[事項]
・ぺテルブルク
ペテルブルク
・時候、気象
白夜
避暑
・川、運河
★ネヴァ川
洪水、結氷
・建物、街並み
共同住宅
別荘
埃、悪臭
・設備
下水道、水道
街灯
・店
居酒屋、料理屋
質屋
娼家
・広場、公園
★センナヤ広場
・施設
学校
礼拝堂、教会
・乗り物
馬車
鉄道
ペテルブルクについて
バルト海への進出のため1700年から始まったスウェーデンとの戦争(北方戦争・〜1721年)で奪取した原始的な沼沢と大森林の地に、当時のロマネフ朝のピョートル大帝(在位1682年〜1725年)の指揮のもと、ヨーロッパへの窓を開こうと、1703年に海港と要塞を築いたことが都市ペテルブルクの起源。命名は、ピョートル大帝の名と聖使徒ペテロの名にちなんでいる。
ネヴァ川のこのデルタ地にヨーロッパ風の人工都市の建設は進み、1713年には、いちおうの完成を見せて、首都もこの都市に移転された。
以来、ロシア革命の翌年の1918年にモスクワに首都が移されるまで、ロシア帝国の首都として、ロシアの政治・経済・文化の中心となって発展した。
(市名は、1914年に「ペテルブルク(サンクト・ペテルブルク)」から「ペトログラード」に、1924年には「レニングラード」に、1991年には旧名の「サンクト・ペテルブルク」に戻っている。)
首都移転時には10万人(その多くはモスクワからの強制移住)だった人口は、1800年には22万人になり、工業化・資本主義化が進んだ19世紀に入ると飛躍的に増加し、鉄道の開通や1861年の農奴解放ののちは、工場労働者としての地方の農民の移入も増え、『罪と罰』が完成した年の前年の1865年には54万人、ドストエフスキーが亡くなった年の前年の1880年には84万人、1900年には150万人に拡大している。
市の面積は、東京都区の面積の57%。
当時の市全体は、以下で成りたっている。
南部の
・本土、
本土の北西部の
・ワシリエフスキー島、
北部の
・ペテルブルクスキー島
(ペテルブルク区)、
を初めとする大小の七つの島
(市街は101の島に
わかれている。)
北部の、
・ヴィボルグ区
その間を流れる川として、
南部の本土の北からヴィボルグスキー区の南側を流れる
・大ネヴァ川、
本土の北西部のワシーリエフスキー島と北部のペテルブルクスキー島の間を流れる
・小ネヴァ川、
本土の中央部を流れる
・モイカ川
など。
運河として、
本土の北東から南西へと走る、
北側の、
・エカチテリーナ運河、
南側の
・フォンタンカ運河(フォンタンカ川)
西は
・フィンランド湾
に面する。
市街は、ネヴァ川の河岸及びそのデルタ上に広がっていて、市の約15%は水面であり(川幅も340m〜650mと広い)、ネヴァ川は市内に入ると、いくつかの支流にわかれ、運河も市街を縦横に走っていて、市中には、600近くの橋がかかっている。
(そういう点で、ペテルブルクは、美しい「水の都」であり、「北方のヴェニス」と言われるゆえんである。ドストエフスキーの体験にあるように、夏の白夜のネヴァ川のほとりに立てば、幻想的なパノラマを体験することができる。)
橋としては、
南部の本土と北西部のワシーリエフスキー島を結ぶ橋として
・ニコラエフスキー橋(=ニコライ橋)、
・王宮橋、
南部の本土と北部のペテルブルクスキー島(ペテルブルク区)を結ぶ橋として
・トロイツキー橋
が知られる。
市街の建物は、当初より、ピョートル大帝の方針に基づき、石造りの建物や石橋が多い。
道路も当初より、石で舗装され、
本土を北西から南東に走る目抜き通りの
・ネフスキー大通り、
南北に走る
・ヴォズネセンスキー通り
を中心に、各通りが縦横に走っている。
『罪と罰』に登場してくる、
・センナヤ広場
(エカテリーナ運河の南側の区域)
は、本土の中央に位置し、市外からの移入民が集まる庶民の市場として賑わった。
センナヤ市場一帯は、人口の過密区域であり、賃貸しの共同住宅ビルが密集し、酒場や娼家なども多かった。
〇ペテルブルクについて、
いろいろ解説・紹介している本
白夜
(びゃくや、はくや)
ペテルブルクは緯度が高い(北緯60度弱)ため、初夏以降の5月〜8月には白夜となり(ピークは6月下旬)、その期間は、太陽は午後11時頃に沈むが、どっぷり日が暮れてしまうことがなく、真夜中でも薄明のままとなる。
ちなみに、冬は昼が短くて、冬至が近づくと午後4時には夜になる。
※、小説の中の白夜
についての記述
『貧しき人びと』
「いったい、わたしがきみのところへそうたびたびいかれるはずがないじゃありませんか?え、そうでしょう?闇夜にまぎれて忍んでいけというんですか?それに第一、近ごろは夜らしい夜もないじゃありませんか。いまは白夜の季節なのですから。」
(ジェーヴシキンの5月20日の手紙より。新潮文庫のp37。)
『罪と罰』
「彼らは中庭から入って、四階へのぼって行った。階段は上に行くほど、暗くなった。もうほとんど十一時近くで、その頃ペテルブルクは白夜の季節とは言え、階段の上のほうはひじょうに暗かった。」
(第1部の2。新潮文庫の上巻のp43。)
『白夜』
「昨夜は私たちの三度目のランデヴーだった、私たちの三度目の白夜だった。」
(角川文庫のp76。物語は、白夜の時期にあたる5日間にわたる物語になっている。)
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