「作風・手法」論2
(更新:25/08/27)
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福田和也・筆
「ろくでなしの歌」より。[リクルート社刊の雑誌「ダ・ヴィンチ」の1998年6月号に所収]

       
自意識ばかりが鋭敏になり、自分が何者なのか、何が欲しいのか、何をやるべきか一切分からず、自分を持て余しながら、どうしようもない衝動だけはふんだんに抱えている厄介者たちの、無益だが深刻な苦闘の劇として彼(=ドストエフスキー)の小説を読むべきだ。
(※この文章は、くらまさんから提供されたものです。 [9868]の書き込みより。)

      
★福田和也
文芸評論家。1960〜。

上の評は、ドストエフスキーの小説やその登場人物たちの性格を、ある意味では鋭く突いている巧みな寸評であり、気鋭の評論家福田氏がドストエフスキーの小説をどのように読んだのかが、うかがわれて、興味深い。

 



中村健之介・筆
「虐げられた人たちの内と外」より。〔『ドストエフスキー・作家の誕生』(みすず書房1979年初版)に所収。p187。〕


  ―途中、略― いわば
過熱した内面の恣意(しい)(=気ままな)濫用(らんよう。=乱用)は、ドストエフスキーの矯正(きょうせい)不可能の悪癖のようなものである。グリゴーリエフ(→下の注)がこの小説(注:ドストエフスキーの小説『虐げられた人びと』のこと)を評して「生活についての何たる無知!」と言ったのはもっともである。最近のソ連の研究者の論文でも「ドストエフスキーの人物たちは、永遠の軌道へ飛び出てしまった人間たちだ」という評があったが、それも、ドストエフスキーの、生活を無視して人物を書く傾向を指していると解()れなくはない(『ドストエフスキー。資料と研究』第一巻のM・ボボーヴィチの論文)。しかし、職業という能力発揮の型を無視して内面の濫用(らんよう)に身を任(まか)せる人間こそが、ドストエフスキーの発見であり、二十世紀文学へ彼の文学が繋(つな)がる可能性であったことも事実である。プルーストはドストエフスキーのよき読者であったし、ジョイス(→下の注)やカフカやカミュの代表作の主人公たちは、すべてしがない(=うだつのあがらない)勤め人なのに、その型からあふれ出していくのである。

〔語注〕
・アポロン‐グリゴーリエフ
ドストエフスキーの親友だった批評家・詩人。18221864。『地下生活者の手記』が出た1864年に若くして亡くなっている。ドストエフスキー兄弟が発刊した雑誌「時代」「世紀」の同人でもあり、「土壌主義」を唱えた。「世紀」に掲載されたが批評家の注目を集めなかったドストエフスキーの『地下生活者の手記』の価値を認めた一人でもある。
・ジェームス‐ジョイス
アイルランドの小説家。18811941。人間の内面を意識の流れにそって描き、二十世紀の文学に大きな影響を与えた。代表作『ユリシーズ』。


★中村健之介
ドストエフスキー文学の研究家・翻訳家。現代日本の代表的なドストエフスキー研究家の一人。元・東京大学教養学部教授。北海道大学名誉教授。
1939〜。

上の中村氏の、ドストエフスキーの小説における主要登場人物たちの、まともな就業や生活感や社会常識(マナー)の欠如・不足、という指摘は、ドストエフスキーの小説の内容の特徴として、鋭い指摘だと言わざるを得ないでしょう。




岡 潔
『春宵十話』(角川文庫)の「女性を描いた文学者」より。


私の読んだ中では、文学者で女性が本当に描けていると自信をもっていい切ることのできる人は、日本では漱石、外国ではドストエフスキーぐらいではなかろうか。漱石の「それから」にしろ「行人」にしろ本当に面白く読めるが、その一つの理由はそこに出てくる女性が本当に心臓が鼓動しているからだと思う。ドストエフスキーで例をあげれば「白痴」のアグラーヤは本当に生きたものに描かれている。 ―途中、略―  これは本当に生きた女性が描けるためには女性の情緒(じょうちょ)の波がわからなければならないのだが、それが男性である作者には本当にわかっていないということに帰せられると思う。 ―途中、略―  
ではなぜこの二人に女性の情緒の波が描けたのか。この疑問は漱石が「則天去私」を標榜(ひょうぼう)(=掲げ)、ドストエフスキーが諸徳の中でも「謙虚さ」を最も大事にしていることに思い当ったとき、氷解した。なるほどこういう人ならば描けるに違いないと信じ得たことであった。
〔「意見・情報」交換ボードの[97531]に書き込んだ分〕

                 
★岡潔
おかきよし。「多変数理論」などで世界的に知られる数学者。『春宵十話』を初め、その類まれな直感的感性が生かされた数多くの名随筆集も残している。
1901
1978




中村健之介
『ドストエフスキー人物事典』(朝日選書399。朝日新聞社1990年刊。)の中の項「貧しい人たち」のp9より。


ドストエフスキーは、歴史の大きなうねりや広い舞台を、それにふさわしい視野をもってとらえて再現してみせる歴史小説家の才能は持ち合わせていない。人生の困難を克服して事をなしとげた努力家の生涯を共感をこめて書き上げる伝記作家の体質も、やはりドストエフスキーの生来の文学的素質とは異なる。かれの小説の主人公たちの多くは、初期後期を問わず、弱者や劣等者や病者である。世間からはマイナスにしか評価されないそういう病者、敗者、脱落者、ときには異常者たちが、いかにそれなりに人間として熱情的に、劇的に、複雑に、豊かにそれぞれの生を営んでいるか、「持たざる者」が持たざるがゆえにいかに劇的で「ファンタスチック」な思いを抱いているか、それをドストエフスキーは飽()かず書き続けた。そこに、彼自身もいたからである。
〔「意見・情報」交換ボードの[97728] に書き込んだ分〕


★中村健之介
ドストエフスキー文学の研究家・翻訳家。現代日本の代表的なドストエフスキー研究家の一人。現在、東京大学教授。
1939
〜。




加賀乙彦
『ドストエフスキイ』(中公新書1973年初版)p131p132より。


ドストエフスキイの作中人物は、重要な人物になればなるほど相互に近親性をもってくる。親子の系譜をえがくように作中人物の系譜をつくれるくらいである。まず地下生活者(=『地下室の手記』の主人公のこと)がいる。つづいて『罪と罰』のラスコーリニコフ、『白痴』のムイシュキン、『悪霊』のキリーロフとシャートフ、『未成年』のアルカージイ、『カラマーゾフの兄弟』のドミートリイとアリョーシャと連なる系列がある。もう一つはやはり地下生活者に端(たん)を発し、『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、『自痴』のラゴージン、『悪霊』のスタヴローギン、『未成年』のヴェルシーロフ、『カラマーゾフの兄弟』のイヴァン、スメルジャコーフと来る系列である。すべての人物はドストエフスキイ的人物に特有の二重性をそなえているが両系列は少しちがう。多くの人々が言う、神と悪魔、高貴と陋劣(ろうれつ。=行いや心がいやしいさま。)、理想と衝動、美しい心情と暗い情欲などの二重性のうち、前の特徴が、第一の系列の人々(これを「ラスコーリニコフの系譜」とよぼう)に優位であり、後の特徴は第二の系列の人々(これを「スヴィドリガイロフの系譜」とよぼう)において目立つのである。


★加賀乙彦
かがおとひこ。作家・精神科医。
1929
2023

上の17で高尾氏が述べている二系譜が世間でよく指摘されるドストエフスキーの小説の登場人物の系譜であるが、加賀氏が指摘するこの二系譜は、それに比して異なった観点からの分類であるもののラスコーリニコフを前者に入れ、イヴァンを後者に入れるなど、鋭い指摘であると言えます。加賀氏は、上の箇所に続くp132p152において、両系譜について、各登場人物を挙げつつ、より具体的に述べています。

加賀氏の上の見方は、後の「埴谷雄高とドストエフスキイと私」という文章〔『ドストエフスキイ論集』(埴谷雄高作品集10。河出書房新社1987年初版。)に所収〕で、表現を変えて次のように述べられています。
 

「ラスコーリニコフの系譜」と私が呼ぶ人物群は、ムイシュキン、シャートフ、キリーロフ、アルカージイを経て、ドミトリイとアリョーシャ・カラマーゾフに到達する。つまり癲癇(てんかん)の持つ唐突性と極端な情熱とを併(あわ)せ持ち、暖(あたたか)く他人をくるみこむような性格である。彼らの思想や行動は、この性格、つまり肉体のうえに生きているので、肉体を失なったらもはや一語も発せず一歩も歩けないのだ。もう一つは、「スヴィドリガイロフの系譜」で、スタヴローギン、ヴェルシーロフを経てイワンとスメルジャコフに行く。薄気味悪い、冷(つめた)い、残酷な側面と、明るい知性とが両義的に(=二つの内容を同時に合わせ持つさま。)存在する、癲癇(てんかん)性格の終末型とでも呼ばれる人々である。
彼らがしばしば対話で示す《観念の自己増殖》(埴谷雄高の言)は、彼らの美しいが気味の悪い肉体に支えられている。むろん以上の私の意見は、ドストエフスキイの作中人物の複雑多岐(たき)にわたる活躍ぶりを、ごく限定し整理したものにすぎないが、大筋ではこうとしか言いようがない。この二系譜の人物を、ドストエフスキイは、おのれの宿痾(しゅくあ。=長く治らない病気の)癲癇(てんかん)からみちびき出してきた。作者自身がおのれの性格と肉体とを徹底的に省察(=深く省みること。)したうえで、小説が書かれているのだドストエフスキイが自伝作家であり、作中人物がすべて作者自身に起源をもつと指摘したのはブールソフ(=ロシアのドストエフスキー研究家。)である。トルストイが、特定の人物のみに自分を投射したのと、ドストエフスキイのやり方は大いに相違する。彼の小説作法は、あくまでおのれ中心なのだ。そうして、おのれ自身の中に収斂(しゅうれん)(=縮んでいき)、「閉じられた」世界が彼の小説なのだ。

      



ペレヴェルゼフ
『ドストエフスキーの創造』(1922年刊(第2版)。長瀬隆訳。みすず書房1989年初版。)の「内容と構成(A)」のp32p33p33p35p38p41p43p44p45p46より。


ドストエフスキーの作品をひもとくと、最初、諸君は、奇怪な、しかし深く抗しがたい印象、なにやら秘密めいて偶発的な、なにやらファンタスティックにして魔術的な印象にとらえられる。謎めいた人物がチラリと顔を出し、錯綜(さくそう)し模糊(もこ)とした諸関係が提示され、よくは理解できぬ事実が次々と累積(るいせき)される。すべてが暗示の色合いをもたされており、不安な待機の気分にさせられる。諸君の前を一連の事件、人物間の葛藤(かっとう)が通り過ぎる。そこには意味が存在していることを明白に感じ、好奇心とそれをはやく知りたいという焦()れったさのために諸君は熱くなる。諸君の前ではなにやら秘密の地下作業が行なわれており、なにかが準備され、それが近づいてきつつあるのだ……いったい何なのだろう? こうした待機と疑問の感情を、諸君はプーシキンあるいはトルストイを読む場合には体験しない。この印象は、ドストエフスキーの諸作の内容を構成しているものが絵空ごと(えそらごと)や幻想の世界ではなくて、現実であること、しかもまったく日常茶飯(さはん)なそれであることによって、より奇怪なものとなる。 ―途中、略― 彼の作品においては最もリアルな現実が幻想的な色合いを帯びていて、諸君はそれをまったく予期していないにもかかわらず、神秘的な印象にとらえられるのである。この印象の源泉を理解するためには、作品を作るドストエフスキーの方法、作品の構成に目を転じなければならない。 ―途中、略― 言葉の芸術家の大部分の人々とは反対に、彼は出来事を年代(時間)的順序と論理的関連において叙述(じょじゅつ)しない。彼は、出来事の発端(ほったん)については未知のままにしておいて、読者をいきなり事件の混乱のなかに誘導する。彼は生活を、ひとつのモメント(=瞬間的場面)から次のモメントへ、つまり発端から終局へとは展開しない。彼は真中の諸モメントを取りあげ、過去の出来事の幕を徐々に開きながら終局のモメントへと赴(おもむ)き、そこに至ってはじめて発端のモメントを示す。 ―途中、略―  ドストエフスキーの諸作が私たちのうちに喚起する秘密性と幻想性の印象は、それが準備された条件に先立って事件が描かれ、諸人物間の関係が当の諸人物より先に、その行動が性格よりも先に描かれることによって生ずるのである。まさにそれゆえに行動は幻想的になり、関係は紛糾(ふんきゅう)し、出来事は偶然的なものと思われることになる。実際には、そこには秘密性、紛糾、偶然性はない。作者の物語の方法がそのような外見を与えるにすぎないのだ。 ―途中、略―  ドストエフスキーは描写と性格づけに深入りするのが嫌いだった彼は行動のまさに最中に、随伴的に、人物たちの口を通じて必要な描写と性格づけを挿入し、そうすることによって行動を発展させるのである。 ―途中、略―  ドストエフスキーは作品に「記録」あるいは「文通」の形式を与えようする傾向があるが、 ―途中、略―  記録作者――それは物語を行動から始める長編小説家にはまことに打ってつけの手法なのだ。 ―途中、略―  ドストエフスキーにおいては事実が次から次へと目まぐるしい迅速(じんそく)さをもって積み重ねられる。劇を用意した事前の全過程が、作者によって劇よりも前には描出されず、行動の発展につれて随伴的にのみ描かれるために、そこには行動を遅滞させるものはなにもない。 ―途中、略―  見よ、その『戦争と平和』において、生活がいかに淀(よど)みなく、悠揚(ゆうよう)かつ重厚に流れ、しかるにドストエフスキーの『悪霊』あるいは『カラマーゾフの兄弟』においては、それがいかに熱病的に迅速に波立っているかを。トルストイにおいては行動の展開は数ヶ年にわたっている。たいするにドストエフスキーにおいては行動が展開されるのは数日間である。そしてこれはトルストイがその創作において歴史家として振るまい、一定のモメントが数ヶ年にわたっていかに準備されたかを提示すべく努めるのにたいし、ドストエフスキーが歴史と係(かか)わることがきわめて少なく、全身をモメントの諸事件に集中しなければならぬ記録作者として行動しているためなのだ。 
        
       
★ペレヴェルゼフ
ロシアの文芸批評家・文芸学者。
1882
1968

ペレヴェルゼフ氏は、革命後、モスクワ大学教授として、ソ連の中央文芸界で活躍した文芸批評家であったが、1929年から1930年にかけて、その学風がスターリン派から批判を受け、1956年のスターリン批判以後に名誉回復されるまで、中央のアカデミーから追放されることになった。1912年に初版が出た上書は、第4版の刊行後54年ぶりの1982年にソ連で復刊されたが、訳者の長瀬隆氏も、もっとはやく日本で翻訳されていたら、と惜しがっているほど、すぐれたドストエフスキー文学論書として近年注目を集めている名著である。この書の中でも、上に挙げた本文を含む論文「内容と構成(A)」は、読者の多くが読みつつ印象として受けるドストエフスキーの小説の特徴とその原因を、ストーリーの展開や描写法の観点から鋭く指摘し明快に説明したものとして、私も、初めて読んだ際、大いに感服させられました。本文中で「諸君」と呼びかけているように、学生を前にしたおこなわれた講義か講演の形式を持った本ですが、一読の価値あるドストエフスキー論書と言えるでしょう。

 



加賀乙彦
『ドストエフスキー』 (中央公論新書。1973年初版。)より。p120p122p123


諸家(しょか。=多くの専門家)の言う癲癇(てんかん)性格はドストエフスキイにおいてはっきりと認められる。というより
ドストエフスキイについて人々が言っている特徴のなかで癲癇性格に合致しないものを探すのがむずかしいくらい、彼は典型的な癲癇性格者なのである。―途中(彼の諸性格の紹介している)、略―  登場人物にも癲癇性格の人間が多いが、―途中、略― ただここで言っておきたいのは、癲癇性格の人々が入れかわり立ちかわり出現して、一種カーニバル的な雰囲気のなかで展開する物語は、粘っこくも熱っぽい文章によって語られていくことだ。―途中、略―  (癲癇性格からくる、)熱い、粘っこい、生命的活力がドストエフスキイの存在の中核を形成し、この活力は周囲の世界に密着しているように、作品そのものも活力に充()ちている。そこには活力が蓄積され、これが大事なことなのだが、次に来る爆発の予兆を秘めて、圧縮されているのである。―途中、略―  しかしこの濃密さは彼の文学の本質的構造にまで拡大して考えるべきである。いわゆるドストエフスキイ的時間といわれ短時日のうちに作中の出来事が経過する(『罪と罰』は二週間、『白痴』は八日間、『悪霊』は十日間、『カラマーゾフの兄弟』は六日間の記述である)描写法はむろんドストエフスキイの独創ではあるが、その源は彼の圧縮された活力にもとめられるように思う。―以下、略―


★加賀乙彦
かがおとひこ。作家・精神科医。
1929
2023

ドストエフスキーの癲癇体質が、氏の諸性格や創作の営みに少なからず影響を与えているという事実は、実に興味深いものがあります。




勝田吉太郎
『ドストエフスキー』(潮新書1968年初版)p16p17より。


むしろ人物(=ドストエフスキーの小説の登場人物)の性質、人格は、彼らの述べる言葉によってはじめて明瞭となる。人々の語る言葉こそが、彼らの心理的、精神的構造の不可視的なリアリティを明るみに出すのである。つまり、ドストエフスキーにとって、言葉は、メタフィジカルな(=内面の不可視的な)領域と境を接するフィジカルな(=外面的な)要素なのである。このような手法は、他のリアリズムの文豪たちのそれとは、きわめて顕著な対照をなしている。 ―途中、略―  
ドストエフスキーは、自己の芸術的な力をすべて会話のうちに集中する。すべては対話において結ばれもし、解かれもする。物語は、彼の場合、まるで戯曲の筋の時刻、場所、人物の境遇と外観を知らせるただし書き(ただしがき)にすぎず、たんなる舞台装置でしかない。そして、人物たちが舞台に現われて語りはじめる時、はじめて戯曲は進行を開始するわけである。

    
★勝田吉太郎
ロシア政治思想史研究家。元・京都大学法学部教授。
1928
2019




伊藤 整
『文学入門』(光文社1954年初版)p142より。


ドストエフスキイの小説においては、人間の心が善から悪にかわり、悪から善にかわる、というその変化と心の戦いのあいだに筋が進行する。それは古い小説においての、善人と悪人がたがいに相手を打ち負かそうとして戦いあう、というあつかいと同質のものである。つまり、古い小説では、善玉と悪玉の対立で物語が書かれたが、新しい小説では人間の心の中の、愛情や我欲の対立と変化を描くことが小説だというふうに考え方も書き方も変(かわ)って来たのである。


★伊藤整
作家・文芸評論家。
19051969





西谷啓治・述
「ドストエフスキーの人間観」より。p48p49。〔『共同討議 ― ドストエフスキーの哲学、神・人間・革命』 (西谷啓治・和辻哲郎・高坂正顕・唐木順三・森有正による座談形式の共同討議。弘文堂1950年初版。)に所収。 〕
※旧仮名遣い・旧表記は、現代表記に改めました。

            
人間が神でもなく獣でもない限り、人間と人間との交わりには、「人間らしさ」という性格をもった内容が出てくるので、それを踏みはずせば「人でなし」になる、「人間」らしい人間でなくなる、というようなものがある。超人からも人非人(にんぴにん。=人でなし。)からも人間に仕切りをつける枠(わく)がある。そこに人間の正常(ノーマル)的な、また日常的なあり方があるといっていいわけであります。ところが
ドストエフスキーでは、そういう正常的・日常的な人間のあり方から抜け出した人間、埒(らち。=そこを越えることが許されない区切り。)を踏み越えた人間のあり方というものが始終(=初めから終わりまで)問題になっている。彼自身「私はどんづまりまで行く。生涯、私は限界を踏み越えつづけていた。」と書いている。彼は自分自身そういう人間として、そういう彼自身のあり方に立って、人間をそういうあり方のもとで見、また問題にしていると言えます。そこで初めて、虚無の深淵(しんえん。=深いふち。)とか、神とか、人神(じんしん。=神に成りかわろうとする人間。)(あるい)は超人というようなものが、人間の根本的な問題として現れてくる。ドストエフスキーの主要な人間は、いずれも何等(なんら)かの意味で、埒(らち)を踏み越えた人間です。ノーマルでない、その意味で「人間」らしくない人間とも言えます。だから、神と対決する意気込みをもつかと思えば、自分を二十日鼠(はつかねずみ)だと言ったり、虱(しらみ)だと感じたりする。そういう人間が多く出てくる。自殺者、殺人者、犯罪者、或(あるい)は街(まち)の女(=街娼)など、(しか)もそれが普通のそういう者と違って、人並(ひとなみ)はずれた気高(けだか)さを持っている。人間と人間の関係でも、人間的な枠の彼方での触れ合い、いわば魂の底の限界で触れあって、火花を散らすという、そこが一番の問題になっている。とにかく、そういう極限的或(あるい)は超限的な、人間性の上限と下限とを同時に踏み越えたというような、その意味で固定した枠も中心も失ったような人間、むしろ上下二つの相反する中心の間に彷徨(ほうこう)して(=さまよって)いるような人間、そういう人間を出してきて、それで人間の魂の分析をやっているわけで、それで初めて人間の本当のリアリティが捉(とら)えられると考えられたのだろうと思います。

              
★西谷啓治
哲学者。元・京都大学教授。
1900
1990

『共同討議 ― ドストエフスキーの哲学、神・人間・革命』は、刊行は1950年ですが、当時の日本の思想界のすぐれた五人の哲学者・思想家(西谷啓治・和辻哲郎・高坂正顕・唐木順三・森有正)が座談形式で、ドストエフスキーの文学の特徴、その社会思想・宗教思想、その時代背景、ドストエフスキーの生涯とその人となり、ドストエフスキー文学の現代的意義など、ドストエフスキーをめぐるあらゆるテーマを、真っ向(まっこう)から縦横に語り合い論じあった本として、随所に珠玉のドストエフスキー論がちりばめられた、読んで面白くて、読みごたえのある本です。

 



サマセット‐モーム
『読書案内』(西川正身訳。1997年岩波文庫。)の中の項「ドストエフスキー」のp82p83より。
 

ドストエフスキーの人物は、自然の暗黒な力と共通なものをもっている。
彼らは普通の人間ではない。情熱的で、極端に精神的で、痛ましいほど敏感で、極度の苦悩を経験することができ、何事についても並はずれていて尋常(じんじょう。=普通のあり方であるさま。)ではない。彼らは神のために悩み苦しむ。その行動は、まるで精神病院の狂人のそれである。だが、彼らの常軌を逸(いっ)した行動は何かふしぎな意味をもっていると考えられ、そして彼らが、かように(=このように)苦悩を通して自己の本性を暴露(ばくろ)しているのは、じつは人間の魂のもつかくされた奥底と、そのおそるべきさまざまな力とを明らかに示しているのだ、ということをしみじみと思わないではいられない。

 
★サマセット‐モーム
イギリスの作家。
18741965

ドストエフスキーの小説の作風や登場人物の性格に関するモーム氏のクールな批評は、『世界の十大小説』(西川正身訳。1997年岩波文庫。全2冊。)の下巻に所収の「ドストエフスキーと『カラマーゾフの兄弟』」のp221p224あたりでも、うかがえます。





江川 卓
『罪と罰』(旺文社文庫。1966年初版。二冊。)の下巻の「解説」(筆・江川卓)より。


日本ではドストエフスキーの作品がどうも深刻に受けとられすぎているように思う。彼の思想や心理的分析がきわめて深刻なものであることは疑いないところだし、そういう読み方のできる作家であることはまちがいないのだが、ただその深刻さが形而上(けいじじょう)的、哲学的にだけ一面的にとらえられてしまうと、とんだ誤解を招きかねないということだ。
先年、あるロシア人文学者と話しあったとき、話がたまたまドストエフスキーのことにおよんで、日本では彼の作品がベストセラー級の売れ行きを示していると話したことがある。と、そのロシア人はちょっと小首(こくび)をかしげて、皮肉な調子で聞き返した。 「ほう!それはすばらしい! でも、日本人の一般読者にそんなにドストエフスキーがわかるのですかね?」 私は日本の読者が早くから欧米文学の洗礼を受けており、その鑑賞力はきわめて高いこと、そこでドストエフスキーの作品に提起されているいわば全人類的な問題を自分自身の問題として受けとめることができるのだ、といったことを説明した。だがロシア人は、やはり皮肉な微笑を消さなかった。 「ほう!
日本人はドストエフスキーを哲学的に読んでいる!? これは発見だ! 私たちはもっと文学的にドストエフスキーを読みますがね」 話していくうちに、このロシア人がドストエフスキーについて抱いているイメージは、われわれのものにくらべてはるかに形而下(けいじか)的であり、現実的であることがわかった。たとえば『罪と罰』のイメージも、まずペテルブルグ(現在のレニングラード)の下町のイメージとだぶって浮かんでくる。ラスコーリニコフの病的な夢想や独得の哲学も、その町によって生み出されたもの、つまり、形而上的な作者の思弁からではなく、現実の極限的な表現の一形態としてとらえられているのだ。そこでペテルブルグ(ペテルブルグにかぎらずロシア)の現実生活の実感をもたない日本人にドストエフスキーがわかってたまるか、という皮肉も出てきたらしい。私はこのロシア人ほどドストエフスキーを割りきって考えることはできない。彼の後期の作品、たとえば『カラマーゾフの兄弟』などには、まさしく思想と思想との格闘といった一面があるように思われる。しかし同時に、私はこのロシア人から、日本のドストエフスキー愛好者のひとつの盲点を衝()かれたようにも感じた。彼の作品はけっして宙に浮かんだ何かではない。それは彼を生んだ風士と時代にあまりにも深く根をおろしている。その根を見つめないかぎり、ほんとうにドストエフスキーを理解したことにはならないのではないか。 ―以下、省略―


★江川 卓
えがわたく。ロシア文学者・ドストエフスキー研究家。
1927
2001




キルポーチン
『ドストエーフスキイのリアリズムの独自性 ― ラスコーリニコフの思想と挫折』
(
黒田辰男訳。啓隆閣1971年初版。)の中の「日本語版への序文」より。p2


ドストエーフスキイには、歴史的なジャンルにおける作品は一つもない。彼の作品における行動は、それらの作品が書かれた時とほとんど同じ年代的期間において展開されている。ドストエーフスキイは、リアリストであったし、自己をリアリストと名づけた。そして未(いま)だ創(つく)られゆく生活の本質、意義および展望の、真実な解明のなかに、リアリズムの最も大きな勝利を見たのである。


★キルポーチン
ロシアのドストエフスキー研究家・文芸学者。
1898
〜?。

ドストエフスキーの小説は、たしかに、いずれも、当代小説であり、当時の事件・知られた人物・流行ものを大いに題材とし ている点は、あらためて、認識されるべきでしょう。

 



内村剛介編著
『ドストエフスキー』(「人類の知的遺産 51」。講談社1978年初版。)p12p13より。


ドストエフスキーという作家・思想家は、ロシヤにとってもけっして解りやすいものではないのである。ドストエフスキーを解らない、いや解りたがらない、というまともなロシヤ人がけっこう少なくないし、これはこれで重要な問題をはらんでいる。好き嫌いだけについてみるならばロシヤ人のほぼ半数はドストエフスキー嫌いだと言っていいほどだ。トルストイなら解るし好きだというのが大方のほんねである。 ―途中、略―  人間は真実を見たがらないものだし、とりわけ、おのれの恥部に関する真実は見たがらないというのがロシヤ人のドストエフスキー嫌いの最大の理由であろう。
〔一部は、「意見・情報」交換ボードの[97531] に書き込んだ分〕


★内村剛介
評論家・ロシア文学者。
19202009

氏は、敗戦後11年間にわたってロシアに抑留され強制収容所生活を強いられた体験を持つ。上書における氏のドストエフスキーに関する解説や見解は、ドストエフスキーをつねにドライにクールに眺め評していく姿勢に貫かれていて、ドストエフスキーの文学を熱っぽく称揚することの多い古今のドストエフスキー論者の中では、実にユニークな論者のお一人である。 本国のロシア人はドストエフスキーの文学や思想をこれまでどう受けとめてきたのかということは、我々には興味の尽きない関心事であるが、ロシア通の内村氏の上の指摘は、我々が頭に置いておくべき情報であるように思われます。

 



池内 紀・筆
(
更新:25/07/28)

「最後のビザンチン人」より。〔『特集=ドストエフスキー』(現代思想1979年6月号。青土社刊。)に所収。p146。〕


ドストエフスキーは厖大(ぼうだい)な「作家ノート」を残している。その克明な記述によっても、彼が謎めいた夢遊の状態で書いたわけではないことはあきらかだろう。にもかかわらず、
ドストエフスキーほど、心霊術でいう「霊媒(れいばい)」の助けをかりて書いたにちがいない、といった印象を与える作家はいないのだ。彼の作品は、聖者にとっての「黄金伝説」(→下の注)とひとしく、みえざる天使が口述筆記をしたかのようだ。しかし同時に、そこにはまたしばしば、しごく(=たいそう)人間的な顔がまじりこみ、突如としてなまみのドストエフスキーが顔を出す。 ―以下、略―

〔語注〕
・黄金伝説
中世ヨーロッパで流布した使徒・聖人伝。ジェノバ大司教ヤコブが十三世紀に編したと言われている。


★池内紀
いけうちおさむ。ドイツ文学者。

池内紀氏が上で言うように、後期の創作における、妻アンナと協力しての口述筆記は、特に登場人物の長広舌(ちょうこうぜつ)の箇所など、ドストエフスキーにおのおのの霊や天使がのりうつったかのように、忘我無碍(むげ)の状態で(極端な場合はいわゆる「自動書記」の状態で)行われたのかどうか、私もその仕事場の実際を以前から知りたく思っていました。ドストエフスキーの創作の状況や工房については、娘のエーメ(幼名リュボフ)が、母から聞いたものを中心に書き残しているものの、(その一部は、こちら) 残念ながら、そのあたりのことまでは詳しく書き残してはいません。娘エーメの記述によれば、ドストエフスキーは、朝食後、前日の深夜に一人書斎で考え抜いてまとめた本文の下書きや骨子のメモ(これらは、のちに、後世のロシアのドストエフスキー研究者たちによって「創作ノート」としてまとめられる。)を手元に置いてそのまま読み上げるという形で、または、頭にまとめたままの内容を思い出すという形で、妻アンナに小説の本文を口述し速記させたようですが、ドストエフスキーの小説のポリフォニー性や、創作の過程でドストエフスキーはしばしばインスピレーションに見舞われている点などから言っても、ドストエフスキーの個人意識を越えた霊感のようなものが働いて、その場で即興で臨機応変に付け加えられるような本文箇所もあったのではないかと、私などは思う。 ドイツの哲学者ニーチェは、霊感に見舞われて忘我の状態で一気に書き上げたという『ツァラトゥストラ』について、「(書く過程で)自分は全く選択しなかった」と述べています。古今の偉大なる書というのは、そういった作者を越えた何か大いなる力が働いて、成る、という傾向があるのではないかと思う。

 



ルネ‐ジラール
『ドストエフスキー ― 分身から統一へ』より。〔織田年和訳『地下室の批評家』(白水社1984年初版)に所収。p50。〕
     
  
(=ドストエフスキー)は自分にとり憑()いた悪霊どもを小説のなかで形象(けいしょう)化して(=ある形にして)、それらを一つずつ祓(はら)(=そのけがれ・罪を除き去って清める)。 
             

★ルネ‐ジラール
フランス出身のアメリカの文芸批評家。
1923
2015

上のジラール氏の見方は、ドストエフスキーの創作動機に関するおもしろい見方だと思います。






小林秀雄・筆
「未成年」の独創性について」(新訂「小林秀雄秀雄全集」第6巻に所収)p17p18より。   
※旧仮名遣い・旧表記は、現代表記に改めました。


言葉に現れるものよりも内部に残っている方がずっと多い(注:『未成年』の中の言葉)――ドストエフスキイはこの事実を、片時も忘れなかった作家である。いや、この平凡な事実がどれほど人間相互の間に奇怪な関係をもたらしているかを比類のない感受性で追求した作家であった。およそ彼ほど哲学とか思想とかを好んだ小説家はない。彼の作品ほど思想の重荷を負った小説はない。しかも、全作品中、抽象的思索あるいは常識的思想の片鱗(へんりん)すら見出すことは出来ない。全作品に盛られた無数の議論はすべて彼のいわゆる「内部に残っている方」を振り返り振り返り語られている。いつもそれを語る人物と内部的な連繋(れんけい)がある。思想は常に各人の思想でありしかも各人の各状態各瞬間の思想である。一と口(ひとくち)で言えば彼の創造した諸人物は思想の極度の相対性の上に生きている。例(たと)えば「カラマアゾフの兄弟」中の「大審問官」でイヴァンがアリョオシャに語る長々しい抽象論など、あれがいわゆる議論とならず、眼前にアリョオシャと言う人物を感じている、やや取り乱したイヴァンという男の生()まの言葉としている作家の繊細な手腕を見よ。この点ドストエフスキイは誠(まこと)に傍若無人なリアリストであった。なるほど単純に考えれば、こういうことは彼が単に何をおいてもまず小説家であったということを証明するに過ぎないと言えるのだが、それは軽薄な考えで、彼ほど人間と思想との問題に深く突き入った作家は、彼以前にもなかったし、彼以後にもないという点が大切なのだ。人間たちが思想によって生き死にする有様(ありさま)を、彼ほど明瞭に描いた作家はない。人間は思想に捉(とら)えられた時にはじめて真に具体的に生き、思想は人間に捉えられた時に真に現実的な姿を現すということを彼ほど大胆率直に信じた小説家はないのである。どの面をとり上げてもいい、諸人物は思想のように普遍化されて生き、思想は肉体のように個別化されて生きている一種悽愴(せいそう)(=ひどく痛ましい)リアリティを感ずるであろう。


★小林秀雄
文芸・美術評論家。
19021983

上で小林氏が指摘しているように、思想をいだいている各登場人物には各々の思想が肉化されていて、彼らはその思想を生きている、という点は、ドストエフスキーの小説の大きな特徴であるように思う。

ドストエフスキー研究家の中村健之介氏も、

ドストエフスキーは、作中人物の性質と観念とを見事に結合させる。性質と観念の「相性」を的確にかぎつけるドストエフスキーの嗅覚(きゅうかく)は、きわめて鋭敏である。
(
『ドストエフスキー人物事典』より)

と述べている。





桶谷秀昭
『ドストエフスキイ』(河出書房新社1978年初版。)の「あとがき」のp297より。


ドストエフスキイの思想は、理論が無能になるところでもっともよく生きる思想である。 彼が「感覚」という言葉を愛用する作家であること、感覚に根底をもたぬどんな思想もドストエフスキイの真面目な対象にならないということは強調されすぎることはない。


★桶谷秀昭
けたにひであき。文芸評論家。
1932
〜。

 





五木寛之原卓也の対談
新潮社版全集の発刊記念の際に編まれたパンフ『ドストエフスキー読本』に所収の両氏の対談「なぜドストエフスキーか」(1978)より。


原:それで思い出したんですけど、何年か前、ドストエフスキー生誕百五十年(注:1971)の時に、僕らが五木さんに講演を依頼しましたね。

五木:ありました。読売ホールで。

原:あの時に、とても面白いことを五木さんが言われた、最後にね……

五木:演題が「流行作家としてのドストエフスキー」だった。

原:そうそう。その時に「
これからは明るく楽しいドストエフスキーを読みましょう」と言ったのが、非常に記憶に残っているんです。

五木:まあ、半ば冗談ですがね。ドストエフスキーという時に、作品からくるイメージよりも、彼の写真とか肖像画の絵のイメージが、一般の読者には先に来る面がある。 それがどれも髭(ひげ)をはやして、頬(ほお)がこけて、いかにも予言者という感じでしょう。ところが若い頃のドストエフスキーっていうのは、丸顔でちょっと額(ひたい)が禿()げたような感じでどこか剽軽(ひょうきん)な人に見えるんですよ。
ああいうドストエフスキーもいたんだということを切り捨ててしまうと、晩年の深刻な面だけを見てしまうことになる

原:僕は、それは大事な指摘だと思いますよ。つまり、予言者の面だけを問題にして、もう一つの面が忘れられてしまう。 丸谷才一(注:作家)さんが、前に短い文章でそのことに関連して……

五木:言ってますね。
ドストエフスキーのユーモア、僕はそういうものが好きだと。 中野重治(注:作家)さんも、やはりそういう意味のことを書いておられた。
 
  ―途中、略―

五木:なるほど。

原:ところが、
そうした腹を抱えて笑うドストエフスキーの作品(注:中期の『伯父様の夢』『スチェパンチコヴォ村とその住人』などの小説のこと。)というのは、日本の読者の中では比較的軽く見られているのではないかという気がしますね。
 
五木:
全然ないというふうに思っていいんじゃないですか。

  
―途中、略―

原:あ、なるほど。

五木:とにかくドストエフスキーぬきにして現在のあらゆる文学も哲学も語れない、というさなかにありながら、
ドストエフスキーの愛すべき本当の読者は、どんどん減っていると思います。ドストエフスキーはおそらく、髪の毛もあれば、肉も皮膚もあり、髭(ひげ)もある存在だと思うんだけども、ミイラか標本教室の骨みたいに、思想的骨格だけが語られているんです。

原:
愛読する人より、論じる人が多くなりすぎた

五木:
ドストエフスキーは、もっと素直に読んでみる必要があるなあ。

〔「意見・情報」交換ボードの[97810]に書き込んだ分〕


★五木寛之
いつきひろゆき。作家。
1932
〜。

★原卓也
ロシア文学者・ドストエフスキーの小説の翻訳家。
19302004




中村真一郎
『小説入門 ― 人生を楽しくする本』(光文社カッパブックス。1962年初版)の中の「『白痴』はユーモア小説」より。


ドストエフスキーは、人物たちの変人ぶりを書きながら、そのおかしさを笑っています。ところが、きまじめな読者は、それを大まじめで読んでいるので、そのおかしさがわからないのです。ですから、ドストエフスキーを読まれるかたは、ぜひ、あれは、ユーモア小説のような要素も、それから、センチメンタルな要素も強いものだというふうに思って、気を楽にしてお読みになるのがよろしいのではないかと思います。〔「意見・情報」交換ボードの[97914]に書き込んだ分〕


★中村真一郎
作家・文芸評論家。

上の中村氏の指摘は、我々ドストエフスキーの小説の読者が、頭に置いておくべき事柄かもしれない、と思う。

       
    



江川 卓
『謎解き「罪と罰」』(新潮選書。新潮社1986年初版。)p15p17p18p210より。


多年、ドストエフスキーには「悪文家」の評判がつきまとってきた。内に鬱積(うっせき)する巨大な思想を吐き出そうと急ぐあまり、文章を練()りあげる余裕など持てなかった、といった伝説も、まことしやかに流布(るふ)されてきた。しかし、これはたいへんな誤解である。たしかに簡潔、流麗といった形容詞はぶさわしくないだろうが、
この小説(=『罪と罰』)でドストエフスキーが示した言葉と文体への気くばり、神経には想像を絶するほどのものがある。文字どおり一語一語に、作者の執念と粘着力が感じとられると言ってもよい。ところがつい最近まで、小説のこの側面はあまりにも軽視されてきた。  ―途中、略―   神話、フォークロア(=民族学)、文芸作品の隠された引用、言葉のリズム、音韻、語源などへの深い関心、語呂合わせ、地口(じぐち。=しゃれ)などの言葉の遊び、そこから生まれる独特のユーモアと笑い――これらは、言葉の芸術としてのこの小説(=『罪と罰』)を特徴づける最大の要素である。言葉の象徴牲も最大限に利用される。しかもドストエフスキーは、このような言葉を素材として最大限に機能させながら、その独特な結合、重ね合わせによってこの小説を壮大な建築物に仕上げていく。音楽でいうライトモチーフのように、特定の言葉ないし言葉の形成要素のたくみな反覆によって、小説を立体的に構成していく技法は心憎いばかりである。このいっさいを読みすごしていたのでは、『罪と罰』という小説は、実際にそうであるよりもはるかに底浅い作品と受けとられてしまうだろう。いや、悲しいことに、思想的内容の巨大さに気押(けお)されてか、この小説はまさしくそのように読まれてきた歴史をもっている。もっとも、この点については、作者ドストエフスキーの側にも、けっして軽くない責任があった。名匠気質(めいしょうかたぎ)というのか、ドストエフスキーは小説の創作にあたって、ネタの割れてしまうこと、つまり、自身の秘めた存念(ぞんねん)がなまに出てしまうことを何よりも恐れた。その結果、うわべはことさらさりげなく、うっかりすると、気にもとめず読みすごしてしまいそうな文章の背後に、実は作品の根本テーマが隠されているといった、二重、三重仕立てのテキスト構造ができあがった。しかもこの多層的な構造は、ふつう常識的にテキストと考えられているものの枠を大きく越えて、表題、章割り、人名、地名、日付、数、句読点、さらには活字の字面(じづら)といったところにまで及んでいる。比喩的な言い万をすれば、小説の全体が、名匠の手になる精巧なからくり装置のような観を呈していて、ふつうの目では容易にその仕掛が見破れない。しかもこの装置では、言葉や文体の微妙なあやがゼンマイやピンの役割をつとめ、それらが相互に連動するような仕組になっているのである。 ―途中、略― ドストエフスキーは、流行語や俗語には人いちばい敏感な作家であった。


★江川 卓
えがわたく。ロシア文学者・ドストエフスキー研究家。
1927
2001

『謎解き「罪と罰」』は、上に述べたような観点から、この名作を検証し、『罪と罰』を、その細部から新たに解き明 かして、話題をさらった快著。





中村健之介
『 ドストエフスキーのおもしろさ ― 言葉・作品・生涯 』(岩波ジュニア新書。1988年刊。)より。 p166

 
ドストエフスキーの文章は決して簡潔明快といえるものではありません。なにか、どことなく、なぜか、といった不定詞が非常に多くて、いつも不明瞭な感じがつきまとい、最上級の形容詞や強調の副詞がいくつも重ねられて、全体が熱っぽく感情的でしかも関係代名詞で先へ先へと、いわば螺旋状(らせんじょう)に延びていく、そういうくどい、曲がりくねった文章です。そして、この、たえず境界を越えようとする文章が読者の心理を刺激し、かきみだし、興奮させ、息苦しく圧迫するのです。 (途中、略)  フランスに亡命した現代ソ連の作家シニャフスキーは、ドストエフスキーの文体は「発酵しそこなって恐ろしくどろどろしたコニャック」のようであり、チェーホフは「天才的な凡庸(ぼんよう)さ」の文体の持ち主だと言っていますが、うまいことを言うものだと思います。 (以下、略) 」


★中村健之介
ドストエフスキー文学の研究家・翻訳家。現代日本の代表的なドストエフスキー研究家の一人。元・東京大学教養学部教授。北海道大学名誉教授。
1939〜。

ドストエフスキーが書くロシア語原文の文体については、ドストエフスキーの文学の翻訳家がその特徴について記したものがいくつかあるようですが、ロシア語のできる中村氏の上の評は、実地のドストエフスキー研究家の言(げん)として、信頼できるものでしょう。 





コリン・ウィルソン
『わが青春わが読書』(柴田元監訳。学習研究社1997年初版。)の「ドストエフスキー」より。p287


ドストエフスキーは過去の罪や弱さに時間を無駄遣いしすぎるように私には思えた。何かもっと実際的で建設的なことに集中すればよかろうに、と思ってしまうのだ。

           
★コリン・ウィルソン
イギリスの作家・文筆家。
1931〜。

コリン氏の上の感想は、いかにもイギリス人らしい見方であるし、ドストエフスキーの小説の読者の多くが抱いている感想を述べていると思いますが、ドストエフスキーは、人間のそういった暗部に、あえて(ある考え(信念)を持って)、生涯、固執したという事情もあるように思う。




 


ウラジミール‐ナボコフ・筆
「フョードル・ドストエフスキー」より。〔『ロシア文学講義』(小笠原豊樹訳。1992TBSブリタニカ初版。)に所収。p133。〕
 

ドストエフスキーの趣味の欠如、フロイト以前のコンプレックスに悩む人物たちの単調な扱い方、
人間の尊厳が蒙(こうむ)る悲劇的な災難というものに淫(いん)する(=過度にふける)やり方など――これらすべてはお世辞にも褒()めるわけにはいかない。この作家の作中人物たちが「罪を重ねてイエスに至る」やり方が、あるいはロシアの作家イワン・ブーニン(→下の注)がもっとも無遠慮(ぶえんりょ)に言ったことばを借りるなら「イエスを垂()れ流して歩く」やり方が、私は好きではない。

〔語注〕
・イワン‐ブーニン
ロシア出身の作家・詩人。18701953。革命後、パリに移る。代表作の小説として、『村』『乾いた谷間』『アルーニエフの生涯』など。1933年にロシア初のノーベル文学賞受賞者となる。
 

★ウラジミール‐ナボコフ
ロシアの名門貴族出身のアメリカの作家・詩人。小説『ロリータ』の作者として知られる。
18991977

イギリスの文学者や亡命したロシア作家や旧ソビエト時代の文芸学者には、しばしば、ドストエフスキーに対する痛烈な批判や嫌悪を表した文章が見られます。上のナボコフ氏やブーニン氏の発言も、ドストエフスキーの小説の作風に対するそうとう手厳しい言葉になっていますが、ある意味では、鋭い指摘だと認めざるを得ないでしょう。 





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