宇部商の06年度〜23年度

の戦績の概略・まとめ
(更新:23/09/02)
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〔事項〕
各年度の戦績
県大会ごとの戦績

戦績の概略
甲子園出場の有無

    

各年度の戦績(06年度〜)
(更新:23/09/02)

緑色は惜敗、茶色は完敗。赤色は好成績。は左腕。


06年度


夏のシード:
第一シード

監督:
中冨監督(05年秋に監督に就任)
投手陣:
豊田、高橋(2年)川内、三上(1年)
野手陣:
原田捕手(2年)、中田内野手(2年)、下井内野手(2年)、金江一塁手、

秋季県大会
第三位
準決勝で岩国に3-6で敗退。
三位決定戦で勝利し秋季中国大会へ出場。
秋季中国大会
1回戦で開星に6-11で敗退。

春季県大会
ベスト8
桜ヶ丘に2-3で惜敗。

会長旗大会
ベスト8
南陽工に7-12で敗退。
夏の第1シードを得た。


2回戦で敗退(1勝)
試合終盤に追いつかれ10回裏の適時打により早鞆に5-6のサヨナラ負けを喫した。



07年度

夏のシード:
第一シード(優勝候補)

監督:
中冨監督
投手陣:
高橋、三上(内野手・2年)
野手陣:
原田捕手、國本外野手、中田内野手、下井選手、林選手(2年生)

秋季県大会
優勝し、秋季中国大会へ出場。
秋季中国大会
2勝してベスト4
準決勝で広陵に2-4で敗退。
中国地区の一般枠の3校目に選ばれ、選抜甲子園大会出場を決めた。
選抜甲子園大会
1勝して2回戦で室戸に1-4で敗退。

春季県大会
ベスト8
柳井商に0-5で敗退。

会長旗大会
優勝
夏の第1シードを得た。



ベスト8
2回裏の岩国の機動力による5点の献上が響いて、岩国の高木投手に抑えられ、3-6で敗退した。岩国高校にとっては秋季県大会準々決勝での敗退のリベンジとなった。




08年度

夏のシード:
第一シード(優勝候補)

監督:
中冨監督
投手陣:
三上、畠(2年)、財満(2年)、篠原(2年)
野手陣:
福嶋捕手、林内野手、山下外野手、齋藤内野手、大下内野手、松田内野手

秋季県大会
第三位
準決勝で下関商に4-7で敗退。
三位決定戦で勝利し、4年連続秋季中国大会出場。
秋季中国大会
1回戦で敗退。
共生に4-5で惜敗。

春季県大会
準優勝
岩国に4-5で敗退し、春季中国大会へ出場。
春季中国大会
優勝
※、県大会の3回戦から中国大会優勝までの7試合は、エース三上投手の活躍を中心に、勝負強く、すべて1点差の試合だった(県決勝は岩国に9回表に逆転されて4-5の1点差での惜敗)


会長旗大会
1回戦で敗退。
エースを温存して、宇部工に2-6で敗退。
夏の第1シードを得た。


ベスト8
試合終盤に三上投手に疲れが現れて、9回表に追いつかれ10回表に勝ち越されて南陽工に3-4の逆転負けで惜敗。




09年度

夏のシード:
ノーシード

監督:
中冨監督→藤井監督(09年夏県大会前に監督に就任)
投手陣:
畠中、財満、篠原、山本()(2年)、木村
野手陣:
(さっか)内野手、久保江外野手、江田(こうだ)外野手、金子捕手、西村内野手

秋季県大会

3回戦で敗退。

宇部鴻城に延長10回の0-1で惜敗。


春季県大会
2回戦で敗退。
宇部高専に延長13回の2-3でサヨナラ負け。

会長旗大会
ベスト8
柳原投手の岩国商に0-3のノーヒットノーランを喫する。
夏のシード権は得られずに終わった。



2回戦で敗退(1勝)
5回まで5-6も、リリーフした前原投手に6回以降零封されて西京に5-7で惜敗。



10年度

夏のシード:
ノーシード

監督:
藤井監督
投手陣:
山本()、藤野
野手陣:
牧野内野手、糸永外野手、木村内野手、柿本内野手、畑谷内野手(2年生)

秋季県大会
3回戦で敗退。
宇部鴻城に2-7で敗退。

春季県大会
3回戦で敗退。
宇部鴻城に2-3で敗退。
夏のシード権は得られずに終わった。

10年度からは会長旗大会は廃止されて無くなった。


2回戦で敗退(1勝)
9回表に4点を入れて4-4の同点に追いついたが、10回裏に適時長打を打たれて西京に4-5でサヨナラ負け。



11年度

夏のシード:
ノーシード

監督:
藤井監督
投手陣:
西村、大森(捕手)、福重、山下(2年)
野手陣:
畑谷内野手、大田外野手、中尾()内野手(2年)、平山外野手(投手)、小川選手、小田外野手(2年)、川口捕手

秋季県大会
ベスト8
安原投手の徳山商工に3-5で敗退。

春季県大会
2回戦で敗退。
下関工のサイドハンド山村投手に安打3に抑えられて6回コールドの0-10で敗退。
夏のシード権は得られずに終わった。



2回戦で敗退(1勝)
宇部工の岡本投手に安打1に抑えられて5回コールドの0-10で敗退。




12年度

夏のシード:
第二シード

監督:
桑原監督(11年秋に監督に就任)
投手陣:
山内、山下、原田(2年)
野手陣:
小田外野手、中尾()内野手、泉内野手(2年)、浜口内野手(2年)、田中捕手

秋季県大会
3回戦で敗退。
吉冨投手の山口県鴻城に6-9で敗退。

春季県大会
ベスト8
徳山の安野投手にノーヒット・四球2に抑えられて5回コールドの0-12で敗退。
夏の第2シードは得た。



3回戦で敗退(2勝)
リリーフした左腕笹永投手を攻めて8回表に2点を入れて4-5の1点差に迫ったが、そのあとの1アウト2・3塁、9回表の1アウト2・3塁は後続を断たれ4-5で同大会優勝の宇部鴻城に惜敗。




13年度

夏のシード:
ノーシード

監督:
桑原監督
投手陣:
原田、中尾()(2年)、佐藤(2年)、山岡(2年)
野手陣:
浜口内野手、衣畑内野手、波津野外野手、泉捕手、永田捕手

秋季県大会
ベスト8
東投手の岩国に安打1本得点1のみの1-11の6回コールド負け。

春季県大会
3回戦で敗退。
宇部に5-7で敗退。
夏のシード権は得られずに終わった。


2回戦で敗退(1勝)
江口投手及び6回裏以降下手投げの岡村投手の宇部工に反撃を抑えられ1-4で敗退。



14年度

夏のシード:
第一シード

監督:
桑原監督
投手陣:
中尾()、佐藤、山岡、枡永(2年)
野手陣:
有吉外野手、宮崎捕手(2年)、塩田外野手、姫田外野手、浜口内野手

秋季県大会
第三位
準決勝で酒井投手の高川学園に0-6で敗退。
三位決定戦で桜ケ丘に6-0で勝利。
準々決勝で熊毛南に3-1で勝利し、4年半ぶりに県大会でベスト4に進出し、宇部商復活の始まりを告げた試合となった。県第三位で6年ぶりに秋季中国大会へ出場。
秋季中国大会
初戦で崇徳に1-3で敗退。

春季県大会
ベスト8
酒井投手の高川学園に1-9の7回コールド負け。
夏の第1シードを得た。



3回戦で敗退(1勝)
8安打を放つも得点につながらず
宇部鴻城の左腕福島投手に0-3で完封された。




15年度

夏のシード:
第二シード

監督:
桑原監督
投手陣:
小幡、桝永、宮本、野口(2年)、橋口(2年)
野手陣:
宮崎捕手、田中()外野手、宮崎()外野手(2年)、宮崎()外野手(2年)、藤本内野手、堀川内野手(2年)、田中()内野手

秋季県大会
準優勝
決勝で宇部鴻城に0-15で敗退となったが、2年連続の秋季中国大会出場を決めた。
秋季中国大会
2勝してベスト4
準決勝で岡山理大附に1-4で敗退。
中国地区の一般枠の三校目は準決勝で敗退した宇部商・米子北の内、準決勝で宇部鴻城に善戦した米子北が選ばれ、宇部商は選抜甲子園大会出場を、惜しくも、もう一歩のところで逃した。

春季県大会
2回戦で敗退。
西京に3-4で惜敗。


準決勝で敗退(4勝)
優勝した下関商の左腕森元投手に安打1に抑えられて0-10の5回コールドで完敗した。



16年度

夏のシード:
ノーシード

監督:
桑原監督
投手陣:
野口、橋口、桑原、宮本
野手陣:
矢原捕手、宮崎()外野手、宮崎()外野手、堀川内野手、児玉外野手、齋藤内野手、高木一塁手、市村外野手

秋季県大会
準優勝
決勝で原投手の早鞆に2-3で惜敗。
3年連続の秋季中国大会出場を決めた。
秋季中国大会
初戦で敗退。
この大会で優勝した高田投手の創志学園に4-6で惜敗。

春季県大会
2回戦(初戦)で敗退。
渡邊投手の小野田工に2-7で敗退。
夏のシード権を無くした。


ベスト8(3勝)
優勝した左腕山野投手の高川学園に安打3本のみの0-6で完封された。




17年度

夏のシード:
ノーシード

監督:
桑原監督→松尾監督(174月に監督に就任)
投手陣:
小南、原田、竹林、田中(2年)、古谷(2年)
野手陣:
丸尾外野手、荒瀬一塁手、西田内野手、金子外野手、村田内野手(1年)、浜口内野手(2年)、河口捕手

秋季県大会
3回戦で敗退。
中田投手の慶進に1-6で敗退。
秋季中国大会への連続出場が絶たれた。

春季県大会
初戦で敗退。
秋季県大会に続いて中田投手の慶進に0-1で惜敗。
夏のシード権は得られずに終わった。

準決勝で敗退(4勝)
前半は6-4でリードしたが、終盤に追いつかれ、延長11回に勝ち越されて、その裏に1点を返すも後続を断たれ、優勝した下関国際に逃げ切られて7-8で惜敗。

 



18年度

夏のシード:
ノーシード

監督:
松尾監督
投手陣:
田中
、上田()
野手陣:
浜口外野手、村田捕手(2年・内野手)、古谷一塁手(投手)、平野()三塁手、岩本外野手(投手)(2年)、福本外野手、友景内野手、徳原外野手、伊藤内野手、橋本捕手(1年)

秋季県大会
3回戦で敗退。
宇部鴻城に3-5で惜敗。

 

春季県大会
3回戦で敗退。
宇部鴻城に7-9で惜敗。
夏のシード権は得られずに終わった。


夏:
3回戦で敗退(2勝)
宇部工に8回裏に逆転されて4-7で惜敗。



19年度

夏のシード:
第二シード

監督:
松尾監督
投手陣:
松本(2年)、塚本、上田、油川(2年)
、濱田
野手陣:
村田三塁手、橋本捕手(2年)、中村一塁手(2年)、河村外野手(2年)、岩本外野手(投手)、吉井外野手、岩崎内野手、高尾遊撃手、松木外野手(2年)、山田外野手(2年)、阿座上二塁手(2年)、吉村内野手

秋季県大会
ベスト8
小松()投手の柳井学園に3-11(7回コールド)で敗退。

春季県大会
ベスト8
中本投手の聖光に延長11回の1-2で惜敗。
結果、夏のシード権は第二シードを得た。

夏:
3回戦で敗退(1勝)
西京に4回表に6点を献上して4-7で敗退。




20年度

夏のシード:
第二シード

監督:
松尾監督
投手陣:
松本、油川
、大田(2年)、西田(2年)、松原、佐々木、茗荷谷(2年)、柴崎
野手陣:
橋本捕手、中村左翼手、河村外野手、松木外野手、山田一塁手、坪井遊撃手(2年)、松西内野手、出口外野手、岩井内野手(2年)、松尾内野手

秋季県大会
ベスト8
南陽工に延長12回の7-9で惜敗。

春季県大会
 (中止)

夏の代替大会
初戦で敗退。
萩商工に2-3で惜敗。



21年度

監督:
松尾監督
投手陣:
大田、茗荷谷、西田(兼捕手)、津村(2年)

野手陣:
坪井中堅手、西村三塁手、下垣右翼手、岩井遊撃手、地主一塁手、檜田二塁手、松西左翼手(2年)、高森捕手(2年)

秋季県大会
初戦で敗退。
下関国際に5-8で敗退。

春季県大会
ベスト8
高川学園に3-4で惜敗。

夏:
ベスト8
岩国商の長川投手に抑えられて4-11で敗退。



22年度

監督:
松尾監督
投手陣:
遠矢、津村
、木村(2年)、津森(2年)
野手陣:
松西中堅手(左腕)、高森捕手、櫃田遊撃手、上田二塁手、岡崎右翼手、篠原一塁手、山本左翼手

秋季県大会
準優勝(4勝)
高川学園に0-11で敗退。

春季県大会
2回戦(初戦)で敗退。
西京に0-3で敗退。

夏:
3回戦で敗退(1勝)
長門に0-2で敗退。




23年度

監督:
松尾監督
投手陣:
木村、渡邊(1年)、津森
野手陣:
大森外野手、神田遊撃手(1年)、河口()一塁手(1年)、金山二塁手、河口()三塁手、佐々木捕手(1年)、鴻池中堅手

秋季県大会
3回戦で敗退(2勝)

宇部工に2-4で惜敗。

春季県大会
3回戦で敗退(2勝)
下関国際に5-9で逆転負け。

夏:
3回戦で敗退(2勝)
下関国際に2-9の7回コールドで敗退。



県大会ごとの戦績(06年度〜)
(更新:23/07/05)

は好成績。赤色は甲子園大会に出場。


夏季県大会

06年 第一シード
2回戦で早鞆に敗退(1勝)


07年 第一シード(優勝候補) 
ベスト8 (2勝)
(優勝した岩国に敗退)

08年 
第一シード(優勝候補) 
ベスト8 (2勝)
(南陽工に敗退)  
 
09年
 
ノーシード 
2回戦で西京に敗退(1勝)

10年
 
ノーシード 
2回戦で西京に敗退(1勝)

11年
 
ノーシード 
2回戦で
宇部工に敗退(1勝)

12年 第二シード 
3回戦で敗退(2勝)
(
優勝した宇部鴻城に4-5で惜敗)

13年 ノーシード 
2回戦で
宇部工に敗退(1勝)

14年 
第一シード(優勝候補) 
3回戦で宇部鴻城に敗退(1勝)

15年 
第二シード(優勝候補) 
ベスト4 (4勝)
(優勝した下関商に大敗)

16年 
ノーシード(優勝候補)
ベスト8 (3勝)
(優勝した高川学園に完敗)

17年 ノーシード 
ベスト4 (4勝)
(優勝した下関国際に7-8で惜敗)

18年 
ノーシード 
3回戦で宇部工に惜敗(2勝)

19年 
第二シード
3回戦で西京に敗退(1勝)

20年 
第二シード
初戦(1回戦)で萩商工に惜敗(0勝)

21年 第四シード
ベスト8 (2勝)
(岩国商に敗退)

22年 
ノーシード
3回戦で長門に敗退(2勝) 

23年 
ノーシード
3回戦で下関国際に敗退(2勝) 


※、05年度の夏甲子園大会出場(ベスト4に進出)の後は、上掲の通り、07年度・08年度は夏県ベスト8に終わり(07年度・08年度はチームは強かった)、06年度、09年度〜14年度と、夏は地区予選での敗退が続いた(12年夏は3回戦敗退だが、桑原監督のもと、優勝した笹永投手の宇部鴻城に4-5での惜敗だった。)

15年度以降は、盛り返して、15年夏・17年夏は、夏甲子園出場に迫る準決勝に進出の好成績(いずれも優勝したチームに敗退)を残した(16年夏も地区予選を勝ち上がって県ベスト8へ進出し、14年夏・15年夏・16年夏はいずれも県大会の優勝候補の一角だった)

18年夏は強敵の宇部工に惜敗して県3回戦での敗退に終わり、19年夏も伏兵・西京に敗退して県3回戦での敗退に終わった。(16年夏・17年夏・18年夏はノーシードであった。)

18年度以降は、夏は、21年夏のベスト8が最高で、21年度以外は、地地区予選で敗退している。24年度は、躍進を期待したい。
 
97年以降は、夏県大会は、早期に敗退しても、1勝はしていて夏の初戦での敗退はなかったが、20年度夏において、初戦敗退となり、その連続記録は途絶えた。

 

秋季県大会

06年度 
第三位・中国大会出場(初戦敗退)

07年度 
優勝・中国大会ベスト4 
 
→ 
翌春の選抜甲子園に出場(1勝)

08年度 
第三位・中国大会出場(初戦敗退)

09年度 
3回戦で敗退
(2勝)

10年度 

3回戦で敗退(2勝)

11年度
ベスト8(2勝)

12年度 
3回戦で敗退
(2勝)

13年度 
ベスト8(3勝)

14年度 
第三位・中国大会出場(初戦敗退) 
 

15年度 
準優勝・中国大会ベスト4
翌春の選抜甲子園出場決定までもう一歩だった。

16年度 
準優勝中国大会出場(初戦敗退)

17年度 
3回戦で敗退
(2勝)

18年度 
3回戦で敗退
(2勝)

19年度 
ベスト8(2勝)

20年度 
ベスト8(2勝)

21年度
初戦で下関国際に敗退。

22年度 
準優勝(4勝) ・中国大会出場(1勝)

23年度 
3回戦で敗退
(2勝)


※、07年度に2年ぶりに春選抜甲子園大会に出場した。15年度は、秋季中国大会ベスト4に終わり、翌春の選抜甲子園出場まで、もう一歩だった。
※、06年度〜20年度は、秋季県大会は、2回戦敗退や1回戦敗退がなくて、いずれの年度も3回戦以上に進出しているが、21年度に初戦敗退となった。
※、06年度〜08年度(07年度県優勝)、14年度〜16年度(15年度県準優勝・16年度県準優勝)と、三年連続で秋季中国大会に出場。 17年度は3回戦敗退で、秋季中国大会への連続出場が絶たれた。18年度は3回戦どまり、19年度・20年度はベスト8どまりとなった。5年ぶりで22年度は県準優勝して秋季中国大会へ出場し、1勝を上げた。
※、12年度の秋から監督に就任の桑原監督は、防府高校の監督をしていた時期から秋の大会への仕上げがうまくて、 チームは秋の大会で強かった。

 

春季県大会
06年 ベスト8

07年 ベスト8
08年 
準優勝、中国大会優勝 
09年 2回戦
で敗退
(1勝)
10年 3回戦で敗退
(2勝)
11年 2回戦で敗退
(1勝)

12年 ベスト8

13年 2回戦で敗退(1勝)
14年 
ベスト8
15年 2回戦で敗退
(1勝)

16年 2回戦(初戦)で敗退

17年 1回戦で敗退
18年 3回戦で敗退(2勝)
19年 
ベスト8
20年  (中止)
21年 
ベスト8
22年 2回戦(初戦)で敗退
23年 3回戦で敗退(2勝)

 

※、春季県大会は、06年〜08年・12年・14年は県決勝大会へ進出したが(準優勝が1回・ベスト8が5回。08年は春季中国大会優勝。)、秋季県大会に比べて、全体的に戦績は振るっていない。近年の16年度・17年度・22年度は初戦敗退している。

 

会長旗大会
※、会長旗大会は10年度に廃止されて無くなった。

06年  ベスト8

07年  優勝 
08年  
1回戦で敗退
09年  
ベスト8 


※、以上の通り、06年度から現在まで、秋春夏の県大会で初戦敗退は、春季県大会の2度(16年度・17年度)、会長旗大会の一度(08年度)のみで(いずれの年度もチームは強くて不覚を取った模様)、夏季県大会、秋季県大会では初戦敗退はない。

 

戦績の概略(06年度〜)
(更新:23/09/02)

は好成績、は成績不振。


05年度(春選抜甲子園1勝・夏甲子園ベスト4)に引き続いて、

06年度〜08年度は、

06年度
(
秋季県大会第三位・秋季中国大会出場
、ただし、
夏季県大会は2回戦で敗退)


07年度
(秋季県大会優勝・秋季中国大会ベスト4により選抜甲子園大会に出場し1勝会長旗大会優勝夏季県大会ベスト8)


08年度
(秋季県大会第三位・秋季中国大会出場、春季県大会準優勝春季中国大会優勝夏季県大会ベスト8)

と、玉国監督(058月に監督を退任)から伝統の宇部商野球を受け継ぐ
中富監督(058月から監督代行となる)のもと、
06年度
は、豊田投手・高橋投手(2年生)・原田選手(2年生)・中田選手(2年生)・下井選手(2年生)
07年度は、高橋投手・三上選手(2年生)・原田選手・中田選手・國本選手・下井選手・林選手(2年生)
08年度は、三上投手・林選手・福嶋選手・山下選手
を擁して、
実力のある選手たちがチームを引っ張り、チームは強くて、県大会・中国大会の上位に進出した(07年度は春選抜甲子園に出場を果たした)


その後の、
09年度〜13年度は、

中冨監督・藤井監督(09年夏前〜)
桑原監督(11年秋〜)のもと、
09年度は、左
腕畠中投手・左腕財満投手・目(さっか)内野手、
10年度は、山本()投手・牧野選手・木村選手、
11年度は、左腕西村投手・畑谷選手・大田選手、
12年度は、山内投手・中尾()・小田選手、
13年度は、左腕原田投手・浜口選手・泉捕手
を擁して、
投打において実力を持つ選手がチームに少なからずいたものの、
秋春の県大会は、コールドで大敗した試合やノーヒットノーランを喫した試合(09年度会長旗大会)があり、よくて準々決勝止まりで終わり
夏の県大会は、エースの故障(11年度)や故障明け(10年度)、相手の抑えの投手の好投(09年度・10年度・12年度・13年度)などにより、2回戦で敗退(09年度〜11年度、13年度)3回戦で敗退 (12年度。優勝した宇部鴻城に4-5で敗退。)
という
戦績不振の時期が続いた


続く、
14年度は、

11年秋に監督に就任した
桑原監督(元防府高校野球部監督)のもと、着実に力をたくわえてきた宇部商は、中尾投手・佐藤投手・左腕山岡投手、有吉選手・2年生の宮崎捕手を擁して、秋季県大会で4年半ぶりの準々決勝突破を果たして県第3位となり、秋季中国大会へ出場して宇部商復活の端緒を開き(ただし、夏は第一シードとなったものの3回戦で敗退)


15年度は、

小幡投手・枡永投手、宮崎捕手・大平選手を擁して、
選抜甲子園大会出場までもう一歩(秋季県大会準優勝・秋季中国大会ベスト4、ただし春季県大会は2回戦で敗退)夏甲子園大会出場まであと2勝の夏季県大会ベスト4(準決勝は下関商に大敗)と、春選抜甲子園出場・夏甲子園出場までもう一歩だったが、宇部商復活と言ってよいチーム力と県大会・中国大会での上位進出を見せた


続いて、

16年度

(腕野口投手・左腕橋口投手、矢原捕手・宮崎()選手・宮崎()選手・堀川選手を擁して、秋季県大会で準優勝して3年連続の秋季中国大会出場を決めて、年度の当初から春夏甲子園出場が大いに期待されたが、秋季中国大会は初戦で敗退、夏季県大会は準々決勝で敗退(高川学園に完敗)となった)

17年度の秋〜春
(小南投手・原田投手・2年生の田中投手、丸尾選手・荒瀬選手・西田選手・1年生の村田選手・河口捕手を擁して、16年秋の秋季県大会3回戦で慶進高校に不覚をとって4年連続の秋季中国大会への出場が絶たれ、17年春の春季県大会では秋季県大会引き続いて慶進高校に敗れて初戦敗退となった)

と、戦力は依然高かったものの、戦績が上昇を続けた14年度・15年度に比べれば、戦績は下降気味となった

以上、
14年度〜16年度は、

桑原監督のもと、夏は県の優勝候補の一角となるなど、戦力を回復した時期と言える。


その後、
17年度の夏は、

17年4月に監督就任の宇部商野球部OB
松尾監督の指導のもと、投打に力を付けて、夏季県大会において、打撃好調で快進撃を続け、夏甲子園大会出場まであと2勝の夏県ベスト4に進出した(準決勝で下関国際に延長の末、7-8で惜敗)。夏甲子園出場は成らなかったが15年度に続いて、再び、宇部商復活への勢いを世間に示した。
15年度夏・16年度夏と、敗戦した試合が優勝したチーム(下関商、高川学園)に完封負けの大敗・完敗だったのに比べて、17年度夏は、優勝したチーム(下関国際)と互角の接戦での惜敗だったことは大きな進歩だったと言える。


続く,
18年度の、

17年の秋・18年の春は、
左腕田中投手・古谷投手・2年生の上田投手、浜口選手・平野()選手・伊藤選手・徳原選手・福本選手、2年生の村田選手・2年生の岩本選手・2年生の高尾選手を擁して、
秋季県大会は3回戦でライバル校の宇部鴻城に惜敗して18年春の選抜甲子園出場は絶たれ、春季県大会でも同じく宇部鴻城に3回戦で7-9で惜敗し、

18年の夏は、
3回戦で強敵の宇部工に惜敗し、地区予選での敗退となったが、引き続いて維持しているレベルの高い魅力の陣容と戦力のもと、甲子園出場と甲子園での活躍という宇部商復活への挑戦は続いた

17年春に入部した好素材の選手から5名前後が
17年秋〜18年夏に本チームのレギュラー及び控えに進出していて、また、18年春にも、玉国さんの指導薫陶を受けた宇部ボーイズ出身の8名の選手など、投打に実力を持つ投手や強打者の入部があり、18年秋にかけて、1年生ながらレギュラー入りしてチームの中核を担い19年度・20年度も、宇部商は安泰であると言える。


19年度は、
岩本投手・上田投手・2年生の松本投手、村田選手・高尾選手・吉村選手・2年生の橋本捕手・2年生の中村選手・2年生の河村選手・2年生の松木選手・2年生の山田選手・2年生の出口選手を擁して、
19年度の秋は、
秋季県大会ではベスト8に進出し
秋の1年生大会は、左腕油川投手・松木外野手・阿座上内野手が新たに加わり、県優勝を遂げた。

19年度の春・夏は、
春季県大会は、秋季県大会に続いてベスト8に進出したが、
夏季県大会は、3回戦で有力校の西京と対戦となり、3回戦敗退で終わった


20年度は、
松本投手・橋本選手・中村選手・山田選手・河村選手・松木選手・2年生の坪井選手を擁して、
20年度の秋は、
秋季県大会はベスト8に進出した(準々決勝で南陽工に延長11回の7-9で敗退)
20年度の夏は、
初戦敗退で終わった。

21年度も、投攻守に好選手が揃っており、県上位進出が期待されたが、夏はベスト8で終わった。

22年度
は、投攻守に好選手が揃っており、秋季県大会は県準優勝を遂げ、出場した秋季中国大会では1勝を上げたが、春季県大会、夏は、地区予選で敗退となり、振るわなかった。

23年度は、秋季県大会・春季県大会と3回戦敗退に終わったが、3年生の選手が6名と少ないながら、投打に軸となる好選手が揃っており、夏の県大会での躍進が期待されたが、春季県大会に続いて、下関国際に3回戦で敗退となった。

24年度は、好守に好選手が揃ったので、躍進を期待したい。


甲子園出場の有無(06年度〜)
(
更新:23/09/02)
A@は、年度の春夏に2年生・1年生の選手。


宇部商は、
玉国監督が監督だった05年度に春夏と甲子園に出場した(春選抜甲子園では1勝、夏甲子園ではベスト4)が、監督が代わった06年度以降は、甲子園大会への出場は、

07年春に選抜甲子園大会に出場
(中冨監督のもと、高橋投手・2年生の三上投手、原田捕手・國本選手・中田選手・下井選手・2年生の林選手らを擁して、秋季県大会優勝・秋季中国大会ベスト4により春選抜甲子園大会に出場。選抜甲子園では初戦で9回裏に劇的な林選手のソロホームランが出てサヨナラ勝ちで1勝した。)

の1度のみであり、宇部商は、それ以降16年にわたって甲子園出場から遠ざかっている
(玉国監督が監督をしていた時期のうち、82年度〜05年度の時期は、3年は経ることはあっても4年を空けずに春夏の甲子園に出場していた。)


なお、
下方の秋季県大会の戦績夏季県大会の戦績を見れば分かる通り
この期間(06年度〜)に、春夏甲子園出場までもう一歩だったのは
 
15年春の選抜甲子園大会
(左腕小幡投手・左腕野口投手A・左腕橋口投手A、宮崎捕手・田中()選手・宮崎()選手A、宮崎()選手Aらを擁して、14年の秋に、秋季県大会準優勝、秋季中国大会ベスト4だったが、中国地区の一般枠は3枠であり、同じくベスト4の米子北が優勝した宇部鴻城に0-1と善戦した(宇部商は準優勝の岡山理大附に1-4で敗退した)ことで米子北が選出され、選考会で惜しくも選出から漏れてしまった。)

であり、


17年夏の甲子園大会
(小南投手・左腕田中投手A、丸尾選手・西田選手・荒瀬選手・金子選手・村田選手@らを擁して、夏県大会準決勝で、優勝した下関国際に延長11回の7-8で惜敗した。9回裏のサヨナラ勝ちを逃したのが惜しかった。県決勝大会へと快進撃を続けて準々決勝でも勝ち、この夏は宇部商が甲子園に行くのではという声も数多かった。)

15年夏の甲子園大会
(左腕小幡投手・左腕野口投手A・左腕橋口投手A、宮崎捕手・田中()選手・宮崎()選手A・宮崎()選手Aらを擁して、秋季県大会準優勝・秋季中国大会ベスト4ながら春の選抜甲子園出場をもう一歩のことろで逃したが、夏も快進撃を続けて夏県ベスト4に進出したが、準決勝で、優勝した左腕森元投手の下関商に0-10の5回コールドで完敗して夏甲子園出場をもう2勝のところで逃した。)

も、夏甲子園出場まで、もう2勝のところまで行っている。
特に、
15年度のチームは春夏の甲子園出場までもう一歩、二歩だった。


07年夏の甲子園大会
(高橋投手・三上投手A、原田捕手・國本選手・中田選手・下井選手・林選手Aらを擁して、春の選抜甲子園出場に続いて、会長旗大会でも優勝(春季県大会はベスト8)夏の甲子園出場も確実視されていたが、夏県大会準々決勝でライバルの岩国に秋季県大会惜敗のリベンジを受けて3-6で敗退し、春夏連続甲子園出場は成らずに終わった)

08年夏の甲子園大会
(三上投手・左腕畠中投手A、福嶋捕手・林選手・山下選手らを擁して、秋季県大会第三位・秋季中国大会出場(初戦敗退)春季県大会準優勝春季中国大会優勝で、夏季県大会の優勝候補の筆頭たったが、夏県大会は準々決勝で伏兵南陽工に、大黒柱の三上投手に試合終盤に疲れが出て9回表に追いつかれ、延長10回表に勝ち越されて3-4の逆転負けの惜敗を喫して、夏甲子園出場は惜しくも成らなかった。)

16年夏の甲子園大会
(左腕野口投手・左腕橋口投手、矢原捕手・宮崎()選手・宮崎()選手・堀川選手らを擁して、秋季県大会準優勝・春季中国大会出場(初戦敗退)(春季県大会は初戦で敗退)好左腕野口投手を擁して夏は優勝候補の一角だったが、夏県大会では準々決勝で、優勝した伏兵高川学園の左腕山野投手に抑えられて0-6で完敗し、夏甲子園出場は惜しくも成らなかった。)

も、夏の県大会は準々決勝で敗退したが、夏甲子園に出場する前評判や実力は高かった。

14年度以降、宇部商は県大会・中国大会で戦績を回復し、高い戦力を維持してきており、投打に人材が揃って戦力が高い
20年度・21年度・22年度
は、甲子園への復活(出場と活躍)(特に22年度)期待されたが、甲子園出場は成らなかった。(20年夏の代替大会は惜しくも初戦敗退となり、21年夏は県ベスト8で終わった。21年秋の秋季県大会は県準優勝、秋季中国大会1勝を遂げ、22年春夏は期待されたが、春季県大会・夏県大会と、地区予選で敗退し、振るわなかった)

23年度は、秋季県大会・春季県大会・は3回戦で敗退となったが、
3年生の選手は6名ながら、2年生の実力選手の進出があって夏は期待されたが、3回戦で敗退となった。




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