過去の投稿記事(23)
(更新:24/03/23)




『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと
(
1〜12)



投稿者:
Seigokawati
カメ




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[1004]
『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと

名前:Seigo
投稿日時:12/11/25()


「神のない生活は――苦しみでしかないのだよ。」
(マカール老人の言葉。
『未成年』第3部第2章の3内。)

『未成年』のマカール老人が自ら語り、その姿を通して読者に伝わってくるマカール老人の信仰(信仰生活)というものについて、意見交換していきたい。


先日の総合ボードでの投稿で、
>私は神の存在を「未成年」で知りました。 
と述べたカメさんに、『未成年』のその読書体験についての投稿を当トピでお願いできればと思っています。

 


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[1005]
В・ペロフ画『巡礼者』
名前:Seigo
投稿日時:12/11/25()


『未成年』のマカール老人の創作(造形)に影響を与えたものとして、
 
В・ペロフ画『巡礼者』
(1870
年昨。モスクワのトレチャコフ美術館蔵。В・ペロフ氏は、ドストエフスキーのあの有名な肖像を画いた人で知られる画家。)

があり。

※、その画は、るーじんさんのページ内の、

こちら(
その最下部)

で見れます。

作中で自ら語っている通り、荒野での修行も含め、各地を巡礼してきた巡礼者としてのマカール老人の姿に注目です。





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)

[1008]
RE:『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと

名前:kawati
投稿日時:12/12/07()


初めて「未成年」をよみました。

巡礼者マカール老人の信仰は、少なくとも私が求めている日常生活の中での
信仰と違うように思います。

アルカージィの魂の遍歴のすえたどり着いた境地の方が、

>私は神の存在を「未成年」で知りました

に近いと思いますけど、間違っているかな。




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[1009]
RE:『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと

名前:Seigo
投稿日時:12/12/08()


kawati
さん、来訪&投稿、どうも。

『未成年』をこのたび読んだとは、読書体験として、稀少・貴重ですね。

新潮文庫のぶん(工藤精一郎訳・全2巻、20086月再刊のぶん)は、一部在庫有り)で読んだのでしょうか? 自分は再読では「新潮世界文学 14」のぶん(一巻本)で読みました。

もしよければ、『未成年』の読後の感想や気付き等があれば、短くてよいので、今後、いつでも、ページ内に各ボードに投稿してもらえれば、うれしいです。
(
当ボード内でも、トピ「『未成年』の中のわかりにくい箇所や内容」などがあり。その読後感ということで、自ら新たなトピを作成して投稿しても結構です。)


kawatiさん
>アルカージィの魂の遍歴のすえたどり着いた境地の方が
>>私は神の存在を「未成年」で知りました
>に近いと思います

については、よくはわかりませんが、

kawatiさん
>巡礼者マカール老人の信仰は 少なくとも私が求めている日
>常生活の中での信仰と違うように思います

については、
巡礼者マカール老人の信仰は、作者ドストエフスキーの造形としてキリスト教の東方伝来以降、古来、ロシアの民衆(ナロード)の間で継承されてきた土着の神やキリストへの素朴な信仰(さらには、巡礼や荒野における修行を通して堅固に深められた信仰)でしょうから、
kawati
さんが求めている日常生活の中での信仰、あるいは、現代で行われているキリスト教とは違っていると自分も思います。


*     *     *


なお、
『未成年』の作中で語られるマカール老人の信仰の内容についての私の方からの気付きを、以下に少々。

・与えていくほど自身は豊かになるというマカール老人の考え(第3部第3章の2内)などは、老子もそのように述べている(
人に与えて、己いよいよ多し。)

なお、マカール老人のそれらの考えを聞いてアルカージィが
「そういうことを説くなら、それは共産主義ですよ!」
と叫ぶ箇所(第3部第3章の2内)などは気になるところです。

・陽気な人間(=神の道を実践できている人?)はすでに無神論者ではない(第3部第2章の3内)とする考えなどは、自身の内なる()仏のいのちを顕現化していくという仏教の実践の教えに近いかもしれません。

ロシアの古来のキリスト教への仏教や老子の実際の影響というのは、あまり聞いたことはありませんが、、、。




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[1011]
RE:『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと

名前:kawati
投稿日時:12/12/09()


私の素朴な感想に丁寧にお答え下さって恐縮です。

「未成年」は新潮文庫の古本をアマゾンで買って読みました。

再読三読してアルカージィのたどり着いた所まで自分なりになぞってみたいと思います。

ただ好きで読んでますので、専門的なことは理解するだけでも大変ですが、 ベロフ画「巡礼者」は良かったです。

「サモワール」もイメージ出来なかったですが写真が掲載されてましたので
助かりました。




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[1013]
RE:『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと

名前:Seigo
投稿日時:12/12/10()

kawatiさんの、
>アルカージィの魂の遍歴のすえたどり着いた境地
への注目と、
>アルカージィのたどり着いた所まで自分なりになぞってみたい
という取り組みは、
ドストエフスキー研究家の間でもこれまであまり行われていないことであり、貴重なものだと思います。


なお、
ドストエフスキーの小説間におけるテーマや登場人物の継承・発展(深化)ということを考えてみると、マカール老人は次の『カラマーゾフの兄弟』ではゾシマ長老として登場してくる(ゾシマ長老はその後身である)とみなすならば(一方、逆にたどるなら『白痴』のムイシュキン公爵はその前身?)、アルカージィはアリョーシャとして登場してくると言えるのでしょうかね。

*      *      *


※、訂正のこと。

kawatiさんが気付いた訂正箇所は、先ほど訂正しておきました。(訂正を述べたその投稿はこちらで削除しました。)投稿の際に「削除キー」の設定を行うと、あとで、その投稿記事を修正したり削除したり出来ます。



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[1014]

E:
『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと

名前:kawati
投稿日時:12/12/12()


誤りを訂正して頂いてすみません。

ボクは全集も読んでないので・・
ただこの本が手放せないだけです。

マカール老人がプロになると、ゾシマ長老になるのはイメージとして分かるように思います 「カラマーゾフの兄弟」は紹介されていたDVDで観ました。

(未読ですので)マカール老人はあの絵画のイメージです。

作家の柳美里が若いとき「罪と罰」全巻を書き写したらしいです。よし俺もと
思ったのですが、体力的に無理と悟ったので、マカール老人が出てくる第三部から書き写す事に決めました。アルカージィにあってはこの人がキーポイントになると思いますので、「わたしの人生体験からわりだしたもっとも重要な結論の一つと認めているのである。」とマカール老人の笑顔について云ってますので、書き写して何か読み取れなかったら 挫折したと思って下さい。

 



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[1017]
RE:『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと

名前:kawati
投稿日時:12/12/31()


こんばんは。今年は「未成年」にめぐりあえたいい年でした。

「未成年」ただ読んでいたところで立ち止まってます。

アルカージィが「九日にわたる昏睡状態ののちに、わたしは復活した人間として目覚めたが」「意識を回復して四日目の午後二時をまわったころであった。」等
(イエスの荒野での試練を思いました)

人は立つ位置がかわる時に遭遇する試練なのかもと思ったり。

ボクは「神のない生活はー」と「神を信じない生活は−」少し違うように思いますマカール老人は巡礼者でソーニャの立つ場と異なっていると思います。

なぜアルカージィはマクシムのものがたりを「いやな方はこの部分をとばしていただいて結構である、」と云ったのか その意図は、ボクはマカール老人が語った中で一番好きなんですが、アルカージィのいう「善美」も難しいです。

来年はもう少し読み込む事ができますように。




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[1021]
RE:『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと

名前:kawati
投稿日時:13/01/24()


マカール老人の信仰を思いつづけてました。

彼はすべての出来事を神の意志として受け入れて、巡礼の旅にでたのだと
思います(現実逃避でなく)。

その日々の生活の中で耐えがたい事もあっただろう。厳寒の星空を眺めて心も揺れ動いたことだろう。しかし彼はそれを「よし」として受け入れた。その彼が語るとき、不思議な澄み切った明るさが感じられます。

その中での「神のない生活はー」の言葉は、彼の信仰告白として、重く感じられるんですけど。

 



(10)

[1022]
RE:『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと

名前:kawati
投稿日時:13/03/21()


「お祈りはいいものだよ。・・世の中はいいものだよ・・ーこれもよいお祈りだよ」
というマカール老人。

彼はすでに向こう岸に立っている人だと思います。

ボクはイエスを追い求めることが信仰だと思っていたが、自分の理想を追い求めていただけだったかも。

はじめマカール老人に違和感を持ったのは 立つ場が違っていたからだと思う。

「未成年」は不思議な小説です。

少し時間をおいて、再読します。




(11)

[1080]
RE:『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと

名前:kawati

投稿日時:14/05/20()


マカール老人にはモデルがあったのだ。「死の家の記録」で、分離派の信者で囚人から絶対に信頼されていた老人
彼が夜中に祈る
「主よどうかわたしを見捨てないで、強い人間にしてください」(小沼訳)はマカール老人が巡礼の夜中、祈ったであろうと思ったです。

「小さな英雄」での手紙の扱い方、マダムMの懊悩なども「未成年」では深め、掘り下げられていると感じました。




(12)

[1156]
RE:『未成年』のマカール老人
の信仰生活のこと

名前:カメ
投稿日時:16/04/12()

私は「未成年」で神の存在を知り、証しを受けたことにより、今も世にはばかっています。

長いこと信仰とは 何か?と思ってきました。最近、自分で納得できる概念にたどり着きました。40年ぐらいかかりました。聖書に載っていない概念と考えると納得できました。

イエスも言いましたが「聖書は私について証しするもの」だそうです。最近教会に行きましたら、証しをいただきました。

よく「神を信じる」といわれますが、今ではプロパガンダやスローガンレベルにすぎないと確信しています。

信仰とは「全に対する何とかと、あらゆることでかんとかを確立または、転換することだ」と確信しています。