甲子園での宇部商の通算成績
夏は12回出場し、
19勝12敗
※勝率 .613
春は7回出場し、
8勝7敗
※勝率 .533
夏春合わせて19回出場し、
27勝19敗
※勝率 .587
宇部商の、
・甲子園での本塁打一覧 ( 1 )
・甲子園での本塁打数
夏:22本
全国で現在、第13位( 1 )
春:4本
甲子園春夏の宇部商の戦績
菊永監督在任の時期
66年・春 ベスト4
2回戦
宇部商5-3三重
準々決勝
宇部商7-2金沢
準決勝
宇部商4-5中京商 (延長15回)
69年・夏 初戦敗退
2回戦
宇部商1-2取手一
玉国監督在任の時期
76年・夏 初戦敗退
1回戦
宇部商3-4秋田商
82年・夏 初戦敗退
2回戦
宇部商1-3高岡商
83年・春 初戦敗退
1回戦
宇部商0-2久留米商
83年・夏 ベスト8
2回戦
宇部商6-5帝京
3回戦
宇部商3-0仙台商
準々決勝
宇部商1-4横浜商
85年・春 1勝
1回戦
宇部商9-1熊谷商
2回戦
宇部商2-6PL学園
85年・夏 準優勝
1回戦
宇部商8-3銚子商
2回戦
宇部商8-0鳥取西
3回戦
宇部商8-5東農大二
準々決勝
宇部商5-3鹿児島商工
準決勝
宇部商7-6東海大甲府
決勝
宇部商3-4PL学園
88年・春 ベスト8
2回戦
宇部商3-2堀越
(延長12回)
3回戦
宇部商2-1中京
準々決勝
宇部商4-5宇和島東
88年・夏 ベスト8
1回戦
宇部商8-0日大山形
2回戦
宇部商6-4八幡商
3回戦
宇部商4-2東海大甲府
準々決勝
宇部商3-7浦和市立
(延長11回)
90年・夏 ベスト16
1回戦
宇部商3-2美濃加茂
2回戦
宇部商8-4渋谷
(延長10回)
3回戦
宇部商2-4西日本短大付
91年・夏 ベスト16
1回戦
宇部商2-0東邦
2回戦
宇部商8-3学法石川
3回戦
宇部商5-7沖縄水産
95年・春 1勝
1回戦
宇部商10-9桐蔭学園
2回戦
宇部商1-4銚子商
98年・夏 1勝
1回戦
宇部商5-2日大東北
2回戦
宇部商2-3豊田大谷
(延長15回)
01年・夏 初戦敗退
1回戦
宇部商0-12花咲徳栄
02年・夏 初戦敗退
1回戦
宇部商2-3常総学院
05年・春 1勝
1回戦
宇部商6-2高松
2回戦
宇部商0-2愛工大名電
05年・夏 ベスト4
1回戦
宇部商7-4新潟明訓
2回戦
宇部商2-0静清工
3回戦
宇部商11-2酒田南
準々決勝
宇部商5-3日大三
準決勝
宇部商8-10京都外大西
中富監督在任の時期
07年・春 1勝
1回戦
宇部商4-3日大藤沢
2回戦
宇部商1-4室戸
公式戦の宇部商の通算の戦績
(更新:24/08/04)
〜〜、〜〜は、甲子園での上位進出や活躍。
赤は、甲子園大会や県大会で上位進出(県大会はベスト4以上)など、戦績の主なトピック。青は、注目したい好成績のトピック。
緑は、惜しまれる惜敗・敗退した戦績。
黄土色は、大会についての解説。茶は、時期ごとのチームの戦績の大まかなまとめ。
○○にした年度は、チームが強かった年度。
〔戦前〕
〔36年度〜40年度〕
〔宇部商〕(36年度〜40年度)
※36年度に夏県予選に初出場。
36年度は、
夏県予選初戦敗退。
39年度は、
夏県予選、1勝して(夏県予選初勝利)2回戦で敗退。
※、以上の時期の監督は未確認。
〔戦後〕
〔47年度〜61年度〕
〔宇部商〕(47年度・48年度)
47年度・48年度は、
夏県予選1回戦で敗退。
〔宇部農商〕(49年度〜52年度)
※、宇部農との統合により、この時期の校名は「宇部農商」。
49年度〜52年度は、
夏県予選1回戦で敗退。
〔宇部商〕(53年度〜)
※、宇部農芸高校(のちに宇部西高校と改名)が分離して、校名は「宇部商」に戻った。
53年度・54年度は、
夏県予選1回戦で敗退。
55年度は、
秋季県大会ベスト8(県決勝大会へ初出場)、
夏県予選ベ、2勝して県スト8。
56年度・57年度は、
夏県予選、1勝して2回戦で敗退。
58年度は、宣山投手(のぶやま・のちに広島カープに入団・右腕)・宮本投手・日高捕手を擁して、
秋季県大会準優勝、
春季県大会準優勝、
会長旗大会優勝、
夏は、2勝して夏県ベスト8(準々決勝で準優勝した岩国工に5-6で惜敗)。
59年度は、
夏県予選、2勝して県ベスト8。
60年度は、
夏県予選、1勝して3回戦で敗退。
61年度は、
夏県予選1回戦で敗退。
※、以上の時期の監督は未確認。
※、戦前の36年の創部から61年度までは、55年度・58年度・59年度(58年度チームは強かった)のほかは、戦績は振るわなかった。
〔62年春〜71年3月〕
62年春に、菊永悦男監督(元柳井商工監督)が監督に就任。71年3月まで監督をつとめた(退任後は下関商に異動して下関商監督となった)。
62年度は、
夏県予選、3勝して県ベスト8。
63年度は、縄田投手・真鍋選手を擁して、
夏は、5勝して決勝で全国で準優勝する池永投手の下関商に敗れて夏県準優勝。
※、63年度は、記念大会であり、県優勝のチームが夏甲子園に出場した。
64年度は、
秋季県大会ベスト8、
夏県予選、3勝してベスト8。
65年度は、
夏県予選、1勝して3回戦で敗退。
66年度は、三原投手・玉国選手・有田(哲)選手を擁して、
秋季県大会準優勝・秋季中国大会ベスト4により★春選抜甲子園に出場し、2勝してベスト4。甲子園初出場。
夏は、1勝して準々決勝で岩国工に0-1で敗れて夏県予選ベスト8。
67年度は、安田選手を擁して、
春季県大会ベスト4、
会長旗大会ベスト4、
夏県予選、3勝して県ベスト8。
68年度は、銭谷投手・2年生の有田(修)捕手を擁して、
夏は、5勝して決勝で岩国商に敗れて夏県優勝。
69年度は、2年生の松原投手・有田(修)捕手・2年生の高月選手を擁して、
夏は、県予選5勝してベスト2・西中国大会優勝で★夏甲子園に出場(初戦敗退)。夏初出場。
70年度は、松原投手・高月選手を擁して、
春季県大会優勝・春季中国大会出場(初戦敗退)、
夏県予選ベスト8。
71年度の秋は、
秋季県大会ベスト8。
※、菊永監督は、66年春・69年夏に宇部商を甲子園に導くなど(63年度・68年度は夏県準優勝)、60年代に宇部商を県決勝大会進出の常連校に押し上げた。
〔71年春〜75年度〕
71年度の春夏は、
夏県予選、1勝して2回戦で敗退。
72年度は、松永投手(のちに阪神タイガースに入団)を擁して、
秋季県大会ベスト8、
春季県大会ベスト4、
会長旗大会優勝、
夏県予選、3勝して県ベスト8。
73年度は、
会長旗大会ベスト8、
夏は、2勝して3回戦で敗退。
74年度は、
秋季県大会ベスト8、
夏県予選1回戦で敗退。
75年度は、
春季県大会ベスト8、
夏は、1勝して3回戦で敗退。
※、以上の時期の監督は未確認。
※、71年度〜75年度の時期は、72年度のチームは強かった。
〔76年度〜81年度〕
75年秋に、玉国光男監督が監督に就任。玉国監督は05年夏まで30年の間、監督をつとめた。
76年度は、左腕藤井投手(2年生)・左腕村上投手(2年生)・柿田選手を擁して、
会長旗大会ベスト4、
夏は、県を制して★夏甲子園に出場(初戦敗退)。夏2回目の出場。
77年度は、左腕藤井投手・左腕村上投手を擁して、
春季県大会ベスト4、
夏は、3勝して夏県ベスト4(柳井商に敗退)。
78年度は、
夏は、初戦の2回戦で宇部工に敗退。
※、79年度は、秋に部員の不祥事があり、県大会出場禁止の処分を受け、県大会への出場はなかった。
※、玉国監督が就任して、76年度・77年度は、76年度は夏甲子園出場など、好成績をおさめたが、続く78年度・79年度は停滞の時期となった。
80年度は、金田(一)投手・金田(繁)選手(2年生)を擁して、
秋季県大会ベスト8、
春季県大会ベスト4、
会長旗大会ベスト4、
夏は、3勝して夏県ベスト4(岩国に3-5で敗退)。
81年度は、森岡投手・秋村投手(1年生)・杉谷投手(2年生)・金田選手・秋村捕手を擁して、
秋季県大会優勝・秋季中国大会出場(初戦敗退)、
春季県大会ベスト8、
会長旗大会ベスト8、
夏は、4勝して夏県ベスト4(多々良学園に3-4で惜敗)。
※、80年度・81年度は、立て直しをはかって二年間の停滞から立ち直り、4県大会とも県決勝大会に進出し、夏県連続ベスト4の好成績をあげ、宇部商は黄金期の始めとなる82年度・83年度を迎えていく。
〔82年度〜91年度〕
82年度は、好右腕秋村投手(2年生)・杉谷投手・枩西選手(まつにし)を擁して、
秋季県大会準優勝・秋季中国大会出場(初戦敗退)、
春季県大会優勝・春季中国大会出場(初戦敗退)、
会長旗大会ベスト8、
夏は、県を制して★夏甲子園に出場(初戦敗退)。夏3回目の出場。
83年度は、好右腕秋村投手・浜口選手(2年生)を擁して、
秋季県大会優勝・秋季中国大会準優勝により★春選抜甲子園に出場(初戦敗退)。春2回目の出場。
春季県大会ベスト8(萩商に1-6で敗退)、
会長旗大会優勝、
夏も県を制して★夏甲子園に出場し、甲子園初勝利をあげ、2勝してベスト8。夏4回目の出場。春夏連続甲子園出場。
84年度は、田上投手(2年生)・古谷投手(2年生)・浜口選手を擁して、
秋季県大会準優勝・秋季中国大会ベスト4ながら翌春の選抜甲子園出場を逃し、
春季県大会2回戦で萩工に延長10回の3-4で敗退、
会長旗大会1回戦で豊浦に1-3で敗退、
夏は、準決勝で有力校の多々良学園を5-4で破るも、決勝で柳井高校に9回裏に逆転されてサヨナラ負けを喫して夏県準優勝となり、3年連続夏甲子園出場を断たれた。
85年度は、好左腕田上投手・古谷投手・藤井選手・福島選手・佐藤選手・田処捕手(2年生)・桂選手を擁して、
秋季県大会優勝・秋季中国大会優勝により★春選抜甲子園に出場して1勝。春3回目の出場。
春季県大会ベスト8、
会長旗大会優勝、
夏も県を制して★夏甲子園で5勝して全国準優勝。夏5回目の出場。春夏連続甲子園出場。
86年度は、田処捕手・川越選手を擁して、
秋季県大会ベスト8、
春季県大会3回戦で敗退、
会長旗大会ベスト4、
夏は、夏県ベスト8(準々決勝で優勝した岩国商に4-5で惜敗)。
87年度は、好左腕木村投手(2年生)を擁して、
秋季県大会ベスト4、
春季県大会2回戦で敗退、
会長旗大会優勝、
夏は、2勝して夏県ベスト8(準々決勝で優勝した温品投手の徳山に2-3で惜敗)。
88年度は、好左腕木村投手・宮内選手(1年生)を擁して、
秋季県大会優勝・秋季中国大会出場(初戦敗退)だったが、実力が認められて選抜甲子園出場校に選出されて★春選抜甲子園で2勝してベスト8。春4回目の出場。
春季県大会2回戦で敗退、
会長旗大会ベスト4、
夏も県を制して★夏甲子園で3勝してベスト8。夏6回目の出場。春夏連続出場でいずれもベスト8。
89年度は、宮内捕手(2年生)・坂本選手・泉選手(2年生)を擁して、
秋季県大会3回戦で敗退、
春季県大会ベスト4、
会長旗大会2回戦で敗退、
夏は、夏県ベスト8(優勝した宇多村投手の桜ケ丘に2-5で敗退)。
90年度は、好左腕金藤投手(2年生)・宮内選手・松本選手・泉選手を擁して、
秋季県大会優勝・秋季中国大会出場(初戦敗退)、
春季県大会3回戦で敗退
会長旗大会優勝、
夏は、県を制して★夏甲子園で2勝してベスト16。夏7回目の出場。
91年度は、好左腕金藤投手・田中選手・山本選手・工藤選手を擁して、
秋季県大会優勝・秋季中国大会1勝、
春季県大会ベスト4、
会長旗大会優勝、
夏は、県を制して★夏甲子園で2勝してベスト16。夏8回目の出場。2年連続夏甲子園出場し、いずれも2勝した。
※、この82年度〜91年度は、春夏甲子園に9度も出場して、ミラクル逆転劇を数多く演じ、83年夏甲子園ベスト8、85年夏全国準優勝、88年春夏甲子園ベスト8、90年夏甲子園ベスト16・91年夏甲子園ベスト16など、宇部商の黄金期と言える。
〔92年度〜97年度〕
92年度は、浅田投手・池島投手・松山投手・柴田投手(2年生)を擁して、
秋季県大会優勝・秋季中国大会1勝、
春季県大会2回戦で敗退、
会長旗大会準優勝、
夏は、夏県ベスト4(準決勝で優勝した山口県鴻城に敗退)。
93年度は、柴田投手・国安投手(2年生)を擁して、
秋季県大会ベスト8、
春季県大会2回戦で敗退、
会長旗大会初戦敗退、
夏は、夏県ベスト4(準決勝で優勝した光に敗退)。
94年度は、国安投手・福田選手(2年生)を擁して、
秋季県大会ベスト8、
春季県大会ベスト8、
会長旗大会初戦で宇部に4-7で敗退、
夏は、2勝して3回戦で会長旗大会に続いて宇部に1-2で敗退。
95年度は、好左腕三分一投手(さんぶいち)・福田選手・松尾捕手を擁して、
秋季県大会優勝・秋季中国大会優勝により★春選抜甲子園に出場し1勝をあげた。春5回目の出場。
春季県大会初戦敗退(西京に1-7で敗退)、
会長旗大会初戦敗退(西京に1-7で敗退)、
夏は、2勝して3回戦で山口県鴻城に3-4で敗退。
96年度は、山田投手・森畑選手・上本選手(1年生)を擁して、
秋季県大会準優勝・秋季中国大会1勝、
春季県大会ベスト8、
会長旗大会ベスト4、
夏は、初戦の2回戦で早鞆に7-8で敗退。
97年度は、山下投手(2年生)・上本捕手(2年生)・田村選手を擁して、
春季県大会ベスト4、
会長旗大会2回戦で敗退、
夏は、1勝して2回戦で優勝した西京に敗退。
※、94年度〜97年度は、95年春に秋季県大会優勝・秋季中国大会優勝で選抜甲子園に出場するも、夏は地区予選で敗退して、戦績は振るわなかった。
〔98年度〜02年度〕
98年度は、好左腕藤田投手(2年生)・山下投手・上本捕手(のちに西武に入団)・嶋村選手(2年生)・平田選手(1年生)をを擁して、
春季県大会ベスト4、
会長旗大会ベスト8、
夏は、県を制して★夏甲子園に出場し1勝をあげた(2戦目の豊田大谷戦では 延長15回に藤田投手のボークでサヨナラ負け)。夏9回目の出場。
99年度は、好左腕藤田投手・嶋村選手(のちにオリックスに入団)・2年生の平田選手を擁して、
春季県大会ベスト4、
会長旗大会ベスト4、
夏は、2勝して夏県ベスト8(多々良学園に敗退)。
00年度は、平田投手・網本選手・1年生の秋本選手を擁して、
秋季県大会ベスト8、
春季県大会ベスト8、
夏は、決勝で岩国に2-3で惜敗して夏県準優勝。
01年度は、古谷投手(2年生)・秋本選手(2年生)・佐藤選手・森畑選手・藤田捕手を擁して、
秋季県大会優勝・秋季中国大会1勝、
春季県大会3回戦で敗退、
会長旗大会2回戦で敗退、
夏は、県を制して★夏甲子園に出場(初戦で花咲徳栄に0-12で大敗)。夏10回目の出場。
02年度は、古谷投手・秋本選手・松本選手を擁して、
秋季県大会準優勝・秋季中国大会出場(初戦敗退)、
春季県大会3回戦で敗退、
会長旗大会優勝、
夏は、県を制して★夏甲子園に出場(初戦で常総学院に9回表の反撃は2点にとどまり2-3で惜敗)。夏11回目の出場。2年連続夏甲子園出場。
〔03年度〜05年度〕
03年度は、好左腕弘中投手・河田投手・家島投手(2年生)を擁して、
秋季県大会2勝して3回戦で敗退(岩国に1-8で敗退)、
春季大会2回戦で敗退、
会長旗大会ベスト4、
夏は、準々決勝で大伴投手の岩国に延長10回の0-1で敗れて夏県ベスト8。
04年度は、家島投手・好永投手(2年生)・佐伯投手を擁して、
秋季県大会ベスト8(響に3-7で敗退)、
春季県大会3回戦で敗退、
会長旗大会ベスト4、
夏は、準決勝で前年夏に続いて梅本投手の岩国に5-10で敗れて夏県ベスト4。
05年度は、好左腕好永投手・上村選手・工藤選手・井田選手・星山捕手・豊田選手(2年生)・高橋選手(1年生)を擁して、
秋季県大会優勝・秋季中国大会優勝により★春選抜甲子園に出場して1勝。春6回目の出場。
春季県大会ベスト8、
会長旗大会2回戦で敗退、
夏は、準々決勝・準決勝で岩国・華陵を撃破し、県を制して★夏甲子園で4勝してベスト4(準決勝で京都外大西に8回裏に7-6と勝ち越したものの、9回表に暴投による生還など4点を献上して逆転され8-10で敗退)。夏12回目の出場。春夏連続甲子園出場。
玉国監督は、05年秋以降、宇部商の監督を中冨コーチに任せていたが、06年7月末に正式に勇退表明。その後も、宇部商の総監督として選手たちへの指導を継続した。(14年春から宇部市内の中学硬式チーム・宇部ボーイズの監督に就任。)
※、98年度は、夏甲子園出場1勝と藤田投手の悲運のサヨナラボークで話題となり、01年度・02年度は連続で夏甲子園に出場するも、いずれも初戦敗退という玉国宇部商らしからぬ結果となった。
※、98年度以降は,08年度まで、夏は、県決勝大会へ進出している。夏甲子園出場を果たした間の99年度〜04年度のチームも、強かった。
※、05年度は、玉国監督在任の最後の年度として、夏全国ベスト4を成し遂げて、宇部商の復活・健在を世に示した。
※、玉国監督は、監督在任中の30年の間に、春夏甲子園出場(夏11回・春5回)において通算24勝16敗(夏19勝11敗・春5勝5敗)。甲子園で幾多の劇的なミラクル試合を演出した。
〔06年度〜11年度〕
06年7月末に、中冨 力監督が、玉国監督のあとを受けて、監督に就任。(05年夏の大会のあと、06年夏までは監督代行として指揮を取った。中冨監督は、83年春夏に宇部商の主将として豪腕秋村投手とバッテリーを組んで甲子園で活躍。宇部商に赴任後は玉国監督のもとで宇部商の部長・コーチを長くつとめた。)
06年度は、豊田投手・高橋投手(2年生)・原田捕手(2年生)・下井選手(2年生)・三上投手(1年生)を擁して、
秋季県大会第三位・秋季中国大会出場(初戦敗退)、
春季県大会ベスト8、
会長旗大会ベスト8、
夏は、1勝して2回戦で早鞆に敗退(延長10回の5-6でサヨナラ負けした)。
07年度は、高橋投手・原田捕手・三上投手(2年生)・國本選手・中田選手・下井選手・2年生の林選手を擁して、
秋季県大会優勝・秋季中国大会ベスト4により★春選抜大会に出場し、1勝をあげた(初戦の日大藤沢戦で林選手にサヨナラソロが出た)。春7回目の出場。
春季県大会ベスト8、
会長旗大会優勝、
夏は、準々決勝で岩国に敗れて夏県ベスト8に終わった。
08年度は、三上投手・畠中投手(2年生)・財満投手(2年生)・福嶋捕手・林選手・山下選手・齋藤選手を擁して、
秋季県大会第三位、秋季中国大会出場(初戦敗退)、
春季県大会準優勝・春季中国大会優勝、
夏は、準々決勝で南陽工に敗れて夏県ベスト8に終わった。
09年度の秋春は、左腕畠中投手・左腕財満投手・目選手(さっか)を擁して、
会長旗大会ベスト8(準々決勝で岩国商の柳原投手にノーヒットノーランを喫した)。
09年秋に、藤井 久監督が監督に就任。(09年6月から中富監督に代わって監督代行として指揮を執った。藤井監督は、玉国監督と二人三足で長年宇部商でコーチをつとめてきた。)
09年度の夏は、好左腕畠中投手・好左腕財満投手・目選手(さっか)を擁して、
夏は、1勝して2回戦で前原投手の西京に5-7で敗退。
10年度は、山本(翔)投手・藤野投手・牧野選手を擁して、
秋季県大会2勝して3回戦で敗退、
春季県大会2勝して3回戦で敗退、
夏は、1勝して前年夏に続いて2回戦で為栗投手の西京に延長10回の4-5でサヨナラ敗退。
11年度は、好左腕西村投手・畑谷選手・大田選手を擁して、
秋季県大会ベスト8(準々決勝で安原投手の徳山商工に3-5で敗退)、
春季県大会1勝して2回戦で敗退、
夏は、1勝して2回戦で岡本投手の宇部工に5回コールドの0-10で敗退。
3年連続で夏季県大会1勝して2回戦敗退となった。
11年夏の県大会終了後、藤井監督は退任。
※、玉国監督退任後のこの06年度〜11年度の時期は、中富監督が率いた06年度〜08年度は、07年春選抜甲子園1勝、08年春季中国大会優勝など、チームは強かったが、08年度〜11年度は、戦績は低迷した。
〔12年度〜16年度〕
11年秋に、桑原英樹監督(前防府高校監督・11年4月に同校に異動)が、藤井監督に代わって、監督に就任し、11年8月の秋季長南大会では指揮を執った。
12年度は、山内投手・山下投手・小田選手・中尾(勇)選手を擁して、
秋季県大会は、2勝して3回戦で敗退、
春季県大会は、県ベスト8、
夏は、2勝して3回戦で優勝した宇部鴻城に4-5で惜敗。
13年度は、原田投手・中尾投手(2年生)・佐藤投手(2年生)・山岡投手(2年生)を擁して、
秋季県大会は、県ベスト8、
春季県大会は、2勝して3回戦で敗退、
夏は、1勝して2回戦で宇部工に1-4で敗退。
14年度は、中尾投手・佐藤投手・山岡投手・有吉選手・宮崎(祐)捕手(2年生)を擁して、
秋季県大会は、県第3位(4年半ぶりに県大会で準々決勝を突破した)・秋季中国大会出場(初戦敗退)、
春季県大会は、県ベスト8、
夏は、1勝して3回戦で福島投手の宇部鴻城に敗退。
15年度は、宮崎(祐)捕手・小幡投手・枡永投手・宮本投手・田中(颯)選手を擁して、
秋季県大会は、県準優勝・秋季中国大会ベスト4ながら、翌春の選抜甲子園出場には漏れた。
夏は、4勝して夏県ベスト4(優勝した下関商に敗退)。
16年度は、好左腕野口投手・好左腕橋口投手・宮崎(洸)選手・堀川選手・宮崎(大)選手を擁して、
秋季県大会は、県準優勝・秋季中国大会出場(初戦敗退)。3年連続秋季中国大会出場。
夏は、準々決勝で優勝した高川学園に敗れて夏県ベスト8で終わった。
※、09年度〜13年度は県大会もベスト8どまりで戦績の不振が続いたが、桑原監督のもと、14年度〜16年度は県決勝大会でベスト4以上の上位進出を取り戻して、宇部商復活への動きを世に示した。
〔17年度〜〕
17年4月に、松尾貴史監督が監督に就任し(桑原監督は防府商工に異動)、現在に至る。
(松尾監督は、95年度宇部商チームの4番捕手だった同校野球部OB。同校野球部コーチをつとめていた。)
17年度は、小南投手・原田投手・竹林投手・田中投手(2年生)、丸尾選手・荒瀬選手・金子選手・村田選手(1年生)・浜口選手(2年生)を擁して、
秋季県大会は、2勝して3回戦で中田投手の慶進に敗退、
春季県大会は、1回戦で秋に続いて中田投手の慶進に敗退、
夏は、快進撃を続けて15年度に続いて4勝して夏県ベスト4(優勝した下関国際に延長11回の6-8で惜敗した)。
18年度は、田中投手・上田投手(2年生)、浜口選手・古谷選手・村田選手(2年生)・岩本選手(2年生)・橋本選手(1年生)を擁して、
秋季県大会は、3回戦で宇部鴻城に延長11回の3-5で敗退、
春季県大会は、3回戦で秋に続いて宇部鴻城に敗退、
夏は、2勝して3回戦で宇部工に8回裏に逆転されて4-7で敗退。
19年度は、松本投手(2年生)・油川投手・上田投手、村田選手、橋本選手(2年生)・山田選手、岩本選手を擁して、
秋季県大会は、県ベスト8(準々決勝で6、7回に8点を献上して柳井学園に7回コールドの3-11で敗退)、秋の県1年生大会優勝、
春季県大会は、県ベスト8(聖光に延長11回の1-2で惜敗)、
夏は、1勝して3回戦で西京に4-7で敗退。
20年度は、松本投手・油川投手・大田投手(2年生)、橋本選手・山田選手・河村選手、坪井選手(2年生)・岩井選手を擁して、
秋季県大会は、県ベスト8(準々決勝で5回まで7-2のリードも試合終盤に追いつかれ延長戦で勝ち越されて南陽工に敗退)、
夏は、1回戦で伏兵・萩商工に不覚を取って初戦敗退となった。
21年度は、大田投手・茗荷谷投手、坪井選手・岩井選手・下垣選手・西田選手、松西選手(2年生)を擁して、
秋季県大会は、下関国際に敗れて夏に続いて初戦敗退となった。
春季県大会は、3回戦で秋季県大会ベスト4の萩商工に完封勝ちするなど3勝して県決勝大会に進出したが、準々決勝で高川学園に3-4で競り負けた。
夏は、シードと成り、2勝したが、準々決勝で長川投手の岩国商に敗退となり、夏県ベスト8で終わった。
22年度は、津村投手・遠矢投手、木村投手(2年生)、高森選手・松西選手・櫃田選手・篠原選手・岡崎選手を擁して、
秋季県大会は、県準優勝と躍進。秋季中国大会(1勝)、
春季県大会は、2回戦(初戦)で西京に0-3で敗退、
夏は、1勝して3回戦で長門に敗退。
23年度は、木村投手・渡邊投手(2年生)、大森選手(右腕)・井本選手(2年生)・河口(雅)選手(2年生)・森岡選手(1年生)を擁して、
秋季県大会は、2勝して3回戦で宇部工に2-4で敗退、
春季県大会は、2勝して3回戦で下関国際に敗退、
夏は、同じく下関地区のブロックに入り、2勝して再び3回戦で下関国際に敗退となった。
24年度は、渡邉投手・斎藤投手・薬師寺投手(2年生)、藤田投手(2年生)、河口選手・井本選手・池田選手・大下選手(2年生)・笹村選手(2年生)を擁して、
秋季県大会は、1勝して2回戦で宇部鴻城に1-3で敗退、
春季県大会は、2勝して3回戦で下関国際に敗退、
夏は、2勝して3回戦で西京に延長15回の末、6-7で惜敗となった。
※、宇部商は、春は16年ほど、夏は18年ほど、甲子園出場から遠ざかっているが、桑原監督及び継いだ宇部商OBの松尾監督のもと、14年度秋季中国大会出場・15年度秋季中国大会ベスト4・16年度秋季中国大会出場、15年度夏県ベスト4・16年度夏県ベスト8・17年度夏県ベスト4、19年度秋季県大会ベスト8・19年度県1年生大会優勝・春季県大会ベスト8、22年度秋季県大会準優勝・秋季中国大会1勝と、甲子園に返り咲く宇部商復活の動きは14年度以降着実に現れてきている。
※、20年夏代替大会、20年秋季県大会は、コロナによる練習や調整の不足があったか、続けて初戦敗退となった。
※、21年度は、夏ベスト8で終わったが、21年秋は秋季県大会準優勝・秋季中国大会1勝を遂げ、22年夏は宇部商の躍進と甲子園復活が期待されたが、春・夏と戦績は振るわなかった。
23年度・24年度は、三県大会とも、2勝(6大会)・1勝(1大会)するも、地区予選で敗退し、振わなかった。
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