1
ロシアの貨幣
(更新:25/08/27)
当時の貨幣としては、
紙幣と銀貨・
銅貨・金貨
があった。
当時は、
1ルーブル=100コペイカ
紙幣としては、
以下のように色分けした
六種類の紙幣があった。
1ルーブル紙幣 (黄色)
3ルーブル紙幣 (緑色)
5ルーブル紙幣 (青色)
10ルーブル紙幣 (赤色)
25ルーブル紙幣 (灰色)
100ルーブル紙幣 (虹色)
※、当時の1ルーブル紙幣

1ルーブル紙幣
( ロシアの1865年時の
もの。その裏面。)
[写真提供:SEKINEさん]
銀貨・銅貨・金貨としては、
以下などがあった。
ルーブル銀貨
(1.5ルーブル銀貨・
1ルーブル銀貨、など)
コペイカ銀貨
(50コペイカ銀貨・25コペイカ銀貨・20コペイカ銀貨・15コペイカ銀貨・10コペイカ銀貨・5コペイカ銀貨、など)
コペイカ銅貨
(20コペイカ銅貨・5コペイカ銅貨・3コペイカ銅貨・2コペイカ銅貨・1コペイカ銅貨・1/2コペイカ銅貨・1/4コペイカ銅貨、など)、
ルーブル金貨
(5ルーブル金貨・3ルーブル金貨、など)
※、金貨は、ドストエフスキーの小説では、ほとんど出てこない。
※
「ロシアコイン集」
(裕さんのページ)
※、1ルーブルと言えば、ふつう、紙幣を指す。当時、ルーブル銀貨は、ルーブル紙幣に比べて、3.5倍低度の価値があった。銀貨2ルーブルと紙幣1ルーブルでは、実質、8ルーブルとなる。
当時の1ルーブル(1コペイカ)は、現在の日本ではいくらになるか、については、
a、約10000円(約100円)
b、5000円〜10000円(50円〜100円)
c、約5000円(約50円)
d、2200円〜2700円(22円〜27円)
e、約1000円(約10円)
などのいくつかの説がある。
※、円への換算は困難だそうだが、江川卓氏は氏が翻訳した『罪と罰』(旺文社文庫1966年初版)の解説で、当時の1ルーブル(1コペイカ)は、当時(1960年代半ば)の日本では、約1000円(10円)弱と換算している。1960年代半ばに比べての現在の物価を考慮して換算するなら、現在では、上記のうち、c・dが有力とのこと。
2
登場人物の姓名・呼称
(更新:25/08/27)
ロシアの小説を読む場合、ややっこしいのが、登場人物の名前の区別。名前自体が長い上に、正式に呼べば名が三つ並び、また、地の文と会話文とでは呼び方が異なることが多くて、覚えたり区別したりするのに、読者は、始終、閉口・苦労する。
出てくる各登場人物の名を小用紙にメモしつつ、本にはさんでおいて、適宜見つつ確認しつつ読みすすめていく、というのも、一方法。
〇ロシアにおける名前
ロシアでは、名前は、
名前全体を言う正式名としては、
名・父称・姓
の三つを、この順に並べて言う。
例:
アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフ(←カラマーゾフ
(カラマーゾフ家のフョードルの息子アレクセイ、の意)
名=両親が自分の子供につける呼び名。
ロシアでも、名はキリスト教の聖人や天使などに由来するものが多くて、大半はポピュラーなものがつけられる。
例:
イヴァン(イワン)←聖書の使徒ヨハネ
ピョートル←使徒ペテロ
パーヴェル←伝道者パウロ
アンドレイ←イエスの弟子アンデレ
ミハイル←大天使ミカエル
ニコライ←ギリシャ語のニコラウス
名は、
男なら、
ボリス、ミハイル、セルゲイ、ウラジミール、ニコライ、ユーリー、アレクサンドル、
女なら、
ナターシヤ、カチューシヤ、ニーナ、ガリーナ、エレーナ、タチヤナ
などが有名。
父称
=父親の名から自動的につくられるもの。
息子なら、「〜▲ヴィチ(ヴィッチ)」など、娘なら、「〜▲ヴナ」など、となる。
(▲はオ列音になる。)
例:
ドストエフスキーの場合、父親の名は「ミハイル」だから、「ミハイロヴィチ」となる。
姓
=家系の呼び名。「ドストエフスキー」は、名でなくて、姓である。
「〜スキー」「〜▲フ」(「〜▼フ」(▲はオ列音、▼はエ列音)の形がポピュラー。
姓は、キリスト教やロシアにおける聖人・王の名や地名から出来たものが多い。
例:
ペトローフ←使徒ペテロ
ドストエフスキー←初代の先祖が住んだ土地の村名ドストエーヴォ
女性の場合、「姓」の語尾は、
「〜ワ」の形などになる。
例:
ソーフィヤ・セミョーノ
ヴナ・マルメラード
ワ(←マルメラードフ)
〇愛称、卑称
愛称
=肉親や親しい友人の間だけで使われる呼び方。
名の語尾を、「〜ー△ャ」
「〜ー▽チカ」「〜ーニャ」
などに変えて、呼ぶ。
(△はイ列音、▽はエ列音になる。)
例:
アリョーシャ(←アレクセイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフ)
ロージャ(←ロジオン・ロマヌイチ・ラスコーリニコフ)
ソーニャ、ソーネチカ(←ソーフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ)
ガーニャ(←ガヴリーラ・アルダリオーノヴィチ・イヴォルギン)
名の最初の部分を抜
かして呼ぶ愛称もある。
例:
ミーチャ、ミーチカ(←ドミートリイ・フョードロヴィチ・カラマーゾフ)
ドゥーニャ、ドゥーネチカ(←アブドーチヤ・ロマノヴナ・ラスコーリニコワ)
卑称(蔑称)
=相手をやや軽蔑した呼び方。
父称抜きで、名の語尾を「〜ンカ」などに変えたり、名の最初の部分を抜かしたりして、呼ぶ。
例:
ガンカ(←ガヴリーラ)
ヴァンカ(←イヴァン)
〇種々の用い方
・親が子を呼ぶときや、夫婦・兄弟姉妹・親友どうしなどのようにごく親しい間柄で互いを呼ぶときには、名だけで呼ぶが、その場合、たいてい愛称を用いる。
・親しくても目上の人や遠慮をおいて話す間柄の人を呼ぶ時は、姓はつけず「名・父称」で呼ぶのがふつう。
例:
ロジオン・ロマヌイチ(←ロジオン・ロマヌイチ・ラスコーリニコフ)
・小説の中では、作者が、地の文で登場人物について述べる時には、「姓」、時に、「名・父称」で示す。
例:
ラスコーリニコフ(←ロジオン・ロマヌイチ・ラスコーリニコフ)
パーヴェル・パーヴロヴィチ(←パーヴェル・パーヴロヴィチ・トルソツキー)
ナスターシヤ・フィリポヴナ(←ナスターシヤ・フィリポヴナ・バラシコーワ)
(※邦訳の日本語表記としては、「ナスターシャ・フィリポヴナ」としているものもあり)
3
身分・官職名
(更新:25/08/27)
貴族の爵位
(公爵、伯爵、男爵)
・ピョートル一世(在位1682年〜1725年)の代以前では、ロシアでは、貴族の爵位としては、「公爵」しかなかったが、ピョートル一世は、貴族(トボリャンストボ)の爵位として、公爵以外に、「伯爵」「男爵」を新設し、この三つの爵位は、1917年のロシア革命まで続いた。
(なお、日本の明治政府が定めた公・侯・伯・子・男(左ほど高位)という華族の爵位は、イギリスの上級貴族の爵位にならったもの。)
全体としては、爵位のない貴族が多かったが、古い家柄の貴族やとくに功績のあった貴族には、「公爵」や「伯爵」の爵位が与えられ、バルト海沿岸の出身のドイツ系貴族や実業家には、「男爵(baron)」の爵位が授けられた。
・ドストエフスキーの小説では、
『白痴』の
ムイシュキン公爵、
Щ(シチャー)公爵、
『虐げられた人びと』の
ワルコフスキー公爵、
『未成年』の
セルゲイ‐ペトローヴイチ公爵、
ニコライ老公爵、
など、ロシアの最上流の名門の貴族である公爵家の登場人物がよく出てくる。
『白痴』のムイシュキンは、自分をロシアの相当な名門の世襲貴族の末裔(まつえい)とみなしていて、自ら「ムイシュキン公爵」と名乗っている。(新潮文庫の上巻のp12)
『未成年』では、アルカージイ(アルカージイ・マカロヴィチ・ドルゴルーキー)は、自分の姓ドルゴルーキーを名乗った時、相手から「公爵のドルゴルーキーかい?」と聞かれて、(ロシアには、ドルゴルーキー家という名門の公爵家があった。)「いや、ただのドルゴルーキーです(農奴あがりの下男の息子だ)。」と腹立たしげに言う箇所があり。)
男爵としては、
『未成年』の
ビオリング男爵
など。
なお、ドストエフスキーの小説では、主要登場人物としては、伯爵の身分の人物は登場していない。
(トルストイの小説では、伯爵家の人物がよく登場してくる。)
武官・文官の階位、〜等官
帝政ロシア期の官僚制では、
文官は、
1等官〜14等官
の階位があり、
武官は、
・元帥、大将、中将、少将、代将、
・大佐、中佐、少佐、
・太尉、二等太尉、三等太尉、
・中尉、少尉、少尉補
という同じく14の階位があった。
現役から退いた武官の官吏は、
退役〜、〜将軍
と呼ばれた。
少尉以上を将校と呼ぶ。
※
『カラ兄弟』の
・退役二等太尉
のスネギリョフ、
・退役将校
のドミートリイ
『罪と罰』の
・9等官(武官では太尉にあたる)
のマルメラードフ
など。
「〜将軍」という呼び方
『白痴』の
イヴォルギン将軍、
エパンチン将軍
などの「〜将軍」という呼び方は、元軍人だった人が、軍職から退いた後(退職後)にも、名誉ぶって姓の下に付けているもので、軍隊で、ある程度軍功をあげた元軍人(軍隊では、いわゆる軍隊を指揮するなどの「将軍」という高位にあったわけでは必ずしもない。)という意味を示している。
当時では、彼ら軍人の中には、在職時から小金をためて、そのためた資金で退職後にアパートや牧場などの経営を行う者がいて、彼らは、その第二の人生において、「〜将軍」と名乗って新たな仕事に従事し、他の人からもそう呼ばれた、という面があった。
『白痴』の
エパンチン将軍、
『賭博者』の
将軍、
などは、その例。
一方、
『白痴』の
イヴォルギン将軍
は、軍職を退いて後は、仕事をせずに妾(めかけ)をつくって日々酒にひたっているアル中老人であり、元軍人であったことの名誉を人にひけらかすために付けている呼び方に過ぎない。
4
ぺテルブルク
[事項]
・ぺテルブルク
ペテルブルク
・時候、気象
白夜
避暑
・川、運河
★ネヴァ川
洪水、結氷
・建物、街並み
共同住宅
別荘
埃、悪臭
・設備
下水道、水道
街灯
・店
居酒屋、料理屋
質屋
娼家
・広場、公園
★センナヤ広場
・施設
学校
礼拝堂、教会
・乗り物
馬車
鉄道
※ ※ ※ ※
ペテルブルクについて
バルト海への進出のため1700年から始まったスウェーデンとの戦争(北方戦争・〜1721年)で奪取した原始的な沼沢と大森林の地に、当時のロマネフ朝のピョートル大帝(在位1682年〜1725年)の指揮のもと、ヨーロッパへの窓を開こうと、1703年に海港と要塞を築いたことが都市ペテルブルクの起源。命名は、ピョートル大帝の名と聖使徒ペテロの名にちなんでいる。
ネヴァ川のこのデルタ地にヨーロッパ風の人工都市の建設は進み、1713年には、いちおうの完成を見せて、首都もこの都市に移転された。
以来、ロシア革命の翌年の1918年にモスクワに首都が移されるまで、ロシア帝国の首都として、ロシアの政治・経済・文化の中心となって発展した。
(市名は、1914年に「ペテルブルク(サンクト・ペテルブルク)」から「ペトログラード」に、1924年には「レニングラード」に、1991年には旧名の「サンクト・ペテルブルク」に戻っている。)
首都移転時には10万人(その多くはモスクワからの強制移住)だった人口は、1800年には22万人になり、工業化・資本主義化が進んだ19世紀に入ると飛躍的に増加し、鉄道の開通や1861年の農奴解放ののちは、工場労働者としての地方の農民の移入も増え、『罪と罰』が完成した年の前年の1865年には54万人、ドストエフスキーが亡くなった年の前年の1880年には84万人、1900年には150万人に拡大している。
市の面積は、東京都区の面積の57%。
当時の市全体は、以下で成りたっている。
南部の
・本土、
本土の北西部の
・ワシリエフスキー島、
北部の
・ペテルブルクスキー島
(ペテルブルク区)、
を初めとする大小の七つの島
(市街は101の島に
わかれている。)
北部の、
・ヴィボルグ区
その間を流れる川として、
南部の本土の北からヴィボルグスキー区の南側を流れる
・大ネヴァ川、
本土の北西部のワシーリエフスキー島と北部のペテルブルクスキー島の間を流れる
・小ネヴァ川、
本土の中央部を流れる
・モイカ川
など。
運河として、
本土の北東から南西へと走る、
北側の、
・エカチテリーナ運河、
南側の
・フォンタンカ運河(フォンタンカ川)
西は
・フィンランド湾
に面する。
市街は、ネヴァ川の河岸及びそのデルタ上に広がっていて、市の約15%は水面であり(川幅も340m〜650mと広い)、ネヴァ川は市内に入ると、いくつかの支流にわかれ、運河も市街を縦横に走っていて、市中には、600近くの橋がかかっている。
(そういう点で、ペテルブルクは、美しい「水の都」であり、「北方のヴェニス」と言われるゆえんである。ドストエフスキーの体験にあるように、夏の白夜のネヴァ川のほとりに立てば、幻想的なパノラマを体験することができる。)
橋としては、
南部の本土と北西部のワシーリエフスキー島を結ぶ橋として
・ニコラエフスキー橋(=ニコライ橋)、
・王宮橋、
南部の本土と北部のペテルブルクスキー島(ペテルブルク区)を結ぶ橋として
・トロイツキー橋
が知られる。
市街の建物は、当初より、ピョートル大帝の方針に基づき、石造りの建物や石橋が多い。
道路も当初より、石で舗装され、
本土を北西から南東に走る目抜き通りの
・ネフスキー大通り、
南北に走る
・ヴォズネセンスキー通り
を中心に、各通りが縦横に走っている。
『罪と罰』に登場してくる、
・センナヤ広場
(エカテリーナ運河の南側の区域)
は、本土の中央に位置し、市外からの移入民が集まる庶民の市場として賑わった。
センナヤ市場一帯は、人口の過密区域であり、賃貸しの共同住宅ビルが密集し、酒場や娼家なども多かった。
〇
ペテルブルクについて、いろ
いろ解説・紹介している本
★現在、市販中のもの。
a(当時のペテルブルグに
ついて、いろいろ解説・紹
介しているもの)
1.
「『罪と罰』のセンナヤ広場界隈」
〔『知られざるドストエフスキー』(中村健之介著。岩波書店1993年初版。)★に所収。p51〜p87。〕
当時のペテルブルグの、人口・身分別人口・住宅環境・酒場や食堂・娼家・大学生・四季の様子・センナヤ広場・自然、などを紹介している。
2.
「幻想都市ペテルブルグ」
〔『ドストエフスキー・ノート―「罪と罰」の世界』(清水孝純著。九州大学出版会1981年初版。)★
に所収。p281〜p296。〕
『罪と罰』の舞台としてのペテルブルグについて簡潔に紹介している。
3.
「ドストエフスキーのペテルブルグ」
〔『随想ドストエフスキー』(小沼文彦著。近代文芸社1997年初版。)★に所収。p55〜p81。〕
青年期以降の大半をペテルブルグに居をかまえたドスト氏の住居先(頻繁に居を変えた、その18の転居先)の街割りなどを、順に紹介している。
4.
『ドストエフスキー箴言と省察』
(小沼文彦編訳。教文館1985年初版。)の中の
「ペテルブルグ」の項。
ペテルブルグについて言及しているドストエフスキー自身の言葉が集められている。
5.
『現代思想―特集=
ドストエフスキー』
(1979年9月号。青土社刊。)に所収の、
「恐ろしい夜の町ペテルブルグ」(小池滋・筆)
「ペテルブルグのフラヌール(=散策者)」(海野弘・筆)
「ペテルブルグ―幻視の中の都市像」(小泉文子・筆)
「都市―ドストエフスキーと熱中時代」(ジョング・筆、丘澤静也訳)
「都市と文学―対話=ドストエフスキーへの新しい視座」(前田愛と川端香男里の対談)
b(ペテルブルグの今昔・
滞在記・観光案内)
1.
『聖ペテルブルグ』
(大石雅彦著。水声社1996年初版。)★
古今のロシアの文学や芸術におけるペテルブルグのことを紹介している。
2.
『サンクトペテルブルグ―
混沌と幻想の街』
(鎌田慧著。1996年日本放送出版協会初版。)★
筆者のサンクトペテルブルグ滞在(1995・1996年)の紀行エッセイ。ペテルブルグの今昔を、プーシキン・ゴーゴリ・ドスト氏などの作品にも言及しつつ、紹介している。
3.
「レニングラード」
〔『ソヴェト旅行案内』(中公新書。野々村一雄著。1966年初版。)に所収。p104〜p152。〕
レニングラード(サンクトペテルブルグの旧名)の沿革や各名所を案内している。
4.
ビデオ『ロシアの宝石モ
スクワ・レニングラード』
(発売元・(株)文藝春秋。
カラーの日本語版。)★
白夜
(びゃくや、はくや)
ペテルブルクは緯度が高い(北緯60度弱)ため、初夏以降の5月〜8月には白夜となり(ピークは6月下旬)、その期間は、太陽は午後11時頃に沈むが、どっぷり日が暮れてしまうことがなく、真夜中でも薄明のままとなる。
ちなみに、冬は昼が短くて、冬至が近づくと午後4時には夜になる。
※、小説の中の白夜
についての記述
『貧しき人びと』
「いったい、わたしがきみのところへそうたびたびいかれるはずがないじゃありませんか?え、そうでしょう?闇夜にまぎれて忍んでいけというんですか?それに第一、近ごろは夜らしい夜もないじゃありませんか。いまは白夜の季節なのですから。」
(ジェーヴシキンの5月20日の手紙より。新潮文庫のp37。)
『罪と罰』
「彼らは中庭から入って、四階へのぼって行った。階段は上に行くほど、暗くなった。もうほとんど十一時近くで、その頃ペテルブルクは白夜の季節とは言え、階段の上のほうはひじょうに暗かった。」
(第1部の2。新潮文庫の上巻のp43。)
『白夜』
「昨夜は私たちの三度目のランデヴーだった、私たちの三度目の白夜だった。」
(角川文庫のp76。物語は、白夜の時期にあたる5日間にわたる物語になっている。)
5
年中行事・お祝い
( 祝祭日 )
〇 ヨールカ祭り
12月25日以降、ヨールカ(=唐檜(とうひ)と呼ばれるロシアのクリスマスツリー。降誕祭樹。) の飾り付けが本格化し、12月31日に準備完了し、1月7日の降誕祭(ロシア正教のクリスマス) を経て、1月半ばまで続くロシアのクリスマスの祭りのこと。
ロシアでは12月25日から1月6日までの12日間を「クリスマス週間」としている。
ヨールカの集いには、ロシアのサンタクロースであるマロース爺さんやスネグローチカ(雪娘)が登場する。
〔短編『キリストのヨルカに召されし少年』〕
〇 復活祭
( ロシア語では、パースハ )
十字架にかけられたキリストが三日後に復活したことをたたえ祝う日。
欧米の復活祭(イースター)と同じく、ロシアでも、「春分の次の満月の後の日曜日」に行われる。
移動祝祭日として、年ごとに復活祭の日は異なるが、暦の関係で、カトリックやプロテスタントのそれより一ヶ月ほど遅い、大体、3月後半から4月末にかけての時期に行われ、春の到来を喜び祝う春祭りとしての性格もあり。
ロシア正教では、イエスの十字架の刑による罪の償いよりも、イエスの三日後の復活を「イエスの勝利」として重視するので、復活祭は、ロシア正教の最大の祭日であり、特別な意義を有
している。
復活祭の前夜の0時になると、司祭と集まってきた信者たちの代表が教会の回りを、「ハリスト ス(ロシア正教でのキリストの呼び名)復活せり」などの讃詞を唱えつつ一周する「十字行」を
行い、そのあと、教会の中で、早朝まで夜を徹して立ったまま(正教の教会には基本的に椅子が ない。)祈祷(きとう。聖歌を歌うことが中心。)を行う。朝がくると、「聖体礼儀」が行われ、 信者たちが持ち寄った卵(卵は復活の象徴とされる)・クリーチ(円筒形のパンケーキ)・パースハ(復活祭用のチーズケーキ)などを交換し食して、イエスの復活の喜びを分かち合う。
〇 大斎
( おおものいみ、四旬祭、
四旬斎、四旬節、
ロシア語では、ポスト )
復活祭を迎える前の7週間(主日(=日曜、復活日)を除いた40日間)の準備期間のこと。
イエスが食べ物も飲み水もなしに悪魔の誘惑を受けながら荒野で過ごした40日間の苦しみを分かち合うという意味があり、その期間、信者は、菜食に入り、特別な祈りの句を唱えつつ、
斎(ものいみ)し・精進して過ごす。
復活祭の前の一週間を「受難週間(神聖週間)」、復活祭の週を「光明週間」と言う。
〔『カラマーゾフの兄弟』の第6編第2のマルケールの回心の箇所、など。〕
復活祭のあとは祝いの40日間があり、復活祭から50日目には、「聖霊降臨祭(至聖三者祭、五旬祭)」が行われる。
〔『罪と罰』の第6部の6、など。〕
( 個人の祝い日 )
〇 名の日の祝い
( 命名日の祝い )
自分の洗礼名と同じ名を持つ聖者の祭日。誕生日よりも盛大に行われる。
〔『未成年』第1部の第2章の1、など。〕
6
服飾
[上着、外套、下着]
・外套、布外套
・マント
・燕尾服
・サラファン
ロシアで古来、主として女性の着用する代表的民族服。普通はいくぶんゆるやかな,いわゆるジャンパースカート形式をとる。通常ブラウスの上に着用し,丈の短いものもある。
・ルバシカ
ロシアの民族服の一つ。詰め襟、長袖、左前開きで腰丈の男性用上衣。
・ドレス(絹のドレス)
・シャツ
・ブラウス
[ショール類]
・プラトーク
ロシアの民族的な女性用被り物で,季節を問わず用いられる。ふつうは四角い布切れ,またはニット地で,頭に被るほか,肩にかけたり,首に巻いたりする。原色の華やかな多彩な花柄が多く好まれる。
※、『罪と罰』で出てくる。
・ショール
・スカーフ
[帽子類、杖類]
・帽子、ロシア帽
・ハット(シルクハット)
・フード付きの上衣
・ステッキ
[ブーツ類]
・長靴、半長靴
[アクセサリー、布類]
・蝶ネクタイ
・リボン
・カフス、ピン
・指輪
・ハンカチーフ
[皮革]
・山羊革、子羊革
手袋、服の裏地、
ブーツなどにしなやかで
丈夫な山羊(ヤギ)革
が用いられた。
・子牛皮
7
家具・調度品
[事項]
サモワール
・マホガニー製の家具
・聖像
・灯明
・ランプ
・カンテラ
※ ※ ※ ※
サモワール
・ロシア特有の喫茶用の湯沸かし器。
・茶を煮るときあたりに芳香がただよい、水の沸騰が比較的早い上に保温の機能もすぐれているので、19世紀以来ロシア人に大いに愛され、食卓の上のサモワールは家庭団欒や来客歓待の象徴となった。
・上蓋の上に急須をかけて紅茶を煮出し、グラスあるいは茶碗に半分ほど注ぎ、本体の下部から突出ている詮(せん)をひねって熱湯を注ぎ足すのが通常の飲み方。注いだカップから受け皿に移して飲むのは、農民の伝統的な飲み方。
・材料は銅あるいは黄銅。円筒形ないし円錐形の容器の内部にパイプが立てられており、その中に主として木炭、ときには乾いた木株や松かさをつめて燃焼させ、湯を沸かす。

サモワール(高さ61p)

サモワールの構造図

挿し絵のサモワール
8
飲食
○
飲み物
( 茶・コーヒー類 )
・お茶(紅茶)
17世紀にお茶が輸入されて以降、ロシア人は、19世紀からは、農家でも、日常、各家庭にあるサモワールで紅茶を煮出しで、お茶(紅茶)を好んで飲んだ。
・コーヒー
ロシア人は、昔から、紅茶とともに、コーヒーもよく飲んだ。ロシアのコーヒーは濃いものが多い。
( お酒類 )
・コニャック
フランス西部のコニャック地方産の高級ブランディー。白葡萄酒を蒸留したのち、樽に詰めて熟成させて作る。
※、『カラ兄弟』のフョードルの好物。
・ウォトカ(ウォッカ・火酒)
ロシアの代表的な蒸留酒。無色透明・無味無臭であるが、アルコール分は40〜60%と高い。
大麦・ライ麦・小麦・トウモロコシなどに麦芽を加えて糖化・発酵させ蒸留したのち、白樺の木炭で脱臭・濾過(ろか)してつくる。
※、ドストエフスキーは朝、黒パンをかじりながらウォトカを少し口に含んで飲むことが習慣だったらしい。
・ビール
ロシア人は、古来、ビールも好んだ。ロシアの古い時代のビールは、炭酸が少なくて、味が濃いのが特徴である。
・シャンパン
ロシアでは、シャンパンは、新年やクリスマス週間によく飲まれた。
・ポンス(ポンス酒、パンチ)
ポンチ酒のこと。ブランディーに果物の汁や砂糖などを加えた飲み物。
・★クワス
(KBAC)
ロシア独特のコーラに似た微アルコール性の酸(す)っぱい清涼飲料水のこと。夏によく飲まれる。
果物や蜂蜜で作るものなど種類も色々あるが、ふつうは、ライ麦や大麦に黒パンを入れて発酵させて作る。
※、『罪と罰』『カラ兄弟』に出てくる。
・ぶどう酒(ワイン)
・ラム(ラム酒)
・リキュール
○
食べ物
〔パン、パイ、パンケーキ〕
・★黒パン(くろぱん)
寒冷地でもよく育つライ麦から作られ、黒くて酸味がある。お酒との相性もよい。スープとともに食するロシアの定番の主食。ライ麦パン。
・★ピローグ
ロシアの大型パイ(パン)のこと。中に具が入っているものもある。
・★ブリン(ブリヌイ)
ロシア風のクレープまたはパンケーキ(ホットケーキ)のこと。薄く溶かした小麦粉を円形に薄焼きにして作る。
大斎(復活祭の前の七週間)の前のバター祭りではブリヌィをたくさん作って祝い、春を迎える準備をした。
・★ピロシキ
具(ぐ)が入ったあまり大きくない揚げパンまたは肉饅頭(にくまんじゅう)のこと。
小麦粉をこねて生地を作り、具として、肉や魚、野菜など、季節に応じたものを入れる。
・★魚饅頭(フィッシュ・パイ)
※、『カラ兄弟』のスメルジャコフがお得意の料理。
[肉類]
・牛肉、仔牛肉
・カツレツ
・ビフテキ
・じゃがいも
〔ハム、ソーセージ〕
・ハム
・腸詰め(ソーセージ)
〔魚〕
・鮭(サーモン)、その燻製
・鰊(ニシン)
・チョウザメ
・虹鱒(ニジマス)
・鱸(スズキ)
[魚卵、貝類]
・イクラ、キャビア
・牡蠣(かき)
[前菜]
・★ザクースカ
ロシアの前菜(ぜんさい・オートブル)のこと。鮭・鰊などの油漬け、キャベツの酢漬け、サラダなどの盛り合わせが中心。
[野菜]
・胡瓜(キュウリ)
・キャベツ
[スープ]
・★ウハー
チョウザメ、鮭、鰊などの魚を使ったスープのこと。魚でだしをとり、野菜と一緒に魚を煮て作る。
※『カラ兄弟』のスメルジャコフがお得意の料理。
・シチー
キャベツを中心とした野菜汁。食べる前にサワークリームを入れる。
・ボルシチ
ウクライナ発祥の鮮やかな深紅色(ビーツ)をした煮込みスープ。
※ドストエフスキーの作品ではほとんど出てこない。
・★ソリャンカ
具も数多く入れる香辛料のたくさん入った濃いスープ。
・★オクローシカ
夏に最適の火を使わずに作れる冷たいスープ。キュウリやタマネギ、ジャガイモ、ハムなどを小さく切って混ぜあわせ、それにクワスをかけて作る。
[ジャム類]
・ジャム
ロシアでは、ジャムは、パンなどにぬって食べるだけでなく、ジャムを舐(な)めながらお茶を飲んだり、紅茶に入れてジャムティーにして食した。
※、『カラ兄弟』では、桜んぼのジャムが出てくる。
・ハチミツ
〔乳製品〕
・チーズ
・スメタナ(サワークリーム)
ロシア原産の発酵乳で、ヨーグルトの一種。万能調味料としてロシア人はなんにでも かけて食べる。
〔保存食(塩漬け、酢漬け)、漬け物〕
・ピクルス
キャベツや人参・キュウリ・トマトなどを漬けたもの。
・ザワークラウト
キャベツの漬け物。
[お菓子類]
・キャンディ
・ヌガー
ソフトキャンデーの一種。
・ドロップ
・モンパンシエ(果物入り氷砂糖)
・パスチラ
ロシアのマシュマロ風菓子。
・チョコレート
・アイスクリーム
・パスハ
フレッシュチーズで作る復活大祭の菓子。
[ナッツ類、キノコ類]
・クルミ
・キノコ
ロシア人にとって重要な食べ物、好物。
[果物]
・★西洋梨(グルーシャ)
・西瓜(スイカ)
・オレンジ
・ブドウ、レーズン、
ナツメヤシ
・レモン
〔調味料、香辛料〕
・砂糖
・氷砂糖
・塩
・胡椒
・からし
〔香草〕
・★ディル
・コリアンダー
・パセリ(イタリアンパセリ)
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宗教・宗派
[事項]
・ロシア正教
・分離派
(旧教徒、古儀式派、
鞭身派、去勢派、逃亡派)
・ロシアの神々、
さまざまな民間信仰
・大地(母なる大地)への
信仰(大地への接吻)
・イコン崇拝
・聖人信仰
・聖母信仰
・当時のロシア語訳聖書
・参考となる本
・サイト
※ ※ ※ ※
ロシア正教
(概要)
・東方へと伝わったキリスト教の東方正教会(ギリシャ正教会)の一つとして、10世紀にキエフに伝わりロシアで形成されたロシア正教会の教え。ロシア正教会は14世紀にはその中心をモスクワに移し、東ローマ帝国がイスラムの支配下に入った16世紀以降は東方正教会の中心となった。欧米のカトリック教に対して初期のキリスト教の姿や教えを保持し継承しているとしている。
・主教・僧正・長老などの独自の聖職位、18世紀に設けられた宗務院、古来の聖人の列伝、イコン(聖像)礼拝、独自の十字の切り方、独自の祈り方(立って長時間祈ることなど)、十字架で受難を受けたキリストとその復活や秘蹟の重視、独自の祝いの仕方、蝋燭型(ネギ坊主型)のドームを上部に持つ教聖堂(教会)や僧院、等の特徴を持つ。
分離派
分離派
17世紀後半にロシア正教会において行われた典礼改革(ニコンの改革)の受入れを拒否し旧来の典礼に固執して正教会から分離した分派の総称。
古儀式派、旧教徒とも呼ばれる。
分離派にはさらに各地方に様々な大小の宗派(セクト))があり、鞭身派、去勢派、逃亡派などは、その大セクトにあたる。
※、ドストエフスキーは分離派に関心を示しており、ドストエフスキーの中期以降の小説には、この分離派(鞭身派、去勢派)の信徒と思われる登場人物がしばしば登場している。
鞭身派
旧教徒とは別に,17世紀前半に現れた教派(宗派)。自らを鞭で打ったり熱狂的に踊ったりして恍惚感にひたったのでこう呼ばれた。分離派の中の一宗派として捉えられている。
※、『罪と罰』のリザヴェータなどが鞭身派の信者だとされている。
去勢派
18世紀に鞭身派の性的堕落を批判して、性的行為を排していくために、信徒が陰嚢や乳房の切除を行うことを始めた宗派。
※、『白痴』のロゴージン、『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフなどが去勢派の信者だとされている。
参考となる本
以下、ロシア正教(東方教会、ギリシャ正教)、各分派に関して情報提供していて参考になる本を挙げました。
◎…おすすめのぶん。
★…現在市販されているぶん。
▲…ドストエフスキーにおけるロシア正教・分派について触れているもの。
・『ギリシャ正教』◎
(講談社学術文庫。高橋保行著。1980年初版。)★▲
・『神と悪魔―ギリシャ正教の人間観』
(角川選書。高橋保行著。1994年初版。)★▲
・『ギリシア正教入門』
(高井寿雄著。教文館1977年初版。)
・『ギリシャ正教入門』
(遠藤富男著。1978年刊。※出版社は、調査中。)
・『ロシア正教の千年』◎
(NHKブックス。廣岡正久著。1993年初版。)★
・『ロシア正教会の歴史』
(N‐ゼルノーフ著、宮本憲訳。1991年日本基督教団出版局初版。)
・『ロシア教会史』
(N‐M‐ゼルノーフ著、宮本延治訳。1990年恒文社初版。)
・『東方正教会』
(O‐クレマン著、冷牟田修二・白石治朗訳。白水社1977年刊。)
・「ドストエフスキーとギリシャ正教」
(古野清人筆。)▲
〔『文芸読本ドストエーフスキー(T)』(河出書房新社1976年初版。)に所収。〕
・『ドストエフスキー―無神論の克服』◎
(冷牟田幸子著。近代文芸社1988年初版。)の中の
「ドストエフスキーとロシヤの正教―『作家の日記』を中心に」(p255〜p274)▲
「ドストエフスキーと分離派」(p295〜p325)▲
・『ロシアを読み解く』
(講談社現代新書。廣岡正久著。1995年初版。)★の中の
「神のロシアと無神論」(p79〜107)。▲
・『ソビエトとロシア』
(講談社現代新書。森本良男著。1989年初版。)★の中の
「よみがえる神々―ロシア正教と共産主義」(p115〜136)。▲
・『キリスト教を知る事典』
(高尾利数著。東京堂出版1996年初版。)★の中の
「東方教会」(p162〜p173)。
・『キリスト教の歴史』
(講談社学術文庫。小田垣雅也著。1995年初版。)★の中の
「東方教会の事情」(P228〜P237)。▲
・『キリスト教文化の常識』
(講談社現代新書。石黒マリーローズ著。1994年初版。)★の中の
「東方正教会」(p146〜p147)。
・『ドストエフスキー』
(岩波新書。江川卓著。1984年初版。「評伝選」シリーズの特製版★あり。)の中の
「ロシアの土壌、ロシアの神々」(p87〜p168)。◎▲
・『謎解き「罪と罰」』
(新潮選書。江川卓著。新潮社1986年初版。)★の中の
p38〜p39、p190〜p192。▲
・『謎解き「白痴」』
(新潮選書。江川卓著。新潮社1994年初版。)★の中の
「「復活のナスターシャ」」(p101〜p119)。▲
・『読んで旅する世界の歴史と文化―ロシア』
(原卓也監修。1994年新潮社初版。)★の中の
p64〜p70。
サイト
次は、ロシア正教について
情報を提供しているサイトです。
・日本正教会HP
10
当時の単位
(更新:25/08/20)
( 重さ )
・フント
… 400グラム。
=ポンド、斤(きん)
パン、お菓子、
くるみなどの重
さに用いる。
・プード
… 14.38キログラム
人の体重など
に用いる。
( 長さ )
・ヴェルジョーク
… 約4.5センチ
・アールシン
… 約70センチ
・サージェン
… 2.1メートル
近い距離間隔を
示すのに使う。
・露里
(ろり、ヴェルスト)
… 1.067キロメートル
道のりの距離を
示すのに使う。
11
病・奇人
(更新:25/08/20)
[事項]
・★ユロージヴイ
(聖痴愚)
・★ヒポコンデリー
・癲狂病み
・てんかん
12
(その他)
(更新:25/08/20)
[事項]
絵画
・ホルバイン作
「イエス・キリストの屍」
・クロード‐ロラン作
「アキスとガラテヤ」
※ ※ ※ ※
ハンス・ホルバイン作
「イエス・キリストの屍」
とドストエフスキー
ハンス・ホルバイン作
「墓の中の死せるキリスト」
(スイスのバーゼル博物館蔵。
1521年作。)
★原画
この絵をバーゼル博物館で目にした時のドストエフスキーの尋常ならざる動揺・関心ぶりは、
アンナ・ドストエフスカヤ著『アンナの日記』(木下豊房訳。河出書房新社1979年刊。)
の中に記されている(1867年8月24日の日記。p345。)。
小説の中では、
『白痴』の中の、
第2編の4(新潮文庫の上巻のp405〜p407)、第3編の6(新潮文庫の下巻のp160〜p163)
で、触れられている。
『白痴』の中のその箇所の解釈としては、
中村健之介著『ドストエフスキー・生と死の感覚』(岩波書店1984年初版。市販中。)の中の
「V「墓の中の死せるキリスト」に見たもの―生の汎神論と死の自然科学」
が参考になります。
ハンス・ホルバイン
ドイツの画家。1497〜1543。
デューラーと並ぶドイツルネサンスの大家。スイスのバーゼルのほか、英・仏・イタリアで活躍した。特に肖像画にすぐれ、肖像画家としては史上最大の画家の一人として数えられる。父や兄も有名な画家として知られ、父と同名のため、小ハンス(ハンス・ホルバイン・ジュニア)と呼ばれる。
ほかの代表作として、
★「マイヤー市長のマドンナ」
「ヘンリー八世像」「ロッテルダムのエラスムス」「トーマス・モアとその家族」など。
「マイヤー市長のマドンナ」も、『白痴』で言及されている(上巻のp140)。
クロード‐ロラン作
「アキスとガラテヤ」
とドストエフスキー
クロード‐ロラン作
「アキスとガラテヤ」
(ドイツのドレスデン美術館蔵)
★原画
『未成年』の第3部第7章の2(新潮世界文学では、p565)
で、ヴェルシーロフは、ドレスデン美術館で見たこの絵の世界を「黄金時代」と呼び、のちに自分の夢の中に現れたものとして、回想して述べている。
『未成年』の中のその箇所の解釈としては、
中村健之介著『ドストエフスキー・生と死の感覚』(岩波書店1984年初版。市販中。)の中の
「4「黄金時代」の夢―楽園の生を支える気分」
が参考になります。
この「黄金時代」のイメージは、『悪霊』『おかしな人間の夢』などでも登場してくる。
※、下部中央には、青年アキスと彼を愛する美女ガラテヤの愛し合う姿が描かれ、画面右の断崖の上には、ガラテヤに恋こがれる一つ目の巨人キュクローポスが迫ってきている姿が見える。
クロード・ロラン
フランスの風景画家。1600〜1682。プッサンとともにフランス古典主義絵画を代表する画家。
歴史や神話に取材した壮大な構図の作品が多く、光と大気に注目した風景画を描いた。「アキスとガラテヤ」も、オヴィディウス(ローマの詩人)の『変身譚』から得ている。ほかに、代表作として、「クレオパトラの上陸」「シバの女王の乗船」「落日の港」など。
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