ドストエフスキーの思想の根幹に
あるもの ―― 「自由」「神」
ドストエフスキーの作品や評論には、
人間、神、自由、善悪、生、愛、罪、苦悩、美、 社会、文明、科学、ロシア
など、様々な事柄に関する独自の捉え方・思想が見られるが、それらの中でも、特に、
「自由」「神」という問題(テーマ)
は、ベルジャーエフ氏や梅原猛氏がいみじくも指摘したように(下掲の※1・※2)、
ドストエフスキーの生や氏の思想の根幹につねにある問題なのであり、
生涯執着して苦しみ続けた「自由」「神」という問題に関するドストエフスキーの独自で切実な思いや考察(下掲の※3・※4)は、近代化されていく社会生活における近代人のありようと精神の病理を鋭く観察・洞察していて、近現代さらには未来の社会の問題の根本を鋭く突いていると言える。
※1、ベルジャーエフの言
※2、梅原猛の言
※3、ドストエフスキーの
「自由」についての言、
※4、ドストエフスキーの
「神」についての言
後期の小説群の創作や言論活動を通しての我(が)に目覚めた近代人間や社会の、
・自由の増大と、その逆結果としての不自由化・管理社会化
・自意識過剰による自己のアイデンティティや性格の喪失
・神(キリスト)の喪失(否定)、無神論化、無宗教化、
・道徳(善悪の自覚、自己の罪の自覚)の喪失(行為や欲望の暴走化・凶悪化)
(以上の点については、※4に掲載している通り、「神が無ければ」「神を抜きにして」「神の無い良心」「神の無い生活」等の言い方でドストエフスキーは神無き人類の行く末のことに危惧と警鐘を鳴らしている。)
・自我(我意)や人間行為の絶対化(傲慢化)、理性や科学の偏重(へんちょう)
・孤立化(孤独化、自閉化、不安化)
・拠(よ)って立つべき絶対的価値(基盤)の喪失(ニヒリズム化、不安化)
といった状況とその運命に関するドストエフスキーの一連の考察・洞察の営為は、パスカルやキルケゴールと並んで、近現代の「実存」思想の系譜の中で先駆的な重要な位置を占めていると言える。
生涯に渡ったそういった「自由」に関する問題意識や思索の結果は、最後の大作『カラマーゾフの兄弟』の中の有名な「大審問官の章」(第5編の第5)に結実し、 この「大審問官の章」では、社会(未来社会)における「自由とパン(幸福)」「個人の自由と社会の権力(管理)」 といった身につまされる社会的テーマが凝縮されて提示されている。
ドストエフスキーはつねに「自由」「神」という観点で人間や社会の考察を深めていったがゆえに、 ドストエフスキーの「人間」「未来社会」についての言説は、 現代においてもユニークで予言的な深い洞察力を示し得ているのだろう。
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