ドストエフスキーの
キリスト教思想と信仰
(更新:24/10/25)
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[事項]

氏が考えていたキリスト教

氏における終末論、不死のこと

氏とキリスト教の各宗派

氏は信仰の人であったかどうか

氏の作品と聖書

氏の信仰のことを論じている論書




ドストエフスキーが考
えていたキリスト教



ドストエフスキーの文学に表されているキリスト教的な「思想・精神」の性格を正しく理解するためには、まず、

・ロシアのロシア正教
・ロシアの異端信仰(分離派など)や土着民間信仰(大地信仰など)

・『聖書』

についての知識や理解が必要だ。

『聖書』に関しては、
ドストエフスキーが注目した、

・旧約聖書の「ヨブ記」
・新約聖書の「ヨハネによる福音書」「ヨハネの黙示録」

などの知識や理解が必要となる。

旧約聖書の「ヨブ記」は、
この世における苦難に対するドストエフスキーの見方を深めた。

カール‐バルトとともに「危機神学」の確立に
尽くしたトゥルナイゼン氏は、

ドストエフスキーの文学は新約の光の下に見たヨブ記の注釈である

という見方を述べている。

ドストエフスキーが唱えたキリスト教を、

ヨハネ(ヨハネ伝・ヨハネ黙示録の作者)の唱えたキリスト教、 黙示録的なキリスト教

とみなすキリスト教側の指摘もある。


ドストエフスキーの晩年におけるキリスト教精神の内容は、

『カラマーゾフの兄弟』におけるゾシマ長老やその兄マルケールやアリョーシャの教説

の中に最終的に示されているが、

「神・キリスト」への信仰に基づいた隣人愛(友愛的結合)の唱道

とともに、

ロシア正教の根本思想の一つであり初期スラブ派の思想家たちによって理論体系化された、お互いの自己の罪を自覚し合い、神・人間による相互のゆるし合いによって築かれる
罪の共同体(ソボールノスチ、霊的共同性、共同的直接的一体感)という思想

を唱えていることが、ドストエフスキーのキリスト教思想の独自な点になっている。


結局、
ドストエフスキーは、


・『聖書』の熟読と聖書に登場するキリストへの敬愛

・キリストやロシア正教を素朴に信仰しているロシアの民衆(流刑犯罪人、ナロード)との接触

・自己の内の「肉と霊、悪なるものと善なるもの」との長年の争闘や生涯の数々の苦難におけるキリストへの信仰の力やその効果(心の安らぎを与えられるなど)の自覚

を通して、
形骸化・反キリスト化していると氏がみなし
ていた既成の西欧のキリスト教の教えの枠組みを突き抜けて、

・既存のキリスト教の中で見失われてきた本来のキリスト教の精神(いのち)

・その精神や神の意図を体現している「人間たち(ロシアの民衆)やこの私たちの世界というもの(黙示録的世界)

を新たに見い出し、深めていった思想家(新時代の預言者)あったと言えるのではないかと思う。
 
ドストエフスキーの作品に表れているそういったキリスト教の思想や精神の独自性に関しては、
『西欧の没落』の著者で知られる歴史
学者シュペングラー氏は、

「ドストエフスキーのキリスト教は、来たるべき一千年のためのものだ。」

と述べている。



ドストエフスキーにおけ
る終末論、不死のこと


また、
『聖書』に盛られている福音(信仰内容)としての、

終末思想(終末観、黙示録的世界観、キリストの再臨)

(聖書で言う、死者の)復活、新しき生、新しき世界(新しきエルサレム)
への信仰(信仰による要請)
(ドストエフスキーは、現在のこの世界というのは、未来の「新しき世界(新しきエルサレム)」「新しき生」へ向けて過渡期にある不完全な世界であり、この世はやがて終末及びキリストの再臨を迎え、その新しき世界や新しい生へと移り、その新しき世界や新しい生が現前していくという考え(予感)を持っていたようで、そういう点で、ドストエフスキーの思想の内にある「終末観(黙示録的世界観)も見逃せない)

さらに、

不死(霊魂の不滅)の要請
(このことについて触れてい
 
ドストエフスキーの言
「不死」という事実(考え)を要求して、不死がなければ善行や利他行は無い、神(神への愛)の中に不死がある、といった考えを打ち出している。)


あの世や異界への関心
(ドストエフスキーは、当時のロシア社会で流行していた「降霊術」に対しては、科学の目を向けつつも、 関心を示し、霊界旅行記で知られるスウェーデンボルグの本にも親しんでいて、あの世のキリストやあちらの世界(死後の世界)に関して、いろいろ想像をたくましくしていたことが知られている。28歳の時の銃殺刑の未遂の際、処刑場で、隣りに並んでいた同志に、「自分はこれから、キリストのもとに行くんだ。」とドストエフスキーはつぶやいたとの証言が残されている。ドストエフスキーは、持病のてんかんに見舞われるごとに、しばしば仮死・臨死の体験をしていたのであり、自らは証言は残していないが、光明・暗黒にわたるあちらの世界をかいまみていたことも考えられる)

といったことも、ドストエフスキーの宗教思想の一部として、もっと注目されるべき事柄だ。



ドストエフスキーと
キリスト教の各宗派


ロシア正教に関しては、 
ドストエフスキーは、ビザンチンを経てロシアに伝えら、ロシアで保持されてきた
東方キリスト教(ロシア正教)を、
 

西欧化されずに、イエスの原初の姿や教えをそのまま伝える教え

古来、ロシアの民衆の貴重な精神的・宗教的土壌となってきたもの

として捉え、

ロシア正教を高く評価し、欧州のキリスト教界には批判的だった

だが、そういったロシア正教を体現しているとされてきたドストエフスキーの思想も、

当時多分に形式化(儀礼化)していたロシア正教の教えの枠組みではくくり得ないものもある

とする当時のロシア正教の僧正たちによる指摘もなされている。
 
なお、
ドストエフスキーは、ローマカトリック(カトリック主義)にはたいそう批判的だった。

プロテスタント神学の立場からドストエフスキーの主要作品をとらえなおした吉村義夫著『ドストエフスキイ』(新教出版社1965年初版、1987年に同社より復刊)では、ドストエフスキーの後期の大作群を

カトリック主義批判の書

として捉えて論じている。

ちなみに、ドストエフスキーは、
プロテスタント派に対しても批判的だった。

なお、
ドストエフスキーのローマカトリック批判には偏見も多いという指摘もある。

ドストエフスキーは、正教側から異端とされたロシア内の

「分離派」「去勢派」「鞭身派」「逃亡派」

などに関心を示し、小説の登場人物にそれらの信仰を配したことは周知の通りだ。



ドストエフスキーは「信仰
の人」であったかどうか


ドストエフスキーは実際、生涯、「信仰の人」であったのかどうか(ドストエフスキーは生涯において「神やキリストやロシア正教」を全面的に信じていたのかどうか)
に関しては、現在でも、ドストエフスキー研究家たちによって盛んに議論されており、ドストエフスキーの信仰の内実の特異性も含めて、いまだ確かな定説がない。西欧の近代科学や科学的精神がロシアに入ってきていた当時の時代背景のもと、ドストエフスキーのうちには、謙虚な宗教心と同時に、科学的実証主義精神(懐疑的批判精神)も大いにあったとして、 ドストエフスキーは生涯、宗教への信と不信(宗教「科学)の間で揺れ動いて苦しんだ(あるいは、ドストエフスキーはむしろ「懐疑・不信の人」だった)とみなすドストエフスキー論者は
少なくはない。

そういった中で、作品における信仰のテーマのことはともかくとして、
ドストエフスキーの日頃の日常の信仰についてのいくつかの気付きを述べてみるなら、

・ドストエフスキーの信仰は、
この世に存する悲惨な現実ゆえに氏が常にその存否を問い続けた「神」への信仰よりも、神の意志の体現者としてこの世に厳として出現した(受肉した)完全で美しい人「イエス・キリスト」 への信仰(敬愛)の方が大きな比重を占めていたと言えるのではないかと思う。

・「神」に関しては、欧州とロシアの動向を論じた「作家の日記」の中の文章中で、ドストエフスキーは、
「世界を支配しているのは神と神の掟である。」〔『作家の日記』(187756月号)より。小沼文彦訳。ちくま文庫「作家の日記4」のp471。〕という信念(信仰)を述べている。この世は神に支配されており、人間側の行為は神の導きのもとにあるという世界観は、注目してよいだろう。

・ロシア正教の敬虔な信者である両親のもとで育ったことや生涯聖書を熱心に読み続けたことは、ドストエフスキーの日常の素朴な信仰心を育んだと言えるだろう。

・ドストエフスキーは、生涯において不幸の経験において信仰の危機に見舞われたことがいくどかあったようだが、時に書簡や『作家の日記』に見受けられるイエスや神に対する素朴な信仰心とその信仰を通して得ていた心の落ち着きや平安(安らぎ)の表明は、もっと注目されてよいだろう。家族や友人・知人など、同時代人の証言も残されている。

※、ドストエフスキー自らの肉声としての信仰告白と思われる言葉は、ページ内のこちらに掲載。



ドストエフスキーの作品と聖書

氏の小説や登場人物を『聖書』の内容と『聖書』に現れる人物の注釈書・パロディーとして捉えていく見方があり、氏の小説の内容を氏が生涯熟読した『聖書』の内容の文脈の中で捉えていくことも要求されるだろう。



○ドストエフスキーの信
仰の問題を論じてい
るドストエフスキー論書


以下などが参考になる。
 
『ドストエフスキーの信仰』
(A
‐ボイス‐ギブソン著。
小沼文彦・広瀬良一
共訳。ヨルダン社1
979
年初版。)

『ドストエフスキーとキリスト教 
イエス主義・大地信仰・社会主義』
(
清 眞人著。藤原書店
2016
9月刊。)

『ドストエフスキーの信仰』
(
松本昌子著。八千代
出版1984年初版。) 

『ドストエフスキー 
― 無神論の克服』
(
冷牟田幸子著。近代
文芸社1988年初版。)

『ドストエフスキー ― 
生涯・文学・思想・神学』
(
藤原藤男著。キリスト新
聞社1982年初版。)

『ドストエフスキイ』

(ピエール‐パスカル著、
川端香男里訳。ヨルダ
ン社1975年初版。)




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