私とドストエフスキー()
(更新:25/03/28)
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ドストエフスキーから
得た考えや教え
(以下の10)
Seigo
(更新:25/03/28)


・神の存在のこと
   

・生のありがたさ・尊さ


・罪の相互自覚とゆるしあい


・節度・時宜、
明るい見方・曇りのない心、
愛すること・熱中すること、
理想・熱意



・いまある幸せに
目を向けること



・よいことを行うこと


・自他を尊重すること
10






ドストエフスキーから
得た考えや教え 1
[55]
神の無い世界ほど恐ろし
い世界は無い()

名前:Seigo
投稿日:22/02/16
更新:25/03/28

自分は、ドストエフスキーの作品を面白いすぐれた文学として享受してきたとともに、自分の考えの形成において、その小説及び著作で述べているドストエフスキーの考えに重大な影響を受けてきた。

その得た考えのうちの最大のものは、神の存否をめぐるドストエフスキーの問いかけをきっかけにして自分が得た考えだ。

ドストエフスキーの、

・神無しに〜〜する
・神の無い〜〜は
・神が無ければ〜〜


といった言い方( )で示される考えを通して、いつのころからか、自分のうちに、

神の無い世界ほど恐ろしい世界は無い。

という考え(命題)が形成されたのでした。

この命題によって自分が得た考え(世界観など)は、かけがえのない貴重なものであり、今もドストエフスキーに対して大いに感謝している。

そして、その後古今東西の他の様々な考えに接していく中で、自由・善悪・人間・生死などの関連する残された問題のことも含めて、この命題は自分の内で発展・深化していったのでした。


上の命題の意味深長な内容の説明や、その後のその発展・深化については、今後、また、述べていきたい。




ドストエフスキーから
得た考えや教え 2
[70]
 神の無い世界ほど恐ろし
い世界は無い()

名前:Seigo
投稿日:22/03/26
更新:25/03/28

以下、上の投稿[55]
補足説明です。


Seigo
神の無い世界ほど
恐ろしい世界は無い。

私は、

・神のない〜は〜だ
・神がなければ、〜する
・神なくして〜する


といったドストエフスキーの発想について、逆に言い換えて、

・神があるから、〜なのだ(〜する)
・神のもとに(神を踏まえて)〜する

と捉えたのでした。

すなわち、我々のこの世界を根底において支え、この世のものを生かし、全体において、安定させ、調和させている根本となる働きや力が実在していて、それが神である、と私は考えたのでした。

ドストエフスキーは
『作家の日記』の中の文章で、

この世界を支配しているのは、
神とその法則である。


と述べ、

書簡でも、

すべては神の御手に委(ゆだ)ねられていることなので、私はお前にただ、神のお導きに期待をかけながらも、自分でもせいぜい気をつけるようにする、とだけ答えておく。

と述べている。

もし、そういった神が実在しないのならば、この我々の世界は、確かな意味や価値の無い世界、事物が無秩序で、安定的に存在できない恐ろしい世界となる(=神の無い世界ほど恐ろしい世界は無い)
 
一方、この世界には、苦痛・苦悩や悲しいことやむなしいことがあり、悲惨なこと、恐ろしいことが発生するが、それは神が人間や社会に「自由」を与えているからであり、その根底に神がある限り、それはいつまでも続くということはなくて、災いが転じて福となっていくという流れも出てくるだろう。ドストエフスキーが上で言うように、神側の働きかけとともに、人間側の注意や努力により、それらは、実際、ある程度防げるはずだ。

なお、ドストエフスキーが述べた死後の生や永遠の生のことは、このテーマをさらに高次元のものへと引き上げていくことになる。


トルストイは、以上の点に関して、いみじくも、

神の存在を信ずること、人間
の幸福はこの一語につきる。


と言っている。

そして、そういった神の働きと力に沿って物事を行うことこそ、人間や社会のありかたの本道であり、神の道(愛と知恵と調和の道)に基づこうとせず、神の道を無視して、人間自らの私的な欲望や野望や判断のみで物事を行なっていくと、種々の問題や危険性(ある場合はとんでもない暴走や恐ろしい事態)が生じていくことになる。

この神から離反するという点については、ドストエフスキーは、

のない良心は恐怖そのものである。そんな良心は、最も不道徳なところにまで迷いかねない。

いったん
キリストを拒否したならば、人間の知恵は驚くべき結果にまで暴走しかねない。これは公理である。

と述べている。

他の文学者も、同方向のことを言っているのを後に知ったので、次に付しておきたい。

ただ一人でいること、神々なしにいること、それこそが死である。
(
ヘルダーリン)

正しく考えるとき我々は神の中にある。正しく生きるとき神が我々の中にある。
(
アウグスチヌス)

神は自分の中にある働きだと、私は考えているのです。

(遠藤周作)


※、以上挙げた神と神の有無の意味についての考えは、検討を要する一筋縄でいかない部分があり、その説明やまとめ等は、また後に。




ドストエフスキーから
得た考えや教え 3
更新:25/03/28

過去の投稿記事の中のぶん

「神のない世界ほど恐ろ
しい世界はない」について
(
1〜14)

(更新:25/03/28)




ドストエフスキーから
得た考えや教え 4

名言 (132)
この私たちの世界を支えて
いるもののこと

(
ブログ「言葉に学ぶ」
投稿したぶん)
名前:Seigo
投稿日:23/04/14
更新:25/03/28


神のない世界ほど恐ろしい世界はない。
〔ドストエフスキー(ロシアの文豪) saniy(ブログ主)

神の存在を信ずること、人間の幸福はこの一語につきる。
[トルストイの戯曲『生ける屍』より。]

それでよいのじゃ。みな助かっているのじゃ……善い、調和した世界じゃ。
[倉田百三の戯曲『出家とその弟子』の末部の親鸞上人の臨終の言葉]

この宇宙を動かしているのは混乱ではなく秩序である。
[ジェームズ・アレン(イギリスの作家)]

この宇宙のパワーが何なのかは説明できません。ただ、それが存在することだけは確かです
[アレキサンダー・グラハム・ベル(科学者・発明家)]



「神」の有無を生涯問い続けたドストエフスキー(19世紀のロシアの文豪)は、

・神がなければすべてがゆるされる。
(
小説『カラマーゾフの兄弟』のイヴァンの言葉)
・もし永遠の神がないなら、いかなる善行も存在しないし、それにそんなものはまったく必要でない。
(
小説『カラマーゾフの兄弟』のイヴァンの言葉)
・もし神さまがいらっしゃらなかったら、私などがどうして大尉でいられよう?

(小説『悪霊』のある大尉の言葉)
・神のない生活は――苦しみでしかないのだよ。
(
小説『未成年』のマカール老人の言葉)
・神のない良心は恐怖そのものである。そんな良心は、最も不道徳なところにまで迷いかねない。
(
『ドストエフスキー未公刊ノート』より。)

等の「神が無ければ、〜する」「神の無い〜は、〜だ」といった問いかけを通して、「神があるから、〜なのだ」という考えを暗(あん)に示そうとしました。

上の言葉「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」は、そういったドストエフスキーのいくつかの言葉を、いつのまにか私saniyが組み合わせていって出来た命題(言葉)なのです。

上の言葉「神のない世界ほど恐ろしい世界はない」で言う「神」は、観念的な神ではなくて、ドストエフスキーやトルストイや親鸞上人が言うキリスト教の神や仏教の如来(にょらい)とは一致しないかもしれないが、パワーと知恵を持つ人格神としての神も含め、この私たちの世界(地球・自然・人間・生き物・動植物・事物・社会)を、根底において安定的に調和的に支え、守り、発展させている事実としての大きな愛の力・働き(上で言う宇宙の秩序・パワー)と捉(とら)えてもらえればよい。

私たちのこの世界にはたしかに悲惨な出来事は生じているが、もしこの世界の内にそういった大きな力・働きとしての「神」が無いのなら、握りつぶされたりしての地球の瞬殺をはじめ、この世界は秩序も因果も安定も無い滅茶苦茶なことや永遠に続く苦痛や悪や無が進行していく真に恐ろしい世界となる。いや、そういった「神」が無ければ、そもそもこの世界は成り立たず存続も出来ないに違いない。

宇宙物理学の成果も踏まえ、太陽や人間の存在、史上の偉人の出現など、この世界の事物・現象を眺めるなら、そういった「神」の実在を思わざるを得ない。上でトルストイが言うように、この世界を支え、人類をはじめ生き物たちを生かしているそういった大きな力・働きがこの世界の根底に内在することを自分は信じたい。




ドストエフスキーから
得た考えや教え 5
 
名言(4)
生の尊さのこと
(
ブログ「言葉に学ぶ」
に投稿したぶん)
名前:Seigo
投稿日:22/09/04
更新:25/03/28


生より尊いものが、なにがあろう! なにもないのだ、なにも!
〔ドストエフスキー(19世紀のロシアの文豪)の『カラマーゾフの兄弟』より。〕

上の言葉にある通り、ドストエフスキーは、生をありがたく思い、生を大事にし、生を愛した人だった。

ハインリヒ・ハイネ(ドイツの詩人)、ジョン・ラスキン(イギリスの評論家)も、

「生命はあらゆる財宝の最高のものである。」
「生命以外に富はない。

と言っている。その通りだと思う。

 




ドストエフスキーから
得た考えや教え 6
[640]
罪の相互自覚とゆるしあい
名前:Seigo

投稿日時:24/02/28
更新:25/03/28


自分は、中学2年で初めて『カラ兄弟』を読み通した際に、作中のゾシマ長老の教説に、弱輩の身ながら、深く感銘を受けたのでした。その中でも、兄マルケールの教えを引き継いだものとして、
お互いの罪の自覚とゆるし合いの考え
には、少なからず共鳴し、今でも、その影響下にあります。

自分と相手との間に何かトラブルなどが起こった際に、そのトラブルの原因や責任は大なり小なり自分の側にもあるという自覚が大切であり、そして、お互いのその自覚によって、ゆるし合い和解し合うことを説いています。日頃周りの人に知らずに罪なことを行っているという自己の罪の自覚とそういった自己の有り様を自ら改めていくということも含めます。

これらの考えは、『悪霊』でもステパン氏も述べていて、伝統的なロシアの考え(罪の共同体・ソボールノスチ)でもあるということを、後に知りました。

この罪のことに関連して、悪習から抜けきれないことがあっても神を信じて自己の罪性を自覚しているロシアの民衆に比べて、神を否定し科学を信奉し自ら神の位置に立とうとする上層階級の人間たちにはもはや罪意識などあろうはずがないというゾシマ長老の指摘は、民衆や反体制派の犠牲をものともせずに侵攻や政権維持を図る今のプーチン氏の有り様を述べているようで、痛烈に鋭いものがあります。
( Stop Putin
netanyahu 
Stop War
!!)


なお、のちに、孔子や老子や仏教の考えなどに接していく中で、甘さがある以上の考えには、ある程度、変容が加えられてきたように思う。この点については、また、のちにまとめてみたい。




ドストエフスキー
から得た考えや教え 7
[583]
節度・時宜、
明るい見方・曇りのない心、
愛すること・熱中すること、
理想・熱意
(ドストエフスキーの言葉より)
名前:
Seigo
 投稿日時:23/12/16
更新:25/03/28


ドストエフスキーが残した言葉のうち、次の1〜4の言葉に注目した。


1、節度を知りなさい。時宜(じぎ)を心得なさい。それを学びなさい。
(
『カラマーゾフの兄弟』より。)
[
語注:
・節度=行き過ぎのない適当な程度。
 
・時宜=物事を行うふさわしい時期をわきまえること。]

2、私には、幸福とはどうも――人生に対する明るい見方と曇(くも)りのない心の中にあるものであって、外面的なものにあるのではないように思われます。
(
書簡より。)

3、理想と熱意がなかったら、どんなことだって紋切り型のくりかえしになってしまう。
(
時評風随筆『ペテルブルグの夢』より。)

4、どうにも暇(ひま)をもてあましたら、誰かか、あるいはなにかを、愛するようにつとめることだな、ただなにかに熱中するのもよかろう。
(
『未成年』より。)


節度・時宜、明るい見方・曇(くも)りのない心、理想・熱意、愛すること・熱中することの大事さ・効能を述べていて、大いに教えられる。

1・2の言葉などはドストエフスキーは生き方・あり方の面でも健全に円熟していった人だったこと、3の言葉などはドストエフスキーが理想と熱意を持って人生や創作に取り組んでいたことがわかる。




ドストエフスキー
から得た考えや教え 8


[744]
今ある幸せを数えてみること
名前:
Seigo
25/03/22/(Sat)
更新:25/03/28

人間というものは、不幸のほうだけを並べたてて、幸福のほうは数えようとしないものなんだ。ちゃんと数えてみさえすれば、だれにだって幸福が授かっていることが、すぐわかるはずなのにね。
(
『地下室の手記』より。)

人間が不幸なのは、ただ自分の幸福なことを知らないからです。
(
『悪霊』より。)

上の言葉からは、自分の不幸不運なことや自分に欠けているものばかり目を向けて苦しんだり落ち込んだりするのでなく、今の自分にある幸福や持っているものの方にもっと目を向けて、ありがたく思い、感謝していこうということを学んだと思う。


古今の賢者も、以下のように、同様のことを述べている。

・苦悩を数えてはいけない。幸せなことを数えて、それに感謝する時、人は幸せになることができる。
[
デール・カーネギー(米の産業企業家・慈善事業家)]

・幸せを数えたら、あなたはすぐに幸せになれる。
[
ショーペンハウエル(哲学者)]

・足りないものを嘆くのではなく、今あるものを大いに喜ぶ。それが真に賢い者である。
[
エピクテトス(哲学者)]




ドストエフスキー
から得た考えや教え 9

[745]
よいことをすること
名前:
Seigo
25/03/24/(Mon)
更新:25/03/28

人生を恐れてはいけません! なんでも正直ないいことをしたときには、人生はなんと美しいものに思われることでしょう。

『カラマーゾフの兄弟』の末部での子供達を前にしてアリョーシャが語る話の中の言葉だ。

この中の、

・正直である

ということとともに、

 ・よいことをする

ということに、あらためて注目したい。

人生は、よいことを見つけ、よいことを行うことによって、すばらしくて美しいものになる。そのことを教えてくれている。


なお、
宮沢賢治の小説『銀河鉄道の夜』の中の、

誰だって、ほんとにいいことをした
ら、いちばん幸せなんだねえ。

という言葉は、このアリョーシャの言葉を踏まえていると感じられる。



ドストエフスキー
から得た考えや教え 10


[746]
自他を尊重すること
名前:
Seigo
25/03/26/(Wed)
更新:25/03/28

人に尊敬されたいのなら自分自身を敬うがいい。自分自身に敬意を払うことによってのみ他人はあなたを敬うようになるだろう。
(
ドストエフスキーの言葉。
※、所在、未確認。)

尊敬のない愛っていったいなんだろう!
(
書簡より。)

肝要なのは自分自身にうそをつかぬことですじゃ。みずから欺(あざむ)き、みずからの偽りに耳を傾けるものは、ついには自分の中にも他人の中にも、まことを見分けることができぬようになる、すると、当然の結果として、自分にたいしても、他人にたいしても尊敬を失うことになる。何者をも尊敬せぬとなると、愛することを忘れてしまう、ところが、愛がないから、自然と気をまぎらすためにみだらな情欲におぼれて、畜生(ちくしょう)にもひとしい悪行を犯すようになりますじゃ。それもこれも、みな他人や自分にたいするたえまない偽りからおこることですぞ。
(
『カラマーゾフの兄弟』より。)


上の言葉に見られる通り、ドストエフスキーは、人に対しても自己に対しても、相手を敬うということを大事なことと考えた。愛の行動にしても相手への尊敬がなくてはならないとした。

作中の登場人物に対しても、作者として、愛情を注ぎ、どんな人間にも、人間の尊厳を表そうとした。

こういった、どんな人であっても、人は尊いものであり、人を敬ってくというドストエフスキーの姿勢は、自分は結構影響を受けたと思う。





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