・・・・・」
(p258)
「人びとをあるがままの姿で愛するということは、できないことだよ。しかし、しなければならないことだ。だから、自分の気持を殺して、鼻をつまみ、目をつ
ぶって(これが特に必要なのだが)、人々に善行をしてやることだ。人々から悪いことをされても、できるだけ腹を立てずに、『彼も人間なのだ』ということを
思い出して、こらえることだよ。」
(p259)
「アルカージイ、それがすこしばかげているらしいのは、わしも認めるが、しかしそれはわしの罪ではないよ、世界の創造にあたってわしは相談を受けなかったから、わしはこれについては自分の意見をもつ権利を留保するよ」
「そんな意見を持つあなたが、いったいどうしてキリスト教徒と呼ばれるのでしょう?」とわたしは叫んだ、「鉄槌をつけた苦行僧だの、伝道者だのと呼ばれるのでしょう?ぼくにはわからない!」
「おや、誰がわしをそんなふうに言ったのかな?」
わたしは彼に話した。彼はひじょうに注意深く聞き終わった、しかし話はそれで打切ってしまった。
どういうきっかけからこのわたしにとって忘れられぬ会話が生れたのであったか、どうしても思い出せない。しかし彼が苛立ちをさえ見せたことは事実で、こう
いうことは彼にはほとんど一度もなかったことである。彼は熱情をこめて、例の薄笑いなどみじんも見せないで、まるでわたしが相手ではないように語った。だ が、わたしにはやはり彼が信じられなかった。彼が、わたしのような相手に、このような問題を真剣に語ることができたろうか?
(p260)
「 3
、わたしはどうしても自分を抑えることができなかった。彼の話しぶりはといえば、あいかわらずかすかな嘲笑をふくんでいたが、もっともそういうことにかか
わりなく、常にこのうえなく柔和だった。もうひとつわたしを感激させたのは、彼がむしろ自分のほうから好んでわたしを訪ねて来たことで、〜 途中でありますね 〜
(12)
[1270]
2章 1 「公爵の矜持というものはそんなところにあるのではないかと」
名前:確かな読書
投稿日時:18/01/09(火)
第二章でありますが。まだまだ、書き残していて、好きな文章群は満載でありますが。
【矜持】自分の能力を優れたものとして誇るきもち、自負、プライド。
↑作家ドストエフスキー氏には、この単語《矜持》が、全く、なかったのですね!!
自分を他者に、誇ろうとする気持ちが、皆無な人間でありましたね!!
は
勿論、自分自身が自分自身に誇るのは、オッケーです。
自分自身が自分自身に誇れる人間にならなければ、なりませんよね!!
第二章 1 p263
== 引用文の始まり ==
「ヴルシーロフは何度か、公爵の矜持というものはそんなところにあるのではないこということを彼にほのめかして、彼の心にもっと高い思想を植えつけようとした。」
== 引用文の終わり
==
その前の文章の == 引用文の始まり == p263の上段 !
「公爵は進歩主義らしいようすはしていたが、ときとしてこの貴族という概念にひどく動揺することがあった、だからわたしは彼の生活のわるいところの多くは
この観念から生れたのではないか、と疑うほとである。自分が公爵であるということを自負し、しかも貧しいものだから、彼は生涯見せかけの誇りから金をばら まき、負債の泥沼にはまりこんだのではなかろうか。」
== 引用文の終わり
==
(読者感想文)
アルカージーが、老公爵を貴族主義と感じ、ヴルシーロフも、《矜持》というものは、そんなところにあるのではないと、彼にほのめかしたのですね!
(13)
[1273]
『未成年』一巻だけでも、充分な滋養を得られる可能性の事!!
名前:確かな読書
投稿日時:18/01/23(火)
旅に出かけて、文学から、遠のいていました。
『未成年』今までの、一巻で、もう、おなか満腹状態ですが、これからも、読み進んで行きたいと思ってます。
おなか満腹状態という意味は、この『未成年』という本から、読者私と『未成年』の作者ドストエフスキー氏と、充分な日常会話をさせて頂いたということですね。
ふたたび、日常会話を、作家ドストエフスキー氏と『未成年』で、して頂くために読書に入りたいと思います。
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