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(更新:24/03/11)




夏目漱石とドストエフスキー
(
1〜14)


投稿者:
Seigoぼんやり読者、
DU



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[724]
夏目漱石とドストエフスキー
名前:Seigo
投稿日時:09/12/05()


・夏目漱石のドストエフスキーの受容やその影響

・夏目漱石の文学とドストエフスキーの文学の比較

を中心に、夏目漱石とドストエフスキーと題して、情報意見交換をしていきましょう。


夏目漱石


ドストエフスキー



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[725]
漱石のドストエフスキー受容の
情報() / 両者とその
説の対応の例
名前:Seigo 
投稿日時:09/12/05()


※、当トピは以前から立てる予定でしたが、このたびDUさんからの要望もあり、立てました。ついでに、人文系ボードに漱石のトピを立てたので、投稿してみたいぶんがあればそのトピへも投稿どうぞ。


*  * *

【参考()
当トピの事項をめぐっては、

こちらのぶん(以前からページ内に掲載しているぶん)の中の、

・これまでいくらか確認出来ている漱石のドストエフスキー受容の概略
・ドストエフスキーについての漱石の発言
・これまで過去の主な論文一覧


も、参考のほど。 
 


  …………………………


※、以下は、199754日の「漱石とドストエフスキー」と題しての、ページ内の掲示板への投稿ぶんです。(一部補筆しました)


ドストエフスキーの、作品ごとの内容の「前進・深まり」のさまは、夏目漱石のそれとよく似ているような気が昔から私にはしています。

漱石は、大学教授の職を辞して、38歳から、『吾輩は猫である』で作家活動を開始していますが、ドストエフスキーも、38歳で、作家活動を再開しています。
(
ただし、漱石は49歳で没し、ドストエフスキーは59歳で没していますが。)

両者の、年を追っての各中長編の対応を見てみると、これもまた、

興味深い。

私などは、創作された小説群の流れの中の位置付け等において、

・『カラマーゾフの兄弟』―『明暗』
・『未成年』―『道草』
・『白痴』―『それから』

の対応を見出し考えてしまいます。

残りの、
・『吾輩は猫である』『坊つちゃん』『草枕』『虞美人草』『坑夫』『夢十夜』『三四郎』『門』『彼岸過迄』『行人』 『こころ』

・『貧しき人々』『分身』『白夜』『虐げられた人びと』『死の家の記録』『地下室の手記』『賭博者』『罪と罰』『永遠の夫』『悪霊』

などについても興味深い対応が見出せるかも。



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[726]
『こころ』と『カラ兄』
名前:ぼんやり読者
投稿日時:09/12/06()


『カラマーゾフの兄弟』のなかの「ゾシマ長老の一代記―謎の訪問客」のエピソードを読んで、漱石の『ここ ろ』を思い浮かべた方は案外多いのではないでしょうか。私はエピソードの途中まではよく似ているなと思いました。話の後半はドストエフスキーと漱石の宗教観(とい うか思想?)の違いをモロに反映しているように思えました。

いちおう「謎の訪問客」の内容を紹介します。
「訪問客」は昔ある女を愛した。しかし彼女にはすでに別に愛する男がいた。嫉妬等から彼女を殺してしまったが、彼に嫌疑がかかることなく事件は終結した。 「訪問客」は徐々に良心の呵責が大きくなっていく。仕事に打ち込み忘れようとするが苦しみはどんどん大きくなる。結婚して家庭を持てば忘れられるかと思っ たが、そうはいかなかった。子供という新しい命を授かると、奪った命への思いがますます強くなり苦しみは増すばかりであった。
ついに「訪問客」はゾシマを訪れ、罪を告白する。しかし彼にはこの罪を公にするには迷いがあった。彼は殺人者の家族という記憶を罪のない妻子のこころに残 すことで彼等を苦しめたくはなかった。ゾシマは公にすることを勧める。ゾシマと「訪問客」の間には葛藤があったが、結局「訪問客」は自分の過去の罪を公に する。しかしそこで奇跡が起こった。誰も信じなかったのだ。しかも「訪問客」は病気になった。告白は周囲に本気にされず殺人犯扱いにはならなかったので、 罪のない妻子が苦しむことはなかった。「訪問客」は心を救われて死ぬ。ゾシマはこの状況を神の慈愛だと思った。

宗教的にいうと個人の改心と(人間らしい心の)復活の過程を描いたエピソードということになるのでしょうか?

「謎の訪問客(カラ兄)」と「先生(こころ)」の心理過程が似ているのですが、きっと漱石には神の慈愛は信じられなかったのでしょう。「先生」は最後まで 妻には「K」とのいきさつを語りません。妻を苦しめたくはなかったのです。「私」という語り手の青年だけに手紙で告白しますが、妻には言うなと遺言しま す。「先生」は「私」に、人生の何たるかを自分から学べ、あなたのこころに自分が宿ることが出来るなら自分は満足だ、と言って自殺します。

「先生」が自分の体験を語ることによって「私」の中にその命を継続させたという意味では、これもある意味復活の話と言えなくもないでしょうが、何ともドストエフスキーとの違いを感じさせます。何がどう違ってその原因は何か、あまりうまく説明できないのですが。

ドストエフスキーにおいては個人の改心と復活が別の個人へと連鎖反応していくのだそうです。ゾシマの兄の改心がゾシマへ、謎の訪問客の改心へ、そしてアリョーシャへ、と。(『ギリシャ正教』高橋保行 講談社学術文庫)

あ、でも漱石が『カラ兄』を読んで、自分ならこう書くという意図で『こころ』を執筆したなどというつもりはありません。何がしかの類似はたぶん単なる偶然でしょう。漱石蔵書にも『カラ兄』はなかったように思います。(森田草平が本を貸したという可能性はあるのかも?)




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[736]
ぼんやり読者さんへ。
名前:DU
投稿日時:09/12/07()


 こんにちは。

お書き込みはなかなか「こころ」や「カラマーゾフ」をよく読んでいないと
浮かばない発想だと思いました。

ギリギリで漱石が英文で読んでいた可能性もなくはないですね。

1914
年大正347
4
20日 「心 先生の遺書」(831日、のち「こゝろ」と改題)

1915
森田訳 カラマゾフ兄弟 フヨドール・ドストイェフスキイ 日月社




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[738]
森田草平訳の『カラマゾフ兄弟』
名前:ぼんやり読者
投稿日時:09/12/08()


>DUさん

はじめまして、こんにちは!

> 1915
森田訳 カラマゾフ兄弟 フヨドール・ドストイェフスキイ 日月社

この訳本の存在を全然知りませんでした。ありがとうございます。
(草平は英文科卒だったはず・・・底本はロシア語?それとも英語からの重訳?ん〜〜?)
英語なら漱石先生にも勧めたかもしれませんね・・・。

もし漱石が『カラマーゾフ』を読んだなら、多分キリスト教の信仰に関する部分に違和感をおぼえることと思われます。

漱石の『行人』も「神でも仏でも何でも自分以外に権威のあるものを建立するのが嫌いな」主人公が心の平安を得られずにのた打ち回る話なので、何らかの影響 が考えられるかもしれませんね。(でも『こころ』よりもさらに一つ前の作品なので、『カラマーゾフ』の直接的な影響は時期的に無理っぽいかもしれません。)



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[755]
名前:DU
投稿日時:09/12/19()


 ぼんやり読者さん、こんばんは。出かけていてしばらくぶりです。

 森田氏の邦訳は英語からの重訳ですね。

 これはあなたのことではなく、自戒なんですがどうも表面的な
 類似をあげつらってもあまり意味がないような気がします。
 やはり共通点のないところに共通点を見つけるようにしなければ、
 ならないように思われます。〔あなたの論はそれを免れています〕

 森田氏の1ページ位の大患後の漱石とドストエフスキーの心境の違いを
 読んだのですが、ちょっと引用には長いので後日ということで。




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[756]
比較のしかた
名前:ぼんやり読者

投稿日時:09/12/22()

>  森田氏の邦訳は英語からの重訳ですね。

DUさん、ありがとうございます。

>
 森田氏の1ページ位の大患後の漱石とドストエフスキーの心境の違いを
>
 読んだのですが、ちょっと引用には長いので後日ということで。

私これ知りませんので、是非是非お時間のあるときにお書きください。

ドストエフスキーと漱石に何の共通点があるのか、文学ド素人の私には最初全然想像もつきませんでした。

漱石は「吾輩は淡白を愛する茶人的猫である(『猫』7)」的な人でしょう。たしか私の記憶に間違いがなければ泉鏡花の文を「これは好みの問題だが」と断っ た上で「玉だらけ傷だらけ」と評した漱石です。到底ドストエフスキーの過剰な文体を好きになるとは思えません。もっとも漱石も饒舌な文体ですが、自分の言わんとす るところを懇切丁寧に説明しすぎたたための饒舌であってドストエフスキーの饒舌さとは質が違いますし、漱石の理想とする文体はおそらく簡潔でピシリと言いたいこと がきまっているようなものだと思うのです。だから読んでいてもこの二人には何ら似たところがないように思えます。

また漱石は英文学者なので、ロシア文学作品について評してるのはほとんど見ません。

でも漱石を少し沢山読んでいくと、森田草平という弟子がドスト好きで漱石にドストエフスキーを読ませたことや、『思い出す事など』でドストエフスキーの死刑のことに触れて いることを知り、何より『明暗』の小林という登場人物が実にドストな人物でおまけにその人物にドストを語らせているのにぶちあたるというわけです。
つまりこのレベルの基礎知識だと、表面的な類似でも似ている箇所が見つかると本当に単純に大発見!と楽しくなります!だって共通点なんて想像もできなかったのですから(笑)。

なので、共通点の本質をみていこうというDUさんのご意見は次なる段階に向かうときに重要だと思いました。

ところで比較の方法については全く意識していたなかったのですが、こんなふうに単純にまとめてみました。

1、ドストエフスキーの影響・受容を漱石にみる場合
 森田氏の著作をあわててチェックしたのですが、いつ、どのドスト作品を漱石が読んだかわからない。ただ『猫』や『坊ちゃん』執筆のころは多分読んでいな かったと思われるので、これらの作品は除外。まあ、おおざっぱに修善寺の大患以降の作品が対象になるのでしょうか。ドストエフスキーのここは受け付けない、という のも「影響」のなかに含まれるので、二人のものの感じ方の違いなども鋭くでてくるように思います。

2、二人の作家の共通の資質、共通の問題意識をみる場合
 これはどの作品でもOKということになりましょうか。たとえば極端なはなし、紫式部とドストエフスキー、なんていうお題だってこういう問題の立てかたなら可能かもしれません。共に人間の苦悩と心理に興味を持った作家だ、とか。
 私自身は漱石もドストエフスキーもものすごく好きなので、この二人全然作風が違うにもかかわらず、文学のテーマとか問題意識に共通点があるのではないかと推測し ています。この本質を抽出できたら本当にうれしい。二人とも探偵っぽいもの書かせると絶妙ですし。時代や国が異なっても、二人とも進んでいる西ヨーロッパ 社会を「善し」としなかった点も似ていると思います。

3.漱石の影響・受容をドストエフスキーに見る場合
 これは無理です(笑)。ドストエフスキーが亡くなった1881年、漱石わずか15歳。漱石作品をドストエフスキーが知ったらどんな感想をもったかと空想するのは実にワクワクするのですが。

 



(
)

[758]
「漱石先生と私」下巻 森田草平
名前:DU
投稿日時:09/12/23()

処で、今日小宮君の『夏目漱石』を読んで見ると、その序の真先に先生の生涯をドストエースキのそれとが似 てゐるやうなことが謡つてある。前に挙げたやうな考えでゐる私は、小宮君のさう云つてくれるのが嬉しくないことはない。が、先生とドストエースキの生涯ま で似てゐると云ふのは、何んなものであらう? 成程先生はその手帳の中にLifeと題して「露西亜の」小説を読んで、自分と同じ事が書いてあるのに驚く。 さうして只クリチカルな瞬間にうまく逃れたとの相違である」と書込んではゐられる。この露西亜の小説といふのは何であるか、私には見当が付かない。が、後 の文句から想像すれば、小宮君が疑つてゐるやうに、どうもドストエーフスキではないやうに思ふ。後の方は、クリチカルな瞬間にうまく逃れたとある所から推 して、これは何うしても修善寺で大吐血をされ、三十分間程死んでゐられたといふ事実を指して云つてゐられるものに相違ない。「クリチカルな瞬間」といふ言 葉だけを取つて、ドストエーフスキの生涯にこれが対を求むれば、何うしても彼が死刑を宣告されて、更に皇帝の赦免状によつて絞首台の上から御されたといふ あの事実を指すことになる。が、同じやうにクリチカルな瞬間であつても、ドストエーフスキの経験の眞意義は、前にも云つたやうに、一時間、一分、三十秒後 には確実に死を免れないといふ、世にも稀な苦楚を嘗めた所にある。同じく生死に係る問題ではあつても、先生が大吐血して、正気に返られるまで三十分間は死 んでゐられた。その事実を先生は少しも知られなかつた。後で奥さんからその話を聞いて驚かれたと云ふのとは、一つにはならない。〔『思ひ出すことなど』十 五参照〕有体に云へば先生は、事実として死を通り抜けて来られながら、先生自身は少しも死を経験されてゐないのである。況してや、ドストエーフスキの経験 に関しては、その数年前に、私と先生の間では既に議論済みである。そんなことを先生が持ち出して、今更自分と比較して書かれる筈はない。 「漱石先生と 私」下巻

ーーーーーーーーーーー

「先生のドストエーフスキ論」の一部です。




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[759]
「漱石先生と私」下巻 森田草平 2
名前:DU
投稿日時:09/12/24()

その頃の先生の日記を見るとよく、「森田草平来、議論」〔明治四十二年七月十一日の条〕とある。議論とい ふのは文学上の議論である。と云つて、私は迚も自分の作ぢや敵はぬと思つてゐたから,何時でもドストエーフスキを引き合ひに出して、「先生もどうかドスト エーフスキを読んでください」といふやうなことを云つた。〔略〕
あまり煩さく云ふので、先生も漸くその気になられたものと見え、先ず私の持参した『白痴』から始めて、三四冊読破されたことは前に述べた通りである。が、 先生のそれに対する批評は案外であつた。いはく「これは皆有り得べからざる程度に誇張したものだ、誇張以外の何物でもない」と。〔略〕
しばらくして又思ひ返した。ーー「いや、先生は相手が俺だものだから、ドストエーフスキまで解らないやうな顔をして、わざとあんなことを云つてゐるんだ。 例によつてアンチテーゼだ、親父逆を云つているんだよ」と。そして、これは必ずしも私の想定が間違つてもいなかつた。あゝ云はれたやうなものゝ、先生は先 生として、ドストエーフスキの中から汲み取るだけのものは汲み取つてゐられたに違ひない。『それから』や『門』に飽き足らずして、その次の『須永の話』や 『行人』に於ては、再び「自ら識らざる偽善者アンコンシアス・ヒポクリフト」型の女性を取り上げ、それに配するに半病人的な須永や一郎を以てせられるに到 つたことは、勿論、先生自身の本然の要求が然らしめたものには相違ないが、ドストエーフスキも亦多少の示唆と暗示を与えてゐるのではあるまいか。

 

 



(10)

[760]
漱石とドストエフスキーの関連年表
名前:ぼんやり読者
投稿日時:09/12/25()


Duさん、森田草平の著作から引用をありがとうございました。
この引用記述をもとに、漱石とドストエフスキーとの関連を年表にまとめてみました。(自由に加筆修正してください。)

ドストエフスキー作品読了後の漱石の感想が「誇張以外の何物でもない」ということから、漱石は『死の家の記録』のようなリアリズム作品は読まなかったのではないかと私は推測しました。ドストエフスキーの死刑の話は『白痴』及び草平ら門下生との談話から知ったのかもしれません。

『白痴』以外に漱石が何を読んだかは、推測の域をでませんが、『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』、『悪霊』あたりではないでしょうか。阿部次郎も漱石の 門下生なので、『ドストエフスキイの言葉』(これは現在の作品の題名としては何なのか私にはわかりませんが)も読んだかもしれません。

漱石の時代、日本ではドストエフスキーの受け入れが私の想像以上に盛んだったという事実にあらためて驚きました。特に大正3年は重要ドスト作品の邦訳ラッシュだっ たのですね。文学研究者も、もっと漱石とドストエフスキーに注目してもよさそうに感じます。ドストエフスキーの漱石に対する影響が、知られている以上にあったのでは。

とりあえず今回はここまでで、漱石の各作品についてのドストエフスキー影響の具体的な話はまた稿を改めます。また、このトピを見ておられる諸氏も気軽にご参加いただければと思います。

【ドストエフスキー邦訳―漱石作品 関連年表】

1892年(M25)
小説/罪と罰 内田魯庵訳(11月〜翌M26年)

1894年(M27)
損辱[虐げられし人々] 内田魯庵訳(5月〜翌M28年6月) 

1905年(M38)『吾輩は猫である』(1月〜翌M39年8月)
 *この年の後半ごろから森田草平 漱石宅に出入り

1906年(M39)
『坊つちやん』(4月)
 『草枕』(9月)

1908年(M40)
『虞美人草』(6〜10月)

1908年(M41)
『坑夫』(1〜4月)
 *森田草平と平塚明子(雷鳥)煤煙事件(4月)
 『三四郎』(9〜12月)
 『夢十夜』(7〜8月)
博徒[賭博者] 馬場孤蝶訳(11月)

1909年(M42)
『それから』(6〜10月)
 *漱石と草平、ドストに関する議論?(7月11日)
 *漱石『白痴』から始めて全部で3、4作品ドストを読む。(時期不明)
不安[罪と罰] 衛藤東田訳(9月)

1910年(M43)
『門』(3〜6月)
 *修善寺の大患(8月)
 『思ひ出す事など』(10〜翌M44年4月)
囚徒[死の家の記録] 阿部幹三訳(12月)

1911年(M44)
*五女・ひな子急死(11月)
 
1912年(M45=T元)
『彼岸過迄』(1〜4月)
 『行人』(12〜翌T2年4月、その後休載)
鰐 森鴎外訳(5〜6月)
ドストエーフスキイの手紙 福田久道訳(9月)

1913年(T2)
罪と罰・前編 内田魯庵訳(7月)
 『行人』(連載再開9月〜11月完結)

1914年(T3)
虐げられし人々(上下) 昇曙夢訳(3月)
 『こゝろ』(4〜8月)

死人の家 片上伸訳(4月)
永久の良夫 中村古峡訳(4〜6月)
僧と悪魔 和気律次郎訳(7月)
虐げられし人々(上巻・下巻) 加藤朝鳥訳(8〜9月)
白痴(1〜8) 米川正夫訳  新潮文庫(9月)
罪と罰 中村白葉訳  新潮文庫(10月〜翌T4年11月)
カラマーゾフの兄弟 米川正夫訳(10月)
叔父の夢 中村古峡訳(10月)

1915年(T4)
『硝子戸の中』(1〜2月)
白夜 田島芳樹訳(5月)
カラマゾフ兄弟 森田草平訳(5月)
 『道草』(6〜9月)
悪霊 森田草平訳(7月)

1916年(T5)
ドストエフスキイの言葉 阿部次郎訳(1月)
 『明暗』(5月〜絶筆未完)
流刑通信(1854年2月22日オムスクにて) 山村暮鳥訳(7月)
 *木曜会で則天去私を語る(11月初旬)
 *漱石 死去(12月9日)


参考:ナダ出版センターホームページ ナダホームページ公開資料質 
 ドストエフスキー翻訳作品年表(作成:榊原貴教)
 別冊国文学39・夏目漱石事典 夏目漱石年譜(三好行雄)(学燈社 1990)




(11)

[761]
利休なんぞもやはり沸騰したものを抱えた男でしょう
名前:DU
投稿日時:09/12/25()


 ぼんやり読者さん、年表有難うございます。
 こうやってみると本格的な翻訳ラッシュと漱石の晩年が重なるんですね。

>
漱石は「吾輩は淡白を愛する茶人的猫である(『猫』7)」的な人でしょう。

いやおそらく漱石は芥川によると

「少し離れた瓦斯煖炉にも赤々と火が動いてゐる。さうしてその机の後、二枚重ねた座蒲団の上には、何処か獅子を想はせる、脊の低い半白の老人が、或は手紙の筆を走らせたり、
或は唐本の詩集を飜したりしながら、端然と独り坐つてゐる。……」
「先生はあの小さい机に原稿のペンを動かしながら、床板を洩れる風の為に悩まされたと云ふことである。しかし先生は傲語してゐた。「京都あたりの茶人の家と比べて見給へ。
天井は穴だらけになつてゐるが、兎に角僕の書斎は雄大だからね。」穴は今でも明いた儘である。先生の歿後七年の今でも……」

内部に沸騰しているものを抱えた人だったようです。茶人もいろいろですが、利休なんぞもやはり沸騰したものを抱えた男でしょう。〔これは洒落になっていますか?ー笑い〕
とにかく漱石は暗い男で、巨大な努力で辛うじて均衡を保っていたと思われます。

「比較の方法」についても有難うございます。

>
二人とも探偵っぽいもの書かせると絶妙ですし

これはそうなんですが、「猫」でしたか、探偵をすごく嫌っていました〔他にも初期作にあったような〕。
これはやはり自分のそういう気質というか、追跡妄想みたいのものを逆に非難しているような気がします。

漱石へのドストエフスキーの影響ですが、本人は意外とアッサリ否定しているようですが、この場合
森田氏の推測の方が当たっているようです。こういうものは本人の言はあてにならないとおもいます。
もっと言うとおそらく逆なのではないでしょうか?とにかく表面でなく深いところで、隠されたところで
共通点を探っていきましょう。

このトピは毎日みていますが、お返事・感想はすぐにはできませんし、
たまに書いても意を尽くしたとは到底言えません。 
物足りないとも思わないでくださいね。

どうぞ長いスパンで一歩一歩進んで行きましょう。




(12)

[762]
沸騰漱石の本質と好み
名前:ぼんやり読者
投稿日時:09/12/27()


DUさん、お返事ありがとうございました。

漱石とドストエフスキーを合わせて考えると、今までよく知っているつもりだった事柄もそうでなかったことに気が付き、確認したり読み直したり。私もゆっくりゆっくり進みますので、どうぞよろしくお願いします。
> 物足りないとも思わないでくださいね。
ハイ、思いませんよ〜。)

漱石が内部に沸騰しているものを抱えた人で、巨大な努力で辛うじて均衡を保っていたというのは、本当に私もそう思います。

「力作の密画に限ってあたまの悪い時にできたのは妙なことだと今でも思っております。」(夏目鏡子『漱石の思い出』文春文庫145頁)

密画は仙人郷のような風景を描いた漱石の独特の南画で、漱石夫人の鏡子は「あたまが悪い」と言っていますが、周期的に漱石が凄まじい精神状態になったのはよく知られていますね。沸騰した自分を、漱石は自然や仙人郷に逃避させたように思います。
わざとらしい芝居も嫌いだったと『思い出』にあり、さもありなん、ねちっこいわざとらしいものはただでさえ波だちやすい漱石の神経の振幅をさらに増幅させて疲れさせたのだろうと思いました。

わざとらしいものをみると、「俺をだますのだろう」と妄想が働きはじめるから、こういうものを避け、自然な無邪気なものに引き付けられたように思います。わざとらしいとか無邪気とかいうのは、客観的にそうだというのではなく、漱石だけの主観なのですが。

ともかく、
本人の本質と、好みは一致しませんね、多分。(・・・利休も沸騰人物だったとは!濃い茶は効いただろうか。)

ところで今、大きな妄想を抱いています。ドストエフスキーと漱石の関係を探っていったら、もしかしたら『明暗』の別の、―現在考えられているものより可能性のあり そうな―結末がみえてくるかもしれない・・・!『明暗』のキーパーソン・小林を、漱石のドストエフスキー受容の仕方から深く読み直す、というわけです。(もちろん 私の手には余りますが。)

それでは年末年始どうぞお元気でお過ごしください。




(13)

[763]
「明暗」の結末
名前:DU
投稿日時:09/12/30()


こんにちは。

>
ところで今、大きな妄想を抱いています。ドストエフスキーと漱石の関係を探っていったら、もしか
>
したら『明暗』の別の、―現在考えられているものより可能性のありそうな―結末がみえて
>
くるかもしれない・・・!『明暗』のキーパーソン・小林を、漱石のドストエフスキー受容の仕方か
>
ら深く読み直す、というわけです。

 これは面白いですね、ぜひやってみてください。

 私もいずれとは思っています。すっかり忘れていて再読したいのですが、
 時間がとれません。

 ぼんやり読者さん、ほかのみなさん、良いお年を。




(14)

 [764]
RE:夏目漱石とドストエフスキー
名前:Seigo
投稿日時:09/12/30()


DU
さん、読者さん、人文系トピの漱石や芥川のトピへの投稿ぶんを含め、ここ一連の投稿、ありがとうございます。

漱石や芥川について挙がっている事柄について、自分も、投稿やレスや質問をしたく思っていたのですが、投稿する機会を逸してしまいまして情報交換や議論に参加せずじまいになりましたが、今後、ぼちぼち参加していきたいと思うので、来年も、よろしく。
(
特に、漱石のドストエフスキー作品の受容の実際について、当時のドストエフスキーの作品の出版状況や、漱石への森田氏のドストエフスキーのすすめの実際について、これまでの過去の諸氏の研究成果もおさえて、情報交換して、さらに明らかにしていければ、と思っています。)